おかえり ただいま これからよろしくね

梅雨の時期に入りました。腎臓も肝臓も肺臓も大忙し!の中、心境も大きく変化していて、この2年数ヶ月の自分の心の変化の整理が進んでいます。

乳がんと分かって、医療に頼らず自分の体と心と向き合う道を選んで、最初に見えてきたのは深い人生への絶望感でした。
全身に染み付いてしまっていた深い諦め、哀しみ、希望を失っている心を脱ぎ捨てるのに、長い時間が必要でした。それでもOHANAのみんなの力も借りつつ、よいしょ、よいしょ、と唸りながら脱ぎ捨てました。

その次に見えてきたのは怒りでした。

子供の頃からなかったことにしてきたり、感じないようにしたりしてきて積もり積もっていた怒りを、時に爆発させたり解放したりしながら、それもよいしょ、よいしょ となんとか脱ぎ捨てて…

次に見えてきたのは、根深い根深いコンプレックスでした。

自分はこのままの自分で存在していてはいけないのだ、劣等生でこの世に生きる合格点に達していないのだ、というコンプレックスを埋めるための 「過度」な努力をせずにいられない心理と、その裏側にある「自分が特別であると思いたい」心理でした。

時に他者に過度に親切なのも、他者に過度に寛容なのも、趣味や料理やなにか閃いたものに周囲が驚くほど没頭しすぎるのも、過度に何でも我慢するクセも。

そして、もしかしたら乳がんと医療抜きで向き合い続けるぞ、自分で自分を癒すぞという過度で頑なな意気込みすらも、自分を特別視したい心理が働いているのではないか…。

ある友人の言葉と、ある本の一節がきっかけでそのことに気づいた時は本当に悲しくショックで、一晩膝をかかえました。

うめきながら、泣きながら、その心もよいしょ、よいしょ。

これを全て脱ぐには、きっともう少し時間が必要で、これは繰り返し繰り返し、定期的に脱いで行かなくてはいけない帷子なのだと思います。

けれど、その心、重い重い帷子を脱ぎかけた隙間から垣間見えてきたのは、とても意外で、でも心の片隅のどこかで知っていたもの、私の深いところに眠っていた普通の「望み」でした。

それは、あたたかい 普通の家庭 。

毎日そばにいてくれる温かい普通のパートナーがいて、些細なことで笑いあえて、時にけんかして、仲直りして。子どもがいて、毎日大忙しで、子供にはのび太のママのように怒ってばかりで、でも寝顔を見ると全部許せて。

雨の日も、風の日も、一緒にいる普通の家庭。ぶつかることはあっても、一緒にみんなでご飯を食べる毎日。犬や猫も仲間入りして、大賑わい。

普通のあたたかい家庭を、普通に築いて、普通に、自然に生きて、年老いていくこと。

小さな小さな私が、まだコンプレックスを生きる前に望んでいた 小さな、温かい夢でした。

走り抜いてきた40数年間は、過度に、なんでも必要以上に頑張ってきた人生でした。
女性たちや子供達のためにという救済者の衣をまるで自分の本当の肌のように密着させて生きてきた20代から30代。
この理不尽で子供たちが生きにくい社会を変える一助となりたい、そのためにもっと強くなりたい、と旅を続けた30代後半。
夢も潰えて、旅の途中で迷子になってしまって、自分自身と向き合うことになった40代。

42歳で乳がんと分かり、パラーダ(タンゴで言う「停止」)。

その闇雲な歩みが一度緩んだことで、おいのちさんと出逢うことができました。

そして、今、様々な衣を脱ぎ捨てて見えてきたのは

本当の望みと

幼子の時以来初めて逢う、ピュアで 自然体な 私自身。

びっくりするくらいの安堵と、もうその望みが叶わない年齢になっていることへの深い感慨と。でもそれに気づくができたことで、私自身に大きく一歩戻れた喜びと安堵があります。

乳がんは本物であれば分かってから大体14年の寿命、と言います。もちろん本当の初期か、よほど人生や暮らしを変えた時、それが無くなることはあり得ます。
私で言うと、32歳くらいの時に小さな良性のシコリが見つかり、それから今の46歳で14年。大きくなり始めたのは震災の後の2011年だったので、そこから数えるとすると、あと8年。

もしかしたら、なくなるかもしれないし、このまま共存できるかもしれません。でも、それは天にしかわかりません。望みは捨てずに、でもどこかで静かに覚悟を決めながら生きています。

そして、今本当の望みがなんだったのかを発掘できて思うのは、生きているうちに気づけて本当に良かったということ。

もし来世というものがあるのなら、ここからやり直せます。

その望みを「追いかけて」そこに「向かって」行くこと、「努力」することはもうしないけれど、また一つ要らない心を脱ぎ捨てて、身軽に、私のままで生きて選択してことが出来るような気がします。

おかえり、ただいま。そして、これからどうぞよろしくね。

初めて?久しぶりに?出会う自分に挨拶をしています。

 

 

迷惑をかけ合いながら 許され合いながら

IMG_0175私が言われてフリーズしてしまい、動けなくなってしまう言葉の一つが「迷惑をかけないように」です。

以前、大好きな沖縄で、生命力溢れる沖縄の薬草を使って癌のある人も、そうでない人も、元気で生き生きと生きられる食のプロジェクトを興したい…と沖縄の知人や友人を頼りに出かけていったことは、以前ブログに書きました。

現地ではトントン拍子に進んだかに見えたプロジェクト。それは今は止まっています。

数秘術的に時期が良くなかったとか、方位学的にその時期は沖縄が最悪だったからとか、私が癌の人に向けた活動をするのはまだ心身に負担だからとか、そもそもビジネスに向いていないからこれで良かったんだよ、と多方面から励ましやアドバイスをもらいました。

でも私を固まらせたのは、実は知人の方からいただいたメールの中の「ご紹介した人に迷惑をなるべくかけないでください」というたったの一文に囚われた私の心だったのです。

沖縄でビジネスを始めるに当たってビジネスの大先輩として檄を飛ばしてくれた内容に含まれた、たったの一文だったのですが、私はそこに文字どおり囚われて氷の女王に息を吹きかけられて万年雪に閉じ込められてしまったように動けなくなってしまったのでした。

「よそ様に迷惑をかけないように。」

「人の迷惑にならないように。」

日本人なら100万回は聴いて育つ言葉で、それに異論を唱えるのすら難しい、当たり前の黄金律として成り立っているこの言葉。

でも、その言葉はそれに真面目で誠実であろうとすればするほど見えない糸でがんじがらめに縛られ、「迷惑をかけないで生きる」ことが人生の優先事項になり、その反動で迷惑をかけていると思われる人やその予備軍を心の中で糾弾する心理状態を生み出させる言葉にもなる…だからこそネット炎上などが起きるのではないかしらと密かに思っていました。

そして、先日、ひろさちやさんが紹介しているインド古来の考え方を知りました。

ひろさんは、よくその著作の中で、日本では教育者が「迷惑をかけるな」と教えると言うと、インド人の方がとてもびっくりしたという話を紹介しています。彼らの言い分は、人間として集団で生きている以上迷惑をかけ合いながら生きているのは当たり前で、ならば「お互いに迷惑をかけ合って、許し合いながら生かされているのだ」と言うことがわかることこそ、それを教えるとことこそ、真の教育だと彼らは思っているからだと言うのです。IMG_0176

仏教国タイでも、滅多なことがないと謝らないと言います。きっと同じ考えに基づく行動なのだと思います。(大学の時のアダ名は「ごめんなさい」のつぼみ、今タンゴ教室の先生から出されている課題はステップを間違えても「ごめんなさい」を言わないこと(苦笑))

深いところで「ああ」と納得し、大きなものに許されたような気がして、身体中がホッと緩みました。

日本でも江戸時代は、道などでぶつかっても謝るのではなく「あいに、お互い」(お互い様よ)という言葉を使っていたと杉浦日向子さんも書いていましたっけ。

沖縄を訪れた12月には、まだ乳がんを持っている私が何かをやろうとすることにはやはりリスクを伴うこともあるだろうし、迷惑をかけることもあるのでは、と心のどこかで思っていたのだと思います。

それでも、やりたい!ぜひ実現したい!とビジネスや交渉が苦手な自分を駆り立てて沖縄に行き、全てがうまくいくように思えた時にいただいた「迷惑をかけないでください」の一言は、そんな私に一歩もでられない魔法陣のように作用し、料理そのものへの情熱もその時に凍ってしまったのでした。

迷惑をかけられるのは愉快なことでなく、巻き込まれ、平安を乱されます。時に自分の人間関係や利害関係も壊れる元となります。殺人や犯罪などは究極の迷惑で、それも許すのかという極端思考の声も聞こえてきそうです。

けれど、もう少し身の回りの日常のことに置き換えてみると、確かに自分が迷惑をかけられると困るけれど、自分もまた見えないところ、知らないところで必ず迷惑をかけていて、それを許されて生きているのだという事実を自覚するところから、本当の人としての生き方が始まるのではないかしら。そして、人を糾弾するのではなく、不完全な自分を許して生かしてくれていることへの自然な感謝が生まれるのではないかしら…IMG_0489

そんな風に思えて、身も心も軽くなりました。

沖縄での冒険も、チャレンジしようとしたこともいい思い出に変わり、また料理への情熱も蘇ってきそうな今日この頃です。

 

 

ちっちに出逢えた!ちっちが笑った(๑˃̵ᴗ˂̵)

ちっち は、私の中にいる、自由闊達でちょっとだけ風変わりで、でも、そんな自分の感受性に正直に生きたがっていた小さな女の子です。

以前も書きましたが、そんなちっちを、世間や社会の物差しで計り、扉の向こうに閉じ込めて優等生のふりをして大人になった私は、シコリんこと乳がんを通してようやくそのちっちと再会できました。

ちっちの名前の由来は、オハナのYさんの長女の ちっち から来ています。

3人の子供の素敵な素敵お母さんであり、暖かく聡明な女性であるYさんの長女 ちっちは、やはりちょっと風変わりで自由な感受性を持ち、それに正直に生きている愛らしい女の子です。

そのちっちがまだ幼かった頃、Yさんからその行動をどう見守っていいのか、相談を受けたことがありました。

プールの列で先生の話を聞いていられず一人で潜っていたり、出て来たかと思うと口いっぱいに溜めたお水を魚のようにピューっと得意げに吐き出したり。
集中する時は驚くほどの集中を見せるのに、散漫な時は(もしくは過集中している時は)全く周りが目に入っていない行動を取り周りの度肝を抜くことも、明日の時間割など全く気にせず、今日、今を生きていることも。手わすらも、落ち着きのなさも、聞けばきくほどそっくり!

注意されても、本人は、きょとん。こんなに一生懸命自分を生きているのになんで?と涙をためて見つめ返してくるところも…。

ちっちを可愛がりつつも、その個性をどう見守っていいか戸惑うYさんに、私自身の子ども時代の数々の武勇伝を伝えたのを覚えています。

Yさんは私とちっちの共通点にゲラゲラ笑い、良かった、このままのちっちをしばらく見守ってみるね、と笑顔で帰られたのが昨日のことのように思い出されます。

その後自分の少女時代と再会した時、その時のことを思い出し、私はその子にちっちと名前をつけました。

そして昨日、そのYさんが久しぶりにサロンに訪ねて来てくれました♪

相変わらずの柔らかい笑顔のYさんに再会できて、五年生になったちっちの近況と写真を拝見して、わぁい!と私の中のちっちが喜びの声をあげました。

私のイメージした、ちっちがちっちのまま大きくなった五年生のちっちがそこにいました☆

そして、こんなメールをいただきました。

…………
旅行に行っても、釣り堀で釣りがしたいと一人で釣り。
クリスマスプレゼントは、さんざん悩んだあげく、レゴ。
そして、毎日、組み替える。
ずいぶん、お姉さんになったけれど、根本は変わってなくて(笑)、でも、そんなちっちが私は、大好きです。
ちっちを丸ごと受けとめられるようになったのは、つぼみさんのおかげだと、今でも思っています😊
ありがとう💖

………

私自身は自分の子どもにはご縁がなかったけれど、私が生きてきたことで小さな小さな綿毛が飛んで、ちっちと言う素敵な女の子と、その素敵なお母さんに届いて、そのちっちがきっとまたお母さんになって…それだけで、生まれて来て良かったな、と本当に嬉しくなりました(๑˃̵ᴗ˂̵)

私の中のちっちも、おいのちさんもニコニコ。天からのプレゼントを受け取れた1日でした。

ちっち、Yさん、そのまんまのお二人に、そのまんま、ありがとう!

無条件の愛情のチカラ

無条件の愛情。

それがどんなに大切なもので、誰もが、どんなにそれを切望しているか…。

みんな頭では分かっていても、なかなか体験することのできないもので、憧れで、そして実際には絵に描いた餅だと思っている方も多いのではではないでしょうか。

先代の、愛する愛する仲良しメイを19歳と10ヶ月で看取るときに「メイが旅立った後、私家族を探しているお仲間達を、たくさん幸せに可愛がるからね。どうか向こうで見ててね」と交わした約束通り、咲ちゃんこと、新名 はな ちゃんという愛らしい天使をお迎えできることになりました!

その、はなちゃんの預かりさん杏組さんのお宅にお見合いに伺った時のこと。

私たちを先頭きって迎えてくれたのは、はなちゃんをはじめとした保護犬さん達の中でも、銀次郎君という白銀の美しく愛らしい犬でした。

尻尾ブリブリ大歓迎してくれ、信頼しきった目で遊ぼう遊ぼうとボールをくわえて来たり、お腹を見せて撫でられるとウットリの銀次郎君。

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乳児を見守る銀さん

お話をうかがってびっくりしたのは、銀次郎君は、保護された時は完全に野良犬状態で、人に指一本触らせず、自分以外誰も信用せず、専門家からはもう処分した方がみんなのためだとまで言われた犬だったのだそうです。

その銀次郎君を預かりさんの杏組のお母さんと娘さんは諦めませんでした。

生きていてさえくれればいい。

そして、毎日変わらずごはんをあげ続け、何も強要せず、温かい雰囲気の家で一緒に暮らす中で、銀次郎君の心は少しずつ、少しずつ解け、人を受け入れ、仲間を受け入れ、いつしか後から来た保護犬に遊び方を教えるお兄さん犬に変わっていった…
目の前の愛らしい銀次郎君の姿と世の中を信頼しきった目と様子からは、そのお話をにわかには信じられないほどでした。

家に帰り杏組さんの銀次郎君に関するblogを改めて読み、涙が止まりませんでした。

http://aumehanamg.exblog.jp/25988548/

14年に渡り数えきれない保護犬を受け入れ、里親と幸せに暮らせるように心身ともに回復させてこられた杏組さんのお母さん。太陽のように明るい肝っ玉母さんです。

そしてその素敵な娘さんと天真爛漫なお孫さんがまた素敵なハーモニーを奏でていて、たくさんの犬たちが今日も無条件の愛情を注がれています。

銀次郎君の奇跡に、そして、その奇跡を生んだ預かりさん達の無条件の愛情に、私の中の何かが、変わり始めている今日この頃です。

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はなちゃんです♪

はなちゃんは、来月からうちの看板セラピー娘になります(๑>◡<๑)

皆さまも、ぜひ天使のはなちゃんに会いにいらしてくださいね!

胎内感覚

img_4719胎内記憶、というよりも、胎内感覚を味わって解放する日々が続いています。
セラピストについたわけでも、何かのワークをしたわけでもありません。

それは、日曜日に発熱していたため昼過ぎから深く眠り、目覚めたら周囲が真っ暗で、あまりの一人ぼっち感に襲われて涙が次々に溢れ出たことから始まりました。あ、この感覚は赤ちゃんの時のものだな。そこから何かが始まりました。

私は母が三回の流産をした末にやっと授かった子供です。今度はなんとかもたせたいと、ありとあらゆる手を尽くし、基本は絶対安静、熱のある時や張りのある時は椅子のまま何日も眠ったり、栄養をたっぷりつけたり、栃木から叔母と祖母が家事をしにきてくれたりして総動員の末に、7月7日生まれ…だったはずが予定日を大幅に遅れても生まれる気配がないので促進剤を打って19日にやっとのこと出てきたの。みんなが待望していた誕生だったのよ。

何度となく聞かせてもらった私誕生のストーリーです。

その後も生後2ヶ月で母乳を飲めなくなったり、音や刺激に過敏だったり、四六時中指しゃぶりしていたり、子供のくせに妙に美意識が高かったり、おたふく風邪を経過できず三回もかかって入院騒動になるなどの手のかかる子供だったものの(^-^;、両親や祖父母、叔父叔母に可愛がられて育ったと自分でも記憶しています。

なのに。

いつもどこかこの世の中にいるのがお邪魔虫のような気がしていました。私が生きていることが迷惑なのではないか、誰かの負担なのではないか、役に立つ=期待に応えることなしに生きていてはいけいけないのではないだろうか…。謂れのないそんな焦燥感にいつもどこかでかられていました。

そして先日胎内感覚をまるでVRで体感しているように体感して、胎児の時の私が、母に苦しい思いをさせていることに対する心苦しさ、命懸けで期待に応えなくてはいけないという焦燥感のようなものを体感的に感じていたことを思い出し(厳密には感じ)ました。

周りの複雑な感情や、世の中の事情、人間の入り組んだ感情など全くまだわからない赤ちゃんの私がそんな風に感じてしまったのも当然だよね。

でもね、そうじゃなかったのよ。お母さんが苦しい思いをしながら耐えていたのも、みんながエネルギーを注いでくれたのも私を待ち望んでいたからなんだよ。それは私が迷惑な存在なんじゃなくて、愛からそうしてくれたのよ。そうした聖なる尊い犠牲で命は繋がれていく。それが人間の、生きとし生けるものの命のつなぎ方だから…。

だからもう罪悪感や、迷惑なのではないかとか、期待に応えなくてはとか、そんな感情は全く要らないの。もう安心して生きていて大丈夫なんだよ。

繰り返し繰り返しそう伝えることで、肺がどんどん広がって楽になっていくのが分かります。胃がいつもぎゅっと誰かにつままれているように苦しかったのが楽になっていきます。

「まだもう少し待って、準備ができていないの」といつもいつも思いながら生きているのも、私がグズだからでも、完璧主義ゆえでもなくて、ちょっとスタートが見切り発車で焦った感覚が残っているだけ。

その見切り発車も、当時のお医者さんが私を無事に世の中に送り出すために当時ベストだと考えた末のこと。だからもうそんな風に感じる自分を責めたり、頑張らなきゃとか、このままではいけないとか、追い詰めないでいいの。

まるで自分のお腹にいる自分に、自分でも語りかけているように伝えます。

今朝は鷹揚でゆったりした気持ちのまま朝を迎え、駆り立てられる不安感や焦燥感なく1日を始めることが出来ました。

どんなセラピーでも、カウンセリングでも、癒しのワークでも解放できなかったものが今、解放されています。

女性時間に入れました

このところ、自分の中から湧き出てくるものを形にしたいともがき、混沌の中でジタバタしていることをお恥ずかしながら綴りました。

そして、その混沌から何かを産み出すには、直線時間、目的意識、結論、計画、ゴール、形作る…などの男時間(左脳時間、理性の時間とも言える時間)ではない、もう一つの時間=女時間(右脳時間、集合無意識とも言える時間)、いのち時間に入ることがヒントだと感じている言うことも。

その切り替えは、ある朝、あっけないくらい、台風一過でいきなり晴れ間が広がったように、観劇の幕開けでカーテンがさっと上がったように、突然起こりました。

夜寝る前、私が敬愛してやまない知の巨人、現代の最も優れた語り部、あの世に行ってその講義を受けるのを楽しみにしている、神話学者のジョゼフ=キャンベル先生の生前の動画を観てから眠ったためか、その明け方また不思議な夢を見ました。

キャンベル先生なのか、誰か知らない人なのかすら定かではないのですが、何か高い崇高な雰囲気の人と、時空のない空間で対話をしている夢でした。

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言葉を超えた対話の中で、この世の仕組みは私たちの頭の理解をはるかに超えた、精密で完璧でものあること。宇宙は広大であると同時に過去も未来も全ての次元も、密接に繋がった「一なるもの」であること。

私のしようとしている活動はもうその完璧な宇宙に響き渡っていること。それが実現して形になるかどうかは、私の呼ぶところの「女神達」にただもう預ければいいこと。そのことが「見えて」「わかる」…そんな夢でした。

img_4272目覚めると、この数カ月高速回転していた脳のある部分のスイッチが切れたように、大きな何かの中をゆったり揺蕩う女時間に入っていました。

世の中には、コントロールできることとできないことがあります。(出来ているつもりでも、本当はできないことの方が多いのかもしれません。)

女性は特に、その身体のリズムの特徴故に、コントロール不可能なことを体験しながら育ちます。

そのコントロール不可能なものに、ハンドルや手綱を持参してコントロールしようともがくと、荒くれた川に放り込まれたように振り回され、大きな渦潮の中でばらばらにされるような感覚になることは、多くの女性が体験的に分かっていることだと思います。

けれど、そのコントロールの手綱を手放して、自ら進んでそのコントロール不可能なものに運命を「預けて」行く=「能動的な受け身」の状態で入って行くと、その嵐は止み、荒波の渦潮だと思っていたものはエネルギーに満ちた緩やかな銀河のような渦に変わります。

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そして、無目的に、形作るのでもなく、ただ練り上げては崩し、また練り上げて…陶芸のろくろを回して遊んでいるような、集合離散のリズムを楽しむ感覚になります。

無理矢理「形作る」のでもなく、「形になってくる」のを鷹揚に待てる感覚です。

この時間、このモードが、全てと繋がり、全てを生かし、全てを癒すおいのちさんの時間なのかもしれないなぁと感じます。

ここでは、いのちに目的はないこと、生も死も過去も未来も全部同じエネルギーの海に属していることが、よく分かります。

このおいのちさん時間に身を委ねている時に、本当の癒しや、本当の創造が起こるのかもしれません。

脳科学で言うと、前頭葉の電気信号の波がいい塩梅に弱まり、シータ波の波に揺られて脳神経、脳細胞が休息している…そんなところでしょうか。

と、まあ、分析はここまでにして、しばらくは、ようやく入れたこの女時間、おいのちさん時間に、安心して、ゆったりと漂っていたいと思います。

 

時空を超えて自分を癒す

imageちょっと不思議な話です。

今話題の「君の名は」のアニメ映画を観て、最近自分に起きている不思議な体験とリンクするところがあり、ちょっと不思議な人と思われるなぁと思いつつ、思い切って書いてみます(*^^*)

小さい頃から感じやすいところがあった私は、あまりに感動しすぎたり強いインパクトのある出来事に遭遇すると、身体から5センチくらい離れたところに意識が漂う感覚に陥ることがよくありました。

この地球で生きていけるのかしら、こんなに刺激的なことに満ち溢れた人生をどうやって生きていこうかしら、生きるってなんだろう、死んでいくってなんだろう、時間ってなんだろう…ああ、もう自分には受け止めきれない…そんな波に翻弄される時、時間枠や現実の枠から外れて意識が浮いているような感覚を覚えていました。

それは大人になってからも続きました。

そして、そういう状態の時に私に会いに来て、語りかける存在がありました。

その存在は私をふわっと包み込み、全てが大丈夫なことを、言葉を超えた言葉で伝えてくれました。

その後はえも言われぬ大きな何かに包まれた大きな安心感の中で眠りに落ちて、目が醒めると驚くほど英気に満ちて、何らかの大きな真実に気づいている私がいました。

その存在を天使なのかしらと思ったり、脳科学に出会ってからは、これはドーパミンやノルアドレナリンが出すぎた後のβエンドルフィンのなせる技なのかしらと思ったりしていました。

そしてここ最近、夜眠る前に、とても不思議なことが起こります。ウトウトし始めた頃にふと「その時」に意識が繋がるのです。

それは、時系列でもなく、意識的にでもなく、ランダムに、ふと起こります。

大好きだった祖母の家で、興奮しきって眠れず、いつまでも時計の音と夜汽車の音を聴きながら人生について考えていた9歳くらいの私だったり…

死について直感的に理解してそれに圧倒されて泣いている5歳の私だったり…

ロンドンに引っ越した後なかなか環境に馴染めず、泣き疲れて力尽きて公園を泣きながら歩く帰り道だったり…

まるでその時の匂いや、音、色まで鮮やかで、その場にいるような感覚です。

そして、私はおいのちさんと繋がりながら心穏やかに、大丈夫大丈夫、ここにいるから、ここで待ってるから…と繰り返しながらその時の私に語りかけています。image.jpeg

そんな夜が続いてふと気付きました。

そうか!あの時私に会いに来て私の全存在を癒してくれていたのは、未来の、つまり今の私だったんだ。

脳科学的に見れば、脳が脳内の伝達物質の化学反応で記憶を書き換えている作業であり、当時の私の至福感は緊張が極まった後の脳内モルヒネ、エンドルフィンの大量放出のなせる技だったのかもしれません。

けれど、この五感の感覚を伴う、時空を超えた深い癒しの感覚は、私にとってはリアルであり真実の体験です。

そして、「その時」に戻りながらの癒しの作業が終わった時、その記憶はどこかで出会ったことのある懐かしい感覚としてだけ残り、鮮明な記憶は優しく溶けるように消えていき、過去も書き換えられていくのだと感じます。

そして、私の記憶には「今」と未来だけが刻まれ始めるのかもしれません。

シコリんから、また新しい贈り物が届いています。

いいな いいな 友情っていいな♪

image今日は朝から晩まで神様からのギフトで占められた1日でした(*^^*)

まず朝起きて、すぐに思い浮かんだのは、そうだ!預言カフェに行こう!

パッと思い浮かんだので即実行です。

知る人ぞ知る預言カフェには、数年前にohanaに連れて行ってもらってから数回足を運んだことがありますが、今日は久しぶりでした。クリスチャンでなくても、癒される時間です。

数年前に行った時は婦人系に何かありますけれど、主が調整していると言われていますと言われて、当時は全然ピンとこなかったっけ(^^;;。

あなたの、どんなに難しい状況でも潔く決断できる力、厳しいと思われる状況に合わせて柔軟にベストを考えて対応できる、進んでいく能力を主は喜んでおられます…預言は相変わらずの全受容、全励まし。うう、泣けますー(笑)(T ^ T)。さらに、自分でもう乗り越えられないと思う状況もあったと思いますがあなたは超えてきました、そして、この先奇跡を体験するチャンスもあなたに用意し、与えました、と(T ^ T)。文字どおりオーマイゴット(笑)。神様、mahaloです(T ^ T)

ただ「今まで、家族のみならず、周りのみんなを励まし、明るく盛り立ててきたこと、その蒔いた芽が回りまわって祝福としてやってくる時です、受け取りましょう」の預言には、あまりピンと来ていませんでした。

けれど、今日の1日を振り返りながら、夜眠りにつく前に、今私に必要なものやことを教えてください、とお願いしていたら…

来ました!!(笑)神様が(笑)!!

それは、沖縄に住む大好きな大好きなohana、あきちゃんからのベストタイミングでのラブコール♪

相変わらずの沖縄独特のほんわか口調で、私の全存在を全受容、そして、100%応援してくれるあきちゃん。

本当は目の前にいたら抱きしめてあげたいのに、言葉でごめんね、いつでも絶対一人だとか思わないでね、いつでも電話してよ、本当だよ、つぼみさん、とあきちゃん口調で繰り返してくれる受話器越しの声に、こころも身体もポカポカになり、知らないうちに子どものように涙がポロポロ溢れて泣き笑い。

いいな、いいな、友情っていいな♪(o^^o)

朝から晩まで神様から、宇宙からのとびきりの励ましと祝福を受け取りました。

私からも宇宙に、神様に、alohaとmahaloと祝福の投げキッスをたくさんたくさん。

明日もとびきりギフトの1日になります♪