新しい取り組み=「取り組まないこと」

D4938F7D-B6E6-49B5-885F-E009B11719D9手術をしないで、このまま自分の身体の声、自然の力の任せると決めた後に、ふっとやってきた新境地があります。

いのちの手綱を私自身の手でしっかり握り直し、自分のいのちを信頼して生きていく決断をしたことで、お腹の底から想像をはるかに超えた力が湧いてきて、生きることや人生、失敗が怖いものでなくなったことは、以前書きました。

その後、ふとやってきた、姿勢や生き方の新境地は

能動的に  «受動的» であること」。

自分から動かない、取り組まない、頑張らない、必死にならない、取りに行かない、仕掛けない、計らわない、繕わない。

意識的になるのは、自分に自分の感受性のままで「在る」ことを許して、感受性センサーでがにっこり微笑むものを選択していくことだけ(今回の私の手術をしないという選択もきっとその一つだったように思います。)

すると自分から積極的に能動的に「動き回って」いた時よりも、物事がスムーズに、そして必要な速さでやってくることに驚いています。

コツコツ型で、努力、頑張る、克己などの姿勢こそが人生を「切り拓く」と信じていた私には、まさに新境地です。

やってきたことは、ありのまま受け入れて、出来ることを手抜きしないでalohaで取り組む。結果は、失敗も成功も含めてall OK。私も、誰もかれも、不完全なままで完璧だから。まあ、こんなシンプルなことだったなんて!

今まであんなに人生が恐ろしく、不安に満ちた曖昧な場所で、一生懸命泳がないと沈んでしまうプールに思えていたのが嘘のようです。力を抜きさえすればこんなに楽に浮くことができるなんて。そして、辿り着くべきところに辿り着くという、絶対の信頼もあります。

さまざまな本に書いてあり、古今東西きっと繰り返し言葉を変えて伝えられてきたであろう、一つの人間の在り方の真理なのだと思いますが、ようやくそのことが体感として分かるようになってきました。

もちろん、元の思考パターンも残っているので、そこはかなり意識的になる必要はありますが、コツをつかんだ気がするので、きっと、大丈夫。

先日ステキなご夫妻からご紹介いただいた『人生を喜びから生きる』という本を読みました。

臨死体験をして宇宙の真理を体感し、生還して3日で全ての末期ガンが治ってしまい医療関係者を驚愕に陥れた、インド人の女性の奇跡のような素晴らしい手記です。

私の大好きな『奇跡の脳』の著者で脳科学者のジル=ボルト=テイラー博士も、脳溢血を起こして左脳の機能がストップしてしまった時に感じた「全てとの一体感」を美しい言葉で語っていて、彼女自身の回復こそが一つの奇跡です。

絶え間なく続く思考や分析、情動とそれに伴う行動への信号がストップした時に起こる、人体という小宇宙、魂の入れ物に起こる奇跡。

いのちの流れが、元の流れに戻り、バランスして調和に戻っていく鍵はそこにあるのかもしれません。

新しく取り入れたいこと、取り組みたいことは

「取り組まないこと」。

今日も一日、感受性を、いのちを信頼して、計らわないで生きてみようと思います。

乳がんがなくなるのを 躊躇う心

乳がんなのに、がんがなくなるのを躊躇う心って??!と思われるかもしれませんが、実はつぼみの心の中や無意識の中には躊躇う心があることに気づかされた連休でした。

以前にも書きましたが、乳がんとわかった時、実はどこかでホッとした自分がいたのを覚えています。

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2年前の私は、人生に、生きることそのものにあまりにも疲れ切っていて、前の愛犬が少しずつ天国に近づいていくのを見守りながら、どうかこの仲良しと同じ時に天国に行けますように、この辛い人生を終えられますようにと心の底から願っていました。

ある臨床の先生の研究で左乳がん患者の多くが、乳がんとわかった時にその疲労の原因に必ず思い当たり「ああ、これで休めると思った」と口にするという統計があるそうですが、私も同じでした。(インスタでつながっている多くの乳がん患者が保育士さんだったり、看護師さんだったり、介護職、家庭内でのケアテーカーとだったりするのは偶然ではないような気がします。)

強すぎる感受性や共感能力を、自分の手で守ることも、逆にいい方向に活かすこともできなかった2年前までの自分。

人の苦労話や愚痴に耳を傾けて励ましたり、受け止めたり、マッサージをしたり、保育をしたりすることは、私にとっては慣れ親しんだ自動操縦でできることだったので、いつしかケアテーカーとしてのアイデンティティーの中に安穏と生きるようになり、気づかないうちに内部から疲労していました。

「つぼみさんのことを悪く言う人が1人もいないんだよ、みんな口を揃えていい人だと言うんだよ、そんなの変だよ。少なくとも自然ではないよ」口の悪い整体の師匠の言葉が深く突き刺さったのは、きっとそのアンバランスさやそこに安穏としている生き方に思い当たるところがあったからだと思います。

感受性をそれ以外に活かす道を探るために出た5年に渡る旅にも、肉体労働にも疲れ果て、人の期待に無意識に応えてしまう性質そのものにも辟易し、そこここに溢れる騒々しすぎる刺激も、もっともっとと何かを求め続けて何かを達成するために生きるように鼓舞する風潮も、もうたくさん!もう今世はここまで十分頑張りました、どうかもう勘弁くださいと願っていました。

そんな独りよがりで子供だった私を、仏様は、宇宙は、それでも見捨てませんでした。

もう一度やり直すための、方向変換するためのチャンスをくれました。私はそのチャンスを活かすことを選び、人生の舵を大きく切ったのでした。

衣食住を変え、生活ペースを落とし、自分のことを大切にすることや心地よいと感じる感覚を尊重すること、嫌なことや不誠実な扱いにNOと言うこと、人の援助を受けることを少しずつ学び、自尊心を取り戻していきました。

手に入っていないものではなく、もうすでに目の前にある普通の幸せや喜びを見つけて味わう心の余裕のある生活を、少しずつ、少しずつ心と身体になじませていきました。

それでも、どこかにあったのです。IMG_0170

乳がんがなくなるのを躊躇う心が。

深い深い無意識層に、タールのようにこびりついているそのエネルギーが、私の生きる力を、気力を、希望のエネルギーを堰き止めています。

天災や病気をはじめ、自分の生活を根本から揺るがす大きな変化などに見舞われると、元の生活に戻ろう、元に戻そうとする心が人には備わっているように思います。変化に対応するために心身がアラートを発信し続けると、大脳辺縁系がフル活動して元の慣れ親しんだ安定した状態に戻そうととするためで、それが生き物としての生存本能だからです。

乳がんがなくなったら、また元の私に戻ってしまうのではないか。

乳がんがあるからこそ、人の期待に応え続ける人生にNOと言えて、完璧主義を降ろすことを自分に許せて、優等生的で道徳的な価値観を脱ぎ去ることができているけれど、もしもこれがなくなったら、私はまた自分をあの独りよがりで不自然な習慣の中に戻してしまうのではないか。

そんな恐れがあることに、そして、あれだけうんざりしていた前の自分や習慣に、それでも戻ろうとする心の力学があることに、自分でもびっくりでした。

IMG_0171人も万物も変化し続けているのが自然。

この2年間で身につけたもの、逆に削ぎ落としたものがこれだけあるのだから元に戻ることはありえないんだから大丈夫。

もう図書館に乳がんをお返ししても、メッセージは心に刻まれたから大丈夫。

その先には、新しい私しかいないし、それ以外はありえないんだから、大丈夫。

ノートに書いて、何度も読み上げます。

古い心の習慣や元に戻ろうとする力学に逆らって、それらのエネルギーをヒョイっと躱して、タールのようにこびりついたものを洗い流して、花咲き乱れる春を迎えたいと思います。

 

 

春分の日まで もうちょっともうちょっと

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春は自律神経が乱れる季節。

寒暖の差の一番大きな季節で、1月くらいから頭部肩部と開いてきた身体が、いよいよ骨盤部を緩めていいのかな、と季節とせめぎあっている季節です。

そんな乱気流が、骨盤も鉄板のように固く、腎がもともと弱い私にはなかなか厳しい季節です。
めまい、吐き気、動悸息切れ、低血圧に、体温調整不能、不眠に悪夢、疲労感に絶望感!(笑)

春分の日の毎年の感想は「はあ、なんとか生き延びられた」(笑)。そのくらい心身ともに影響を受ける季節です。

昨年のこの時期に受けた免疫検査は、愛犬メイを看取ったばかりだったこともあり、60代くらいの免疫しかなく、とてもがっかりしたのを覚えています。今年もきっと低いんだろうなぁと感じます。

シコリんと一緒に生きていく人生を、女独り身でこの先も自立して生きていくことの限界を感じる日もあるし、仕事のこと、将来のこと、やり残している夢、行ってみたかった場所、落としてきてしまった何か…過去や未来を考え始めると、心拍数はいよいよ乱気流!(笑)

ネガティブなことを考え始めた時は、ふううううーーーっと大きな息を吐いて思考をストップ☆

自律神経を整えるツボを押しお灸をして、骨盤に焼き塩を乗せたり…
サウナで汗をかいて、ストレッチをしているようには見えないと定評のあるストレッチ(身体が硬すぎて)をしたり…
腹式呼吸を心がけたり、活元をしたり…
青竹踏みをしながら「100分で名著」をみたり…
ハーブティーに、暖かいスープ 小田原のOhanaのAさんがくれた指輪を身につけたり…
何よりはなちゃんとのスキンシップ♩
そして、メタ認知を働かせるべくこんな風にブログで吐き出させていただいたりもして(笑)。

ひとりきり努力した後は
やはりこれですね。

南無そのまんま
そのまんま

南無そのまんま
そのまんま

おいのちさんの力にお委ねして、力を抜いて

季節の変わり目に翻弄されてしまう私もまるごとOK。
じたばた努力してしまう私もまるごとOK。
顔色の悪いさえない、ぱっとしない私もまるごとOK。

免疫が低い時だってあるし高い時もある。
元気なときもあるし、思い切り低迷しているときもあるのがいのち。それも女性の魅力(?と思いたい)

仏様からお預かりした おいのちを 全うするために、ぼちぼち、ぼちぼち、なんとか、なんとか、あと10日、春分の日まで!(笑)

はなちゃんと 「サピエンス全史」を読みながら(はなは暢気に足元でいびきをかいているけど)花咲く季節を待ちたいと思います。

励ましのお便り、優しさ、労わり、エンパワー、大歓迎です(笑)

みなさまも、春分の日まで、どうぞご自愛くださいませ。

ほんのちょっとだけ

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カメラに魂を取られると信じているはな嬢

「ちょっとずつ」

「ほんのちょっとだけ」

尊敬する大好きなOhanaがくれた魔法の言葉です。

ともすると、一途でストイック、といえば聞こえはよく、生真面目、「融通」という文字ゼロで突き進む傾向のある私に、「「ほんのちょっと」でいいんだよ」「「少しずつ」ね」と顔の前に1センチくらいに開いた指先を持って行っていつも微笑んでくれます。

はなちゃんが来て早くも3週間。あまりの愛らしいはなちゃんに、オキシトシンと母性本能全開になり(我が家の系統は母性本能の洪水で世界を洗い流す傾向あり)、はなちゃんの一挙一動にアンテナが立ち、はなちゃんに唯一覚えて欲しい室内でのトイレトレーニング(外にお散歩に行くまで我慢に我慢を重ねてしまうため)に教育ママの意気込みで集中し、うまく教えてあげられない自分に落ち込んで…と、新米ママのような日々の中でも、その言葉はいつも響いています。

忙しい時間の中でも、ちょっとだけ手を休めてはなちゃんに100%(120%?)集中する時間をつくったり。

ちょっとだけ女性の時間を取り戻してくるね♩、とお留守番を頼んでカフェやタンゴレッスンに出かけたり。

トイレトレーニングが失敗を繰り返しても、ちょっとずつ覚えていけばいいからねと、はなちゃんにも言い聞かせて、にっこり微笑んでやり直し。

バランスをとることは、人生にはとてもとても大切なことです。img_0158

でも、時に人はバランスをとることそのものに躍起になったり、バランスをとろうと力んでしまったり、バランスの悪い自分に落ち込んだり(こうやって書くとなんて無意味な落ち込み(笑)!)することがある気がします。そしてそれは、逆効果になることもしばしば。

シコリんこと乳がんと向き合ってきた2年近くの時間の中で、このOhanaのスタンスや「ほんのちょっとだけ でいいんだよ」に、気づかないうちに力んでいたことに気づき、一度深呼吸して緩んで、また改めて取り組む力をどれだけもらったかが改めてわかります。

力まず、ジタバタせず、計らわず。

でも、いいと思ったことをほんのちょっとだけ 取り組んでみる。

やりすぎたら ほんのちょっと休憩。

成果がなかなかみえなくても、きっと少しずつ何かが育っていることをイメージして、またちょっとだけやってみる力にする。

乳がんと分かってからもう直ぐ丸2年。

昨年3月に亡くなった愛犬メイちゃんの命日でおひな祭りの今日は

はなちゃんとおひな祭りをお祝いしながら、乳がん3年目はもう少しだけ、ほんのちょっとの努力でできることを続けながら、少しずつ成果の花が芽吹いてくることをイメージして、alohaに過ごしたいと思います。

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メイが見守ってくれている気がします

 

 

 

 

トライアル期間終了

img_5906はな観音こと、はなちゃんが来てくれて2週間。保護犬の場合は、一応二週間のトライアル期間を設けて、犬も里親もこのまま家族になりたい!と相思相愛になったところで、正式譲渡となります。

そんな はなちゃんとつぼみの二週間は、子どもの慣らし保育のような、中年の恋人同士のような二週間でした。

保育士の頃の経験を生かして、信頼関係を作りながら様子を見て少しずつ色々なことに慣れてもらい、はなちゃんの自信を育てます。

だめなことや無理なことは、優しく、でも毅然とした態度で(犬は集団の生き物なので、曖昧な態度や指示系統は混乱させてしまいます)だめだと伝えます。

まるで受け入れの時の保育士のようです(笑)。

逆に実家の家族に慣れるように促し、預ける時は、まるで赤ちゃんを保育園に預ける母親の心境。゚(゚´ω`゚)゚。

分離不安にならないように、でもはなちゃんしか見えない自分にならないように、お互いに癒着しすぎないように、見かけはあっさりした態度で出かけるも、お出かけ中はいつもはなちゃんのことを考えてそわそわ(笑)。

社会性も大切で、家族の中が好きな犬族のはなちゃんには、なるべくたくさんの人に可愛がってもらえたらなと思っています。

ここまでは慣らし保育のお話(笑)。

中年の恋人、と申しますのは、お互いに重ねて来た年月のことは不問(はなちゃんは語れないので(笑))のまま、今のお互いを受け入れて、不完全なお互いの、そのまんまで、ただただ一緒にいるだけで嬉しいのです。

若い(仔犬)の頃からお互いの関係を育てる(躾ける)のとは違い、過度な期待もなく、ありのまんま、そのまんまでいいのです(^ ^)

はなちゃんの眼差しは本当に優しくて、ワンともスンとも言わない穏やかな性格(ごはん待ちをしてる時だけ待ちきれず鼻がブーブーなってしまうところがご愛嬌(笑))。

まるで愛と優しさだけで出来ている生き物のようです。

そんなはなちゃんの目を見ていると、自然と私の目尻も優しく下がり、お互いにっこりいつまでも見つめ合ってしまいます( ´ ▽ ` )

はなちゃんのように、愛と優しさだけで出来ている生き物にはなれないけれど、でもはなちゃんの隣にいると、私の中の優しい気持ちがスクスクとニコニコと、育っていきます。

はなちゃん、来てくれてありがとう。

どうぞこれからもよろしくね。

ずーっとずーっと、よろしくね。

大切なこと を 再び

我が家に、新しいパートナー犬でサロンの看板娘で、img_5849 生き菩薩(笑)のおっとり はなちゃんがやって来て6日目が終わろうとしています。

保育士の頃は0歳児1歳児クラスの担任が多かったので、まるで慣らし保育だなぁと思いながら、はなちゃんとの6日間を過ごしました。

分離不安でいっぱい(まして、一度捨てられて保健所で死を待つ時間を過ごしているだけに)のはなちゃんの存在そのものを、全肯定でぎゅーっと抱きしめ続ける→少しずつ自分から探索するまで待つ→探索したら戻って来られるようにそばで見守る。

失敗しても怒らず、出来たことを褒めて励ます。

少しずつ、少しずつ。img_5855

今日あたりから、はなちゃんも安心して大丈夫なんだ、と私を信頼して来てくれたのが伝わって来ます。

私自身に関して言うと…この6日間、シコリんこと乳がんのことを思い出したのは、多分トータルで2時間もないかもしれません(๑˃̵ᴗ˂̵)

自分ではそこまで自分の乳がんや自分のことにばかりフォーカスしないようにしてきたつもりだったのですが、こうやって自分以外のケアを必要としている存在に、自分がしてあげられることを探して一生懸命無心に行っている時間を過ごしてみると、如何に自分がこの20ヶ月近く、自分のことしか見えていなかったかが分かります。

そんな私を、暖かく見守って来てくれた全てのOHANAに本当に心からありがとう。

そんな大切なこと、ALOHAをもう一度思い出させたくれたはなちゃん、本当にありがとう。

つぼみのメニューは 相変わらずベジタリアンメニューで1日2回。

はなちゃんのダイエットメニューは、シニア用のドックフードを少しに、つぼみのベジタリアンメニューのネギ類抜き、味付けなしで、1日2回。

おやつは2人ともリンゴと豆乳ミルクティー。

なんともいいバディ(相棒)ではありませんか!(笑)

明日からまた一つずつ、お互いのペースを大切にしながら、喜びにフォーカスしてやっていこうね、はなちゃん(^ ^)

春の足音が聞こえて来ています。

 

 

 

出雲国にて

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昨年から今年の頭にかけて「期待をしないと言う贈り物」があることを知りました。「ありのままをそのまま愛する」と言う無条件の愛と、それの持つ力を体験することができました。

すると、今まで私がこの人のあり方はいいな、一緒にいると力が湧くな、と密かに思っていた人たちは、そんな愛情の示し方を知っている人だと気づきました。(今回出雲国にご招待してくれたohanaのまきさんは、まさにそんな素敵な人^ ^)

そして、このさりげない、けれど、宇宙で最もパワフルな愛情をそっと差し出している慎ましやかな人たちが、あちこちにいることに気づくようになりました。

誰かの期待に応えなくては…

役に立つ人間にならなくては…

前に進まなくては…

何かを生み出さなくては…

そんな自分自身への期待からも自由になることができました。

すると、子どもの頃から絶えず感じていた焦燥感や急き立てられる感覚から解放されて、心が静かになり、ぽかんと空いていると思っていた心の穴が幻だったことに気づきました。

「代償」と呼ばれる、その穴を埋めるための様々な計らいから自由になって周りを眺めて見ると、そこには、ぽかんと晴れた空(くう)しかありませんでした。

ぽかんと晴れた空には、いのちの泉が湧いていました。

いのちの泉に身を置けるようになった毎日は、喜びも悲しみも、全てがキラキラ形を変える万華鏡のようです。img_5522

44年かかったけれど、こんな風景に出会えて良かったなぁ…(๑˃̵ᴗ˂̵)

シコリんを含めた全てのご縁に、ありがとうございました、そして、こんな万華鏡の眼鏡を持って、これから出会う全てのご縁を喜びながら生きていけますように…昨日からご縁あって訪れている出雲国の、出雲大社様に手を合わせて来ました。

 

脳 に落ちた話

脳の中でも特に思考を司る前頭前野は、高度な精神活動を司る場所であると同時に、時にとても分からず屋のところがあります。

身体のレベルでずっと分かっていたこと、いのちの文脈でずっと識っていたことなのに、前頭前野が拒否して受け入れなかったことが、ふっと「腑に落ちる」、ならぬ、「脳に落ちる」…昨日の私の脳の中でそんなことが起こりました。

乳がんとわかってからやはり私の中ではどこかで

治る(生きる)方向に向かうか

死(終わり)に向かうか

のニ択だった気がします。

そして前者に向けて自然治癒力を高めたり、身体を解毒したり、の努力をして来ていました。

昨日、ふと脳に落ちたのは

実はニ択ではなくてIMG_4309.JPG

後者の一択だということ。

肉体の死であり魂の死ではない…と言う話は置いておいて、生まれたからには、誰もが、確実に、平等に死に向かっています。

だから、ニ択ではなく一択なのだということ。

あとは、確実にやってくるその日まで「生きる」だけ。

出来れば…

自分の感受性を生かして

この唯一無二の身体を大切にしながら

成功も失敗も面白がりながら

できるだけ寄り道をして

人、もの、こと、出会いにaloha、と挨拶しながら。

がんであろうとなかろうと、生きとし生けるものの、それは厳然とした、自然の理で、一択。

そのことが、「脳に落ち」たら(思考がようやく白旗をあげたら) 力みがまた一つ抜けました。

明日から、大好きな沖縄、大好きな久高島に、私に命を繋いでくれた母との旅行です。

今だかつてない、幸せはっちゃけの、aloha旅になりそうです☆