自分自身の弁護団 応援団

乳がんとわかってから、どんなことがあっても折れずに来た3年でしたが、プライベートや母の介助などでよろけてきていた頃に訪れた、最愛のはなとの突然のお別れ。

今回はこのダメージを受け止めきれず、心身が面白いように崩壊していっています。

お客様の身体のケアをする仕事なので、この状態では…と友人に代わりをお願いして自分は仕事をほとんど全てキャンセルさせてもらうことに。

今まで自己都合で仕事をキャンセルしたことはなく、それが誇りでもあったのですが、今回は痩せていく心身と崩れていく自己をどうにもコントロールできませんでした。

これが自分だと信じていたもの、価値観、在り方、なにもかも…。

心身喪失して記憶が飛んでしまったり、考えをまったく系統だてて考えられなくなったり、支離滅裂なことを口にしたり、衝動的に走り出してしまったり…。

ああ、人はふとしたきっかけでこんな風にここまで壊れてしまい、這い上がれない時があるんだ、そう思いました。

せっかく小さくなったシコリンも、あっという間に大きくなり、体重は減り、はなが悲しむと分かっていても、ふとした拍子に涙が滝のように流れてきます。

もうだめ。もう限界。お手上げだ。情けないけれど生きているのが精一杯。

けれど、はな が生まれ変わって戻ってくるよとサインをしつこく出し続けてくるので、ここでわたしが死んでしまうと再会がややこしくなってしまうので、生きなくてはいけません。

とにかく、毎日毎日仏様にお任せして南無阿弥陀仏で過ごしているのですが、半分ひきこもりのそんな毎日の中で会った数少ない人の中に、決して順風満帆ではない人生を過ごしてきているのに、時に大泣きしながら、時にどん底に落ちながらもいつもとても輝いている女性が二人います。

ぼーっとした頭でお二人の話している様や会話の端々から、その共通点に気づきました。

それは、彼女たちが自分の中に、絶対的に自分自身を励まし、護ってくれる応援団と、頼もしい弁護団を持っていること。

どんなにだめな時も、どん底の時も自分自身を励まし、弁護し、守ってくれる存在。

どんなに最悪な時でも、「今が」最悪な「状態」なだけで、あなた自身が「最悪」なわけではないんだよ、あなたなら、きっと、また、歩き出せるよと肩を抱いてくれる存在。

もしかしたら、そんな存在を自分の中に持っているのは人間として当たり前なのかもしれませんが、少なくともわたしの中には、そんな頼もしい存在は、二度のいじめを受けた時から、いなかったのです。

代わりにわたしの中にいつもいるのは、とても執拗で決して追及の手を緩めない検察団、もっともっとと指揮棒を振るい続ける指揮者、偏見いっぱいで自分自身をディスカウントスするヘイトスピーチ団です。弁護士は、いたとしても弱々しい国選弁護士レベル。

応援団は いません。

幼い頃からの転居、転勤、自分の地域 のない根無し草感も、そのあり方に拍車をかけました。

車に例えると、人生を運転している「わたし」は存在します。そして、交通ルールもマナーも嫌という程、頭に、身体に、叩き込まれています。

けれど、乗っている車は快適さや好みではなく「生産性、効率性」を重視した車で内装も最低限の装備。

ナビには「人の役に立つ」という立ち寄り地点が設定されていて、ビューは50m。目的地は不明です。

うまくいっている時でも、ナビは「もっとここを」「もっと早く」「あれも、これも」と指示を出してきます。

失敗するとドライブレコーダーを元に警察と検察が即座に検分を始め、裁判官に訴状を書き上げ、裁判所の周りにはヘイトスピーチ団が罵声を浴びせています。その中で「わたし」はヨボヨボの弁護士と一緒に背中を丸めて消え入るように小さく、小さく、小さくなっています。

それが、小学校6年生の時以来の、わたしの人生の根本の在り方だったことに気づいて、愕然としています。

それで、よく今まで生きて来られたね、よくここまで正気でいられたねと、自分を心の底から可哀想に思い、後から後から涙がこぼれます。

どんなカウンセラーの元に通おうと、どんなに癒しの場所にいこうと、ボディワークを試そうと、坐禅を組もうと、どんなにスピリチュアルな教えを学ぼうと、生きている苦しさが少しも楽にならなかったわけです。

はなが、どんなわたしでも慕って、大好き、大好き と尻尾を振り続け

わたしが、どんなはなでも愛して、大好き、大好き と抱きしめ続けたように

私が、私自身の応援団になり、弁護団になり、最後の最後まで自分を見捨てずに大切にすると決めない限りは、私の乳がんは何度でも大きくなり、なにをしていても不安で、自信が持てなくて、生きていることが辛いともがき続ける人生を、この先も生き続けることになることがわかりました。

この自分自身が崩壊し、崩落している今は

もしかしたら、天から、仏様からいただいている チャンスなのかもしれません。

今日は、はなが いつも通り優しくそばに寄り添ってくれている気がします。

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ん?と言うことは…

おいのちさん は ご縁さま。

私は 数えられない ご縁の 集合体として 元素を纏い ここに たまたまいる存在(維摩経的理解)

ん?と言うことは…

はっ
私は…ご縁さま?!

え、そうなると

私(自己、自我)なんて
ないも同然じゃないですかーーー٩( ‘ω’ )و

 

聞いてないよー!(いえ、お釈迦さまは何千年も前からそう仰ってますよね(笑))

今迄、なんのために自己表現やら、自分探しやら、自他の境界を引くやらといった苦手分野に、それが必須条件かのごとく各方面から吹き込まれ、自分をムチ打ってここまで来たのか(笑)。

もっと早く、せめて、あの感受性が豊かで、全てと繋がっていた小学校くらいで知っていたならば(笑)。

私自身がご縁様なら(綺麗な網の目の糸がちょっと盛り上がった集合体のようなイメージ)

そのご縁の糸が連れていってくれるところに、無心に、ありがたいなーありがたいなーとお任せてしておけばいいと言うことですね。

と言うかそれ以外はあり得なくて、ジタバタやはかりごとは、労力の無駄だと言うことですね。

うーむ(๑˃̵ᴗ˂̵)

魚くん風に言うと、ギョ縁様に、ありがとうギョざいます。

なんだか
物心ついた時からの
肩の力が抜けた午後でギョざいます╰(*´︶`*)╯

 

alohaな歩調に

もう一度 何度でも

心を静かに 静かに

alohaにかえろう。

 

akahai アカハイ

自分にも 大切な人にも

穏やかな優しさで

lokahiロカヒ

心の調和点を探しながら

oluoluオルオル

明るい方向に思いを向けて

haa haa ハアハア

原点に戻って

今あるものに感謝して

ahonui アホヌイ

ありのままの自分を

許して受け入れて…

 

alohaな深呼吸を

繰り返すうちに

ここ数週間の

ふわふわした足がようやく地面について

力んでいた眉間と身体が緩んで

ざわざわした心が凪いで

生命力が満ちてくるのを感じました。

 

ここに戻って初めて

 

見過ごしてしまうような

でもとても大切なことや、

深いところにしまっている

大切な人の大切な想いや気持ち、

純粋な気持ちから自分ができることが

見えてくるのだなぁと改めて実感します。

 

師も走る 師走だけれど

心を落ち着けて

alohaな歩調に戻って

大切なものだけを手にして

新しい年まで歩いて行けそうです。

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私を守る風のような音楽

人間界を生きている以上、自分が働きかけなくても、さまざまなことに巻き込まれたり、びっくりするようなことが起きたり、人の感情を受け止めなくてはいけなかったりします。

そんな中で一つのフレーズが音楽のように、身体を風のように吹き抜け、私のエネルギーの周りを、まるで私を守るように取り巻いてくれています。

No body is perfect.
But everything is perfect.

自分も含めて完璧な人はいないけれど、起こること、取り巻く環境は、最善で、宇宙の完璧な采配。

不完全なままで、完璧。

一つの状況から何かを学び、自分のALOHAの花を咲かせるための学びにする選択をするかどうかが、そこにあるだけ。

この風が身体中を吹き抜け、私のエネルギーにティンカーベルの魔法の粉のように振りまかれているので、何が起きても大丈夫で、何があっても、私のままでいられる。

そんな不思議な感覚の今日この頃です。

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新しい取り組み=「取り組まないこと」

D4938F7D-B6E6-49B5-885F-E009B11719D9手術をしないで、このまま自分の身体の声、自然の力の任せると決めた後に、ふっとやってきた新境地があります。

いのちの手綱を私自身の手でしっかり握り直し、自分のいのちを信頼して生きていく決断をしたことで、お腹の底から想像をはるかに超えた力が湧いてきて、生きることや人生、失敗が怖いものでなくなったことは、以前書きました。

その後、ふとやってきた、姿勢や生き方の新境地は

能動的に  «受動的» であること」。

自分から動かない、取り組まない、頑張らない、必死にならない、取りに行かない、仕掛けない、計らわない、繕わない。

意識的になるのは、自分に自分の感受性のままで「在る」ことを許して、感受性センサーでがにっこり微笑むものを選択していくことだけ(今回の私の手術をしないという選択もきっとその一つだったように思います。)

すると自分から積極的に能動的に「動き回って」いた時よりも、物事がスムーズに、そして必要な速さでやってくることに驚いています。

コツコツ型で、努力、頑張る、克己などの姿勢こそが人生を「切り拓く」と信じていた私には、まさに新境地です。

やってきたことは、ありのまま受け入れて、出来ることを手抜きしないでalohaで取り組む。結果は、失敗も成功も含めてall OK。私も、誰もかれも、不完全なままで完璧だから。まあ、こんなシンプルなことだったなんて!

今まであんなに人生が恐ろしく、不安に満ちた曖昧な場所で、一生懸命泳がないと沈んでしまうプールに思えていたのが嘘のようです。力を抜きさえすればこんなに楽に浮くことができるなんて。そして、辿り着くべきところに辿り着くという、絶対の信頼もあります。

さまざまな本に書いてあり、古今東西きっと繰り返し言葉を変えて伝えられてきたであろう、一つの人間の在り方の真理なのだと思いますが、ようやくそのことが体感として分かるようになってきました。

もちろん、元の思考パターンも残っているので、そこはかなり意識的になる必要はありますが、コツをつかんだ気がするので、きっと、大丈夫。

先日ステキなご夫妻からご紹介いただいた『人生を喜びから生きる』という本を読みました。

臨死体験をして宇宙の真理を体感し、生還して3日で全ての末期ガンが治ってしまい医療関係者を驚愕に陥れた、インド人の女性の奇跡のような素晴らしい手記です。

私の大好きな『奇跡の脳』の著者で脳科学者のジル=ボルト=テイラー博士も、脳溢血を起こして左脳の機能がストップしてしまった時に感じた「全てとの一体感」を美しい言葉で語っていて、彼女自身の回復こそが一つの奇跡です。

絶え間なく続く思考や分析、情動とそれに伴う行動への信号がストップした時に起こる、人体という小宇宙、魂の入れ物に起こる奇跡。

いのちの流れが、元の流れに戻り、バランスして調和に戻っていく鍵はそこにあるのかもしれません。

新しく取り入れたいこと、取り組みたいことは

「取り組まないこと」。

今日も一日、感受性を、いのちを信頼して、計らわないで生きてみようと思います。

生きることへの情熱

IMG_7045久しぶりに「アルゼンチンタンゴ 伝説のマエストロたち」と言うドキュメンタリーを見ました。

往年のアルゼンチンタンゴの演奏者や歌手のマエストロ達のインタビューを交えながら、黄金時代のタンゴの歴史的なコンサートに向けた練習風景と演奏の収録の様子を追うドキュメンタリーです。

御歳70歳〜80歳(以上の方も!)のマエストロ達の、何十年も演奏して来た節ばった指が奏でる神業の演奏や、人生の悲喜こもごもを見事に歌い上げる歌声。

その素晴らしさはもとより、タンゴへの情熱や、歴史や人生を語るマエストロ達の姿勢に、改めて打たれました。

そこにあるのは

「生きることへの情熱」。

それは「死なないために生きる」でも「何かを達成するために生きる」でも、「生に執着する」でもなく、生きていることへの情熱と、人生への礼賛です。

「死なないために生きる」

「何かを達成するために生きる」

「生に執着して生きる」

そして

「生きることへの情熱を持って生きる」

どの生き方にも優劣や正解はないけれど、それぞれ全く似て非なるもの。

平坦とは程遠い壮絶であったはずの人生を、茶目っ気たっぷりに、なんでもないことのように笑顔で話すマエストロ達の目には、しかし、未だ燃え盛る情熱の灯が宿っています。

そんなマエストロ達が奏でて来た音楽でリズムで、情熱のエネルギーだからこそ、こんなに惹かれるのかと、改めて実感。

IMG_7046そして、胸の奥から後から後から溢れてくるような、強い憧れを抱きました。

彼らの演奏を聴きながら、生きることそのものへの情熱を持って、一日一日を、味わい深く生きて生きたいと心から思いました。

28年ぶりの再会

母校の文化祭に行ってきました。

西荻窪にある女子校の母校は、私たちが在学していた頃(かれこれ27、8年前(笑))とはすっかり面変わりしIMG_0281、赤煉瓦のおしゃれな建物になっています。

1つだけ当時の校舎が残っているだけの、もう母校という面影のない母校ですが、テニスコートとホールだけは当時のままでした。

姪と母と一緒にその場所に立ち、賑やかに華やかに催し物をしている後輩たちをみているうちに、不思議なことが起こりました。

当時の私のエネルギーが、私の中に笑顔で入ってきたのです。

当時私は「クラスで候補を必ず一人出さなくてはいけない」の例のノリで候補者に祭り上げられ、個性派ぞろいの他の候補者の中で一番無難だったこともあり、期せずして生徒会長になってしまいました(せっかく陸上部に入って楽しくやっていたのに)。

当時の母校の歴代生徒会長は皆学業もトップレベルのスーパースター。眉目秀麗で弁も立つ華やかな人達でした。

いやはや、こりゃあ、大変なことになってしまったなと、当選を聞いたトイレの中で頭を抱えて、がっくりと肩を落としたのを覚えています(笑)。

そこからは見様見真似、七転八倒、仲間たちと1年間とにかく走りました。

尾崎豊が流行っていた頃で、自由 v.s 校則 の図式がまだ残る中、生徒と先生たちの(喧嘩腰含む)座談会をしたり、当時掟破りだった後夜祭を男子OKで解禁したり、伝統だった生徒会バンドをやめて先生たちに無理矢理バンドを組んでもらい歌ってもらうなどなど、今思い返すと、怖いもの知らずの1年間でした。

「やるべきことをきちんとやって、皆勤して、成績もきちんとしていますけど、何か?」尾崎豊とは違った路線でしたが、自分の目の前の社会である学校や、青春真っ盛りいつもエネルギーと不満を燻らせていた生徒の両者とがぷり四つに組んでいた(思い返すと顔から火が出そうですが)毎日でした。

「あの頃はなんでもできる気がしていたな。そして未来が全て手の中にあったのに」

と思わずつぶやく私に、母が隣でけたけたと笑いながら、追い討ちをかけるように一言。

「そうそう、答辞で『10年後、20年後の私たちを見ていてください』なんて強気なこと言っちゃってたわよー」けたけた。

むう…………(⌒-⌒; )  母よ。

 

そして、大きく深呼吸をした瞬間のことでした。

その頃の自分が、笑顔で私の肩を叩いて、振り向くと、私の中にすっと入ってきたのです。

大学に入ってからの失望の日々。

社会に出てからの現実との戦い。

子育ての現場の厳しさや働く女性たちの四苦八苦を見て、人を癒し、ケアすることに奔走する日々。

疲れ切り、傷つき、どこかで小利口になることを覚え、諦めの花の種を手に入れた自分の20数年間が、まるで靄が晴れるように消えて「あれ、私、今まで一体何をしてきたんだっけ?何に傷ついてきたんだっけ?」と、目が覚めたような不思議な感覚でした。

ノスタルジーが私に見させてくれた幻だったのかしら。

そんな風に思って眠りにつきましたが、一晩経っても、あの頃の私はしっかりと今の私の一部となって、ちゃんといました。

そして、私ににこにこと話しかけてきました。

IMG_0283「おはよう。私。目が覚めた?さあ、これで準備万端。一緒にまた飛ぶわよ。」

ちょっと、一呼吸置いて出てきたのは

「望むところ」

あの頃の私とタグを組み、シコリんという頼もしい指南役を抱えながら、雄々しく生きていけそうな気がします。

 

 

 

熟成

最近、一つの言葉が私の中で、重力を持って、ゆったりたゆたいながら、私を自由にし、つなぎとめ、呼吸を深くして、私自身でいられるように導いています。

それは

「熟成するのを待つ」。

元々「成熟」は好きな言葉で、自分の中でフィーバーした時期が何度もありましたが、今ほどその真価が分かり、また体感しようとしていることはありませんでした。

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きっかけは「熟成肉」でした(笑)。

巷で流行っているという「熟成肉」ってなんだろうと思いネットで調べ、発酵と熟成の違いについて改めて知りました。

大雑把に言うと

発酵は外部からの微生物が糖質を代謝して別のものに化学変化するもの。

それに対して

熟成は自らの酵素によってタンパク質をアミノ酸に分解してうまみを出すこと。

そうなのです。
「熟する」「熟成する」とは、化学的に言うと、自らの酵素 で 自分の中にあるもの を ウマミに変える/変わるプロセスなのです。

今まで私の中で「熟するのを待つ」「熟成させる」のイメージは、答えが見つかるまで待つ、完全な形になるまで待つ、整うまで/構築されるまで待つ…という、どこか心理的なパズルのようなイメージのものでした。

でも、それはどうもしっくり来ない、一生かけても熟成しそうもない、そして、たとえ熟成したとしても、美味しくなさそうな、硬い堅い食べられない何がしかができあがるイメージでした(笑)。

けれど「熟成は自らの酵素によってタンパク質をアミノ酸に分解してウマミを出すこと」ととらえると、いきなり有機的で、息遣いや音まで聞こえてきそうな熟成過程と、柔らかく、旨味の詰まった、子どものまるまるした頬の中で美味しくほお張られて、栄養になりそうなものになりそうなイメージが生き生きと湧いてきます。

自分の中の酵素は、経験、知識、感情、情動、癖、個性、嗜好、体癖、エトセトラ。

それらが自分の中にあるいのちのエネルギーをうまみに変化させて、美味しく美味しく頬張れて、栄養になるようなもの(出来ればちょっとクセになる芳香をもって)に変化していくのを、じっくり、じんわり、甕の中で、待つべし…待つべし。

舌舐めずりしながら、甕の蓋をあけてはニヤニヤ、あけてはニヤニヤする自分がイメージできます。

これなら出来そうで、自分の熟成を焦らず待てそうです。

熟成した何がしになるまで

酵素を増やしながら

ニヤニヤ待つこととしますか(๑˃̵ᴗ˂̵)

 

注意:
1.思った以上に熟成が早いこともあるので忘れずに覗くこと。
2.腐る前に取り出すこと。

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小骨が抜けた

IMG_6528あの時、どうしてあの人はあんなことを口にしたのだろう。

あの人の言ったあの言葉の意味は一体何だったのか。

人は時々、今を生きることよりも、喉の奥に引っかかった小さな小骨のような言葉や態度に囚われて、今を生きるよりも過去を生きてしまったり、その言葉を貰った場所から動けなくなってしまうことがあります。

先日ふと耳にした言葉

「きっと、当人にも分からないのかもしれないね。そして、生きてる間には分からないことがあるのも、なかなかいいもんだよ」

鳴呼…とハッとして
その後、フゥッと深呼吸。

そうかそうか。

分からないままでも生きていけるし、分からないことからこそ面白い。

そんな風に肩の力を抜いたその日に、人づたいの風の便りで、小骨が抜けた梅雨の日の午後でした。

食べ物考 食べ方考

IMG_6506久しぶりの食べ物考 食べ方考です。

相変わらずの野菜中心生活ですが、少し変わったことがあります。

一つは、乳がんと分かってから頑なに守って来た毎日玄米生活から、雑穀米に変えたこと。

理由は、もうそろそろ腸もきれいになって来たなぁと感じたのと、玄米の消化疲れでどうしても体重が増えないことです。

元々、虚の体質の私は玄米を食べるといつも下痢をしてしまっていました。それでも炊き方などを色々工夫して玄米生活を続けて来ましたが、このところ「もういいよー」のサインを感じ取り、雑穀米にしています。

消化疲れが劇的に減りました。そして、玄米をやめても相変わらず快適なお通じぶりです。玄米は、腸のクリーニングに必要な時に時々いただきます。

そして、もう一つの変化は腹八分目で満足できるようになったこと。

心の隙間を埋めるかのように、またストレスをここで解消とばかりに、若い頃から周りに驚かれるほどの大食漢でした。

野菜中心に変えてからも、やはりもりもりと野菜を食べ、腹ペコ青虫のようでした。

けれどこの数ヶ月は、1日1.5食から2食の腹八分目で充分満足できるようになってきています。

平日は午前11時前後にランチで、18時前後に夕食。

ランチで満足した日の夜は、果物や豆乳ミルクティーだけということもあります。それでも満たされます。

飲み物は血圧を調整してくれるラフマ茶と言うお茶が大のお気に入り。小田原のオハナのAさんに頂いてから、すっかりハマってしまい、食事の間はお白湯と交互に飲んでいます。

寝る前は胃の消化が大分落ち着き、軽く小腹が空いている状態で寝ます。すると朝がとても楽で、日中も身体がとても軽いのです^_^

以前のように疲れて顔が黒くなったり青くなったりすることも少なくなりました。

おやつが食べたいなぁと思う時は、ナッツやプルーンを少々、はみはみ。

週末はオハナと外食を楽しむときもありますが、基本は家ごはんの毎日です。

生物学的には、私たち動物の遠い遠い祖先は元々は一本の消化管が備わっているだけでそれがデフォルトだったのが、いつしか随所をぐにゃっと曲げて様々な「ため込む」場所=臓器を発達させてきました。

私の大尊敬する心の師匠、解剖学者の故三木茂夫先生の本には、その過程が生き生きとダイナミックに綴られています。(次回はこの話を詳しく(๑˃̵ᴗ˂̵))

溜める場所に、必要以上に「溜め込む」ことで様々な不具合や病気を生じると先生は言いますが、全く同感です。

そこには溜め込まずにいられない心理、気持ちが必ずあります。

IMG_6508.JPG自分の中のその心理と向き合い、内省し、手放してきたこの2年間でしたが、溜め込まずにいられる食べ方ができるようになったのは、その成果かなと感じています。

オーガニックの野菜中心、時々お魚(白身か青み。一物全体のジャコがメイン)をいただき、海藻やキノコを美味しく、雑穀で、自然食(化学調味料不使用)で、1日1.5から2食、軽い空腹感で眠る。

そんな毎日を過ごしています。

そして、とても 快調です♪