返却期限

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両親が本好きだったのと5歳違いの姉がいたため、生まれた時からたくさん本があった影響か、本が大好きな子でした。

幼稚園から中学校まで海外にいたので本屋さんが近くになかったので、教科書を新年度に貰うと、あ、新しい読み物が来た!とその日のうちに読んでしまうのが恒例なくらいでした。

伝記、童話、動物記、歴史、図鑑ものなどの家にある本を繰り返し繰り返し読んでついに飽きた頃、図書館という存在に気付きました。宝物の館をみつけた気持ちでした。

けれど、図書館とは仲良くお付き合いできませんでした。

なぜなら、返却期間中に返却するのが私にはとてもとても難しかったからです。何度も何度も読み返したい。もう少し長く、あそこをもう少し深く…気づくと必ず期限の2週間を過ぎていて、図書室から電話がかかって来たり、担任の先生から怒られたり。そうこうしている間に、怖い司書のお姉さんのブラックリストに載ってしまい、貸してもらえないようになってしまった苦い過去があります。(何故か期間を延長するという作業も必ず忘れてしまうのでした)

そんなつぼみの過去を知って知らずか、オハナのoさんが先日言いました。

「図書館で借りた本は、返さなきゃいけないでしょ。だから、乳がん、やはり治さなきゃだめですよ」

子供の頃からどこか厭世的で、感受性が過敏のHSPの傾向が強いため生きることそのものがとても疲れる私は、気をぬくと「このままシコリんと共生して、おいのちさんが決めた分だけ生きればいいや」と達観とも前のめり感ゼロとも言える境地に、ほっこり&まったりと座ってしまうところがあります。

そんな私ともとても似たところがある(私以上かも!)物静かなOさんに「お預かりした本(乳がん)からのメッセージ、もうもらったでしょ。だったら、返さないとね」と言われるとなんだか妙な説得力があり、また図書館の例えも苦い過去と合間って、しっくり来ました。

もうおさげの小学生ではないので、シコリんこと乳がんからのメッセージを読み終わったらきちんと返却期間までにお返ししなくてはいけませんね。IMG_0168

いのちは自分のものではなく、仏様からお預かりしているもの。そして、そこに乳がんというメッセンジャーまで特別オプションでお預かりした今回の人生です。

そのメッセージには、おいのちさんに生かされている人生を、「ただ安楽椅子に座って全うする」だけではなく、おいのちさんに纏っている私という個性や感受性のアンテナをしっかり立てて、人生をALOHAの花で満たして生きるように、小さな喜びをフルに見つけて生きていくようにと、書いてある気がします。

そして、きっと小学校の時の図書館司書のお姉さんよりも厳しい宇宙の図書館司書様から催促が来ないうちにお返ししよう。

そんな風に思うことができた、もうすく乳がん3年目の春です。

 

新人類?的 人生観?

img_5571今の時代は、新しい人類の時代を迎えていると言えるそうです。

自然の摂理の中では生まれることがなかった命が、遺伝子工学や様々な科学の力でこの世に生まれることができる…それは、生物の長い歴史の中でおそらく初めてで、私達が考えている以上にもの凄いことなのだといいます。

遺伝子工学ほどの大きなことではないけれど、私も、なんども辛い流産を繰り返して、それでももう1人産みたいと願ってくれた母に、お医者さんが流産止めとして処方した黄体ホルモンのおかげで(世界では多くが使用禁止になっているけれど、日本では当時はそれが最先端でした)、ようやくこの世に生を受けました。

そのことを昨年母に聞いて、心がとても落ち着きました。母はそのせいで私が病弱で乳がんになるきっかけにつながってしまったのではないかと思い患っていたようですが、私の反応は「なかったはずの生、なかったはずの人生を体験してるってことだな、これはすごいことかも(o^^o)。私も謂わば、新しい人類なんだ」でした(笑)。

と、同時に「スーパー原点」に立てた気がしました。

多くの人は、もの心ついたらいつの間にか生まれていて、その生を自分のものとして、当然の権利のように感じて生きているのがデフォルトだと思います。

だからこそ、病気になったりするとその当然の権利が奪われたように感じて怒りや悲しみが湧いて来たりします。また、自分自身や人生に、生きていること以上の大いなる期待をかけては失望してを繰り返し、常に常に走り続けることになるのかもしれません。

でも、科学の力を借りて、生まれるはずがなかったところを生まれてきて、この世を体験しに来てる…と思ったら、それ以上の期待がなくなり本当に気楽になります。

そのまんまの私で世の中を面白がって体験出来る私でさえあれば、おいのちさんも大満足!

シコリんこと乳がんも、仏様からお預かりして生まれた体験学習プログラムの一つ。それがベストタイミングで始動しただけ…そう思っています。

生命倫理、科学の力を借りて生まれるいのちの行く先やその賛否を論じることは私には到底できないけれど、少なくとも私は、その当時のお医者さんの処方も科学の力も、その中で私が生まれたこともまた、仏様の大きな計らいの一つだなと感じています。

その生の中で、何を為すか、ではなくて、逆に気負わず、力まず、計らわずどれだけ大きな安心の中で生きるか。そして、ほんの少しの欲(私の大好きなオハナの口癖で、達観気味の私への素敵な提案です)を楽しみながら生きたら、大合格、な気がします。

今日も、そんな1日が始まりました^_^

 

 

 

「死は大事な仕事」

imageこのところ、ひろさちや さん の言葉や人生観が妙に胸に沁みます。

昨日は「大往生したいなら医療に関わるな」「どうせ死ぬならがんがいい」の著者で、医師の中村仁一先生との対談「死は大事な仕事 しっかり死ぬということ」を読みました。

日本の医療の現状、患者側の思考放棄の現状から、お話は延命について、脳死について、いのちは誰のものか、老化とどう向き合うのかなどに広がり、誰も言いたがらないこと、避けて通りたいことを、ストレート直球で誤魔化さずに語られている対談で、静かに、心の隅々に染み渡りました。

化学治療を受けないなら検査も引き受けませんと断られ続けて来た謎や、日本人独特の医療お任せパック好きの謎、いのちのことは別次元の活動をしている今の医療従事者と本来の医者の役割とのギャップの謎。

溜飲が下ると共に、とてもホッとしました。

そして、それぞれに活動されているご老体に、目を開けて生きろー、しっかりいのちの本来の姿を生きろーと揺り起こされた感じでした。

タイトルは死ぬという事で、語っているのは死についてなのですが、私には「生きるという仕事」の話に読めました^_^

いのちは仏様からのお預かりもの、病気は連れ添うもの、がんなどの完治の難しい病気と分かったら、それはしっかり死ぬ日(までしっかり生きる)ことを始めるための合図、とひろさん。

今の日本の医者は技術者集団だから、いのちのことは自分で考えて、医者はうまく利用するもの。変にいじらなければ痛みなくちゃんと死ねるようにできているから、と自らも腫瘍を持ちながらあっけらかんと語る中村先生。

なんだか、肩の荷がおりました。

久高島でお目にかかったナビィさんの、しっかり生きてない人はしっかり死ぬこともできないから、しっかり死ぬためにしっかり生きないとね、という言葉と笑顔を思い出しました。

このおいのちさん、仏様からの預かりものである私のいのちを、同じく仏様から預かりものであるシコリんと一緒に歩む。

(ひろさんは、病気を、悪妻のおかげで哲学者になれたソクラテスになぞらえて、悪妻だと思って連れ添うように勧めています(笑))

目を開いていのちの本質から目を背けず、笑って生きられたらいいなと、清々しい、ホッとした気持ちでいっぱいになった本でした。