alohaな歩調に

もう一度 何度でも

心を静かに 静かに

alohaにかえろう。

 

akahai アカハイ

自分にも 大切な人にも

穏やかな優しさで

lokahiロカヒ

心の調和点を探しながら

oluoluオルオル

明るい方向に思いを向けて

haa haa ハアハア

原点に戻って

今あるものに感謝して

ahonui アホヌイ

ありのままの自分を

許して受け入れて…

 

alohaな深呼吸を

繰り返すうちに

ここ数週間の

ふわふわした足がようやく地面について

力んでいた眉間と身体が緩んで

ざわざわした心が凪いで

生命力が満ちてくるのを感じました。

 

ここに戻って初めて

 

見過ごしてしまうような

でもとても大切なことや、

深いところにしまっている

大切な人の大切な想いや気持ち、

純粋な気持ちから自分ができることが

見えてくるのだなぁと改めて実感します。

 

師も走る 師走だけれど

心を落ち着けて

alohaな歩調に戻って

大切なものだけを手にして

新しい年まで歩いて行けそうです。

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自由

IMG_7548自分を 人を 世の中を

出来るだけ 出来るだけ
まっさらに観られるように
そしてalohaな心で愛せるように

自分のストーリーからも
自分の掴んでいる信念からも
自分の恐怖や不安からも
まぼろしの「世間」から取り入れた価値観からも
神話、宗教、信条からも
どんな高いと言われるスピリチュアルな教えからも

過去と言うまぼろしからも
未来と言う幻想からも

自由でいたいと心から思いました。

大事なのは
今 この時 ありのままの自分 目の前の大切な人。

向かい合って微笑むおいのちさんとおいのちさん。

そこに柔らか焦点を当てている時だけ
alohaのエネルギーが流れ込ん
本当のことが分かるということが、ようやくわかりかけてきました。

もっともっと
alohaに ありのままに
自分と 目の前のおいのちさんを
愛せるといいなと心から思います。

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私を守る風のような音楽

人間界を生きている以上、自分が働きかけなくても、さまざまなことに巻き込まれたり、びっくりするようなことが起きたり、人の感情を受け止めなくてはいけなかったりします。

そんな中で一つのフレーズが音楽のように、身体を風のように吹き抜け、私のエネルギーの周りを、まるで私を守るように取り巻いてくれています。

No body is perfect.
But everything is perfect.

自分も含めて完璧な人はいないけれど、起こること、取り巻く環境は、最善で、宇宙の完璧な采配。

不完全なままで、完璧。

一つの状況から何かを学び、自分のALOHAの花を咲かせるための学びにする選択をするかどうかが、そこにあるだけ。

この風が身体中を吹き抜け、私のエネルギーにティンカーベルの魔法の粉のように振りまかれているので、何が起きても大丈夫で、何があっても、私のままでいられる。

そんな不思議な感覚の今日この頃です。

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緑を育てるように

IMG_6803私が大好きな作業で、呼吸が楽になる、ALOHAに戻れる、欠かすことのできないことがあります。

 

それは、植物を育てること。

華やかなお花が咲く花というよりはどちらかというと緑が多い、「雑草」と言われてしまうような草花や観葉植物を育てるのが大好きです。
亡くなった大好きな祖母も、母も大の花好き。

若い頃はそこまでハマると正直思っていませんでしたが、20代からぼちぼち植木を育て始め、今はないと落ち着かないくらい好きな作業です。

小さくてもいいから、ちょっとしたハーブや野菜を植えられる自分の地植えのガーデンを持てたら、と言うのが夢です。

グリーンフィンガーと呼ばれるほどとっても上手ではないけれど、室内外の植物に触れることは、料理、ロミロミの仕事、動物や赤ちゃんに触れるのと同じくらいの喜びです。IMG_6800

最近、気づいたことがあります。
それは、大きな抜本的な変化よりも、ほんのちょっとの工夫が、実は大切だったりするということ。

例えば、弱ってきているなと思ったとき、肥料を入れたり、土を変えたり、植木鉢を変えたりしてしまいがち。若い頃はそんな風にして、劇的に生き返らせることもあれば、逆に枯らしてしまうこともありました。

けれど、
ほんの少しだけ 日陰にしてみる
逆に日の当たる場所にしてみる
ほんの少し 風が通るように鉢と鉢を離す
ほんの少しだけ 支えを添える
ほんの少しだけ 土を足す
ほんの少しだけ 上の方の枝を切ってみる。
時にはほんの少しむきをかえたりするだけでも元気になることがあり、驚きます。

その方が逆に、確実に着実に蘇ったり、また花を咲かせたりしてくれます。

IMG_6802鉢を変える、土を劇的に変える、などの大手術/大改革は草花にとってもとてもストレスなので、それは元気な時にやってあげるのが理想。人間と同じです。

そんなことを考えながら植木いじりをしていて、自分にもこんな風に接して、自分も夢も育ててあげたいなと思いました。

自分にないものをなんとか持ってこようとしたり
足したり削ぎ落とそうとしたり、
考え方やくらしを大きく変えようとしたりするのではなく

ほんの少し 風通しを良くする
ほんの少し 人の手を借りてみる
ほんの少し 自分にALOHAを注いでみる
ほんの少し 手綱を緩めてみる
ほんの少し できることから、くらしに何かを足してみる / 引いてみる

草花をあつかうような繊細さと根気強さと優しさで
自分と夢を ALOHAの心を
死ぬ直前まで育て続けて向こうにできるだけピカピカのまま持っていきたいなと思う今日この頃です。

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バランス感→脱力→リラックスマイル♡

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みんなと同じで みんないい 

わたくしというものが

他の全ての人以下でも それ以上でもないこと。

他の全ての人と同じくらい

特別なものでもなく

同時に びっくるするくらい稀有な存在だということ。

その 絶妙なバランス感の上にいると

こんなに大きな 安心感と安定感を 生きられるんだなあ。

身体の深いところから どんどん脱力して

寒い冬に温かいお風呂に入って

暖かいミルクティーを飲んだ時のように

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ほっ

ほわーっと、はあーーっとリラックス。

とても簡単なことなのに

本当の意味で気づくのに

45年もかかってしまった。

でも

気づけたことで

もっとシンプルに

もっと日常をゴージャスに味わいながら

生きられそうです。

ありがとう、シコリん。今日も、mahalo♡

 

 

生を 柔らかく抱きしめて 生きてみよう

昨日アップしたアニメーションを、何度も何度も繰り返し観ています。

そして、気づいたことがあります。

5歳の時に人体図鑑を見ていて、いつか人は必ず死を迎えることを直感的に理解して以来、私の人生の大きな潜在的なテーマは、死を受け入れ、それを柔らかく抱きしめることでした。

感受性が強すぎる私には、音楽、看板、もの、人、光、全てが大きな刺激になるため、本当に生きているだけでも息切れをしていました。腎臓や免疫系も今ひとつ強くなかったことも相まって、気力と努力だけで生きている、そんな日々の繰り返しでした。そこに優等生気質も加わってどこかで自分に完璧を課すため、常に体が緊張していて、整体の師匠に身体を観てもらって言われた初めての言葉は「もう長いことずっと、眠れていないでしょう」でした。

ですので、乳がんと言われても多くの人が感じるよりはずっと楽に、いつか来る終わりを受け入れることができたことは何度か書いてきた通りです。

私にとって、死を受け入れ、柔らかく抱きしめること以上に難しかったのは、生を受け入れ、柔らかく抱きしめることだったんだ…IMG_0174.JPG

アニメーションの中の鹿の優しい、柔らかい、そして気高い眼差しを観て、深い気づきになりました。

タイトルも「The life of death」なので、死を受け入れることや抱きしめることに焦点があたっていますが、私には、鹿のその眼差しが死だけではなく、生きること、周りの全てに向けられていることが印象的で、ハッとさせられました。

死を受け入れ、抱きしめることができたのだから、それと同じ柔らかさで生きて、生を抱きしめて生きてみよう。

新しい春を迎えられそうな予感です。

返却期限

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両親が本好きだったのと5歳違いの姉がいたため、生まれた時からたくさん本があった影響か、本が大好きな子でした。

幼稚園から中学校まで海外にいたので本屋さんが近くになかったので、教科書を新年度に貰うと、あ、新しい読み物が来た!とその日のうちに読んでしまうのが恒例なくらいでした。

伝記、童話、動物記、歴史、図鑑ものなどの家にある本を繰り返し繰り返し読んでついに飽きた頃、図書館という存在に気付きました。宝物の館をみつけた気持ちでした。

けれど、図書館とは仲良くお付き合いできませんでした。

なぜなら、返却期間中に返却するのが私にはとてもとても難しかったからです。何度も何度も読み返したい。もう少し長く、あそこをもう少し深く…気づくと必ず期限の2週間を過ぎていて、図書室から電話がかかって来たり、担任の先生から怒られたり。そうこうしている間に、怖い司書のお姉さんのブラックリストに載ってしまい、貸してもらえないようになってしまった苦い過去があります。(何故か期間を延長するという作業も必ず忘れてしまうのでした)

そんなつぼみの過去を知って知らずか、オハナのoさんが先日言いました。

「図書館で借りた本は、返さなきゃいけないでしょ。だから、乳がん、やはり治さなきゃだめですよ」

子供の頃からどこか厭世的で、感受性が過敏のHSPの傾向が強いため生きることそのものがとても疲れる私は、気をぬくと「このままシコリんと共生して、おいのちさんが決めた分だけ生きればいいや」と達観とも前のめり感ゼロとも言える境地に、ほっこり&まったりと座ってしまうところがあります。

そんな私ともとても似たところがある(私以上かも!)物静かなOさんに「お預かりした本(乳がん)からのメッセージ、もうもらったでしょ。だったら、返さないとね」と言われるとなんだか妙な説得力があり、また図書館の例えも苦い過去と合間って、しっくり来ました。

もうおさげの小学生ではないので、シコリんこと乳がんからのメッセージを読み終わったらきちんと返却期間までにお返ししなくてはいけませんね。IMG_0168

いのちは自分のものではなく、仏様からお預かりしているもの。そして、そこに乳がんというメッセンジャーまで特別オプションでお預かりした今回の人生です。

そのメッセージには、おいのちさんに生かされている人生を、「ただ安楽椅子に座って全うする」だけではなく、おいのちさんに纏っている私という個性や感受性のアンテナをしっかり立てて、人生をALOHAの花で満たして生きるように、小さな喜びをフルに見つけて生きていくようにと、書いてある気がします。

そして、きっと小学校の時の図書館司書のお姉さんよりも厳しい宇宙の図書館司書様から催促が来ないうちにお返ししよう。

そんな風に思うことができた、もうすく乳がん3年目の春です。

 

力まず 計らわず 働きかけず

南無そのまんま そのまんま。

力まない 力まない。

計らわない 計らわない。

働きかけない 働きかけない。

社会の流れや奨励されている生き方と正反対だけど、おいのちさんの世界では、このモードの方がスムーズに自然に、楽に進むことを日々実感しています。

ミヒャエル=エンデの「モモ」の中の主人公モモが、時間の家にたどり着く前に歩いた道…ゆっくり進むほど早く到達する不思議な道のように。

証拠のない目に見えないものを信じること、私たちには到底計り知れない真理の中に生かされていることを理解するのは、本当に大変なことです。私はひょんなことから30の時にそのベクトルを意識し始め、以来14年。本当に本当に長い旅路でした。

どんな法話を拝聴しても、どんなに瞑想や坐禅をしても、どんな本を読んでも、体験談を聞いても、手綱を離すことの恐怖、見えない道に一歩踏み出すことの恐ろしさを手放すことはできませんでした。

けれど、シコリんを授かってジタバタすることにお手上げ!(笑)、すっかり白旗を揚げてみ渡すと…「唯仏与仏」=仏さまの到達した宇宙の真理には私達はとても到達できないのだと言う前提の中では、計らうこと、力むこと、働きかけることに意味がないことや、糸を余計に絡まらせることが少しずつ分かってきます。

今日も

南無そのまんま

力まず

計らわず

働きかけず

自分のalohaの花を咲かせること、おいのちさんが微笑むことに専心して過ごせますようにと、お地蔵さんに手を合わせます。

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雨の日も 晴れの日も そのまんまでござる

人生に おはよう

img_5151おはよう

アイラブユー☆

今日も楽しい1日にしようね♪

 

どこのダーリンに囁いているかと言えば、先日愛を誓ったダーリン、私の人生に囁いている朝の愛の言葉です٩(๑❛ᴗ❛๑)۶

もの心ついた時からいつもいつも、今日やるべきこと、今日こなすべきこと、今日食べるもののこと、段取り、いつ休憩を入れるか、その時のマイブーム哲学などなど…脳と言うパソコンが立ち上がるなり高速回転を始めて、朝から脳内疲労を起こしていた気がします。

ここ2日は朝はまず人生にご挨拶。そして、美味しいお水かお白湯を一杯。

顔を洗ってご機嫌にお化粧してから、その日の段取りを考え始めて…いい感じで朝を迎えて、そのまま落ち着いて1日が始まります。

もしかしたら、これは普通のことなのかも知れないけれど、小さい時から過敏体質で何かに怯えて、何かが不安で、身の置き場を探して来た私には、こんな朝は初めてで新鮮な嬉しい朝なのです。

ハワイのジンジャーヒルリトリートセンターで目覚めた朝も、沖縄のリゾートホテルで目覚めた朝も、トルコの港町で目覚めた朝も、森の中で爽やかに目覚めた朝も…こんなにalohaで平和な朝を迎えることはできませんでした。

それは私が人生を愛すると決めていなかったから。人生から私を勝手に締め出していたから。

シコリんが出来て、ようやく私は私自身と人生を愛することを学んでいます。

愛するのに値するから愛するのではなく、愛するとまず自分が決めること。

初めて自分と、世界と、きちんと繋がれた気がします。

おはよう 私の朝。

おはよう 私の人生。

今日も1日よろしくお願いします。

 

 

 

 

いのちに努力と解決志向は要らなかったんだなぁ(*´꒳`*)

IMG_4352.JPG黒木さん と言う友人がいます(実名でごめんなさい(笑)でも、どうしても書きたかった(笑))

絵描きさんで、子ども達に表現の楽しさを教えている表現者で、高千穂に惹かれて昨年引っ越した黒木さんに、久しぶりに会えました。

元々独自の、飄々とした空気感を持っている、なんともオリジナルな個性の友人なのですが、久しぶりにお会いした彼女は、ますます自然に、天然素材に戻っていて、都会のカフェなのに彼女が座っている場所だけ、コダマがちょこんと木の切り株に腰掛けている風情でした。

彼女のその佇まいそのものに、また一つ、砂場の棒倒しのように、砂がごっそり取り除かれました。棒を倒さないようにする通常の棒倒しと逆で、私のこだわりと言う棒が倒れるための棒倒しです。

そして、彼女の力の抜けたコダマのような佇まいから伝わってきたメッセージは、「いのちのことに、努力や解決志向は要らない」と言う根本的な、とても大切な、でも多くの人が忘れてしまっている根源的なこと。

世の中で生きて行くための見えないルール、特に経済活動を中心とする都会のルールの中では、解決志向、目的達成、デザイン思考、それに向けた努力と行動が尊ばれ、それが正しいあるべき在り方だと、日々全てのソースから囁かれます。

その努力する姿や何かを達成する姿に人々は感動し、自分を激励して達成感を味わい、脳内モルヒネの川で気持ちよく泳ぎ、また明日頑張るためのモチベーションをそこに見いだします。

それが美しい姿とされます。

もちろん、優等生気質で努力命の私もそのど真ん中狙い(笑)(笑)!!でした。

でも、一年半シコリんと向き合ってきて、努力し続けてきて、おいのちさんと出会ってもなお自力自力で頑張ってきて(笑)…

でもなかなか結果が追いつかないことに途方にくれてジタバタ&しょんぼりしている今日この頃の私に、彼女の存在感からのメッセージは、肩の力を抜かせる鮮烈かつ生きたメッセージとなりました。

日常を流れる時間、直線時間、男性脳、理性の脳が日々要求し続ける「解決志向」「努力」「成長」「学び」…私が高校生の時壁に貼っていた「克己」。

「緩める」とか、「手放す」「治ることを目指さない」とか、そんなレベルではなく、これらは、おいのちさんには、いのちの世界には 「要らなかった」んだなぁ…。

はぁ(*´꒳`*)

………………(*´꒳`*)。

今日はこれ以後、思考停止で過ごします☆