虚実 と がんの 考え方

中医学の考えに、虚証と実証という考え、身体の見方があります。

webや本などがたくさん出ているので、詳しくはそれを見ていただきまして、簡単に、ざっくりと、少々乱暴に言うと 足りない人 と 有り余っている人(笑)。

実際には脈診や舌診、体型や皮膚・髪の状態、触診や問診など、さまざまな観察からその虚実を見立てていくのですが、わたしは立派な脾虚、腎虚の体質です(笑)。

先日、わたしの体を10年以上前から観てくださっている鍼灸医の先生で、70を超えても現役の方から「がんは、虚の体質の人は共存できて、実の人はとったほうがいいと言う記事を読んだのよ。なるほど、と思ったの。だから、つぼみさんはこのまま共存できて天寿を全うできるかもね」というお話をいただきました。

そこで、ハッとしました。

同病だったりんりん、Mさん、そして、ご縁があってお身体をマッサージさせていただいていて天に還られた方々と、私と何が違うのだろうとずっと考えてきたからです。

特に、りんりんやMさんに関しては、乳がんがわかるまでは、わたしと違って病気ひとつしたことがなく、信じられないくらいアクティブで、男顔負けに仕事をこなしてきた女性でした。FD308612-88A8-408D-868E-FD09DAA76D62

彼女たちのガンが進行して、どんどん弱っている時ですら、手当てしているわたしよりも彼女たちの生命力はとても強く、リンパでむくんでパンパンな腕をさすってあげている時ですら、その気血水の流れはわたしよりいいことを感じていたからです。

西洋医学的には「ガンの種類が違ったから」、ということになるのかもしれませんが、東洋医学で見ると、ガンは瘀血、血の汚れが腫瘍となって現れたものです。

同じ汚れなのに、そして、彼女たちのほうが乳がんとしては小さく、歴としても10年くらいかけてガンを育ててきたわたしよりも彼女たちの方が圧倒的に短かったのに。

同じように食事療法も、温熱も心がけてきて、わたしよりもたくさんたくさん調べて、積極的に、全力で、体質改善を試みてきたのに。

なのに、何故、あんなに進行が早かったのだろう。

ガンの人と出会った時に、わたしは何を言ってあげられるのだろう。

どんなアドバイスができるのだろう。

 

ずっと悶々としてきたことへの、一つの見方が示されたような気がしました。

小さい頃から腎臓や胃腸が弱かったわたしは、虚 なので、ガンも 虚、いうならば 虚がん(笑)。

そして、エネルギッシュで、もともと気血水が過剰なくらい巡っている 実 の人のガンは、言うなれば 実がん、それだけ元気だということになります。

わたしが取り組んだことは、食事を変えることと、湯たんぽで毎日冷えたところを寝る前に温めること、そして、身体の緊張をとる活元を身体の気が向いた時にやるだけ。そして、出来るだけ省エネにして、人生を楽しもうと決めただけ。

抗がん剤をしたり、手術をしたりして積極的に戦おう、これも取り組もう、あれもやって戦おう、という体力がなかったとも言えます。90A05DF6-BA90-4E8B-86F2-0EA5CF10BDB4

がんの自然療養や養生法、お手当ては、基本的に体力の弱い人向けのものが多い気がするので、虚の人がぼちぼち、根気強く取り組むのには向いているのかもしれません。

 

 

けれど、もしも、実の人のガンが、実だけに元気で進行が早いならば、まずは今あるがんを取る、そして、有り余る体力を術後の回復に役立てる、そしてそのあと体質改善や生き方改善、それも実の体に合ったものを、きちんと見立てられる先生と相談していく、というのもありなのかもしれない、そんな風に思います。

今ならりんりんに、ミリ単位のうちに手術して取ってしまおうよ、りんりんは実だからさ、その後一緒に体質改善に取り組もう!そんな風に言えるのになぁと、昨日は涙がほろほろとこぼれました。

ガンに関しては、西洋医学だけではなく、東洋医学的な見方、スピリチュアル的な見方、波動や量子レベルの見方、心理学的な見方など、さまざまな見方があり、アプローチがあります。

どれかひとつに凝り固まらず、多角的に自分のガンや、今何をこの病気が自分に伝えようとしているのかを静かに眺めること、そして、その後は軌道修正しながらも、自分に合ったやり方を、信頼できると身体が感じている人に見守ってもらって続けていくことが大切なのではないかと思います。

多角的に自分の身体を見るための一つの情報として、今回の情報も役立てていただければ幸いです☆

 

 

 

alohaな歩調に

もう一度 何度でも

心を静かに 静かに

alohaにかえろう。

 

akahai アカハイ

自分にも 大切な人にも

穏やかな優しさで

lokahiロカヒ

心の調和点を探しながら

oluoluオルオル

明るい方向に思いを向けて

haa haa ハアハア

原点に戻って

今あるものに感謝して

ahonui アホヌイ

ありのままの自分を

許して受け入れて…

 

alohaな深呼吸を

繰り返すうちに

ここ数週間の

ふわふわした足がようやく地面について

力んでいた眉間と身体が緩んで

ざわざわした心が凪いで

生命力が満ちてくるのを感じました。

 

ここに戻って初めて

 

見過ごしてしまうような

でもとても大切なことや、

深いところにしまっている

大切な人の大切な想いや気持ち、

純粋な気持ちから自分ができることが

見えてくるのだなぁと改めて実感します。

 

師も走る 師走だけれど

心を落ち着けて

alohaな歩調に戻って

大切なものだけを手にして

新しい年まで歩いて行けそうです。

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病気も個性

先日、友人と話していた中でふと口をついてでて来てた言葉。

「病気も、1つの個性だから」

自分の口をついてでた言葉なのに、ハッとしました(笑)。

そうか、病気というものも 個性の一つなんだ。

たとえそれが、ガンというものだったとしても。

例えば私の場合で言えば

DNA、もともとの体質、乳がんができるに至るまでの暮らし方、食べ物や食べ方、考え方、ストレスの対処の仕方…

全てが私の個性であり、その発露としての病気と捉えると病気も個性と言えます。

乳がん単体を受容して愛を送るのではなくて

乳がんを生み出した個性を持っている私そのものを、ありのまま全受容し、愛する、愛しく思えばいいんだ。

そんな自分の人生の今までも、今も、これからも、全受容すればいいんだ。

そう決めたら、身体の芯から余分な力がまた一つ抜けた気がします。

乳がんになった生き方を分析し、そこから改善点を見つけようとしてきたこの2年半から、まったく違うステージにふわりと舞い上がった気がして、嬉しい今日この頃です。IMG_7439

熟成

最近、一つの言葉が私の中で、重力を持って、ゆったりたゆたいながら、私を自由にし、つなぎとめ、呼吸を深くして、私自身でいられるように導いています。

それは

「熟成するのを待つ」。

元々「成熟」は好きな言葉で、自分の中でフィーバーした時期が何度もありましたが、今ほどその真価が分かり、また体感しようとしていることはありませんでした。

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きっかけは「熟成肉」でした(笑)。

巷で流行っているという「熟成肉」ってなんだろうと思いネットで調べ、発酵と熟成の違いについて改めて知りました。

大雑把に言うと

発酵は外部からの微生物が糖質を代謝して別のものに化学変化するもの。

それに対して

熟成は自らの酵素によってタンパク質をアミノ酸に分解してうまみを出すこと。

そうなのです。
「熟する」「熟成する」とは、化学的に言うと、自らの酵素 で 自分の中にあるもの を ウマミに変える/変わるプロセスなのです。

今まで私の中で「熟するのを待つ」「熟成させる」のイメージは、答えが見つかるまで待つ、完全な形になるまで待つ、整うまで/構築されるまで待つ…という、どこか心理的なパズルのようなイメージのものでした。

でも、それはどうもしっくり来ない、一生かけても熟成しそうもない、そして、たとえ熟成したとしても、美味しくなさそうな、硬い堅い食べられない何がしかができあがるイメージでした(笑)。

けれど「熟成は自らの酵素によってタンパク質をアミノ酸に分解してウマミを出すこと」ととらえると、いきなり有機的で、息遣いや音まで聞こえてきそうな熟成過程と、柔らかく、旨味の詰まった、子どものまるまるした頬の中で美味しくほお張られて、栄養になりそうなものになりそうなイメージが生き生きと湧いてきます。

自分の中の酵素は、経験、知識、感情、情動、癖、個性、嗜好、体癖、エトセトラ。

それらが自分の中にあるいのちのエネルギーをうまみに変化させて、美味しく美味しく頬張れて、栄養になるようなもの(出来ればちょっとクセになる芳香をもって)に変化していくのを、じっくり、じんわり、甕の中で、待つべし…待つべし。

舌舐めずりしながら、甕の蓋をあけてはニヤニヤ、あけてはニヤニヤする自分がイメージできます。

これなら出来そうで、自分の熟成を焦らず待てそうです。

熟成した何がしになるまで

酵素を増やしながら

ニヤニヤ待つこととしますか(๑˃̵ᴗ˂̵)

 

注意:
1.思った以上に熟成が早いこともあるので忘れずに覗くこと。
2.腐る前に取り出すこと。

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小骨が抜けた

IMG_6528あの時、どうしてあの人はあんなことを口にしたのだろう。

あの人の言ったあの言葉の意味は一体何だったのか。

人は時々、今を生きることよりも、喉の奥に引っかかった小さな小骨のような言葉や態度に囚われて、今を生きるよりも過去を生きてしまったり、その言葉を貰った場所から動けなくなってしまうことがあります。

先日ふと耳にした言葉

「きっと、当人にも分からないのかもしれないね。そして、生きてる間には分からないことがあるのも、なかなかいいもんだよ」

鳴呼…とハッとして
その後、フゥッと深呼吸。

そうかそうか。

分からないままでも生きていけるし、分からないことからこそ面白い。

そんな風に肩の力を抜いたその日に、人づたいの風の便りで、小骨が抜けた梅雨の日の午後でした。

おかえり ただいま これからよろしくね

梅雨の時期に入りました。腎臓も肝臓も肺臓も大忙し!の中、心境も大きく変化していて、この2年数ヶ月の自分の心の変化の整理が進んでいます。

乳がんと分かって、医療に頼らず自分の体と心と向き合う道を選んで、最初に見えてきたのは深い人生への絶望感でした。
全身に染み付いてしまっていた深い諦め、哀しみ、希望を失っている心を脱ぎ捨てるのに、長い時間が必要でした。それでもOHANAのみんなの力も借りつつ、よいしょ、よいしょ、と唸りながら脱ぎ捨てました。

その次に見えてきたのは怒りでした。

子供の頃からなかったことにしてきたり、感じないようにしたりしてきて積もり積もっていた怒りを、時に爆発させたり解放したりしながら、それもよいしょ、よいしょ となんとか脱ぎ捨てて…

次に見えてきたのは、根深い根深いコンプレックスでした。

自分はこのままの自分で存在していてはいけないのだ、劣等生でこの世に生きる合格点に達していないのだ、というコンプレックスを埋めるための 「過度」な努力をせずにいられない心理と、その裏側にある「自分が特別であると思いたい」心理でした。

時に他者に過度に親切なのも、他者に過度に寛容なのも、趣味や料理やなにか閃いたものに周囲が驚くほど没頭しすぎるのも、過度に何でも我慢するクセも。

そして、もしかしたら乳がんと医療抜きで向き合い続けるぞ、自分で自分を癒すぞという過度で頑なな意気込みすらも、自分を特別視したい心理が働いているのではないか…。

ある友人の言葉と、ある本の一節がきっかけでそのことに気づいた時は本当に悲しくショックで、一晩膝をかかえました。

うめきながら、泣きながら、その心もよいしょ、よいしょ。

これを全て脱ぐには、きっともう少し時間が必要で、これは繰り返し繰り返し、定期的に脱いで行かなくてはいけない帷子なのだと思います。

けれど、その心、重い重い帷子を脱ぎかけた隙間から垣間見えてきたのは、とても意外で、でも心の片隅のどこかで知っていたもの、私の深いところに眠っていた普通の「望み」でした。

それは、あたたかい 普通の家庭 。

毎日そばにいてくれる温かい普通のパートナーがいて、些細なことで笑いあえて、時にけんかして、仲直りして。子どもがいて、毎日大忙しで、子供にはのび太のママのように怒ってばかりで、でも寝顔を見ると全部許せて。

雨の日も、風の日も、一緒にいる普通の家庭。ぶつかることはあっても、一緒にみんなでご飯を食べる毎日。犬や猫も仲間入りして、大賑わい。

普通のあたたかい家庭を、普通に築いて、普通に、自然に生きて、年老いていくこと。

小さな小さな私が、まだコンプレックスを生きる前に望んでいた 小さな、温かい夢でした。

走り抜いてきた40数年間は、過度に、なんでも必要以上に頑張ってきた人生でした。
女性たちや子供達のためにという救済者の衣をまるで自分の本当の肌のように密着させて生きてきた20代から30代。
この理不尽で子供たちが生きにくい社会を変える一助となりたい、そのためにもっと強くなりたい、と旅を続けた30代後半。
夢も潰えて、旅の途中で迷子になってしまって、自分自身と向き合うことになった40代。

42歳で乳がんと分かり、パラーダ(タンゴで言う「停止」)。

その闇雲な歩みが一度緩んだことで、おいのちさんと出逢うことができました。

そして、今、様々な衣を脱ぎ捨てて見えてきたのは

本当の望みと

幼子の時以来初めて逢う、ピュアで 自然体な 私自身。

びっくりするくらいの安堵と、もうその望みが叶わない年齢になっていることへの深い感慨と。でもそれに気づくができたことで、私自身に大きく一歩戻れた喜びと安堵があります。

乳がんは本物であれば分かってから大体14年の寿命、と言います。もちろん本当の初期か、よほど人生や暮らしを変えた時、それが無くなることはあり得ます。
私で言うと、32歳くらいの時に小さな良性のシコリが見つかり、それから今の46歳で14年。大きくなり始めたのは震災の後の2011年だったので、そこから数えるとすると、あと8年。

もしかしたら、なくなるかもしれないし、このまま共存できるかもしれません。でも、それは天にしかわかりません。望みは捨てずに、でもどこかで静かに覚悟を決めながら生きています。

そして、今本当の望みがなんだったのかを発掘できて思うのは、生きているうちに気づけて本当に良かったということ。

もし来世というものがあるのなら、ここからやり直せます。

その望みを「追いかけて」そこに「向かって」行くこと、「努力」することはもうしないけれど、また一つ要らない心を脱ぎ捨てて、身軽に、私のままで生きて選択してことが出来るような気がします。

おかえり、ただいま。そして、これからどうぞよろしくね。

初めて?久しぶりに?出会う自分に挨拶をしています。

 

 

「傷ついた女神」の時代の終わり

IMG_6230この連休は、私の 「傷ついている少女の時代」「闘ってきた女神の時間」が 終わった…そんな連休でした。

些細なことをきっかけに思考停止した一時間ほどの間に、いつも忙しく働く理性や思考の隙間を縫うように、至高の体験が流れ込んできて私を包みこみました。

それは

誰かに依存したり 頑なに突っ張ったりするのでもない ニュートラルなバランスで しなやかに立っている感覚。

誰かを、何かを評価したり 自分を評価したりすることもない 解き放たれた軽やかな感覚。

過去に蓄積した全てからも 未来への期待や不安からも全く自由な 「今」にだけ存在していて、その「今」に微笑んでいる感覚。

待つ のでも 進む のでもなく この場所に自分で「在る」だけで、全てが流れていく感覚。

この感覚についていけばもう大丈夫。

ユング心理学で言うところの

「母の娘」として、庇護してくれる他者に依存して 生きる女神ペルセポネーの混乱も不安定さも

「父(社会)の娘」として 理性を優先して感情を抑圧してきた女神アテナの頑なさも

自然や女性子供のために 張り詰めて戦ってきた女神アルテミスの傷も

ただひたすら養い与えることに存在意義を見出してきた 女神デメテルの疲労も

何もかもがフワーッと光に溶けて、どこかに還っていきました。

そして、すっくと、顔を上げて柔らかく立っている私がいました。

シコリんこと乳がんに導かれたこの旅は、こんなところに私を導いてきてくれました。こんなニュートラルなバランスに、自己受容と尊厳を体感できる世界に、シコリんこと乳がんが私を連れてきてくれるとは、誰が想像できたでしょう。

シコリんも、死も、生きることも、未来も、この感覚のまま ここに立っていれば怖くない。恐れる必要も全くない。

なんて自由な風景!

なんて爽やかな風!

なんてニュートラルな気持ち!

この風景を細胞ひとつひとつに覚えこませるように、その一時間を五月の夜風と共に味わい尽くしていました。

ありがとう、シコリん。

ありがとう、今日までの全て。

明日から、私のまま生きていく感覚やコツを、また一つ身につけられた気がします。

育て 育て 希望の芽

IMG_0187この春は、3月11日を境に、未だかつてない心身のデトックスが続いていました。

腎臓が動かなくなってしまったり、自律神経が乱れに乱れて自分でないような感覚に襲われたり、急に感情が爆発して自滅したり。

3日で終わるはずのイナンナの冥界下りが、長引いてしまったような時間でした。

そんな大嵐もようやく凪いできて、新芽の季節の訪れと共に小さな小さな芽がちょこんと顔を出しています。

その芽の名前は

「live with 一緒に 生きていこう☆」

です。IMG_0185

物心ついた4歳くらいの時から、人の力になりたい、助けたい、癒したい、と言う気持ちがなぜかいつも、どこかにありました。

誕生数秘も名前数秘も9のためか、蟹座の性質ドストライクのためか、慣れない海外生活で家族が絶えず緊張していたためか、海外の日本人学校という閉鎖された場所で、年頃の女子達から2回も仲間はずれやシカトのゲームの標的になった経験からか、はたまた過去からのカルマなのか…

「癒したい、助けになりたい、力になりたい」は私の人生のメインテーマになり、保育士や環境系のNPO法人の仕事、母子の心身のケアの仕事をしてきた20年近くの間に、いつしかその想いと私自身が一体化して、過大に育っていきました。

そして、この春、そんな私にべったりこびりついたアイデンティティが剥がれ落ちていこうとしています。まるで、「千と千尋の神隠し」の白竜が自分の本当の名前を取り戻したときの鱗が剥がれ落ちて行くシーンのように、パラパラと音を立てて消えていきます。

その代わりに芽を出しはじめたのは、小さな、可愛い、そして生命力にあふれた芽、「一緒に 生きていこう」の芽でした。

いいことばかりではない世の中でも

思い描いたものとも理想ともかけ離れた現実でも

時に深い深いため息をつきたくなる煩雑な毎日でも

朝からご機嫌な一日でなくても

一緒に 生きていこう。

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その中に隠れている些細な幸せや楽しい時間を見つけて、味わっていこう。

目立たなくてもそここにキラキラと溢れる人間のグッドネス、仏性を見る目を育てて、いい話が聴こえてくる聞き耳頭巾を被って、今日1日を過ごしていこう。

今日が終わったら、1日、また1日。

そんな新しい意識をもって生きていく毎日や活動は、今までとやることは同じでも、似て非なるもの、全く新しいものになるような気がして、芽吹いたこの芽を大切に育てていこうと思います。

育て、育て、新しい芽。希望の芽。

そしていつか大きな木に育つように。

私の、44年目の、新芽の季節です。

返却期限

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両親が本好きだったのと5歳違いの姉がいたため、生まれた時からたくさん本があった影響か、本が大好きな子でした。

幼稚園から中学校まで海外にいたので本屋さんが近くになかったので、教科書を新年度に貰うと、あ、新しい読み物が来た!とその日のうちに読んでしまうのが恒例なくらいでした。

伝記、童話、動物記、歴史、図鑑ものなどの家にある本を繰り返し繰り返し読んでついに飽きた頃、図書館という存在に気付きました。宝物の館をみつけた気持ちでした。

けれど、図書館とは仲良くお付き合いできませんでした。

なぜなら、返却期間中に返却するのが私にはとてもとても難しかったからです。何度も何度も読み返したい。もう少し長く、あそこをもう少し深く…気づくと必ず期限の2週間を過ぎていて、図書室から電話がかかって来たり、担任の先生から怒られたり。そうこうしている間に、怖い司書のお姉さんのブラックリストに載ってしまい、貸してもらえないようになってしまった苦い過去があります。(何故か期間を延長するという作業も必ず忘れてしまうのでした)

そんなつぼみの過去を知って知らずか、オハナのoさんが先日言いました。

「図書館で借りた本は、返さなきゃいけないでしょ。だから、乳がん、やはり治さなきゃだめですよ」

子供の頃からどこか厭世的で、感受性が過敏のHSPの傾向が強いため生きることそのものがとても疲れる私は、気をぬくと「このままシコリんと共生して、おいのちさんが決めた分だけ生きればいいや」と達観とも前のめり感ゼロとも言える境地に、ほっこり&まったりと座ってしまうところがあります。

そんな私ともとても似たところがある(私以上かも!)物静かなOさんに「お預かりした本(乳がん)からのメッセージ、もうもらったでしょ。だったら、返さないとね」と言われるとなんだか妙な説得力があり、また図書館の例えも苦い過去と合間って、しっくり来ました。

もうおさげの小学生ではないので、シコリんこと乳がんからのメッセージを読み終わったらきちんと返却期間までにお返ししなくてはいけませんね。IMG_0168

いのちは自分のものではなく、仏様からお預かりしているもの。そして、そこに乳がんというメッセンジャーまで特別オプションでお預かりした今回の人生です。

そのメッセージには、おいのちさんに生かされている人生を、「ただ安楽椅子に座って全うする」だけではなく、おいのちさんに纏っている私という個性や感受性のアンテナをしっかり立てて、人生をALOHAの花で満たして生きるように、小さな喜びをフルに見つけて生きていくようにと、書いてある気がします。

そして、きっと小学校の時の図書館司書のお姉さんよりも厳しい宇宙の図書館司書様から催促が来ないうちにお返ししよう。

そんな風に思うことができた、もうすく乳がん3年目の春です。

 

私の 「がん考」

乳がんであることをオープンにしているため、友人の友人の、または友人の家族のがんの相談に乗ることがよくあります。

ご本人の場合は、化学療法を受けるのか受けないのか、手術をするのかしないのか、温存するのかしないのか、自然療法とどうバランスをとるのか、といった具体的な話がメインです。

ご家族の場合は、本人の意思をどう見守り、どこまで介入していいのか、今やっていること以外にどんな選択肢があるのか、そして、それを勧めるべきなのかといった、見守る方のメンタル面でのご相談が多い気がします。

私自身はご存知のように、5センチ以上の、進行性だけれども進行が比較的遅い乳がんが左胸にあります。

痩せ型でアレルギー体質で排毒が苦手な体質なのと、子供の頃から膀胱炎や腎盂腎炎をくりかえす度に飲んできた大量の抗生物質、アレルギー鼻炎と喘息のための強めの吸入などをしてきたので、これ以上身体に薬をいれたくないと感じて、食事療法と温熱療法、そして野口整体による体質改善、生き方改善をして行く道を自然に選びました。

よく言われるのは、「自然療法と一本という選択肢をよく選べましたね」「不安ではなかったのですか」「切除するだけ切除するという選択肢はなかったのですか」「どうしてそんなにストイックにできるのですか」。

2年前の春に、「乳がんです、抗がん剤全クールやって小さくなってから全摘しないとだめです。自然療法なんてやったら、あなた死にますよ」とお医者様に言われた日は、本当によく晴れた日でした。

帰りがけに野口整体の先生に相談して深呼吸。その後は一人で考えようと横浜のホテルをとりました。

チェックインして一寝入りして、目覚めてシャワーを浴びた時には、自然療法一本で行くこと、生き方をもっと自然なものに戻していくこと、その中で治るものなら治るし、治らなかったとしても生きているうちにいのちのことを学ぼう、と心には迷いはありませんでした。

「正しいことが誰一人分からない」のが、現在のガン事情です。

誰にも分からない正解のないことに、自分の力で一つ一つ自分に合うかどうかを確認しながら選択し、それに自分を賭けていくしかありません。私たちの遠い祖先がそうやってサバンナや様々な過酷な環境下で生き延びてきたように。

私と同じ頃に乳がんが見つかり、同じように自然療法一本で 乳がんと向き合っていたりんりんは、昨年7月に天国に帰って行きました。三朝温泉で知り合い、以来電話やメールで励ましあって来たTさんは、化学療法とありとあらゆる自然療法を駆使して闘病して6年目の、昨年5月に天国に帰って行きました。

私も、今は免疫力がじわじわ上がり、体温を三十七度にキープして左胸のシコリんと共存していますが、それが正解かどうかは誰にもわかりません。

なので、化学療法を肯定も否定もしていないし、食事療法などの自然療法が万人に効果を発揮するかも分かりません。

アドバイスというものはないし、出来ないと言った方が正しいのだと思います。

私が今生かされているのは、自然療法のおかげではなく、おいのちさん、と私が呼んでいる大きないのちの流れ(もののけ姫にでてくるシシガミ様のようなもの)が、私を生かすと決めているからかもしれません。

そんな私が、同じ病気の方にたった一つだけエールを送れるとしたらimg_0159

「たくさんの、あり溢れるほどの情報の中で、自分がいいと思うものを見つけて、身体のOKを感じて選択したなら、あとはできるだけ疑わず、できるだけリラックスしてそれをありがたく受けること。3ヶ月単位で続けてみて身体と相談して進めること」

ということだけです。

21世紀のこれだけ科学が進んでいる中で、アトピーやがん、難病のシステムや療法が解明できないことはとても不思議です。

でも、私には、これは「命というものの仕組みは、紋切り型の見方や数値やデータでは理解できない」ことを伝えている、遺伝子からの人類へのメッセージのような気がしてなりません。

紋切り型の見方や理解では太刀打ちできず、可哀想な動物たちの身体や細胞を切り刻んで実験しても見えて来ない、いのちの世界の深淵な仕組みがあるならば、今の時点では、私たちが知性と感覚を総動員して、自分がYESと思えるものを選択するしかないこと、そして、その力が私たちに備わっていることを、遺伝子が教えてくれている気がします。

お一人お一人が、ご自分にとって一番いいと思える選択ができますように。

そして、その選択を信じて、いのちの力が湧いてくるようなイメージをしてがんと向き合っていけますように。心から願っています。