自立志向から 自由になった話

IMG_0660人は「自立する」ことを志向しなくてはならない…

長い長い間、そう思って生きてきました。

女性であっても一人の人間として自分の足でしっかり立って、自分の考えをきちんと持って、自分らしく、自分の人生を全うする。

 

「精神的自立と経済的自立の両輪の確立を目指すのが21世紀の女性」。「女性の権利、人間が生来持っている権利を擁護、行使してこそ…」そう習ったのは、フェミニズム教育に力を入れていた女子高に通っていた頃。

茨木のり子さんの「倚りかからず」の詩に痺れ、打たれた20代。

そこから、自立の道、自己の確立を模索して、模索して、模索して…

時には自分の足で立てているかのような妄想を生き

時には「自分」という幻の深い底なし沼のある霧の森で迷子になって彷徨い

自立できない自分の原因を四六時中分析し、心理学を読み漁り、欠点を探し

変えるべきところがあるはずだとあちこちをほじくり回し、果てしなく飽くなき自己批判を繰り返し

くたびれ果て、答えが見つからない無力感に打ちのめされ…

 

けれど

ようやく

ここに来て

その幻から解放され

自分と言う幻想そのものから

自由になりつつあります。

 

自分というものは、インディペンデントではなく、様々なご縁や様々な要素の集合体で、時事刻々と変化しながら、たまたま、今、ここに、存在しているもの。

その世界の中には、自立や自己と言うものは成り立ちません。
主張するべき権利も、達成すべき、実現すべき何かも、存在しません。

そのことに気づいて、自立や自己と言うものを探すのをやめた時の、平安と安心の気持ちは、とても言葉で言い表わすことが出来ません。

私も含め、誰もが、ご縁で成り立ち、ご縁で生かされて、ご縁に導かれて、そこ ここ に いる。

この、シコリんこと 乳がんさえ ご縁の賜物で、ご縁様(笑)。

そう思うと、世の中は、自力ではなく、他力と、他力の中に生かされている人々のほんの些細な努力で、善悪を越えた完全な万華鏡として存在し、形にならない 確かなもので 満たされている。

45年間生きて来て、こんなに 平安な気持ちになったのは初めてです。

もう、自分探しをしなくていい
もう特別な何かをしようとしなくていい
自分らしさを探さなくていい

自分と言うご縁さまを
おいのちさんが生かしてくれている間
大切に 自然に 流れるまま

迷惑をかけあい、許容しあいながら
普通に ただ 今を 生きていい。

しばらくは、この平安をそのまま感じてみたいと思います。

道元さん ひろさちやさん おいのちさん ありがとう

「100分de名著と言うNHKの番組があります。

テレビを見ることはほとんどないのですが、この番組だけは録り貯めていて、時々観ることがあります。

この「100分de名著 」で、ある一冊をある人が解説している、その100分が、私の人生を大きく変えてくれました。

それは、道元禅師の書かれた「正法眼蔵」を仏教研究家の ひろ さちや さんが解説しておられる番組でした。

もともと私は仏教の考え、中でも禅の教えに深く傾倒していたところがあり、坐禅会などにもよく顔を出したりしていました。

講和を聴きに行ったり、講座を受けたり、様々な仏教の書物も読みました。

けれど、どれも頭の中だけでの理解の域を超えることはなく、本当の意味で「腑に落ちた」ことはなかった気がします。

これまでの流れ、迷いの道の中で、私のタイミングが整っていたのでしょうか。

正法眼蔵の一つ一つの解説、ユーモラスで素敵な漫画、そして、ひろ さちや さんと伊集院光さんのナビゲーションの掛け合いも面白く、ハッと、ハラリと、何かが溶け(解け)ました。

いくつか腑に落ちたのですが、中でも一番私を楽にしてくれ、未だ体験したことがなかった安心の境地に連れて行ってくれたのは、「仏性」についての道元さんの解釈そのもの…と言うよりは、それを図にしたもの、とひろさちやさんの解説(笑)。

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NHK 100分de名著 より

仏性とは生きとし生けるものの中にある仏さまの心の種のようなもので、それに気づき、拡げ、深め、育てていくことが悟りへの道であり、仏に近づく道。

どこかで私達はそう思いがちなのではないでしょうか。私はどこかでずっとその考えにとらわれてきました。

だからこそ、そこに「向かって」努力しなくてはいけない、明日は今より良い自分を創造しなくてはいけない、なぜなら仏性を大きくすることが人生の目的なのだから…そんな風に思って生きてきていた気がします。

そして、そんな「まだまだの私」から「今より少しでもより良い私」にならなくてはならないと言う思いが、自分へのジャッジ、人へのジャッジ、そして何かと比較したり、無意味に落ち込んだり…と言うスパイラルに陥らせ、苦しんだりしてきた気がします。

がんだと分かってからも、その考えは抜けず、常に常に努力してきたのは、この七転八倒のblogを読んでいただいてきてお分かりの通りです(笑)。

でも、道元禅師は、仏性は「この宇宙そのもの」で、私達は仏性の海の中に泳いでいるようなもの、と説きます。

つまり、悟りはゴールでも目的でも結果でもなく、到達するものではない。

なぜなら
もう既に仏性と言う海の中にいるのだから。

その中で精一杯悩めばいいし、迷えばいい。
迷いと悟りはコインの裏表で、私達が迷おうが悟ろうが、そんなことはお構いなく仏性はいつも、そこ、ここ、今ある全てを満たしているから、安心して悩目ばいいんです、迷えばいいんです!
貧乏なら貧乏を、病気なら病気を、老人なら老人を、今を精一杯やればいいんです!

ひろ さちや先生の、にかーっと歯をだして笑われるそのご尊顔も、その解説や言葉にあまりにぴったりで(笑)、全身の力みが抜けていくのがわかりました。同時に力が湧いてきました。

 

そうか、やはりそうだったんだ(o^^o)

これは、シコリんこと乳がんを道しるべに、私がようやく出会えたおいのちさんのことなんだなぁ…と思いました。

おいのちさんに安心して寄りかかること、おいのちさんの中に安心して生きることが、ようやく、また一つ、わかった気がしました。

今日も、今この瞬間も、私は仏性に、おいのちさんにどっぷり包まれていきている…なんて安心感なんでしょう。

在家の私が努力する(身に修める)のは、そのことを信じきる心を育てることだけ。

私を取り囲む仏性、おいのちさんが喜ぶことを心がけて生きるだけ。

他の人に必要以上にお節介しなくても、みんなみんながこのいのちの海、最強でポカポカのセーフティーネットに包まれているのだから、それを信じて見守っていてあげればそれで大丈夫。

Epiphany!(ああ!そうだったのか)…

はあ…この日があって良かった。

生きてきて良かった。

ひと安心、ひと安心(^ν^)

img_5171これからはもっともっと、安心して迷い、安心して悩み、努力(仏性やおいのちさんを信じきる力を磨く)をして、ほっこり生きていけそうです。