自立志向から 自由になった話

IMG_0660人は「自立する」ことを志向しなくてはならない…

長い長い間、そう思って生きてきました。

女性であっても一人の人間として自分の足でしっかり立って、自分の考えをきちんと持って、自分らしく、自分の人生を全うする。

 

「精神的自立と経済的自立の両輪の確立を目指すのが21世紀の女性」。「女性の権利、人間が生来持っている権利を擁護、行使してこそ…」そう習ったのは、フェミニズム教育に力を入れていた女子高に通っていた頃。

茨木のり子さんの「倚りかからず」の詩に痺れ、打たれた20代。

そこから、自立の道、自己の確立を模索して、模索して、模索して…

時には自分の足で立てているかのような妄想を生き

時には「自分」という幻の深い底なし沼のある霧の森で迷子になって彷徨い

自立できない自分の原因を四六時中分析し、心理学を読み漁り、欠点を探し

変えるべきところがあるはずだとあちこちをほじくり回し、果てしなく飽くなき自己批判を繰り返し

くたびれ果て、答えが見つからない無力感に打ちのめされ…

 

けれど

ようやく

ここに来て

その幻から解放され

自分と言う幻想そのものから

自由になりつつあります。

 

自分というものは、インディペンデントではなく、様々なご縁や様々な要素の集合体で、時事刻々と変化しながら、たまたま、今、ここに、存在しているもの。

その世界の中には、自立や自己と言うものは成り立ちません。
主張するべき権利も、達成すべき、実現すべき何かも、存在しません。

そのことに気づいて、自立や自己と言うものを探すのをやめた時の、平安と安心の気持ちは、とても言葉で言い表わすことが出来ません。

私も含め、誰もが、ご縁で成り立ち、ご縁で生かされて、ご縁に導かれて、そこ ここ に いる。

この、シコリんこと 乳がんさえ ご縁の賜物で、ご縁様(笑)。

そう思うと、世の中は、自力ではなく、他力と、他力の中に生かされている人々のほんの些細な努力で、善悪を越えた完全な万華鏡として存在し、形にならない 確かなもので 満たされている。

45年間生きて来て、こんなに 平安な気持ちになったのは初めてです。

もう、自分探しをしなくていい
もう特別な何かをしようとしなくていい
自分らしさを探さなくていい

自分と言うご縁さまを
おいのちさんが生かしてくれている間
大切に 自然に 流れるまま

迷惑をかけあい、許容しあいながら
普通に ただ 今を 生きていい。

しばらくは、この平安をそのまま感じてみたいと思います。

立春の誓い

5B936F97-54D8-443F-8DAE-299EF7C5CECF土用に弱い私は、一昨日まで黒ゴボウ、ウスバカゲロウ、冬眠中のダンゴムシのような状態でしたが、立春らしい陽気と 親友ご夫妻の励ましで、昨日ようやく、ようやく、ようやく♪生命力が戻ってきました。

(先週の顔色の悪さのピークに仰天していた父上殿、母上殿、ご心配をおかけしました。)

朝起きて、あ、生きてる♪  あ、軽い!と感じたのは久しぶりでした。ああ、生きてるっていいなあ(笑)。

そんな私のこの暗く長かった冬の反省を生かしての

【立春の誓い】

 

私は 当面の間

其の一   “社会の常識”や“流れ”をシャットダウン、浮かんできたら強制終了する

其の二  ポジティブであれ、ネガティブであれ、急かすような声には耳栓する

其の三   お得意の「誰か/何かの役に立つ」という発想・思考を粉砕機にかける

其の四   不安や恐れは宇宙からの「 変化の督促状」だと思って覚悟を決める

其の五   「形にしよう」とする心に ブレーキをかけて 粘り強く 「形にしない」

其の六   心配はアラームをかけて 朝昼晩10分ずつ

其の七    ALOHAと愛が 湧き出てきた時に 出し惜しみなく実行に移す

 

春はもうすぐそこ。

霜でやられた植木も、残りの枝に芽を出そうとしています。

何度でも 腹をくくり直して

10年前くらいから成長して来たと思われる シコリんが、乳がんだとわかってから2年と十ヶ月になろうとしています。

シコリんは身体という叡智からのメッセージだと受け止めて、生活、くらし、食べ物、考え方などの舵を大きく切ってここまでやって来たことは、拙い文章でここまで綴って来ました。

両親始め、さまざまな人たちにサポートしてもらいながら、自然療法で身体の声に耳をすませながら、自分で整体をしながら、考え方や生き方を自分の生命力が元気になる方向を模索しながら、よちよちと歩いて来ました。

2018年1月現在は、まだ左胸に3ー5センチ大のシコリがあり、時々溜まったリンパや血液を排出しながらも(排出すると少し小さくなります)、おかげさまで転移がなく、共存できています。

昨年、手術をして取るという選択をしないことを決めてからは(詳しくはコチラ)、徐々に私の中で 乳がんをもった人 と言うセルフイメージがなくなり、乳がんを機に 人生を作り変えているチャレンジャーというイメージに変わりつつあります。

乳がんがあろうとなかろうと、今現在は進行してなくて、転移していないのであれば、生きることだけにフォーカスして、この先どうやって生きていくかを考えていく方にシフトしていかなくてはいけません。

ただ生き続けるのではなく、この2年半のメッセージを受け止めて、自分の本質を生かしながら、自分らしくいのちの花を咲かせ、実りになっていきたい。そうすることで、きっとこのシコリんも、メッセンジャーとしての役割とウォッチドッグとしての役割を全うできるはずです。

けれど現実は…
サラリーマン家庭で専業主婦の母に育てられ、理想主義で世間知らずのおっとりセラピスト、45歳バツイチ独身で一人暮らし。貯蓄なし、固定収入なし(・∀・)。幸せにしてあげたいバディはなちゃんもいます。

さてはて、この先どうやって暮らし、どうやって自活していこうかしらん。
しかも、また今までのように自己犠牲したりがむしゃらに生きるのではなく、自分の本質を生かしながら、いのちの花を咲かせながら…

そんなことを考え続けて来た数ヶ月、時には悶々とし、時には自分のこれまでの様々な選択を疑ったり、時にはこんなチャレンジは無理なのではないかしらんと絶望的になったり。

けれど、それでも、自分の乳がんのことに囚われ、そのことを常にどこか頭の隅で意識せずにいられなかったこの2年間に比べて、なんて幸せで恵まれた悩みだろうと思うのです♪

そして、この状況をまるごと全肯定して、一つ一つのことを mustやshouldではなくwillに変えて、自分の選択、自分の自由意志でこうしたのだと胸を張って言える人生を、自分でコツコツと作り上げていくしかないのだと腹をくくろう。

そう思うと、誰かや何かに期待する心やそれに伴う不安が静まって、しんとした心に自分の呼吸だけが聞こえて来る静かな時間が訪れます。

今の自分に、そして、自分として生きることに、何度でも腹をくくり直して、「うーむ、こんなはずではなかった気がする」という思考回路をその都度ブチブチと切りながら(笑)、時に落ち込む自分も抱擁しながら、一歩一歩歩いて生きたいと思うのです。

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緑を育てるように

IMG_6803私が大好きな作業で、呼吸が楽になる、ALOHAに戻れる、欠かすことのできないことがあります。

 

それは、植物を育てること。

華やかなお花が咲く花というよりはどちらかというと緑が多い、「雑草」と言われてしまうような草花や観葉植物を育てるのが大好きです。
亡くなった大好きな祖母も、母も大の花好き。

若い頃はそこまでハマると正直思っていませんでしたが、20代からぼちぼち植木を育て始め、今はないと落ち着かないくらい好きな作業です。

小さくてもいいから、ちょっとしたハーブや野菜を植えられる自分の地植えのガーデンを持てたら、と言うのが夢です。

グリーンフィンガーと呼ばれるほどとっても上手ではないけれど、室内外の植物に触れることは、料理、ロミロミの仕事、動物や赤ちゃんに触れるのと同じくらいの喜びです。IMG_6800

最近、気づいたことがあります。
それは、大きな抜本的な変化よりも、ほんのちょっとの工夫が、実は大切だったりするということ。

例えば、弱ってきているなと思ったとき、肥料を入れたり、土を変えたり、植木鉢を変えたりしてしまいがち。若い頃はそんな風にして、劇的に生き返らせることもあれば、逆に枯らしてしまうこともありました。

けれど、
ほんの少しだけ 日陰にしてみる
逆に日の当たる場所にしてみる
ほんの少し 風が通るように鉢と鉢を離す
ほんの少しだけ 支えを添える
ほんの少しだけ 土を足す
ほんの少しだけ 上の方の枝を切ってみる。
時にはほんの少しむきをかえたりするだけでも元気になることがあり、驚きます。

その方が逆に、確実に着実に蘇ったり、また花を咲かせたりしてくれます。

IMG_6802鉢を変える、土を劇的に変える、などの大手術/大改革は草花にとってもとてもストレスなので、それは元気な時にやってあげるのが理想。人間と同じです。

そんなことを考えながら植木いじりをしていて、自分にもこんな風に接して、自分も夢も育ててあげたいなと思いました。

自分にないものをなんとか持ってこようとしたり
足したり削ぎ落とそうとしたり、
考え方やくらしを大きく変えようとしたりするのではなく

ほんの少し 風通しを良くする
ほんの少し 人の手を借りてみる
ほんの少し 自分にALOHAを注いでみる
ほんの少し 手綱を緩めてみる
ほんの少し できることから、くらしに何かを足してみる / 引いてみる

草花をあつかうような繊細さと根気強さと優しさで
自分と夢を ALOHAの心を
死ぬ直前まで育て続けて向こうにできるだけピカピカのまま持っていきたいなと思う今日この頃です。

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生きる力

IMG_6298このところ、様々な出来事が重なり、私の中にいま体験したことのない、いのちの力強さが目覚めつつあります。

それを支えている根本的な確信は

私の身体は、私だけが癒せるもの。その本当の力を湧き上がらせられるのは、私しかいないこと。

いのちのオーソリティーは私だけにあるものだと言うこと、それを誰かに預けたりしてはいけないこと。

自分にない考え方や地図の読み方を教えて貰ったり、励ましやアシストしてもらうことはあっても、自分のいのちのことは自分自身にしかできないこと。

IMG_6300もっと静かに耳を傾けて。

力まず自然に導かれる方へ。

私の中の自然、おいのちさんを、おいのちさんのみを、頼り切ってみよう。

私にも できる。私には できる。

そんな風に、今まで出来ていたようで出来ていなかった覚悟を決めたら、心がしんと鎮まり、身体に静寂なる力強い何かが湧き上がりました。IMG_6299

とても不思議な、今までに感じたことのない力強さです。

私には生きているうちにしたいことができました。

それは

私のこの感受性を翼に、優雅に、alohaのリズムで羽ばたいて、飛行すること。

人生とのタンゴを、うっとりしながら踊り明かすこと。

その日は明日かもしれないし、何十年後かも知れません。

それまでは、道半ばでくたばるわけには参りません^_−☆

♪私たち これから いいところ

朝から、はなちゃん相手にピンクレディを口ずさみながら、自分の中に生まれつつある力強さを、楽しみながら育てている今日この頃です。

 

これも また 佳し

このところ、私の身体も心も柔らかく穏やかにしてくれ、風通しを良くしている口癖があります。

「これも また 佳し」

こだわりが強く、完璧主義なところや潔癖な傾向があり、30代以降はそれを人に見せたくない気持ちも潔癖に強くなったため(笑)、水面下で文字通り必死に漕ぎ続ける瀕死の白鳥のようなところがありました。

そんな私の心と身体を、ふわーっと、ホワホワとゆるめてくれるのが、この口癖。

朝から体調やテンションが上がらなくても、「これも また 佳し」。IMG_6158

思いがけない予定変更も「これも また 佳し」。

自分の思い描いた結果にならなくても「これも また 佳し」。

自分と違う価値観を持つ人の話も「それも また 佳し」。

すると、全身の力みが抜けていきます。呼吸が楽になり、お腹の緊張が取れていきます。

すると、閉まりかけた扉がまた開いて、すーっと風が通るだけでなく、他にもたくさんの扉が開けられるのを待っている風景が見えてくるから不思議です。

乳がんにならなければ、出会えなかった柔らかい心、爽やかな風が通る自分、新しい風景。

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これも また 佳き哉。

この先の人生の、佳きお供になってくれそうな口癖のおかげで、今日も心身ともゆったり、ふわっと軽い一日です。

やはり 総括(笑)3年目の朝です

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2年前の今日、乳がんの検査を受けました。空が真っ青な、そして入道雲まで出ていた暖かい日でした。

国分寺のレディースクリニックで見てくれた先生がいますぐにここに行きなさいと紹介状書いてくれ、ブレストクリニックでその場で乳がんだという診断を受けてました。5センチで進行性、血管もできていて立派な癌です、と言われました。そして、痩せ型なこと、小さい頃から排毒が苦手だったことから、一晩一人で考えて自然療法で体質改善していくことを、直感で迷いなく選んだことは、繰り返し書いてきた通りです。

そして、今、2年前よりも身体全体が元気になってきている私がいます。10年くらいかけて徐々に育ってきたシコリんだったので進行が遅く、免疫を上げる時間をもらえたことが幸いしたのだと思っています。

肌のしみはとても薄くなり、あれほど辛かった朝起きるのが嘘のように楽です。身長は162センチの44キロ。歩いていて疲れない、そして、駅の階段を上り下りするのに息が切れないちょうどいい体重です。血液検査の結果は肝臓の数値も、腎臓の数値も以前よりよく、また免疫もかなり上がってきていました。

シコリ自体は、生理の周期に合わせて膨れたり小さくなったり。でも総じて大きくはなっておらず、シコリの部分の色があざの治りかけのような紫茶色に変わってきています。

このまま上手に共存しながら、心身の免疫を高めて幸せに生きているうちに、シコリんという天からのお預かりものをお返しできるかもしれないな、と感じ始めています。

漢方、ゲルソン療法、星野式、鍼灸、温熱療法、温泉療法(主に炭酸泉)、野口整体、プチ断食、三宿夢鍼灸院(半年通いました)、むらたガン療術院(半年通いました)…この2年間様々に試しましたが、効果を実感できたもの、自分に合っていると感じて続けてこられたことは下記です。

IMG_6035○玄米菜食中心の、オーガニックで化学調味料不使用の手作りの食事を1日1から2食。低GI、抗酸化作用のある食べ方、そしてドクダミ茶やびわ茶などの排毒のお茶を飲みます。夕飯から13時間くらい胃腸を休ませたいので、朝は豆乳ミルクティーとお腹が空いたらリンゴをかじります。(先日みつけたこの本の作者の辿り着いた食事とほぼ同じでした!万人に合う食事療法はないけれど、ベースの黄金律はありそうです)

そして、週に一度ちょっとだけ気を抜いてOhanaと同じものを食べる日を作ります。ちょっとくらい下痢をしても、そこは潔く出て言って良かった、と笑い流します。

○朝起きてすぐのお白湯

○週三回のタンゴ教室で身体も頭も気持ち良く動かし、仲間と笑う

○43度くらいのお風呂に15分、一汗かいたら出てバスローブでもう一汗。そして、寝る時は湯たんぽをお腹から前腿、後ろ腿、お尻、腎臓と温めて眠り、体温は出来る限り37度前後をキープ。

○一日に数回、強めの爪もみと、顎と鼻の下のツボ刺激(自律神経の調整)

IMG_0181○自己受容して、自分にストレスをあたえる思い込みや癖を手放す作業を進める

○自分の中の邪気を払うための祈りと瞑想

○最近始めた下半身のチューブ体操と腹式呼吸

○パーソナルトレーナーの先生による歪み直しのトレーニングとエネルギー調整(終わった後立位体前屈がマイナス30から0になります(笑))

○毎週の炭酸泉

○嫌なことや苦手なことには、アロハを込めつつもちゃんとNOを言う練習をして、自然にやりたいと思うことを優先する

○ベストバディはなちゃんと幸せなまったり時間を過ごす

です。

これじゃあ、健康にならない訳はありません(笑)。

今は、自分の内向型の性格をそのまんま受け入れて、上手にマネジメントしながら、仕事をしていけるように準備中です。こんなに穏やかで健やかで、爽やかな3年目の朝を迎えられるとは思っていませんでした。

IMG_0182経済面を始め様々にサポートしてくれている両親はじめ、私の決断を受け入れて、ずっとサポートしていくれている大切なOhanaに心からの感謝をしながら、今日1日を過ごしたいと思います。

心から ありがとう。

 

乳がんがなくなるのを 躊躇う心

乳がんなのに、がんがなくなるのを躊躇う心って??!と思われるかもしれませんが、実はつぼみの心の中や無意識の中には躊躇う心があることに気づかされた連休でした。

以前にも書きましたが、乳がんとわかった時、実はどこかでホッとした自分がいたのを覚えています。

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2年前の私は、人生に、生きることそのものにあまりにも疲れ切っていて、前の愛犬が少しずつ天国に近づいていくのを見守りながら、どうかこの仲良しと同じ時に天国に行けますように、この辛い人生を終えられますようにと心の底から願っていました。

ある臨床の先生の研究で左乳がん患者の多くが、乳がんとわかった時にその疲労の原因に必ず思い当たり「ああ、これで休めると思った」と口にするという統計があるそうですが、私も同じでした。(インスタでつながっている多くの乳がん患者が保育士さんだったり、看護師さんだったり、介護職、家庭内でのケアテーカーとだったりするのは偶然ではないような気がします。)

強すぎる感受性や共感能力を、自分の手で守ることも、逆にいい方向に活かすこともできなかった2年前までの自分。

人の苦労話や愚痴に耳を傾けて励ましたり、受け止めたり、マッサージをしたり、保育をしたりすることは、私にとっては慣れ親しんだ自動操縦でできることだったので、いつしかケアテーカーとしてのアイデンティティーの中に安穏と生きるようになり、気づかないうちに内部から疲労していました。

「つぼみさんのことを悪く言う人が1人もいないんだよ、みんな口を揃えていい人だと言うんだよ、そんなの変だよ。少なくとも自然ではないよ」口の悪い整体の師匠の言葉が深く突き刺さったのは、きっとそのアンバランスさやそこに安穏としている生き方に思い当たるところがあったからだと思います。

感受性をそれ以外に活かす道を探るために出た5年に渡る旅にも、肉体労働にも疲れ果て、人の期待に無意識に応えてしまう性質そのものにも辟易し、そこここに溢れる騒々しすぎる刺激も、もっともっとと何かを求め続けて何かを達成するために生きるように鼓舞する風潮も、もうたくさん!もう今世はここまで十分頑張りました、どうかもう勘弁くださいと願っていました。

そんな独りよがりで子供だった私を、仏様は、宇宙は、それでも見捨てませんでした。

もう一度やり直すための、方向変換するためのチャンスをくれました。私はそのチャンスを活かすことを選び、人生の舵を大きく切ったのでした。

衣食住を変え、生活ペースを落とし、自分のことを大切にすることや心地よいと感じる感覚を尊重すること、嫌なことや不誠実な扱いにNOと言うこと、人の援助を受けることを少しずつ学び、自尊心を取り戻していきました。

手に入っていないものではなく、もうすでに目の前にある普通の幸せや喜びを見つけて味わう心の余裕のある生活を、少しずつ、少しずつ心と身体になじませていきました。

それでも、どこかにあったのです。IMG_0170

乳がんがなくなるのを躊躇う心が。

深い深い無意識層に、タールのようにこびりついているそのエネルギーが、私の生きる力を、気力を、希望のエネルギーを堰き止めています。

天災や病気をはじめ、自分の生活を根本から揺るがす大きな変化などに見舞われると、元の生活に戻ろう、元に戻そうとする心が人には備わっているように思います。変化に対応するために心身がアラートを発信し続けると、大脳辺縁系がフル活動して元の慣れ親しんだ安定した状態に戻そうととするためで、それが生き物としての生存本能だからです。

乳がんがなくなったら、また元の私に戻ってしまうのではないか。

乳がんがあるからこそ、人の期待に応え続ける人生にNOと言えて、完璧主義を降ろすことを自分に許せて、優等生的で道徳的な価値観を脱ぎ去ることができているけれど、もしもこれがなくなったら、私はまた自分をあの独りよがりで不自然な習慣の中に戻してしまうのではないか。

そんな恐れがあることに、そして、あれだけうんざりしていた前の自分や習慣に、それでも戻ろうとする心の力学があることに、自分でもびっくりでした。

IMG_0171人も万物も変化し続けているのが自然。

この2年間で身につけたもの、逆に削ぎ落としたものがこれだけあるのだから元に戻ることはありえないんだから大丈夫。

もう図書館に乳がんをお返ししても、メッセージは心に刻まれたから大丈夫。

その先には、新しい私しかいないし、それ以外はありえないんだから、大丈夫。

ノートに書いて、何度も読み上げます。

古い心の習慣や元に戻ろうとする力学に逆らって、それらのエネルギーをヒョイっと躱して、タールのようにこびりついたものを洗い流して、花咲き乱れる春を迎えたいと思います。

 

 

トライアル期間終了

img_5906はな観音こと、はなちゃんが来てくれて2週間。保護犬の場合は、一応二週間のトライアル期間を設けて、犬も里親もこのまま家族になりたい!と相思相愛になったところで、正式譲渡となります。

そんな はなちゃんとつぼみの二週間は、子どもの慣らし保育のような、中年の恋人同士のような二週間でした。

保育士の頃の経験を生かして、信頼関係を作りながら様子を見て少しずつ色々なことに慣れてもらい、はなちゃんの自信を育てます。

だめなことや無理なことは、優しく、でも毅然とした態度で(犬は集団の生き物なので、曖昧な態度や指示系統は混乱させてしまいます)だめだと伝えます。

まるで受け入れの時の保育士のようです(笑)。

逆に実家の家族に慣れるように促し、預ける時は、まるで赤ちゃんを保育園に預ける母親の心境。゚(゚´ω`゚)゚。

分離不安にならないように、でもはなちゃんしか見えない自分にならないように、お互いに癒着しすぎないように、見かけはあっさりした態度で出かけるも、お出かけ中はいつもはなちゃんのことを考えてそわそわ(笑)。

社会性も大切で、家族の中が好きな犬族のはなちゃんには、なるべくたくさんの人に可愛がってもらえたらなと思っています。

ここまでは慣らし保育のお話(笑)。

中年の恋人、と申しますのは、お互いに重ねて来た年月のことは不問(はなちゃんは語れないので(笑))のまま、今のお互いを受け入れて、不完全なお互いの、そのまんまで、ただただ一緒にいるだけで嬉しいのです。

若い(仔犬)の頃からお互いの関係を育てる(躾ける)のとは違い、過度な期待もなく、ありのまんま、そのまんまでいいのです(^ ^)

はなちゃんの眼差しは本当に優しくて、ワンともスンとも言わない穏やかな性格(ごはん待ちをしてる時だけ待ちきれず鼻がブーブーなってしまうところがご愛嬌(笑))。

まるで愛と優しさだけで出来ている生き物のようです。

そんなはなちゃんの目を見ていると、自然と私の目尻も優しく下がり、お互いにっこりいつまでも見つめ合ってしまいます( ´ ▽ ` )

はなちゃんのように、愛と優しさだけで出来ている生き物にはなれないけれど、でもはなちゃんの隣にいると、私の中の優しい気持ちがスクスクとニコニコと、育っていきます。

はなちゃん、来てくれてありがとう。

どうぞこれからもよろしくね。

ずーっとずーっと、よろしくね。

出雲国にて

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昨年から今年の頭にかけて「期待をしないと言う贈り物」があることを知りました。「ありのままをそのまま愛する」と言う無条件の愛と、それの持つ力を体験することができました。

すると、今まで私がこの人のあり方はいいな、一緒にいると力が湧くな、と密かに思っていた人たちは、そんな愛情の示し方を知っている人だと気づきました。(今回出雲国にご招待してくれたohanaのまきさんは、まさにそんな素敵な人^ ^)

そして、このさりげない、けれど、宇宙で最もパワフルな愛情をそっと差し出している慎ましやかな人たちが、あちこちにいることに気づくようになりました。

誰かの期待に応えなくては…

役に立つ人間にならなくては…

前に進まなくては…

何かを生み出さなくては…

そんな自分自身への期待からも自由になることができました。

すると、子どもの頃から絶えず感じていた焦燥感や急き立てられる感覚から解放されて、心が静かになり、ぽかんと空いていると思っていた心の穴が幻だったことに気づきました。

「代償」と呼ばれる、その穴を埋めるための様々な計らいから自由になって周りを眺めて見ると、そこには、ぽかんと晴れた空(くう)しかありませんでした。

ぽかんと晴れた空には、いのちの泉が湧いていました。

いのちの泉に身を置けるようになった毎日は、喜びも悲しみも、全てがキラキラ形を変える万華鏡のようです。img_5522

44年かかったけれど、こんな風景に出会えて良かったなぁ…(๑˃̵ᴗ˂̵)

シコリんを含めた全てのご縁に、ありがとうございました、そして、こんな万華鏡の眼鏡を持って、これから出会う全てのご縁を喜びながら生きていけますように…昨日からご縁あって訪れている出雲国の、出雲大社様に手を合わせて来ました。