自分自身の弁護団 応援団

乳がんとわかってから、どんなことがあっても折れずに来た3年でしたが、プライベートや母の介助などでよろけてきていた頃に訪れた、最愛のはなとの突然のお別れ。

今回はこのダメージを受け止めきれず、心身が面白いように崩壊していっています。

お客様の身体のケアをする仕事なので、この状態では…と友人に代わりをお願いして自分は仕事をほとんど全てキャンセルさせてもらうことに。

今まで自己都合で仕事をキャンセルしたことはなく、それが誇りでもあったのですが、今回は痩せていく心身と崩れていく自己をどうにもコントロールできませんでした。

これが自分だと信じていたもの、価値観、在り方、なにもかも…。

心身喪失して記憶が飛んでしまったり、考えをまったく系統だてて考えられなくなったり、支離滅裂なことを口にしたり、衝動的に走り出してしまったり…。

ああ、人はふとしたきっかけでこんな風にここまで壊れてしまい、這い上がれない時があるんだ、そう思いました。

せっかく小さくなったシコリンも、あっという間に大きくなり、体重は減り、はなが悲しむと分かっていても、ふとした拍子に涙が滝のように流れてきます。

もうだめ。もう限界。お手上げだ。情けないけれど生きているのが精一杯。

けれど、はな が生まれ変わって戻ってくるよとサインをしつこく出し続けてくるので、ここでわたしが死んでしまうと再会がややこしくなってしまうので、生きなくてはいけません。

とにかく、毎日毎日仏様にお任せして南無阿弥陀仏で過ごしているのですが、半分ひきこもりのそんな毎日の中で会った数少ない人の中に、決して順風満帆ではない人生を過ごしてきているのに、時に大泣きしながら、時にどん底に落ちながらもいつもとても輝いている女性が二人います。

ぼーっとした頭でお二人の話している様や会話の端々から、その共通点に気づきました。

それは、彼女たちが自分の中に、絶対的に自分自身を励まし、護ってくれる応援団と、頼もしい弁護団を持っていること。

どんなにだめな時も、どん底の時も自分自身を励まし、弁護し、守ってくれる存在。

どんなに最悪な時でも、「今が」最悪な「状態」なだけで、あなた自身が「最悪」なわけではないんだよ、あなたなら、きっと、また、歩き出せるよと肩を抱いてくれる存在。

もしかしたら、そんな存在を自分の中に持っているのは人間として当たり前なのかもしれませんが、少なくともわたしの中には、そんな頼もしい存在は、二度のいじめを受けた時から、いなかったのです。

代わりにわたしの中にいつもいるのは、とても執拗で決して追及の手を緩めない検察団、もっともっとと指揮棒を振るい続ける指揮者、偏見いっぱいで自分自身をディスカウントスするヘイトスピーチ団です。弁護士は、いたとしても弱々しい国選弁護士レベル。

応援団は いません。

幼い頃からの転居、転勤、自分の地域 のない根無し草感も、そのあり方に拍車をかけました。

車に例えると、人生を運転している「わたし」は存在します。そして、交通ルールもマナーも嫌という程、頭に、身体に、叩き込まれています。

けれど、乗っている車は快適さや好みではなく「生産性、効率性」を重視した車で内装も最低限の装備。

ナビには「人の役に立つ」という立ち寄り地点が設定されていて、ビューは50m。目的地は不明です。

うまくいっている時でも、ナビは「もっとここを」「もっと早く」「あれも、これも」と指示を出してきます。

失敗するとドライブレコーダーを元に警察と検察が即座に検分を始め、裁判官に訴状を書き上げ、裁判所の周りにはヘイトスピーチ団が罵声を浴びせています。その中で「わたし」はヨボヨボの弁護士と一緒に背中を丸めて消え入るように小さく、小さく、小さくなっています。

それが、小学校6年生の時以来の、わたしの人生の根本の在り方だったことに気づいて、愕然としています。

それで、よく今まで生きて来られたね、よくここまで正気でいられたねと、自分を心の底から可哀想に思い、後から後から涙がこぼれます。

どんなカウンセラーの元に通おうと、どんなに癒しの場所にいこうと、ボディワークを試そうと、坐禅を組もうと、どんなにスピリチュアルな教えを学ぼうと、生きている苦しさが少しも楽にならなかったわけです。

はなが、どんなわたしでも慕って、大好き、大好き と尻尾を振り続け

わたしが、どんなはなでも愛して、大好き、大好き と抱きしめ続けたように

私が、私自身の応援団になり、弁護団になり、最後の最後まで自分を見捨てずに大切にすると決めない限りは、私の乳がんは何度でも大きくなり、なにをしていても不安で、自信が持てなくて、生きていることが辛いともがき続ける人生を、この先も生き続けることになることがわかりました。

この自分自身が崩壊し、崩落している今は

もしかしたら、天から、仏様からいただいている チャンスなのかもしれません。

今日は、はなが いつも通り優しくそばに寄り添ってくれている気がします。

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第3の道で歩き始めています

母の介護、サロンでのワークショップ、愛犬はなちゃんの危篤騒動で、すっかりご無沙汰になってしまったこのブログですが、同病の皆さま、ちゃんとつぼみは生きておりますのでご安心くださいませ(^人^)

体調は相変わらず低空飛行のままながら、シコリんと共存してぼちぼち元気に過ごしています。

乳がんの各種マーカーがほぼ正常値に戻ってからすぐ始まった母の介護と、同時に始まった以前と同じ量の産後ケアやマッサージの仕事。そして、はなちゃんのケア(その他、私の癖である各種お節介商会の活動(笑))

息つく間のない日常が始まり、再び自分以外の人のためにエネルギーを使い始めた訳ですが、以前の「自分のことを後回しにしている自分」という意識や構造と違った新しい意識、構造の中で動き始めている自分に気づきます。

私さえ頑張ればという子供じみた自己犠牲感でもなく

自分の現状から目を背けたり、自分自身を他者に投影して活動に没頭するのでもない

もう一つの新しいありかた。

「自分(自我)にばかりに目を向けてしまう自分から離れて
目の前のこと、人に、無心に向き合うことができる時間を過ごせる幸せ」です。

この3年間の、ガンがあることにどこかいつも心がとらわれていた時間、40年以上溜め込むがままにしてきた諦めや哀しみや自己憐憫のエネルギー、そしてそれらを溜め込み癖と向き合う時間。

それは本当に苦しく、行き場のない、余剰エネルギーで自分自身を知らず知らずに自家中毒に追い込んで行くような時間でした。

おいのちさんと出会い、自分の力ではどうにもならないものでこの世の中が出来上がっている事実に降参し、執着や努力癖を一つずつ手放していく中で

ほんの少しずつ、少しずつ呼吸が楽になり、世の中が 変えるべきもので満ちた悲しい場所ではなく、可能性や喜びにも満ちている場所であることに気づき、自分の世界が再生していきました。

そして、シコリはまだ鎮座しているものの腫瘍マーカーがほぼ正常値に戻った途端に、いきなり愛の蹴りがどこぞから入り、尻を蹴り飛ばされるような形で始まった、ガンの物語の終焉。

そこには、同じことをしているのに、前と違った心持ちや構造ではたらいている自分がいました。

この心持ち、構造で、目の前に置かれたことに精一杯取り組みつつ、でも余分な意図や はからい や 余分な努力をせずに生きていった先には、もっともっと違う風景が見えてくのでしょうか。

今はまだヨチヨチ歩きですが、この感覚についていきたいと思います。

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喜びの朝

嗚呼!ついに、ついに、憧れのこの日が来た。この新しい門の前に立つことが出来た(๑˃̵ᴗ˂̵)

そんな喜びでいっぱいの朝です。

それは、更年期が始まったと身体が教えてくれたこと(笑)
嗚呼、嬉しい!
嗚呼、なんて素敵!

思えば、私の自己内省の旅、自分の女性エネルギーとしての女神のエネルギーと向き合う旅のきっかけは、12歳の時から毎月毎月やってきた月経の波でした。

保育士をしていた20代半ばに、その波にとても意識的になりました。
昨日は「いいよ、いいよ、こぼしても。先生がちゃんと拭いてあげるからね」なんて、菩薩のような保育士だったかと思うと「なんでこんなにこぼして食べているんですか!!」と歯ぎしりしてしまう私とが交錯する月末…これは一体どういうこと??

母親としてではなく、プロの保育士として自らを客観視して子供たちの育ちの見守りをするとコミットしていた私には、当時それはとても興味を引くテーマで、もともと今は亡き三木成夫先生の生命論に深く共鳴していただけに、自分の月経そのものが私を自分自身へと、そして「命とはなんなのか」という私の中の終生のテーマへと導く定期水先案内人となりました。

IMG_0207現代の言葉で言うとPMS、ネイティブアメリカンで言うところのムーンサイクル、イナンナの冥界下り、そして、野口整体の創始者の野口晴哉のいうところの 「おんなである時期」の性の高低の波は、私の心身を翻弄し、乗りこなすのは至難の技!

時にハワイのビッグウェーブのような波は、腰が引けていたら命取りですらありました。

落とされるのではなく降りていくのだ、そう決めるまでは、毎月やってくるその闇は恐怖でもありました。
また、自分の中の闇に降りていく作業は、常に光を求めて生きて生きたい傾向の強い私には本当にしんどいものでした。

けれど、小田まゆみさんをはじめとする素晴しい女性たちとの出会いによって、女神のコンセプトやネイティブアメリカンのムーンサイクルの考えに比較的早くに導いてもらっていたため、この作業は女性の持つ真のいのちの力や賢さ、智慧に近づくための、避けては通れない通過儀礼だと自分に言い聞かせて、15年近く向き合ってくることとなったのでした。

そこへ、シコリんこと乳がんの降臨。

ますます、内なる女神との対話は、生命とはなんなのかという根源的な問いに向かって深く深く降りていくこととなりました。

時に打ちひしがれ、時に光のステージに躍り出て…の七転八倒のダンスの模様は、このblogにお恥ずかしながら綴ってきた通りです。

そして、この春、あれだけ毎月正確にやってきた月経の乱れと小停止、動機や息切れ、さらには先日から始まったホットフラッシュをもって、私の身体はムーンサイクルの最後の相に入ったよというウィンクを送ってくれました。

幸いなことに2年前から食事や生活の仕方、考え方、暮らし方を女性の身体にとっての「快」の方向に大きくベクトルを変えてきていたこともあってか、精神的な波はむしろ以前より穏やかで凪いでいます。

そして、女性ホルモンの波に翻弄される前の少女の時期にように、受信は私の感受性のアンテナのみ限定され、その精度は増してきています。IMG_0208

これからは、自分の月のサイクルを精神的に内包したまま、次世代の女性のサイクルを厳然と見守ることのできる「聖なる老女」の域に向かう扉の前に立つことができた気がして、嬉しくて小躍りしています(笑)。

達成感、安堵感、解放感、開放感…そして、次なる旅がはじまる静かな興奮でいっぱいです。

ありがとう、私のムーンサイクルと、その最後のステージの到来。
心から、喜びを持って、熱烈歓迎!です♪

閉経という、ムーンサイクルの最後の相をここから楽しんでいきたいと思います。

ほんのちょっとだけ

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カメラに魂を取られると信じているはな嬢

「ちょっとずつ」

「ほんのちょっとだけ」

尊敬する大好きなOhanaがくれた魔法の言葉です。

ともすると、一途でストイック、といえば聞こえはよく、生真面目、「融通」という文字ゼロで突き進む傾向のある私に、「「ほんのちょっと」でいいんだよ」「「少しずつ」ね」と顔の前に1センチくらいに開いた指先を持って行っていつも微笑んでくれます。

はなちゃんが来て早くも3週間。あまりの愛らしいはなちゃんに、オキシトシンと母性本能全開になり(我が家の系統は母性本能の洪水で世界を洗い流す傾向あり)、はなちゃんの一挙一動にアンテナが立ち、はなちゃんに唯一覚えて欲しい室内でのトイレトレーニング(外にお散歩に行くまで我慢に我慢を重ねてしまうため)に教育ママの意気込みで集中し、うまく教えてあげられない自分に落ち込んで…と、新米ママのような日々の中でも、その言葉はいつも響いています。

忙しい時間の中でも、ちょっとだけ手を休めてはなちゃんに100%(120%?)集中する時間をつくったり。

ちょっとだけ女性の時間を取り戻してくるね♩、とお留守番を頼んでカフェやタンゴレッスンに出かけたり。

トイレトレーニングが失敗を繰り返しても、ちょっとずつ覚えていけばいいからねと、はなちゃんにも言い聞かせて、にっこり微笑んでやり直し。

バランスをとることは、人生にはとてもとても大切なことです。img_0158

でも、時に人はバランスをとることそのものに躍起になったり、バランスをとろうと力んでしまったり、バランスの悪い自分に落ち込んだり(こうやって書くとなんて無意味な落ち込み(笑)!)することがある気がします。そしてそれは、逆効果になることもしばしば。

シコリんこと乳がんと向き合ってきた2年近くの時間の中で、このOhanaのスタンスや「ほんのちょっとだけ でいいんだよ」に、気づかないうちに力んでいたことに気づき、一度深呼吸して緩んで、また改めて取り組む力をどれだけもらったかが改めてわかります。

力まず、ジタバタせず、計らわず。

でも、いいと思ったことをほんのちょっとだけ 取り組んでみる。

やりすぎたら ほんのちょっと休憩。

成果がなかなかみえなくても、きっと少しずつ何かが育っていることをイメージして、またちょっとだけやってみる力にする。

乳がんと分かってからもう直ぐ丸2年。

昨年3月に亡くなった愛犬メイちゃんの命日でおひな祭りの今日は

はなちゃんとおひな祭りをお祝いしながら、乳がん3年目はもう少しだけ、ほんのちょっとの努力でできることを続けながら、少しずつ成果の花が芽吹いてくることをイメージして、alohaに過ごしたいと思います。

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メイが見守ってくれている気がします

 

 

 

 

道元さん ひろさちやさん おいのちさん ありがとう

「100分de名著と言うNHKの番組があります。

テレビを見ることはほとんどないのですが、この番組だけは録り貯めていて、時々観ることがあります。

この「100分de名著 」で、ある一冊をある人が解説している、その100分が、私の人生を大きく変えてくれました。

それは、道元禅師の書かれた「正法眼蔵」を仏教研究家の ひろ さちや さんが解説しておられる番組でした。

もともと私は仏教の考え、中でも禅の教えに深く傾倒していたところがあり、坐禅会などにもよく顔を出したりしていました。

講和を聴きに行ったり、講座を受けたり、様々な仏教の書物も読みました。

けれど、どれも頭の中だけでの理解の域を超えることはなく、本当の意味で「腑に落ちた」ことはなかった気がします。

これまでの流れ、迷いの道の中で、私のタイミングが整っていたのでしょうか。

正法眼蔵の一つ一つの解説、ユーモラスで素敵な漫画、そして、ひろ さちや さんと伊集院光さんのナビゲーションの掛け合いも面白く、ハッと、ハラリと、何かが溶け(解け)ました。

いくつか腑に落ちたのですが、中でも一番私を楽にしてくれ、未だ体験したことがなかった安心の境地に連れて行ってくれたのは、「仏性」についての道元さんの解釈そのもの…と言うよりは、それを図にしたもの、とひろさちやさんの解説(笑)。

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NHK 100分de名著 より

仏性とは生きとし生けるものの中にある仏さまの心の種のようなもので、それに気づき、拡げ、深め、育てていくことが悟りへの道であり、仏に近づく道。

どこかで私達はそう思いがちなのではないでしょうか。私はどこかでずっとその考えにとらわれてきました。

だからこそ、そこに「向かって」努力しなくてはいけない、明日は今より良い自分を創造しなくてはいけない、なぜなら仏性を大きくすることが人生の目的なのだから…そんな風に思って生きてきていた気がします。

そして、そんな「まだまだの私」から「今より少しでもより良い私」にならなくてはならないと言う思いが、自分へのジャッジ、人へのジャッジ、そして何かと比較したり、無意味に落ち込んだり…と言うスパイラルに陥らせ、苦しんだりしてきた気がします。

がんだと分かってからも、その考えは抜けず、常に常に努力してきたのは、この七転八倒のblogを読んでいただいてきてお分かりの通りです(笑)。

でも、道元禅師は、仏性は「この宇宙そのもの」で、私達は仏性の海の中に泳いでいるようなもの、と説きます。

つまり、悟りはゴールでも目的でも結果でもなく、到達するものではない。

なぜなら
もう既に仏性と言う海の中にいるのだから。

その中で精一杯悩めばいいし、迷えばいい。
迷いと悟りはコインの裏表で、私達が迷おうが悟ろうが、そんなことはお構いなく仏性はいつも、そこ、ここ、今ある全てを満たしているから、安心して悩目ばいいんです、迷えばいいんです!
貧乏なら貧乏を、病気なら病気を、老人なら老人を、今を精一杯やればいいんです!

ひろ さちや先生の、にかーっと歯をだして笑われるそのご尊顔も、その解説や言葉にあまりにぴったりで(笑)、全身の力みが抜けていくのがわかりました。同時に力が湧いてきました。

 

そうか、やはりそうだったんだ(o^^o)

これは、シコリんこと乳がんを道しるべに、私がようやく出会えたおいのちさんのことなんだなぁ…と思いました。

おいのちさんに安心して寄りかかること、おいのちさんの中に安心して生きることが、ようやく、また一つ、わかった気がしました。

今日も、今この瞬間も、私は仏性に、おいのちさんにどっぷり包まれていきている…なんて安心感なんでしょう。

在家の私が努力する(身に修める)のは、そのことを信じきる心を育てることだけ。

私を取り囲む仏性、おいのちさんが喜ぶことを心がけて生きるだけ。

他の人に必要以上にお節介しなくても、みんなみんながこのいのちの海、最強でポカポカのセーフティーネットに包まれているのだから、それを信じて見守っていてあげればそれで大丈夫。

Epiphany!(ああ!そうだったのか)…

はあ…この日があって良かった。

生きてきて良かった。

ひと安心、ひと安心(^ν^)

img_5171これからはもっともっと、安心して迷い、安心して悩み、努力(仏性やおいのちさんを信じきる力を磨く)をして、ほっこり生きていけそうです。

早くもケトン体が

img_5178玄米や小麦粉などの主食を減らしての5日目、早くも2キロ落ちました(笑)。

ケトン体が出はじめたのが分かります。

なぜわかるかって?

それは、小さい時に常用していた抗生物質を排泄したくて、断食やファスティングを30代前半から何度も繰り返してきたので(むしろ好き(笑))、肝臓と脾臓が緊急自体と判断して腫れて来る感覚、そこから今ある脂肪などを燃やし始める感覚を何回も体験しているからです。

ちょっとした吐き気、お小水の甘酸っぱい匂いも合図の一つ。(月のものの最中にファスティングをすると、経血も甘酸っぱい感じになります。これは女性ならではの気づきかも)

多くの人はここで危険を感じてやめてしまうのだけど、この感覚が実はスタートの合図です。

よくふらふらになる、頭が働かず生活に支障が…と言うけれど、私はかえって頭が冴えてきて、身軽に動け、体温も上がります。

私の場合はダイエット目的ではないのだけど、ケトン体が出始めたことで、シコリんこと乳がんへの糖質の供給も途絶え始めたサインなので、やはりウレシイ(^o^)

ココナッツオイルを使うことで、ますます脂肪の燃焼をあげるので、大好きなココナッツオイルやアーユルヴェーダの食べ方が活きてきます。img_5179

ケトン体をなるべく早く代謝するためには、運動と汗をかくこと。と言うわけで歩いてお買い物に行き、帰ってきたらセサミオイルを塗ってハーブサウナでひと汗。

ぜいたくな 「セルフアーユルヴェーダくらし」です(๑˃̵ᴗ˂̵)

炭水化物よ しばし さらば

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ケトン食  充分幸せ ホトトギス( ^ω^ )

 

前略  炭水化物様

私がどれだけあなたを好きで、私がどれだけあなたに依存していたか…親しい人達は知っています。

食事療法を始める前は、焼きそば、ラーメン、お好み焼き、肉まん、おにぎり、パンケーキ、丼ぶりもの、白玉、すいとん、パスタ…そのどれかが主食で、副食もそのどれかでしたね。

お好み焼きを主食に、ラーメンを副食に啜るひと時は幸せでございました。

食事療法を始めてからも、全粒粉と玄米を使ってあの手この手、パンケーキからパスタ、餃子の皮まで手作りして、あなたとのご縁を繋いで参りました。

そして、しばし涙涙のお別れ(「え、代わりに魚が食べられるなら、てへへ」と思わずワクワクしたことは内緒にして)…

4日めを迎える今日、あなたなしでも大丈夫な自分に、驚くやら、安心するやら。

大豆系の豆類をいただく際、また、たまに蕎麦をいただく際に、あなたとちらりとお会いすることは出来ますが、シコリんが作業の邪魔にならない程度に小さくなるまでは、少しの間あなたなしでもやっていけそうです。

またお会いできる頃には、きっとあなたともいいバランスでまたお付き合いできる気がして、今から楽しみです。

愛しの炭水化物様。

また会える日まで

いまはこれまで…(`_´)ゞ

 

 

人生に おはよう

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アイラブユー☆

今日も楽しい1日にしようね♪

 

どこのダーリンに囁いているかと言えば、先日愛を誓ったダーリン、私の人生に囁いている朝の愛の言葉です٩(๑❛ᴗ❛๑)۶

もの心ついた時からいつもいつも、今日やるべきこと、今日こなすべきこと、今日食べるもののこと、段取り、いつ休憩を入れるか、その時のマイブーム哲学などなど…脳と言うパソコンが立ち上がるなり高速回転を始めて、朝から脳内疲労を起こしていた気がします。

ここ2日は朝はまず人生にご挨拶。そして、美味しいお水かお白湯を一杯。

顔を洗ってご機嫌にお化粧してから、その日の段取りを考え始めて…いい感じで朝を迎えて、そのまま落ち着いて1日が始まります。

もしかしたら、これは普通のことなのかも知れないけれど、小さい時から過敏体質で何かに怯えて、何かが不安で、身の置き場を探して来た私には、こんな朝は初めてで新鮮な嬉しい朝なのです。

ハワイのジンジャーヒルリトリートセンターで目覚めた朝も、沖縄のリゾートホテルで目覚めた朝も、トルコの港町で目覚めた朝も、森の中で爽やかに目覚めた朝も…こんなにalohaで平和な朝を迎えることはできませんでした。

それは私が人生を愛すると決めていなかったから。人生から私を勝手に締め出していたから。

シコリんが出来て、ようやく私は私自身と人生を愛することを学んでいます。

愛するのに値するから愛するのではなく、愛するとまず自分が決めること。

初めて自分と、世界と、きちんと繋がれた気がします。

おはよう 私の朝。

おはよう 私の人生。

今日も1日よろしくお願いします。

 

 

 

 

食事 少し変えてみます。ワクワクです(*^_^*)

食事法を変えてみようと思います。

一年半続けてきた玄米菜食から、野菜中心&魚・鶏肉も適量取り入れた炭水化物お休み食に切り換えてみようと思います(*^_^*)。

玄米菜食で体内は本当に綺麗になってきました。

いつも吹き出物が出ていた肌は全く吹き出物が出なくなり、快便過ぎるほど快便(笑)。

昔からの胃痛や胃もたれもなくなり、体内環境は着実に良くなって来たなぁと実感しています。

これからは、免疫力アップ、おいのちさんニコニコ元気路線を、また感覚を頼りにのんびり歩いて参ります(o^^o)

オーガニックの野菜たっぷりでメインは野菜。白身や青身の火を通したお魚と無添加の鶏肉を時々加えたメニューで一日一食と軽食。

軽食は大好きなリンゴ、もしくは野菜スープ。

今はあまり食欲がないので、一日一食で実は充分です。

小麦粉(全粒粉)と玄米は、少しおやすみ(_ _).。o○

今迄以上に豆を取り入れていくため、豆の料理本を眺めてニヤニヤしています。

また経過をご報告します☆

いのちに努力と解決志向は要らなかったんだなぁ(*´꒳`*)

IMG_4352.JPG黒木さん と言う友人がいます(実名でごめんなさい(笑)でも、どうしても書きたかった(笑))

絵描きさんで、子ども達に表現の楽しさを教えている表現者で、高千穂に惹かれて昨年引っ越した黒木さんに、久しぶりに会えました。

元々独自の、飄々とした空気感を持っている、なんともオリジナルな個性の友人なのですが、久しぶりにお会いした彼女は、ますます自然に、天然素材に戻っていて、都会のカフェなのに彼女が座っている場所だけ、コダマがちょこんと木の切り株に腰掛けている風情でした。

彼女のその佇まいそのものに、また一つ、砂場の棒倒しのように、砂がごっそり取り除かれました。棒を倒さないようにする通常の棒倒しと逆で、私のこだわりと言う棒が倒れるための棒倒しです。

そして、彼女の力の抜けたコダマのような佇まいから伝わってきたメッセージは、「いのちのことに、努力や解決志向は要らない」と言う根本的な、とても大切な、でも多くの人が忘れてしまっている根源的なこと。

世の中で生きて行くための見えないルール、特に経済活動を中心とする都会のルールの中では、解決志向、目的達成、デザイン思考、それに向けた努力と行動が尊ばれ、それが正しいあるべき在り方だと、日々全てのソースから囁かれます。

その努力する姿や何かを達成する姿に人々は感動し、自分を激励して達成感を味わい、脳内モルヒネの川で気持ちよく泳ぎ、また明日頑張るためのモチベーションをそこに見いだします。

それが美しい姿とされます。

もちろん、優等生気質で努力命の私もそのど真ん中狙い(笑)(笑)!!でした。

でも、一年半シコリんと向き合ってきて、努力し続けてきて、おいのちさんと出会ってもなお自力自力で頑張ってきて(笑)…

でもなかなか結果が追いつかないことに途方にくれてジタバタ&しょんぼりしている今日この頃の私に、彼女の存在感からのメッセージは、肩の力を抜かせる鮮烈かつ生きたメッセージとなりました。

日常を流れる時間、直線時間、男性脳、理性の脳が日々要求し続ける「解決志向」「努力」「成長」「学び」…私が高校生の時壁に貼っていた「克己」。

「緩める」とか、「手放す」「治ることを目指さない」とか、そんなレベルではなく、これらは、おいのちさんには、いのちの世界には 「要らなかった」んだなぁ…。

はぁ(*´꒳`*)

………………(*´꒳`*)。

今日はこれ以後、思考停止で過ごします☆