喜びの朝

嗚呼!ついに、ついに、憧れのこの日が来た。この新しい門の前に立つことが出来た(๑˃̵ᴗ˂̵)

そんな喜びでいっぱいの朝です。

それは、更年期が始まったと身体が教えてくれたこと(笑)
嗚呼、嬉しい!
嗚呼、なんて素敵!

思えば、私の自己内省の旅、自分の女性エネルギーとしての女神のエネルギーと向き合う旅のきっかけは、12歳の時から毎月毎月やってきた月経の波でした。

保育士をしていた20代半ばに、その波にとても意識的になりました。
昨日は「いいよ、いいよ、こぼしても。先生がちゃんと拭いてあげるからね」なんて、菩薩のような保育士だったかと思うと「なんでこんなにこぼして食べているんですか!!」と歯ぎしりしてしまう私とが交錯する月末…これは一体どういうこと??

母親としてではなく、プロの保育士として自らを客観視して子供たちの育ちの見守りをするとコミットしていた私には、当時それはとても興味を引くテーマで、もともと今は亡き三木成夫先生の生命論に深く共鳴していただけに、自分の月経そのものが私を自分自身へと、そして「命とはなんなのか」という私の中の終生のテーマへと導く定期水先案内人となりました。

IMG_0207現代の言葉で言うとPMS、ネイティブアメリカンで言うところのムーンサイクル、イナンナの冥界下り、そして、野口整体の創始者の野口晴哉のいうところの 「おんなである時期」の性の高低の波は、私の心身を翻弄し、乗りこなすのは至難の技!

時にハワイのビッグウェーブのような波は、腰が引けていたら命取りですらありました。

落とされるのではなく降りていくのだ、そう決めるまでは、毎月やってくるその闇は恐怖でもありました。
また、自分の中の闇に降りていく作業は、常に光を求めて生きて生きたい傾向の強い私には本当にしんどいものでした。

けれど、小田まゆみさんをはじめとする素晴しい女性たちとの出会いによって、女神のコンセプトやネイティブアメリカンのムーンサイクルの考えに比較的早くに導いてもらっていたため、この作業は女性の持つ真のいのちの力や賢さ、智慧に近づくための、避けては通れない通過儀礼だと自分に言い聞かせて、15年近く向き合ってくることとなったのでした。

そこへ、シコリんこと乳がんの降臨。

ますます、内なる女神との対話は、生命とはなんなのかという根源的な問いに向かって深く深く降りていくこととなりました。

時に打ちひしがれ、時に光のステージに躍り出て…の七転八倒のダンスの模様は、このblogにお恥ずかしながら綴ってきた通りです。

そして、この春、あれだけ毎月正確にやってきた月経の乱れと小停止、動機や息切れ、さらには先日から始まったホットフラッシュをもって、私の身体はムーンサイクルの最後の相に入ったよというウィンクを送ってくれました。

幸いなことに2年前から食事や生活の仕方、考え方、暮らし方を女性の身体にとっての「快」の方向に大きくベクトルを変えてきていたこともあってか、精神的な波はむしろ以前より穏やかで凪いでいます。

そして、女性ホルモンの波に翻弄される前の少女の時期にように、受信は私の感受性のアンテナのみ限定され、その精度は増してきています。IMG_0208

これからは、自分の月のサイクルを精神的に内包したまま、次世代の女性のサイクルを厳然と見守ることのできる「聖なる老女」の域に向かう扉の前に立つことができた気がして、嬉しくて小躍りしています(笑)。

達成感、安堵感、解放感、開放感…そして、次なる旅がはじまる静かな興奮でいっぱいです。

ありがとう、私のムーンサイクルと、その最後のステージの到来。
心から、喜びを持って、熱烈歓迎!です♪

閉経という、ムーンサイクルの最後の相をここから楽しんでいきたいと思います。

「傷ついた女神」の時代の終わり

IMG_6230この連休は、私の 「傷ついている少女の時代」「闘ってきた女神の時間」が 終わった…そんな連休でした。

些細なことをきっかけに思考停止した一時間ほどの間に、いつも忙しく働く理性や思考の隙間を縫うように、至高の体験が流れ込んできて私を包みこみました。

それは

誰かに依存したり 頑なに突っ張ったりするのでもない ニュートラルなバランスで しなやかに立っている感覚。

誰かを、何かを評価したり 自分を評価したりすることもない 解き放たれた軽やかな感覚。

過去に蓄積した全てからも 未来への期待や不安からも全く自由な 「今」にだけ存在していて、その「今」に微笑んでいる感覚。

待つ のでも 進む のでもなく この場所に自分で「在る」だけで、全てが流れていく感覚。

この感覚についていけばもう大丈夫。

ユング心理学で言うところの

「母の娘」として、庇護してくれる他者に依存して 生きる女神ペルセポネーの混乱も不安定さも

「父(社会)の娘」として 理性を優先して感情を抑圧してきた女神アテナの頑なさも

自然や女性子供のために 張り詰めて戦ってきた女神アルテミスの傷も

ただひたすら養い与えることに存在意義を見出してきた 女神デメテルの疲労も

何もかもがフワーッと光に溶けて、どこかに還っていきました。

そして、すっくと、顔を上げて柔らかく立っている私がいました。

シコリんこと乳がんに導かれたこの旅は、こんなところに私を導いてきてくれました。こんなニュートラルなバランスに、自己受容と尊厳を体感できる世界に、シコリんこと乳がんが私を連れてきてくれるとは、誰が想像できたでしょう。

シコリんも、死も、生きることも、未来も、この感覚のまま ここに立っていれば怖くない。恐れる必要も全くない。

なんて自由な風景!

なんて爽やかな風!

なんてニュートラルな気持ち!

この風景を細胞ひとつひとつに覚えこませるように、その一時間を五月の夜風と共に味わい尽くしていました。

ありがとう、シコリん。

ありがとう、今日までの全て。

明日から、私のまま生きていく感覚やコツを、また一つ身につけられた気がします。

術中にハマる

imageみなさまにご心配いただきました過呼吸も無事に経過でき、逆に身体が解れて以前より楽になりつつあります。

過呼吸であろうが何かの発作・症状であろうが、身体とおいのちさんが適応する方向、回復する方向、バランスを取り直す方向へと進もうとしていることを感じ、前よりもまた深く身体とおいのちさんを信頼できるようになった気がします。

サポートしてくれた皆さんに本当に感謝です。心からありがとう(o^^o)

今日も、しかし…まだまだ雨。明日から少し晴れるも来週後半からまた雨の予報。またまた激しい気圧の変化の波が来ることが予期されます。いつまで続くのやら…f^_^;

でも、めげていても仕方ないので、これは美味しいものを作って気分を盛り上げるか♪…と、今日はエスニックカフェをイメージして1人家カフェしました。

紫芋とそば粉のロティ、小松菜と厚揚げのカレー、人参とプルーンのラペ、キャベツとパプリカのサラダ、ひよこ豆とキャベツのカレーコロッケ。

う!な、なんだこれは〜(o^^o)、美味しい〜〜〜〜\(^o^)/、まいうーT^T、天才かも( ̄O ̄;)と、目論見通り盛り上がってしまいました(笑)。

自分の術中に見事自分でハマる自分の単純さにびっくり(笑)。

夜は、塩をフライパンで炒めて布にくるみ、仙骨に乗せて緩める「焼き塩療法」で神経と骨盤を弛めて、この気圧の波をサーフィンできる身体に整えていこうと思います。

元気、復活してきました☆

mahalo nui loa です。

生まれたての朝

昨晩の満月の夜は、感情が高ぶったのか骨盤が緊張したのか、珍しく寝付けずにいました。

買ったばかりの綺麗なボルドー色のバラの手帳に、もう卒業したいもの、手放したいと心から思うものを、改めて全部書き出してからお布団に入りました。

半分眠りに落ちながら、脳の中にある今日までの過去の全てのエネルギーをかき集めて、全部ひとまとめにしてぎゅっと抱きしめ、て結晶のようなものにして胸に大切にしまうようなイメージをしたり…

脳の中の必要のない回路が消えていくようなイメージをしたりして…

ありがとう、もう全て宇宙に、おいのちさんに委ねますと夢うつつにつぶやきながら眠りに落ちました。

小一時間ほど眠って、4時くらいに目がぱっちり覚めました。

image生まれ変わったような、生まれたてのような、とても不思議な感覚。

そのまま、お風呂を沸かして海の塩をたっぷり入れて…

まるで産湯につかるように、頭まで全身とっぷりと浸かり、塩で頭をマッサージして浴室からでて、美味しいお水をごくごくと飲みました。

私は誰?

何が大切で、どんなことが好きな人?

どんなことを考えて、どんな風に生きていきたい人なのかしら。

まるで本当に生まれ変わったような、別人になったような、まっさらな朝。

そんな感覚は生まれた時以来、きっと初めてです。

このまま、お気に入りの紅茶を淹れて、まるで初めて飲むかのように味わいながら、しばらくは昨晩咲いたバラと雨上がりの街を、まるで初めて見るかのように眺めて、新しい1日を始めようと思います。

 

秋の長雨の乗り切り方

imageこの夏は、気温の変動が大きく、残暑のないまま あっと言う間に秋に入ってしまったため、体調を崩している人が多い今日この頃です。私はロミロミと言うマッサージのサロンをしているのですが、お客様の駆け込みが増えてきました。

しっかり汗をかけなかったためと、腎臓や胃腸を冷やしてしまっているためと思われます。

かく言う私もやはりその類でありまして、長雨のせいもあり若干鬱々の今日この頃。

おいのちさんに話しかけても、おいのちさんったら鼻提灯を出して微笑みながらグースカ寝ております(笑)。

そう、本当はこんな時は思い切っておいのちさんと添い寝して寝てしまうと良いのでしょうが、なかなかそうもいかないのが人間でございます。

足湯をしたり、湯たんぽで腎臓と胃を温めて緩めたり、少食にしたり、お灸で三陰交や足三里、関元を温めたり…。

そして、気持ちもメンテナンスしたいところです。

冷えたり胃腸の調子が狂うと、自律神経が乱れて、不安感が募ります。すると、延髄や大脳辺縁系あたりがザワザワして、くよくよしたり、過敏になったりして保守的になります。そしてセロトニンまで乱れて鬱々してきたり。

そんな時は、そうそう、やはり、これこれ(*^^*)

もうすでに持っているものをリストアップ♪作戦(^-^)/

暖かい快適な家があること。

大切なohanaが元気でいてくれること。

冷蔵庫に作り置きした美味しいもの達があること(笑)。

戸棚の中に大好きな本達、レシピ本達が整列していること。

クローゼットの中でで秋冬のお洋服が秋の訪れを楽しみにしていること。

街も人も 今日もガヤガヤと賑やかに動いていること。

ベランダのバラが咲いたこと。

美味しい枇杷茶でほっこりできる時間。

いつも見守り励ましてくれる大切な友人達。

大好きな観葉植物達が今日も生き生き緑に輝いてること。

姪の誕生日が近いこと。

ブログにいただいたとても嬉しいメッセージ。

近所の森の木々たちが雨にうっとり喜んでいること。

雨の合間を縫うように虫達が賑やかに音色を奏でてくれること。

長年の念願だった私の運転で、母と畑に行って毎週自然との時間を楽しめること。

大好きな丸井でのウインドーショッピング。

そして、何より

シコリんがあっても 今日も元気に笑顔で過ごせていること☆

今ないもの、手に入らなかったもの、未来にあるものばかりに目を向けていると、不安や焦りが加速して、腎臓くんも脾臓くんもどんどん不安顔になっていきます。

でも、今もう持ってるもの、今手の中にあるものに目を向けて、1つ1つ確認して噛みしめると、胃のあたり、眉間が少しずつ緩んで胃腸もぐるぐる動き出すのがわかります。

皆様も是非お試しくださいませ。

そして、秋の長雨を元気に乗り切って参りましょう(*^^*)

時空を超えて自分を癒す

imageちょっと不思議な話です。

今話題の「君の名は」のアニメ映画を観て、最近自分に起きている不思議な体験とリンクするところがあり、ちょっと不思議な人と思われるなぁと思いつつ、思い切って書いてみます(*^^*)

小さい頃から感じやすいところがあった私は、あまりに感動しすぎたり強いインパクトのある出来事に遭遇すると、身体から5センチくらい離れたところに意識が漂う感覚に陥ることがよくありました。

この地球で生きていけるのかしら、こんなに刺激的なことに満ち溢れた人生をどうやって生きていこうかしら、生きるってなんだろう、死んでいくってなんだろう、時間ってなんだろう…ああ、もう自分には受け止めきれない…そんな波に翻弄される時、時間枠や現実の枠から外れて意識が浮いているような感覚を覚えていました。

それは大人になってからも続きました。

そして、そういう状態の時に私に会いに来て、語りかける存在がありました。

その存在は私をふわっと包み込み、全てが大丈夫なことを、言葉を超えた言葉で伝えてくれました。

その後はえも言われぬ大きな何かに包まれた大きな安心感の中で眠りに落ちて、目が醒めると驚くほど英気に満ちて、何らかの大きな真実に気づいている私がいました。

その存在を天使なのかしらと思ったり、脳科学に出会ってからは、これはドーパミンやノルアドレナリンが出すぎた後のβエンドルフィンのなせる技なのかしらと思ったりしていました。

そしてここ最近、夜眠る前に、とても不思議なことが起こります。ウトウトし始めた頃にふと「その時」に意識が繋がるのです。

それは、時系列でもなく、意識的にでもなく、ランダムに、ふと起こります。

大好きだった祖母の家で、興奮しきって眠れず、いつまでも時計の音と夜汽車の音を聴きながら人生について考えていた9歳くらいの私だったり…

死について直感的に理解してそれに圧倒されて泣いている5歳の私だったり…

ロンドンに引っ越した後なかなか環境に馴染めず、泣き疲れて力尽きて公園を泣きながら歩く帰り道だったり…

まるでその時の匂いや、音、色まで鮮やかで、その場にいるような感覚です。

そして、私はおいのちさんと繋がりながら心穏やかに、大丈夫大丈夫、ここにいるから、ここで待ってるから…と繰り返しながらその時の私に語りかけています。image.jpeg

そんな夜が続いてふと気付きました。

そうか!あの時私に会いに来て私の全存在を癒してくれていたのは、未来の、つまり今の私だったんだ。

脳科学的に見れば、脳が脳内の伝達物質の化学反応で記憶を書き換えている作業であり、当時の私の至福感は緊張が極まった後の脳内モルヒネ、エンドルフィンの大量放出のなせる技だったのかもしれません。

けれど、この五感の感覚を伴う、時空を超えた深い癒しの感覚は、私にとってはリアルであり真実の体験です。

そして、「その時」に戻りながらの癒しの作業が終わった時、その記憶はどこかで出会ったことのある懐かしい感覚としてだけ残り、鮮明な記憶は優しく溶けるように消えていき、過去も書き換えられていくのだと感じます。

そして、私の記憶には「今」と未来だけが刻まれ始めるのかもしれません。

シコリんから、また新しい贈り物が届いています。

一人で生きられない幸せ

image「一人で生きられない幸せ」

という言葉に出会いました。

女性でも自立して生きることを社会的に期待され、西洋的自我のイメージが流入してくる時代に育った世代の一人として、私も自立志向の最先端を走ってきました。

それが今の私の心の自由さにつながり、年齢があがるにつれてその恩恵も受けているのですが、一方で人は一人では生きられないと言う絶対的な真実もわかってくる年齢になってきています。特に乳がんとわかってからのこの1年半は、そのアンビバレンスをうまく抱えきれずにいました。

「一人で生きられない」という言葉には、自分の脆弱さを弱々しく肯定するニュアンスやどこかに共依存的な色合いがどうしても含まれてしまう気がします。でもそれは生きとし生けるものの当たり前の真実でもありそれも重々わかっているのだけど・・・でも、でも、ごにょごにょ・・・(笑)。

そこにあえて、「一人で生きられない」に「幸せ」をつけたことで、そのアンビバレンスを包み込む魔法のような言葉と概念になっていて、これだ!!と思わず膝を打ちました(^^)。

ハワイのロミロミのクム(先生)の「カウンセリングとロミロミ(マッサージ)だけは自分にはできないんだよ。でもそれは恩恵なんだよ、さもないと、人は一人で生きられると思ってしまうからね」という言葉を思い出しました。

一人で生きられると思うと、ある種の自由さと同時に様々な困難に出会います。

一人で生きられないと思うと、つながりの中に生きる安堵感と同時に人に合わせようとする不自由な心に出会います。

でも、一人で生きられないことを「幸せ」と捉え、「恩恵」と受け取ることができれば、自分自身でありながら人と一緒に生きることに新しい息吹と意味が生まれてくる気がします。image

大好きなEPOの歌の一節 「一緒に暮らす心地よさと あまりに近い煩わしさを 受け止めながら 愛を育てる」を口ずさみながら、今日は新しい気持ちで街に出かけようと思います。

そして、そんな私をおいのちさんがにこにこみつめています。

自分への尊敬を育てる

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おいのちさんと出会って1カ月。

ボーナス時間、人生の有給休暇をフルに楽しもう!と決意して2週間。

さあ、これからはおいのちさんが喜ぶうっとり&幸せなことを選択して、ウットリストとして生きていくのです〜☆と意気込んだものの…はてさて…

ウットリスト計画を実践出来ないまま、毎日が流されていく〜。なぜかしらん(・_・;

金銭的なことや時間的なことが問題なのではなさそうです。
実際に書き出してみると、私のうっとりはベランダ仕事を優雅にゆっくり楽しむの休日の朝の30分を過ごす、前から気になっていたオーガニックカフェに行く、前から挑戦したかった手の込んだレシピを試す、22時にはぬくぬくとお布団に入り深呼吸しながら眠りにつく、ゆったりした音楽を聴きながら本を読む30分の至福を過ごす、など小さな日常の喜びがほとんどだからです。

気ままな独身、一人暮らし、自営業。

なのに、どうしてうっとりを選択、実践できないのかしら( ? _ ? )

色々内観してみて気づいたのは、自分が本当にやりたい ウットリなことを実践するのを邪魔しているのは「自分への尊敬不足」だということです。

自分のために決めたことや、やろうとしていた気持ち、自分とのウットリな約束を、簡単に後回しにしたり破棄してしまう自分がいます。

人から何かを頼まれたり、仕事の依頼、機嫌の悪い人などがあると、その役割の方が慣れ親しんでいるのでそちらを優先してしまいます。

周囲を気遣う円滑剤としての役割を果たしてきた女性脳のせい、そうした歴史や社会のせい、親の育て方が関係している云々…山積みの分析本や心理学の本をどれだけ読んでも現実は何も変わらないので(笑)、実際に自分なりに、自分を尊敬して大切にしていくぞ、と決めて自分なりの、実践できるやり方を身につけるしかありません。

私が思う、自分への尊敬とは…

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それは、心から尊敬する人や大切な愛するコンパニオンアニマル、そして優雅な王女様をエスコートするように、自分を大切に大切に扱うことなのかなと思います。

心から尊敬する人や王女様との約束は、決してないがしろにしたり後回しにはしないように…

大切な愛する犬や猫のごはんやお散歩は毎日必ず約束の時間にあげるように…

王女様には、最大で極上の、最も敬意を込めたエスコートをするように…

自分自身を大切な存在として扱うこと、それを、一つずつ、少しずつ重ねて、自分への尊敬を育てていくことだなと感じます。

自分に対して使う言葉も、心の中の呟きも、自分を責めたり否定する言葉ではなく、自分を尊敬する言葉、ウットリする言葉、人生を幸せにする言葉に変えていきたいし、自然に変わっていくはずです☆

今日から遅めの夏休み。自分への尊敬を実践し練習するとてもいいチャンスです♪

image今日はとにかく寝ても寝ても眠いので、たっぷり睡眠と心身がウットリするランチを、そして気まぐれに付き合う1日を、親愛なるグラシエラ(私のタンゴの時のスペイン語名)王女に贈りたいと思います☆

月日痕跡(あと)なき ことのやさしさ

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わが上の 九十年を流れたる

月日痕跡(あと)なき ことのやさしさ

 

昭和の激動の時代を、歌人であり陸軍軍人の父齋藤瀏の娘として生きた齋藤史さんの歌に出会いました。

シコリんとの毎日の中で、些細な幸せから大きな幸せまで、様々なことに気づかせてもらっています。

その中の一つが、こうして様々に感じることや気づきをもらい、感受性が豊かになっていった先にあるもの…そこには成功や大きなことを為すことではなく、普通の人として、普通を慈しんで生きて還っていくという、もう一つの豊かさがあることです。

若い頃は、自我というものがどうしてもついて回り、「自己実現」、「自分を表現する」、「自分を活かす」などのキーワードがあふれるこの時代の中で、その波に翻弄されていた様な気がします。

けれど、シコリんから、もう一つの豊かさな生き方を教えてもらった今、そして、おいのちさん に出会えた今、この歌がしみじみと、そしてほっこりと、まあるく心の中で微笑みます。

この歌を知ったのは、『美人の日本語』がベストセラーになった音楽家であり、人気ブロガーでもある山下景子さんの『しあわせの言の葉」を通してです。Unknown

紹介する言の葉を残したすべての人々への山下さんの温かい眼差しと、選び抜かれた文章と言の葉に、またとてもいい気づきをいただきます。この歌の紹介文の「月日の持つ優しい一面…これに気づいたとき、私たちは、いつでも安心して、時の流れに身を任せることができるようになるのでしょう」という結びも、本当に素敵な言の葉です。

乳がんになる前の私の人生も、乳がんだとわかってからの人生も、そして、この先の人生も、途切れることなく優しく流れる時の中にふわっと、当たり前に、自然にまあるく溶けていくんだなぁ…。

そんなことを、寂しさではなく豊かさだと感じられる自分がいる今日この頃です。

おいのちさんと一緒の毎日

imageおいのちさんと出会ってから、色々なことが起き始めています。

おいのちさんの物語が手にふわりと降りてきて、一気に書き綴ることができたこと。

その物語に感動してくれたオハナが挿絵を描きたいと申し出てくれたこと。

自分がやりたいも思っていたプロジェクトに、生き生きした温かいいのちが宿って動き出したこと。

オハナからの思いがけない素敵なプロジェクトの協働のお申し出。

どれも、私のおいのちさんがにっこりまあるく微笑むことばかりです☆

眠る前と朝起きた時に、おいのちさんのそばにただにっこり一緒に座っているイメージをします。

すると、全てをおいのちさんにお預けして、出来る小さなことをうまずたゆまず、楽しみを見つけながらやっていけば全てが大丈夫、そんな気がしてきます。

乳がんと薄々分かっていても、それが寿命ならそれはそれでよし、と殺伐感と諦観を懐に入れた侍のような1年半前の心境とは全く別の、温かい 自分のいのちの全受容の感覚が生まれてきている気がします。

自分の寿命も全ておいのちさんにお任せ。残りがどれだけあるか、時間と言う次元は関係ないことがわかります。

私は私の与えられた時間を、私のおいのちさんが喜ぶことを、まあるくニコニコやっていけばいい。あとはおいのちさんがうまくやってくれる♪

そんな毎日に変わりつつあります。

今夜はとても気持ちの良い、初夏のような宵です。

おいのちさんの隣に腰掛けて、一緒にカエルの声を聞きながら(何故か国分寺はカエルの声が聞こえるのです)、おいのちさんのどこまでも広がる裾野のその先に、にっこり思いを馳せています。