新人類?的 人生観?

img_5571今の時代は、新しい人類の時代を迎えていると言えるそうです。

自然の摂理の中では生まれることがなかった命が、遺伝子工学や様々な科学の力でこの世に生まれることができる…それは、生物の長い歴史の中でおそらく初めてで、私達が考えている以上にもの凄いことなのだといいます。

遺伝子工学ほどの大きなことではないけれど、私も、なんども辛い流産を繰り返して、それでももう1人産みたいと願ってくれた母に、お医者さんが流産止めとして処方した黄体ホルモンのおかげで(世界では多くが使用禁止になっているけれど、日本では当時はそれが最先端でした)、ようやくこの世に生を受けました。

そのことを昨年母に聞いて、心がとても落ち着きました。母はそのせいで私が病弱で乳がんになるきっかけにつながってしまったのではないかと思い患っていたようですが、私の反応は「なかったはずの生、なかったはずの人生を体験してるってことだな、これはすごいことかも(o^^o)。私も謂わば、新しい人類なんだ」でした(笑)。

と、同時に「スーパー原点」に立てた気がしました。

多くの人は、もの心ついたらいつの間にか生まれていて、その生を自分のものとして、当然の権利のように感じて生きているのがデフォルトだと思います。

だからこそ、病気になったりするとその当然の権利が奪われたように感じて怒りや悲しみが湧いて来たりします。また、自分自身や人生に、生きていること以上の大いなる期待をかけては失望してを繰り返し、常に常に走り続けることになるのかもしれません。

でも、科学の力を借りて、生まれるはずがなかったところを生まれてきて、この世を体験しに来てる…と思ったら、それ以上の期待がなくなり本当に気楽になります。

そのまんまの私で世の中を面白がって体験出来る私でさえあれば、おいのちさんも大満足!

シコリんこと乳がんも、仏様からお預かりして生まれた体験学習プログラムの一つ。それがベストタイミングで始動しただけ…そう思っています。

生命倫理、科学の力を借りて生まれるいのちの行く先やその賛否を論じることは私には到底できないけれど、少なくとも私は、その当時のお医者さんの処方も科学の力も、その中で私が生まれたこともまた、仏様の大きな計らいの一つだなと感じています。

その生の中で、何を為すか、ではなくて、逆に気負わず、力まず、計らわずどれだけ大きな安心の中で生きるか。そして、ほんの少しの欲(私の大好きなオハナの口癖で、達観気味の私への素敵な提案です)を楽しみながら生きたら、大合格、な気がします。

今日も、そんな1日が始まりました^_^

 

 

 

安心の中に生きています

おいのちさんワールド 仏さまワールド

引き続いております(*´︶`*)。

日常で焦ることが起きても、道元さんの見せてくれた世界…仏性の中に私達がぷかぷか浮いている世界…をイメージすると、なんだかとても気楽になり、全てが今迄の見方と違って見えます。

その世界の中には、生もなく死もなくて、生もあって死もあります。全部あって、全部ない、ないけどある、あるけどない(笑)…

うーん、なんだろう、この安心感。

生きていることも、死んで行くことも、仏性の中なのですから、こんなに安心なことはありません(*´︶`*)

ここで自問自答。

はてさて

であれば何故、身体をケアするのか、何故身体に良くて美味しいものを作り続けるのか。

そのまま、無為自然でいいのではないか、と。

(無為自然にアメリカドッグにかぶりつくとか、ニューヨークチーズケーキに顔をうずめるとか、揚州商人の刀削麺を食べるとか!ドキドキ(笑))

理由はただ一つ。

身体をケアしたり、身体にいいものを選び続けるのは、がんをなおしたり、長生きするためではなくて、私の身体も仏様だから(*´︶`*)。

大切なお方を、大切に扱わない人はいないし、道理はありません。

私の身体と言う仏を磨くために、身体をケアしたり、身体が喜ぶものを食べる。

生きている間はピカピカに生きられるように、死ぬときもピカピカに死んで行けるように、今日をピカピカに最大限生きられるように。

その為のケアで、その為の選択なんだなと分かりました。

私の身体という観念を離れて、自分の毎日を観じてみると、人にマッサージするのも、その人が仏(の子)だから。

料理するのは、仏(そのもの?)である野菜を、仏の子である私が調理し、仏として食べるため。

(と言うことは、やはり、インドの黄金寺院の無料食堂のドキュメンタリー「聖者の食卓」に戻り、He himself cooks にもどるんだなぁ(*´︶`*))

それをことさら神聖視するのでもなく、当たり前のこととして、愉快なこととして、コツコツと、ほっこりとやっていく…それだけなんだなと分かり、今日もほっこり幸せな1日でした。