腫瘍マーカー正常値に戻りました

昨日、半年ぶりに受けた血液検査での腫瘍マーカーの結果が出ました。

私の場合、治療をしないという選択をしているので、どこのお医者さんからも定期的な血液検査を断られます。治療を前提にしないなら検査も必要ないでしょうと5件に断られました(T ^ T)。(私の友人も同じらしいので、これは医療制度やお医者さんたちの意識がまだ予防医学に向いていないことに因るのだと思います)

CEA(胃がん、大腸ガン、乳がん、卵巣がん、子宮頚がん)、CA19ー9(消化器系がん)、CA125(卵巣がん、子宮体がん、子宮内膜症)、CA15ー3(乳がん)を、一回で検査できる自宅キットはなく、キットでの自己採血に加えて健康診断センターでの健康診断のオプション検査で定期観測してきました。

今回は、銀座にできた血液検査ラボというところの検査キットだと全部が網羅されているので(保険対象外)とても便利!ということで、先日受けてきました。

そして、届いた結果は

CEAが若干高いものの、それ以外の数値は驚くほど低く、正常値でした☆

とくに定期観測してきたCA15ー3は今回は初の10台で17.5。
CEAも一時期は80近くあったのですが、異常値ではあるものの12.0で落ち着いています。

これまでの推移は
◎CEA(5以下が基準値)
2016.3:21.9
2016.5:46.8
2016.7:79.1
2017.1 :46
2017.7 :3.5
2018.3: 12

◎CA15-3 (23.5以下が基準値)
2016.5 : 25.6
2017.1 : 60.1
2018.3:17.5

(それ以外のマーカーは今までずっと正常値です)

6センチ大だったシコリんは、少しずつ縮小してきていて、3センチ強(というのも、つぼみのしこりんは凸凹で横長なのです)、横を向くとバセットハウンドの鼻面のようなお胸だったのが、今はぶつけた後のコブ状になっています。半年前のCTでは、転移なし。

これって(๑˃̵ᴗ˂̵)ワイン一杯くらい飲んでお祝いしてもいいのかしらん♪

と喜ぶ私に、家族はこれこれ、ここからですがな、ここが粘りどき!と慎重ですが(笑)、今朝の目覚めはとても爽やかでした。

これからも食事による身体ケアと温熱は続けて行きますが、それはその方法が私の体調にいいいから。

それに加えてこれからはもう少し、身体を強くして行く方法を取り入れて行きたいなと思っています。

そして、何よりこの3年間にシコリンが私に教えてくれたALOHAな生き方を忘れずに、いのちの源 おいのちさんと繋がりながら、身軽に、大切に、こだわらずに生きていきたいなと思います。

それを教えるためにつぼみのところに舞い降りたメッセンジャー、シコリんに感謝です。

おいのちさんが生かすと決めたこのいのちを、自分自身に、そして社会に投げ出していく生き方を模索して行きます。

3年前抗がん剤と化学療法を一切しないという選択をし、以来一人で黙々と食事療法と自宅での温熱を続ける娘、半年前チャンスだから全摘してリンパもとりましょうというお医者さんの提案を頑として受け入れなかった娘を、内心はらはらしながら見守ってくれてきた両親の忍耐力と寛容さと信頼には本当に感謝しかありません。

歴代のお医者さまに、このままじゃ死ぬよ、自然療法をしたら死ぬよ、今切らないと死ぬよ、手遅れになって死ぬ前に戻って来ないでね、と何度も何度も呪文のように言われてきたにもかかわらず自分の道を貫く娘の選択を、どんな気持ちで見守ってきたのでしょう。

私が親だったらこんな風にサポートして見守れたかなと思うと、本当に両親に感謝です。

本当にありがとう。

私に愛をたくさん注いでくれるOhana達に、心からの愛と感謝を。

私より一足先に旅立ち、むこうから私を見守ってくれているりんりん、まちさん、kさん、ありがとう。

いつもご心配いただいたり、お祈りや励ましをいただいている皆さん、本当にありがとうございます。

これからも、ぼちぼちと、歩いていきたいと思っています。

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食べ物考 食べ方考

IMG_6506久しぶりの食べ物考 食べ方考です。

相変わらずの野菜中心生活ですが、少し変わったことがあります。

一つは、乳がんと分かってから頑なに守って来た毎日玄米生活から、雑穀米に変えたこと。

理由は、もうそろそろ腸もきれいになって来たなぁと感じたのと、玄米の消化疲れでどうしても体重が増えないことです。

元々、虚の体質の私は玄米を食べるといつも下痢をしてしまっていました。それでも炊き方などを色々工夫して玄米生活を続けて来ましたが、このところ「もういいよー」のサインを感じ取り、雑穀米にしています。

消化疲れが劇的に減りました。そして、玄米をやめても相変わらず快適なお通じぶりです。玄米は、腸のクリーニングに必要な時に時々いただきます。

そして、もう一つの変化は腹八分目で満足できるようになったこと。

心の隙間を埋めるかのように、またストレスをここで解消とばかりに、若い頃から周りに驚かれるほどの大食漢でした。

野菜中心に変えてからも、やはりもりもりと野菜を食べ、腹ペコ青虫のようでした。

けれどこの数ヶ月は、1日1.5食から2食の腹八分目で充分満足できるようになってきています。

平日は午前11時前後にランチで、18時前後に夕食。

ランチで満足した日の夜は、果物や豆乳ミルクティーだけということもあります。それでも満たされます。

飲み物は血圧を調整してくれるラフマ茶と言うお茶が大のお気に入り。小田原のオハナのAさんに頂いてから、すっかりハマってしまい、食事の間はお白湯と交互に飲んでいます。

寝る前は胃の消化が大分落ち着き、軽く小腹が空いている状態で寝ます。すると朝がとても楽で、日中も身体がとても軽いのです^_^

以前のように疲れて顔が黒くなったり青くなったりすることも少なくなりました。

おやつが食べたいなぁと思う時は、ナッツやプルーンを少々、はみはみ。

週末はオハナと外食を楽しむときもありますが、基本は家ごはんの毎日です。

生物学的には、私たち動物の遠い遠い祖先は元々は一本の消化管が備わっているだけでそれがデフォルトだったのが、いつしか随所をぐにゃっと曲げて様々な「ため込む」場所=臓器を発達させてきました。

私の大尊敬する心の師匠、解剖学者の故三木茂夫先生の本には、その過程が生き生きとダイナミックに綴られています。(次回はこの話を詳しく(๑˃̵ᴗ˂̵))

溜める場所に、必要以上に「溜め込む」ことで様々な不具合や病気を生じると先生は言いますが、全く同感です。

そこには溜め込まずにいられない心理、気持ちが必ずあります。

IMG_6508.JPG自分の中のその心理と向き合い、内省し、手放してきたこの2年間でしたが、溜め込まずにいられる食べ方ができるようになったのは、その成果かなと感じています。

オーガニックの野菜中心、時々お魚(白身か青み。一物全体のジャコがメイン)をいただき、海藻やキノコを美味しく、雑穀で、自然食(化学調味料不使用)で、1日1.5から2食、軽い空腹感で眠る。

そんな毎日を過ごしています。

そして、とても 快調です♪

乳がんがなくなるのを 躊躇う心

乳がんなのに、がんがなくなるのを躊躇う心って??!と思われるかもしれませんが、実はつぼみの心の中や無意識の中には躊躇う心があることに気づかされた連休でした。

以前にも書きましたが、乳がんとわかった時、実はどこかでホッとした自分がいたのを覚えています。

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2年前の私は、人生に、生きることそのものにあまりにも疲れ切っていて、前の愛犬が少しずつ天国に近づいていくのを見守りながら、どうかこの仲良しと同じ時に天国に行けますように、この辛い人生を終えられますようにと心の底から願っていました。

ある臨床の先生の研究で左乳がん患者の多くが、乳がんとわかった時にその疲労の原因に必ず思い当たり「ああ、これで休めると思った」と口にするという統計があるそうですが、私も同じでした。(インスタでつながっている多くの乳がん患者が保育士さんだったり、看護師さんだったり、介護職、家庭内でのケアテーカーとだったりするのは偶然ではないような気がします。)

強すぎる感受性や共感能力を、自分の手で守ることも、逆にいい方向に活かすこともできなかった2年前までの自分。

人の苦労話や愚痴に耳を傾けて励ましたり、受け止めたり、マッサージをしたり、保育をしたりすることは、私にとっては慣れ親しんだ自動操縦でできることだったので、いつしかケアテーカーとしてのアイデンティティーの中に安穏と生きるようになり、気づかないうちに内部から疲労していました。

「つぼみさんのことを悪く言う人が1人もいないんだよ、みんな口を揃えていい人だと言うんだよ、そんなの変だよ。少なくとも自然ではないよ」口の悪い整体の師匠の言葉が深く突き刺さったのは、きっとそのアンバランスさやそこに安穏としている生き方に思い当たるところがあったからだと思います。

感受性をそれ以外に活かす道を探るために出た5年に渡る旅にも、肉体労働にも疲れ果て、人の期待に無意識に応えてしまう性質そのものにも辟易し、そこここに溢れる騒々しすぎる刺激も、もっともっとと何かを求め続けて何かを達成するために生きるように鼓舞する風潮も、もうたくさん!もう今世はここまで十分頑張りました、どうかもう勘弁くださいと願っていました。

そんな独りよがりで子供だった私を、仏様は、宇宙は、それでも見捨てませんでした。

もう一度やり直すための、方向変換するためのチャンスをくれました。私はそのチャンスを活かすことを選び、人生の舵を大きく切ったのでした。

衣食住を変え、生活ペースを落とし、自分のことを大切にすることや心地よいと感じる感覚を尊重すること、嫌なことや不誠実な扱いにNOと言うこと、人の援助を受けることを少しずつ学び、自尊心を取り戻していきました。

手に入っていないものではなく、もうすでに目の前にある普通の幸せや喜びを見つけて味わう心の余裕のある生活を、少しずつ、少しずつ心と身体になじませていきました。

それでも、どこかにあったのです。IMG_0170

乳がんがなくなるのを躊躇う心が。

深い深い無意識層に、タールのようにこびりついているそのエネルギーが、私の生きる力を、気力を、希望のエネルギーを堰き止めています。

天災や病気をはじめ、自分の生活を根本から揺るがす大きな変化などに見舞われると、元の生活に戻ろう、元に戻そうとする心が人には備わっているように思います。変化に対応するために心身がアラートを発信し続けると、大脳辺縁系がフル活動して元の慣れ親しんだ安定した状態に戻そうととするためで、それが生き物としての生存本能だからです。

乳がんがなくなったら、また元の私に戻ってしまうのではないか。

乳がんがあるからこそ、人の期待に応え続ける人生にNOと言えて、完璧主義を降ろすことを自分に許せて、優等生的で道徳的な価値観を脱ぎ去ることができているけれど、もしもこれがなくなったら、私はまた自分をあの独りよがりで不自然な習慣の中に戻してしまうのではないか。

そんな恐れがあることに、そして、あれだけうんざりしていた前の自分や習慣に、それでも戻ろうとする心の力学があることに、自分でもびっくりでした。

IMG_0171人も万物も変化し続けているのが自然。

この2年間で身につけたもの、逆に削ぎ落としたものがこれだけあるのだから元に戻ることはありえないんだから大丈夫。

もう図書館に乳がんをお返ししても、メッセージは心に刻まれたから大丈夫。

その先には、新しい私しかいないし、それ以外はありえないんだから、大丈夫。

ノートに書いて、何度も読み上げます。

古い心の習慣や元に戻ろうとする力学に逆らって、それらのエネルギーをヒョイっと躱して、タールのようにこびりついたものを洗い流して、花咲き乱れる春を迎えたいと思います。

 

 

おいのちさんに 身心脱落(o^^o)

IMG_5676.JPG「身心脱落 」という言葉があります。

私がこの言葉に出逢ったのは、私が自分の内側を探そうとして自分の外側をさまよっていた30代の頃。葉山を拠点に活動されている藤田一照禅師の坐禅会で只管打坐についての講義を頂いた時にこの「身心脱落」という言葉を知りました。

身心脱落とは

「ただわが身も心もはなちわすれ、ほとけのいへになげいれて、ほとけのかたから行はれて、これにしたがひゆくとき、ちからもいれず、こころもつひやさずして、生死を離れ仏となる」

という道元さんの言葉がその真意を言い表していますが、忘我の境地であり、三昧であり、只管打坐(ひたすらに、なりきって坐る)そのものの極意とされています。

ただただ、仏の世界に身も心も自分を投げ入れて、仏の世界の方から何かしらが働きかけてくるのを待って、それについていく時、力まず、疲れることもなく、生も死も超えた境地に達する…。

とても到達不可能な難しいことのように聞こえるこの世界に、コンセプチュアルに憧れていた時期があり、暗黒舞踏の流れを組む舞踏を始めてみたり、坐禅をしてみたり、活元をしたりとジタバタと追い求めて来た30代後半でした。

先日なぜか、ふと道元さんの言葉の「仏」を、おいのちさん に置き換えて呟いてみました。

そして、ああ!そうか…と腑に落ちました。

「ただわが身も心もはなちわすれ

おいのちさんのいへになげいれて

おいのちさんのかたから行はれて

これにしたがひゆくとき

ちからもいれず

こころもつひやさずして

生死を離れた いのちとなる」

悟りの境地にいたるのかどうかは別として、おいのちさんが私のいのちの流れをいつもあるべき在り様にしてくれていること。

私がいのちの勢い、流れを塞きとめるようなことや思考、行動、計らい、ジタバタさえしなければ、いのちはそのまんまの勢い、そのまんまの流れで淀みなく流れていくこと。

がんや病気があっても、それは同じ。

がんや病気はおいのちさんの大きな流れに戻るための橋で、その橋を渡るために必要なのは、力みも、計らいも、余計な働きかけもせず、周りとのご縁を大切にしながらただ歩むこと。

道元さんの言葉と重なり、すーっと身に染みました。

在家で仏道修行など何もしていない私のこんな理解を読むと、違うぞーと言う声が各方面から聞こえそうですが(^_^;)、でも、今の私には、この世界が何よりリアルで、無理がなく自然なもので、日常の小さなことを喜びながら生きられる魔法です。

img_4318私の感受性を見守り、育んでくれたたくさんの人の中に、私の大好きな叔母がいます。

表面はおとなしいのに、内面はやんちゃに空想の翼をいつも羽ばたかせ、汚れのない純粋な心で動物と子どもを心から愛して、自分の心に正直に生きるお手本になった叔母。

私達姪や甥の子どもの頃、私達の幸せな笑顔の写真を撮り貯めて「このキラキラした時間が永遠に続きますように」と心からの願いを込めてアルバムに書き綴り、その成長、成人、結婚、そして、次の世代の子育てまで見守り、愛情細やかに面倒を見てくれる叔母。

私達姪や甥は、漫画、アニメ、ぬいぐるみ遊び、おままごと、映画、海、遊園地、花火、お祭り、旅行…人生の楽しみを、この感受性豊かで愛情豊かな叔母に教えてもらいました。

女神で言うと、永遠の独身の叔母であり炉の女神、物静かに火を絶やさず瞑想の中に生きる女神 ヘスティア そのものである叔母。

そんな叔母が今、愛するものとの別れの深い悲しみの中にいます。

喜びも悲しみも、人の何十倍もの感度でそのセンサーを震わせて感じる叔母の心が、どうか癒されますように…

どうか、その涙を流し切った後にまた笑顔に戻りますように…

何を見ても、心から祈ります。

 

術中にハマる

imageみなさまにご心配いただきました過呼吸も無事に経過でき、逆に身体が解れて以前より楽になりつつあります。

過呼吸であろうが何かの発作・症状であろうが、身体とおいのちさんが適応する方向、回復する方向、バランスを取り直す方向へと進もうとしていることを感じ、前よりもまた深く身体とおいのちさんを信頼できるようになった気がします。

サポートしてくれた皆さんに本当に感謝です。心からありがとう(o^^o)

今日も、しかし…まだまだ雨。明日から少し晴れるも来週後半からまた雨の予報。またまた激しい気圧の変化の波が来ることが予期されます。いつまで続くのやら…f^_^;

でも、めげていても仕方ないので、これは美味しいものを作って気分を盛り上げるか♪…と、今日はエスニックカフェをイメージして1人家カフェしました。

紫芋とそば粉のロティ、小松菜と厚揚げのカレー、人参とプルーンのラペ、キャベツとパプリカのサラダ、ひよこ豆とキャベツのカレーコロッケ。

う!な、なんだこれは〜(o^^o)、美味しい〜〜〜〜\(^o^)/、まいうーT^T、天才かも( ̄O ̄;)と、目論見通り盛り上がってしまいました(笑)。

自分の術中に見事自分でハマる自分の単純さにびっくり(笑)。

夜は、塩をフライパンで炒めて布にくるみ、仙骨に乗せて緩める「焼き塩療法」で神経と骨盤を弛めて、この気圧の波をサーフィンできる身体に整えていこうと思います。

元気、復活してきました☆

mahalo nui loa です。

生まれたての朝

昨晩の満月の夜は、感情が高ぶったのか骨盤が緊張したのか、珍しく寝付けずにいました。

買ったばかりの綺麗なボルドー色のバラの手帳に、もう卒業したいもの、手放したいと心から思うものを、改めて全部書き出してからお布団に入りました。

半分眠りに落ちながら、脳の中にある今日までの過去の全てのエネルギーをかき集めて、全部ひとまとめにしてぎゅっと抱きしめ、て結晶のようなものにして胸に大切にしまうようなイメージをしたり…

脳の中の必要のない回路が消えていくようなイメージをしたりして…

ありがとう、もう全て宇宙に、おいのちさんに委ねますと夢うつつにつぶやきながら眠りに落ちました。

小一時間ほど眠って、4時くらいに目がぱっちり覚めました。

image生まれ変わったような、生まれたてのような、とても不思議な感覚。

そのまま、お風呂を沸かして海の塩をたっぷり入れて…

まるで産湯につかるように、頭まで全身とっぷりと浸かり、塩で頭をマッサージして浴室からでて、美味しいお水をごくごくと飲みました。

私は誰?

何が大切で、どんなことが好きな人?

どんなことを考えて、どんな風に生きていきたい人なのかしら。

まるで本当に生まれ変わったような、別人になったような、まっさらな朝。

そんな感覚は生まれた時以来、きっと初めてです。

このまま、お気に入りの紅茶を淹れて、まるで初めて飲むかのように味わいながら、しばらくは昨晩咲いたバラと雨上がりの街を、まるで初めて見るかのように眺めて、新しい1日を始めようと思います。

 

二つの想い

image野本篤志さんの「家族のケアでがんは消える 患者を生還に導く48の智恵」を両親にプレゼントしました。

家族にケアしてもらうおねだりのためではなく(笑)、家族ができる事を知ってもらい、気持ちを楽にしてもらうためです。

三朝温泉で知り合ってメル友になり5月に光に帰っていった同病のTさん。そして、7月に光に帰っていったりんりん。

二人のご家族とのメールのやり取りやお話させていただく機会の中で分かったのは、本人の気持ちと家族の想いのすれ違いの大きさです。

そして、それぞれが、それぞれの思い込みで苦しんでいたことが分かり、本当に胸の痛む体験でした。

昨年は、自分の四苦八苦を知らせると辛いだろうと思い、なるべく両親や家族の前では平然と「一人で大丈夫よ」と振る舞うので精一杯の私がいた気がします。それだけ、余裕もゆとりもなかったことが、今は分かります。

けれど、この夏おのちさんと出会い、その大きな大きなつながりの中にいることが体験的にわかってから深呼吸をして、ふと改めて周りを眺めると、そこには私が思っている以上に私の力になりたいと思いながら、一生懸命黙って見守り、待機していてくれるオハナの姿がありました。

そうだったんだ。私が大丈夫といくら言っても、愛する家族のために何かできることを常に探すものだし、それはオハナとして自然なことだよね…涙が出ました。

「ポリネシアでは「自己治癒」という言葉はあり得ません。病気はその人だけの過失ではなく、関係が壊れたために生じたものだからです—」「ハワイアンリラックス」ポール・ピアソール より

私が閉じていたのでは関係の修復はできないし、きっと私のその自立志向、心配をかけないで生きるのだという姿勢こそが、ポリネシア的見方から見たらalohaに欠けていたのかもしれません。

先日は両親と台湾の精進料理を食べに行き、その後お茶をしました。

とても温かいものに包まれている感じで、5歳頃の無邪気な子ども時代に戻ったような感覚…とても幸せな時間でした(*^^*)image

毎週でもいいね、とメールをくれる母。いつになく穏やかでおしゃべりだった父。

たくさんたくさん心配をかけてごめんね。
そして、頑なな私を1年半黙って見守ってくれてありがとう。これからは、色々、また楽しく出かけようね、子どもの頃みたいに。

ガンを抱えている側の想いと、それを見守る家族の側の想いを繋ぐ一冊のおかげで、幸せなaloha修復の機会になりました。

オススメの一冊です。

自分への尊敬を育てる

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おいのちさんと出会って1カ月。

ボーナス時間、人生の有給休暇をフルに楽しもう!と決意して2週間。

さあ、これからはおいのちさんが喜ぶうっとり&幸せなことを選択して、ウットリストとして生きていくのです〜☆と意気込んだものの…はてさて…

ウットリスト計画を実践出来ないまま、毎日が流されていく〜。なぜかしらん(・_・;

金銭的なことや時間的なことが問題なのではなさそうです。
実際に書き出してみると、私のうっとりはベランダ仕事を優雅にゆっくり楽しむの休日の朝の30分を過ごす、前から気になっていたオーガニックカフェに行く、前から挑戦したかった手の込んだレシピを試す、22時にはぬくぬくとお布団に入り深呼吸しながら眠りにつく、ゆったりした音楽を聴きながら本を読む30分の至福を過ごす、など小さな日常の喜びがほとんどだからです。

気ままな独身、一人暮らし、自営業。

なのに、どうしてうっとりを選択、実践できないのかしら( ? _ ? )

色々内観してみて気づいたのは、自分が本当にやりたい ウットリなことを実践するのを邪魔しているのは「自分への尊敬不足」だということです。

自分のために決めたことや、やろうとしていた気持ち、自分とのウットリな約束を、簡単に後回しにしたり破棄してしまう自分がいます。

人から何かを頼まれたり、仕事の依頼、機嫌の悪い人などがあると、その役割の方が慣れ親しんでいるのでそちらを優先してしまいます。

周囲を気遣う円滑剤としての役割を果たしてきた女性脳のせい、そうした歴史や社会のせい、親の育て方が関係している云々…山積みの分析本や心理学の本をどれだけ読んでも現実は何も変わらないので(笑)、実際に自分なりに、自分を尊敬して大切にしていくぞ、と決めて自分なりの、実践できるやり方を身につけるしかありません。

私が思う、自分への尊敬とは…

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それは、心から尊敬する人や大切な愛するコンパニオンアニマル、そして優雅な王女様をエスコートするように、自分を大切に大切に扱うことなのかなと思います。

心から尊敬する人や王女様との約束は、決してないがしろにしたり後回しにはしないように…

大切な愛する犬や猫のごはんやお散歩は毎日必ず約束の時間にあげるように…

王女様には、最大で極上の、最も敬意を込めたエスコートをするように…

自分自身を大切な存在として扱うこと、それを、一つずつ、少しずつ重ねて、自分への尊敬を育てていくことだなと感じます。

自分に対して使う言葉も、心の中の呟きも、自分を責めたり否定する言葉ではなく、自分を尊敬する言葉、ウットリする言葉、人生を幸せにする言葉に変えていきたいし、自然に変わっていくはずです☆

今日から遅めの夏休み。自分への尊敬を実践し練習するとてもいいチャンスです♪

image今日はとにかく寝ても寝ても眠いので、たっぷり睡眠と心身がウットリするランチを、そして気まぐれに付き合う1日を、親愛なるグラシエラ(私のタンゴの時のスペイン語名)王女に贈りたいと思います☆

「知命」

imageシコリん仲間であり、親友であり、同志であり、ohanaのりんりんの新盆。りんりんのご実家にお邪魔してきました。

初めてお会いするご家族とお話させていただき、初めて知るりんりんの想い。そして、みんなのりんりんへの想い。

ぽっかり空いた穴の大きさと、りんりんを支えたいと言う想いに支えられていた私を思い知りました。

茨木のり子さんの「知命」と言う詩が心に浮かびました。

………………………

「知命 」茨木のり子

他のひとがやってきて
この小包の紐 どうしたら
ほどけるかしらと言う

他のひとがやってきては
こんがらがった糸の束
なんとかしてよ と言う

鋏(はさみ)で切れいと進言するが
肯(がえん)じない
仕方なく手伝う もそもそと
生きているよしみに
こういうのが生きているってことの
おおよそか それにしてもあんまりな

まきこまれ
ふりまわされ
くたびれはてて

ある日 卒然と悟らされる
もしかしたら たぶんそう
沢山のやさしい手が 添えられたのだ

一人で処理してきたと思っている
わたくしの幾つかの結節点にも
今日までそれと気がつかせぬほどのさりげなさで

…………………………

たくさんのおいのちさんと繋がり、たくさんのやさしい手を添えられて生きてきたこと、生きていることをじわじわと、かみしめています。