桜さく

また、春が やってきました。桜がいつになく優しく咲いている気がします。

乳がんに限らず、病気のある人や一度病気を体験した人には、春の訪れは また格別な想いがめいめいにあるのではないかと思います。

私ももうすぐ乳がんの診断を受けてからまる三年になります。

おかげさまで先月の腫瘍マーカーはほとんど正常値になっていましたが、今年もやはり、感慨深いものがあります。

また一緒に桜を見たかったりんりん。

一緒に屋久島に行こうと約束していたMさん。

今年の桜を楽しみにしていたKさん。

桜が散った頃に還っていったTさん。

私の目を通して、みんなが春を愛でている気がします。

母の不調で実家に戻っている今年の春ですが、状況や置かれた場所が同じでも、こんなにも心が変化していることに、気づいてハッとします。

ものごとの捉え方。

人生に対する態度。

自分自身への接し方。

生死の受け入れ方。

中でも一番変化したと気づいたのは、生きてきた中で傷ついてきた心や、傷だと思ってきたものが 綺麗に癒され、幻のように消えてしまっていること。

長い長い成長の旅路は、傷ついたり傷つけたりしながら、いつかそれを癒し癒されながら、静かに、ひっそりと 散りゆく桜を眺めていられるような心もちになっていくことなのかな、そんな気がします。

実家の裏には武蔵国分寺公園と言う大きな公園があり、桜が咲き誇っています。

このために、実家に戻って来たのかしら…そんな気がするくらい、たくさん桜を愛でられそうな今年の春です。

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怪我の功名

IMG_8686シコリんこと乳がんを授かって、あと少しで丸3年になろうとしています。

大きさは4ー7センチの間を、季節ごとや体調次第で行ったり来たり。

みなさんのおかげで、時々あった鈍痛や刺すような痛みはほとんどなくなり、黒い部分も少なくたり、転移も今の所認められないので、仕事も本格的に再開し、表面的には食事以外はほぼ元の生活に戻りつつあります。

この三年近くで大きな輪を描いて、今徐々な元の生活に戻りつつある中で変化したことの一つに

大切な人との関わるときの視点の変化があります。

 

その視点は

「私がいなくなっても、その人の力でできるように、大丈夫なように」。

 

(※例外ははなちゃん。はなちゃんは私が看取りまする〜♡)

福祉で言うところの「エンパワメント」ですが、若い頃は「わたくし」と言うものや自我が邪魔をして、なかなかその視点を身をつけたり浸透させることはできませんでした。

今も、もちろん自分や自我があるので浸透まではしていませんが、頭のどこかに

「私がいなくなっても自分の力で出来ることを伝えられてるかな?」

「自分の力で出来た!と言う自信と前向きな気持ちで生きていけるようなサポートかな?」

と自分に問いかける癖がついているのに気づきました。

こんな心持ちになれたのは、シコリんこと乳がんになったのも怪我の功名?…なんて、この3年間を振り返りながら思うのでした。

愛すること を 再び フロム先生に教わりました

保育士をしていた20代の頃に読んで、わかったような気持ちになっていた著名な心理学者に、エーリッヒ=フロムがいます。

フロイト、ユング、エリクソン、ウィニコット、マズロー…さまざまな心理学者の著作を自分なりに読んで、その時は、それぞれにそうかそうかと納得したり、開眼したつもりになっていたりしましたが、今回ご縁あって久しぶりに出会ったフロムさんにはカウンターパンチ、パラダイムシフト、オセロをひっくり返されたような驚きをもらいました。

フロムの名著『愛するということ』を解説している鈴木晶さんの解説に、こうありました。

「フロムは、愛を与えることは自分の生命を与えることだと述べています。

ここで言っている生命とは「命」のことではなく、「自分のなかに息づいているもの」のことです。

相手に対して「自分の喜び、興味、理解、知識、ユーモア、悲しみなど、自分の中に息づいているもののあらゆる表現を与える」ことが愛だとフロムは言うのです。」

愛すること 与えること は 物心ついた時から自分の中でずっとテーマでした。

 

幼少期の海外で、貧富の差や不平等、差別などを目の当たりにしたことも、その傾向に拍車をかけました。

その後の保育や子育て支援、体のケアの仕事を始め、家族、パートナーとの関係においても、そのテーマにはずっと向き合い続け、自分は偽善者なのか、マゾヒスティックな愛情なのか、たんなるナルシシズムなのか、犠牲者コンプレックスなのか、と何度も何度も、数え切れないくらい検証して、突き詰めた時代もありました。

夢中になってしまい、自分自身の心身の健康を後回しにしてしまう癖はもはや鍛え抜かれた筋肉反射のようなもので、シコリんを授かって人生を生き直しても、やり方を変えようとしても、どんなに理性でコントロールしようとしても、その部分を変えるのは不可能なことに最近気づいて、ションボリと膝を抱えて横になっていじけていました(笑)

 

けれど、この一文は、カウンターパンチでした。何度も何度も、スローモーションで観たいくらいの衝撃の瞬間でした。

そうだったのかー((エコー)かー、かー、かー…)

命やエネルギーを、文字通り 母の乳のように与えるのではなく

自分の喜び、興味、理解、知識、ユーモア、悲しみなど、自分の中に息づいているものあらゆる表現を 与えるのか。

なんたる衝撃。20年前に読んでいたのに(笑)!

何に対しても全力で、手抜きが出来ず、夢中になってやってしまう性分は変えられなくても

愛すること、与えることの 内容を「命」「生命エネルギー」から「息づいているもの」にシフトすることはできるかもしれない。

そうすれば、この絶え間ない全身疲労感、気虚、血虚、腎虚感もきっともう少し和らいで、爽やかで、バランスの取れた日がもう少し増えていくかもしれない(笑)。

希望が湧いてきました。

ありのまま 全くの自然でいることと 全力で愛し与えようとしてしまうところの 中間の、 いい按配 が見つかりそうな予感がしてきました。

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おいのちさんは ご縁の集合体 ご縁さまだったんだ(笑)

 

録画しておいたNHKの「100分で名著」の「維摩経」を観ていて
ハッとしました。

「自分 と言うものは 数知れないご縁の集合体として 今 ここに ある もの」と言うお話。

 

ここでも、何度か登場した、乳がんをきっかけに私が再び出会うことができたおいのちさん。

私が生まれる前から一緒にいて、私を見守り、生かし、私が還っていくところにいる おいのちさん。

おいのちさんって、結局なあに?とよく聞かれて、うーん、感じているけど、言葉にできないなぁと思っていたのですが、ハッと気付きました。

おいのちさんは数え切れないご縁の集合体。

それが たまたま 今 ここに 波の頂点のように 形になったのが私なんだ。

ありがとう!
ありがとう!

嬉しい 嬉しい!

そんな眼で もう一度観ていただけると嬉しいです(๑˃̵ᴗ˂̵)

そして、改めて、私に降りてきたエッセイに素敵な絵をつけ、翻訳し、映像にしてくれた友人達に感謝です。

立春の誓い

5B936F97-54D8-443F-8DAE-299EF7C5CECF土用に弱い私は、一昨日まで黒ゴボウ、ウスバカゲロウ、冬眠中のダンゴムシのような状態でしたが、立春らしい陽気と 親友ご夫妻の励ましで、昨日ようやく、ようやく、ようやく♪生命力が戻ってきました。

(先週の顔色の悪さのピークに仰天していた父上殿、母上殿、ご心配をおかけしました。)

朝起きて、あ、生きてる♪  あ、軽い!と感じたのは久しぶりでした。ああ、生きてるっていいなあ(笑)。

そんな私のこの暗く長かった冬の反省を生かしての

【立春の誓い】

 

私は 当面の間

其の一   “社会の常識”や“流れ”をシャットダウン、浮かんできたら強制終了する

其の二  ポジティブであれ、ネガティブであれ、急かすような声には耳栓する

其の三   お得意の「誰か/何かの役に立つ」という発想・思考を粉砕機にかける

其の四   不安や恐れは宇宙からの「 変化の督促状」だと思って覚悟を決める

其の五   「形にしよう」とする心に ブレーキをかけて 粘り強く 「形にしない」

其の六   心配はアラームをかけて 朝昼晩10分ずつ

其の七    ALOHAと愛が 湧き出てきた時に 出し惜しみなく実行に移す

 

春はもうすぐそこ。

霜でやられた植木も、残りの枝に芽を出そうとしています。

虚実 と がんの 考え方

中医学の考えに、虚証と実証という考え、身体の見方があります。

webや本などがたくさん出ているので、詳しくはそれを見ていただきまして、簡単に、ざっくりと、少々乱暴に言うと 足りない人 と 有り余っている人(笑)。

実際には脈診や舌診、体型や皮膚・髪の状態、触診や問診など、さまざまな観察からその虚実を見立てていくのですが、わたしは立派な脾虚、腎虚の体質です(笑)。

先日、わたしの体を10年以上前から観てくださっている鍼灸医の先生で、70を超えても現役の方から「がんは、虚の体質の人は共存できて、実の人はとったほうがいいと言う記事を読んだのよ。なるほど、と思ったの。だから、つぼみさんはこのまま共存できて天寿を全うできるかもね」というお話をいただきました。

そこで、ハッとしました。

同病だったりんりん、Mさん、そして、ご縁があってお身体をマッサージさせていただいていて天に還られた方々と、私と何が違うのだろうとずっと考えてきたからです。

特に、りんりんやMさんに関しては、乳がんがわかるまでは、わたしと違って病気ひとつしたことがなく、信じられないくらいアクティブで、男顔負けに仕事をこなしてきた女性でした。FD308612-88A8-408D-868E-FD09DAA76D62

彼女たちのガンが進行して、どんどん弱っている時ですら、手当てしているわたしよりも彼女たちの生命力はとても強く、リンパでむくんでパンパンな腕をさすってあげている時ですら、その気血水の流れはわたしよりいいことを感じていたからです。

西洋医学的には「ガンの種類が違ったから」、ということになるのかもしれませんが、東洋医学で見ると、ガンは瘀血、血の汚れが腫瘍となって現れたものです。

同じ汚れなのに、そして、彼女たちのほうが乳がんとしては小さく、歴としても10年くらいかけてガンを育ててきたわたしよりも彼女たちの方が圧倒的に短かったのに。

同じように食事療法も、温熱も心がけてきて、わたしよりもたくさんたくさん調べて、積極的に、全力で、体質改善を試みてきたのに。

なのに、何故、あんなに進行が早かったのだろう。

ガンの人と出会った時に、わたしは何を言ってあげられるのだろう。

どんなアドバイスができるのだろう。

 

ずっと悶々としてきたことへの、一つの見方が示されたような気がしました。

小さい頃から腎臓や胃腸が弱かったわたしは、虚 なので、ガンも 虚、いうならば 虚がん(笑)。

そして、エネルギッシュで、もともと気血水が過剰なくらい巡っている 実 の人のガンは、言うなれば 実がん、それだけ元気だということになります。

わたしが取り組んだことは、食事を変えることと、湯たんぽで毎日冷えたところを寝る前に温めること、そして、身体の緊張をとる活元を身体の気が向いた時にやるだけ。そして、出来るだけ省エネにして、人生を楽しもうと決めただけ。

抗がん剤をしたり、手術をしたりして積極的に戦おう、これも取り組もう、あれもやって戦おう、という体力がなかったとも言えます。90A05DF6-BA90-4E8B-86F2-0EA5CF10BDB4

がんの自然療養や養生法、お手当ては、基本的に体力の弱い人向けのものが多い気がするので、虚の人がぼちぼち、根気強く取り組むのには向いているのかもしれません。

 

 

けれど、もしも、実の人のガンが、実だけに元気で進行が早いならば、まずは今あるがんを取る、そして、有り余る体力を術後の回復に役立てる、そしてそのあと体質改善や生き方改善、それも実の体に合ったものを、きちんと見立てられる先生と相談していく、というのもありなのかもしれない、そんな風に思います。

今ならりんりんに、ミリ単位のうちに手術して取ってしまおうよ、りんりんは実だからさ、その後一緒に体質改善に取り組もう!そんな風に言えるのになぁと、昨日は涙がほろほろとこぼれました。

ガンに関しては、西洋医学だけではなく、東洋医学的な見方、スピリチュアル的な見方、波動や量子レベルの見方、心理学的な見方など、さまざまな見方があり、アプローチがあります。

どれかひとつに凝り固まらず、多角的に自分のガンや、今何をこの病気が自分に伝えようとしているのかを静かに眺めること、そして、その後は軌道修正しながらも、自分に合ったやり方を、信頼できると身体が感じている人に見守ってもらって続けていくことが大切なのではないかと思います。

多角的に自分の身体を見るための一つの情報として、今回の情報も役立てていただければ幸いです☆

 

 

 

大丈夫列車

「大丈夫列車に乗ってるんだから、大丈夫。
今も、ご縁のあるみんなで同じ車内に乗り合わせながら、
大丈夫路線を走ってるんだよ。
行き先は、どこをどう通っても 大丈夫駅。

だからね、この瞬間も、全部、大丈夫なんだよ」

 

先週友人と話しているときにぽろっと出た言葉。

大丈夫列車、という表現がコミカルだったためか、私の話し方が可笑しかったのか、友人は大笑い。
不安について話し合っていたので、その雰囲気が笑いに変わりました。

 

以来「大丈夫列車」

マイブームです(笑)。

 

世の中は怖いところで、悲しいことや苦しいことがたくさん。

不安要素に満ちた海で、泳ぎ続けないと死んでしまう修行の場。

30代の前半まではそんな世界を生きていた気がします。

 

激動の30代半ばから42歳までの旅。

42歳でシコリンという大きなギフトをもらい、ようやく見えてきた、新しい風景、新しい感覚。そして、どこかで知っていたような、懐かしい感覚。

 

それは、誰もが、大きな大きな、「大丈夫列車」に乗っているということ。

車内で様々なドラマや感情、気づきや学びを体験しながら、でも大枠では、全員が大丈夫列車に乗っていて、例え路線変更したとしてもそこも大丈夫路線。

万が一脱線しても、自動的に大丈夫駅に向かう、柔軟性の極めて高い(ある意味行き先は変わらないので柔軟と言えるかわからないけれど(笑))大丈夫列車。

車内でのドラマや出来事がどんなに騒々しく、ドラマチックで、さまざまな波乱があろうとも、列車は呑気に大丈夫駅に向かって悠々と走っています。銀河鉄道999のように、見えない宇宙の路線の上を、ちょっと呑気にゆったりと。

だから
今も、この瞬間も

私も、あなたも、大丈夫。

ゆったり呼吸をして、車窓を楽しむのも一興であります。

 

 

ありがとう おやすみなさい また明日

IMG_7590いのちの不思議に触れる喜びを体験した1日。

たくさんの人たちの笑顔が見られた1日。

この道で良かったんだなと確認できるような 嬉しい出逢いと 対話。

 

1日の終わりには

イベントのお土産の美味しい野菜寿司とお味噌汁。

暖かいお風呂と心地よい部屋。

はなちゃんのスヤスヤの寝息。

綺麗な綺麗な三日月。

大好きなソフトジャズを流しながら

目を瞑って気持ち良く活元していたら

生きてるのが嬉しくて嬉しくて

笑いがこみ上げてきました。

私を生かしてくれる全てに
ありがとう。

私につながる全てに ありがとう。

おやすみなさい。

また明日。

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自由

IMG_7548自分を 人を 世の中を

出来るだけ 出来るだけ
まっさらに観られるように
そしてalohaな心で愛せるように

自分のストーリーからも
自分の掴んでいる信念からも
自分の恐怖や不安からも
まぼろしの「世間」から取り入れた価値観からも
神話、宗教、信条からも
どんな高いと言われるスピリチュアルな教えからも

過去と言うまぼろしからも
未来と言う幻想からも

自由でいたいと心から思いました。

大事なのは
今 この時 ありのままの自分 目の前の大切な人。

向かい合って微笑むおいのちさんとおいのちさん。

そこに柔らか焦点を当てている時だけ
alohaのエネルギーが流れ込ん
本当のことが分かるということが、ようやくわかりかけてきました。

もっともっと
alohaに ありのままに
自分と 目の前のおいのちさんを
愛せるといいなと心から思います。

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初めて知った 感情との付き合い方

IMG_7541先日ご紹介した、末期ガンで臨死体験をして、その後奇跡の治癒を体験したアニータさんの2冊目の本を読み終わりました。

こんな特異な体験をして、しかも、人類の多くが到達しようと努力している領域に足を踏み入れたにもかかわらず、いえ、それだからこそ?、アニータさんはどこまでも謙虚で、とても普通に葛藤し、悩み、向こうでの経験とこの現実を生きることのギャップについての戸惑いを、とても正直にシェアしてくれています。

世界中の人の期待に応えなくては、と再び以前より巨大な葛藤を抱えることになった自分、再発の恐怖をささやかれ思わず漢方の権威に再び自分を委ねようとしてしまう自分、自分に正直であろうとした結果人を失望させてしまい落ち込む自分を、そのままシェアしてくれています。

ああ、なんて正直で、まっすぐで、美しい魂だろうと思わず一緒に泣き笑いしてしまうような本です。

 

私もアニータさんほどの強烈な体験ではないのですが、おいのちさん が私を生かしていることに気づくような体験をして、おいのちさん という物語も降りてきて、色々と見えて来たことがたくさんあるのに、日々葛藤し、七転八倒しては、その心のチリをよいしょ、と払い直しての繰り返しの毎日なので、自分ごとのように共感します。

全てが愛でしかない世界を体験して来たアニータさんだからこそ、一見ネガティブに思えるような全ての感情も、エゴも、大切に扱うことが大事だと言います。

全てが愛の光だとして、感情はその光を個々人というプリズムを通して生まれる7色の色のようなもので、どの色が欠けても光として不十分だというのです。

またエゴは自分と他者を分けて自分というものを味わうためにあるものだから、それも抑圧する必要は全くなくて、ただ、それを無批判に愛すればいいと言います。

私の中にも、できるだけ感情を抑え、エゴを抑えようとするプログラムが根強く根付いています。(それは一人でいる時でさえも発動します)
悲しいことがあってもなるべく理性的に対処して穏やかでいようとするところがあります。

平和主義だとよく言われますが、ただ、そのプログラミングが脳全体に巧みに行き渡っているのだと自分では感じています。

でも、最近の自分の状況とアニータさんのメッセージがシンクロして、悲しい時は泣いてもいいんだということを学びました。
IMG_7542ただ、ただ、泣いたらいいし、怒ったらいいし、しょげたらいいのだと分かりました。

その代わり、そこに余計なものが混じって来た時には、NONと言うことが必要なのだと学びました。

それは、

自己批判や他者批判、出来事への批判や否定。
過去の掘り返しや、未来への杞憂。
各種妄想、幻想。

これらが入って来た時だけは、それは私には必要ないんだ、今はただ泣きたいので放っておいてね、と入室をきっぱり拒否する。

それができれば、涙が出る時はそのままその感情が通り過ぎるまで泣いてOKなんだということ、そして、それが自分の心身魂を癒すということが、初めて体験的に分かりました。

そんなことをまた一つ学びながら、自分を、そして自分に繋がる他者を、無条件に愛するための今日を、自分に正直に、感情に正直に生きたいと思います。