自由

IMG_7548自分を 人を 世の中を

出来るだけ 出来るだけ
まっさらに観られるように
そしてalohaな心で愛せるように

自分のストーリーからも
自分の掴んでいる信念からも
自分の恐怖や不安からも
まぼろしの「世間」から取り入れた価値観からも
神話、宗教、信条からも
どんな高いと言われるスピリチュアルな教えからも

過去と言うまぼろしからも
未来と言う幻想からも

自由でいたいと心から思いました。

大事なのは
今 この時 ありのままの自分 目の前の大切な人。

向かい合って微笑むおいのちさんとおいのちさん。

そこに柔らか焦点を当てている時だけ
alohaのエネルギーが流れ込ん
本当のことが分かるということが、ようやくわかりかけてきました。

もっともっと
alohaに ありのままに
自分と 目の前のおいのちさんを
愛せるといいなと心から思います。

IMG_7550

 

繋がりました

IMG_7532親鸞聖人のこんな言葉があります。

「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとえに親鸞一人がためなり」
(長い年月阿弥陀仏が考え抜かれ、立てられた本願をよく考えてみると、それが全く親鸞一人を救わんがための本願であった)

よく読むととってもオメデタイの極地で(笑)、これぞ南無(お任せします)の境地、さすが親鸞聖人だと唸らせられる言葉です。

大好きなミヒャエル=エンデの「モモ」にも、時間の殿堂に連れてこられたモモが、全ての惑星や星々が自分一人に語りかけてきているのに気づき、その壮大さに打たれるシーンがあります。

この出会いは、この言葉は、私に届けられるために宇宙にずっと前から用意されていたものなのだと思わせられることが、時たま起こりEpiphanyを感じることがあります。

この『喜びから人生を生きる』という本もその一つで、作者のアニータさんの個人の体験を通して、まるで宇宙が私個人に直接話しかけているような感覚に陥る本でした。

香港のインド人社会で育ったアニータさんは、イギリス人の通う学校に入学した為何年もいじめられ、かといってインド人社会の慣習にも馴染めず、自分を抑圧し制限して生きているうちに、リンパ癌にかかります。(私も香港で育ち、イギリスで思春期を迎えいじめにもあっているので余計に重なりました)

様々な代替医療を3年試すも、努力虚しく彼女は悪化の一途を辿り、ついに病院に運び込まれた彼女に医者が死亡診断書を書き始めます。アニータさんは戦いに疲れ果て、全てを手放し向こうの世界に移行しかけます。

彼女が踏み入れた世界は、愛しか存在しない世界でした。そこで彼女は、全ての真実を瞬時に理解します。

そして、こんな言葉が彼女の中にうかんできます。

「自分の歩んできた道のりを見てみなさい。
どうして自分にあんなに厳しかったんだろう?
どうして自分を責めてばかりいたのだろう?
なぜ自分を見捨ててしまったの?
どうして自分のために立ち上がって、自分の魂の美しさをみんなに示そうとしなかったんだろう。」

「どうしてありのままの自分でいる許可をいつも他人に求めていたんだろう?
なぜ自分の美しい心に従って、自分の真実を語ろうとしなかったんだろうか?」

そして、彼女は「私が抱いた多くの恐れや私の持つ偉大な力が、この病気となって現れてきた」ことに気づくのです。

IMG_7531そこで体験した圧倒的な愛の世界やワンネスの体験を、この地球でもう一度体現する為に、彼女はもう一度ぼろぼろの肉体に戻ることを決意します。
そして、意識が戻ってからほぼ3日で、奇跡の回復をとげて全ての癌が残らず消えてしまい医者たちを驚愕させるのです。

現在アニータさんはこの体験をどう現実社会に生かして生きて行くのかを模索しながら日々を生き、その葛藤や気づきを世界中の人々とシェアしています。

彼女の本に綴られた言葉は本当にニュートラルな言葉ばかりで、どれも宇宙から私に向けた音楽のように聴こえて心の響くのですが、特に下記の言葉は何度読み返しても新鮮で、ハッとさせられます。

「これまで持っていた教えや信条は完全に消えていました。この状態が、私の身体の“修復”を許したのです。言い換えれば、私の癒しに必要なのは、信念を捨てることでした」

「自分の生命が望むような人間になることを許した時、私たちは最も強力です。ですから、私の意識的な行動が完全にストップし、生命力が支配した時、ヒーリングが起こりました。言い換えれば、生命に対抗せず、生命と協力している時、一番強力になれるのです」

宗派は違いますが、禅宗の道元禅師のこんな言葉が浮かびます。

「この生死は、すなはち 仏の御いのちなり…ただ我が身をも心をも はなちわすれて、仏のいへになげいれて、仏のかたよりおこなわれて、これにしたがひもていくとき、ちからもいれず、こころをもついやさずして、生死をはなれ、仏となる」
(アニータさんの言葉風に訳すと、「私たちは愛の一部です。自分をそのエネルギーにゆだねきって、努力したり、意識的な行動をやめた時、生死を恐れて生きる心を離れて強力な力をもった愛の存在になるのです」)

おいのちさん 親鸞聖人、道元禅師、モモ、アニータさん

全てが私ににっこり微笑みながら、おなじ方向を指さしています。そして
私の全てにまるごとOKを出してくれています。

私がすることは、全幅の信頼を持って、宇宙=愛=仏の家=おいのちさんのふるさと に自分を投げ入れて、私と言う個性を、自然に生きるだけ。
自分の魂の美しさ、ありのままの私を認め、育み、大切に育てるだけ。

IMG_7502全てがつながっているので、私がその世界に身をゆだね切った時、私のいのちの持つ偉大な力と繋がり、それが私を流れるのを許した時…
私の愛する全てのOHANAも癒され、その本来の美しさを生きることができる…そう思うと、自分のためだけよりも、愛する人たちのことを想うと俄然やる気が出て来るつぼみ的には(笑)、よーし!と力がこんこんと湧き上がって来るのを感じます。

ちょっぴり辛口の、大好きなOHANAもこの本はGOOD!と絶賛?していた『喜びから人生を生きる』(アニータ=ムアジャーニ ナチュラルスピリット社)。

ピンときたら手にとってみてください。

 

 

祈り

IMG_6953私のインスタの拙い料理を見て九州から訪ねてきてくれ、以来仲良くなった同病のMさんの体調が、山場を迎えています。

ウィークリーマンションを借りて東京で代替医療を受けているMさんは、20代で乳がんと分かり、一通りの医療を全部受け、8年経ちもう大丈夫だと思った矢先に再発。

医学的には末期の診断を受けていますが、食事や代替医療などできる全てに、持ち前の明るさで取り組み、今、正念場です。

お見舞いに通う中で観るMさんの身体は、脈拍は早いけれどしっかり一息四脈。
腎臓の腫れは徐々に取れて、肝臓がフル稼働で頑張っています。
硬結も出ていないし、背骨も気が通ります。

 

痛みと怠さから気力が負けそうになるのを堪え堪え、毎日頑張っています。

Mさんの身体は生きる方向に向かっています。

Mさんも生きたい、生きようとしています。

あとはMさんのおいのちさんの流れを全幅で信頼する。

私に出来ることは、Mさんの身体の声に耳を澄ませて愉気すること。

痛みと怠さに埋もれながらも、命がけで生きようとしているMさんが伸ばした手を、alohaを込めてそっと握り返すこと。

それ以上でも、それ以下でもなく、静かにalohaに寄り添う時間。

Mさんは、もう一人の私。

今夜も静かに祈ります。

 

自分を本当に満たすもの

IMG_0155シコリんこと乳がんをメッセンジャー、ナビゲーターにして、食事による体質改善とお風呂やハーブサウナによる温熱、そして、生き方、心の持ち方を変えて、alohaを学び、自己信頼を取り戻して来た私の旅ですが、最近、振り返る度にびっくりすることがあります。

それは、食べることとの向き合い方の変化です。

幼少期はどちらかと言うと食が細く、食べすぎたりするとしょっ中口角炎になっていたくらいでしたが、長く過ごした海外から日本に帰国してからは、口角炎をものともせず(笑)どんどん大食漢になっていきました。

大学生の時には、お昼にはざる蕎麦2枚にカツ丼、さらに、おやつ、夜ご飯、夜食…とにかく疲れると何かしら口にしていました。

まるで飢えた子供のように、胃下垂で太らないのをいいことに、所謂暴飲暴食を繰り返していました。

食べることとお酒を飲むことが地球での唯一の娯楽で楽しみ♪…と豪語していて、その質も、量も、なぜそんなに食べても満ち足りないのかを改めて考えることもなく…。本当に顔が赤くなり、また青ざめます。

そして、胸に降臨したシコリんが乳がんと分かってから食事療法で向き合うと決めたものの、粗食で野菜中心にすることに、私の中のインナーチャイルドは地団駄を踏んで、号泣しながら抵抗し続けていました。

そんな抵抗をなだめるために、ほら、野菜でも、こんな風に調理して盛りつければ、こんなに美味しいでしょう?満足できるでしょう?どうかな?気に入ったでしょう。

母親や保育士が、気難しい、頑固な子どもを養育するように、根気強く作り続け、いつしかそれがライフワークのようになっていきました。IMG_0012

一年と数ヶ月経ち、同病のりんりんを見送り、不完全な自分をありのままに許し、おいのちさんと出会った夏以降…
自分自身の中で何かが変わり始め、お腹を空かせたインナーチャイルドが顔を出すことがなくなった頃から、野菜中心、腹8分目、1日平均1.5食、そして所謂嗜好品はオハナと出かけた時に一口舌の上で反芻しながら味わう(*´꒳`*)、で満足できるようになりました。

IMG_0684畑や農的生き方に共鳴していたので、若い頃はベジタリアンやマクロビ、断食に挑戦したことも何度もありましたが、あくまでコンセプチュアルな試みで終わり、本当の意味で食や食べるという行為そのものに向き合ったのは、きっとこれが初めての機会でした。

そして、今は、空腹感がありお腹がグーっと鳴ることの快感、鳴ってから質のいいもの、自分で作ったものをいただくことの至福を味わうことができるようになっています。

振り返ると、日本に帰って来てからの慌ただしく追い立てられる毎日、人の期待に応え続け、この社会に適応しなくてはいけないのだと言い聞かせ続けた高校・大学時代…

保育士やロミロミなど、対人援助と呼ばれるしごとについて、自分は後回し後回しで転がり続けて来た20年間…

私の魂はオーセンティックなもの、本物に飢えに飢えいて、その代替品として食べることに走っていたことがよく分かります。

オーセンティックなもの、本物とは何かと言えば、それは私自身。

おいのちさんと言う、私を生かしている大きな力。

その力を借りて、静かに流れ続けているいのちの調べやリズム。

そのリズムに耳を傾けて、自分の個性や感受性に嘘をつかずに生きること。

その実験をするために、それを楽しむためにここにいる わたくし。IMG_0010

そんなことに少しずつ気づき、それが本物の私なんだと言う確信を1ミリずつ、1ミリずつ深めていき、赤ちゃんの時のような自己信頼を取り戻していくプロセスと、暴飲暴食の量が反比例したことは、本当に興味深いなと思います。

こうして自己信頼を回復してきた私、癒すべきものが少しずつ癒されてきた私のスピリットが、おいのちさんとともにどこに向かうのか、どんなくらしをしていくのか…楽しみになってまいりました。

検査結果とおいのちさんと

IMG_0075病院での検査や治療などを受けずに、自分の感覚を頼りに身体と向き合うこの2年半でしたが、この方向で合っているかどうかの客観的指標だけはもってね、というオハナとの約束で、半年に一度くらいのペースで自宅でできる血液検査や健康診断センターのオプションなどを使って、腫瘍マーカーで定点観測してきています。

これまでの経過は下記の通りです。

◎CEA
(大腸がん、肺がん、乳がん、肝臓がん、甲状腺がん
子宮がん、卵巣がんなど。5以下が基準値。2倍異常だとがんの可能性、4倍以上だと転移がんが疑われる)

2016.3:21.9
2016.5:46.8
2016.7:79.1
2017.1 :46

◎CA15-3
(乳がん、子宮がん、卵巣がん、すい臓がんなど。27以下が基準値)
2016.5 : 25.6
2017.1 : 60.1

まあまあ高い数値でしたが、合わせて白血球や肝臓の数値も見てきてこちらは驚くほどいい数値になってきていたので、総合的に、このままでオーケーだと判断していました。

そして、先週届いたCEAの結果は  3.5。

あまりの低さに、私の結果ではないのでは?と思ってしまうほどで、このところは治る治らないをあまり意識しないで生きていたので、えーーー、嘘ーーーーっと戸惑ってしまいました(笑)。

体重は相変わらずの162センチ42キロ、体力が有り余る方ではないけれど、体内が綺麗に整って来ているのを感じていたので、一人で歩いて来た森の中で「こちらの方向でいいよ」と、矢印の標識に出会ったような気持ちでした。

結果を受けてオハナと話をして、これを機に一度CTスキャンだけでも受けてみようかということになり、最初は自費で検査だけを受けるつもりでしたが、父の友人経由でなぜか今回はとんとんと話が進み、マンモグラフィーや細胞診なし、手術や化学治療をしないという条件を飲んでくださり、CTとCA15ー3の血液検査、エコーだけしてくれる病院とお医者様が見つかりました。

あんなに、検査をして一緒に見てくださる先生を探すのに苦労していたのが嘘ようなトントン拍子ぶりでした(笑)。近いうちに受診して来ます。

そして、びっくりの検査結果から1週間経って色々な感情や気持ちの揺れがおさまり、気持ちもとっても落ち着いてきました。

もちろん、数値が改善したり、がんが縮小している可能性が出て来たり、自分が想定しているよりも地上での時間が長いかもしれない=もっとやれることがあるかもしれないということは、感情的には嬉しいこと。

けれど、実は数値やこのしこりががんであるかどうかは、おいのちさんの前では全く関係ない、意味を持たないことだということ。

今まで通り、おいのちさんが微笑む くらしや生き方、考え方を1つ1つ地道に選択しながら、1日1日をいきていくことには全く変わりはないこと。

それが整理できて、なんだかとても、ホッとしたところに座ることができました。

数値や目に見えることにフォーカスしている時には、ざわざわしてしまったりソワソワしてしまう気持ちも、そうと分かると、なんだかとても安心して、おいのちさんと一緒にふかふかの座布団の上で温かいお茶を飲んでいる心持ちになるのがとても不思議です。

意識の世界や目に見える世界では前に向かって、もしくはどこかに向かって一歩一歩旅をしているのだけれど、おいのちさんの前には、時間も出来事も、喜怒哀楽もふーっと静かに消え去って、ただそこにいるおいのちさんに、にっこりalohaに微笑み返すだけ…

 

この感覚に戻ると、どうしてこんなにゆったりと、にっこりと落ち着くんでしょう。

IMG_0001
おいのちさんの物語の 素敵なイラスト

おりしも、様々な方の無償のご協力により、おいのちさんのWEB絵本や、手作り絵本の製作がもう少しで完成するタイミング。

おいのちさんの物語が手に降りて来て1年。

私が生まれる前から、きっとずっと一緒にいて、そしてこれからも、星の彼方まで旅を一緒にしていくおいのちさんと 微笑みながら一緒にいる今を 味わいながら、大切にしながら、毎日を楽しく、面白がって生きていけたらなと改めて思う夏です。

「謎床」だったんだ…

IMG_0250このところ、夏痩せ解消のためと称して少し食べ過ぎたためか、夏の疲れか、はたまた 私には計り知れない シコリんの都合なのかわかりませんが、縮小傾向にあったシコリんの右端が、ぽぽん と大きなナメコ大に成長しました。

それを機に、自問自答、答えのない禅問答のような問題、私の趣味の一つでさえある、一人フォーラムが始まりました(笑)。

そもそも論で、一体全体、このシコリんこと 乳がんがいなくなって欲しいのか、そうでないのか。

治る、回復する、シコリンのいらない身体を直線的に作り上げる、再構築することが目的でゴールなのか。

果たしてそうしたいのか、そうすべきなのか。

私の頭がおかしいのかもしれませんが、実はそこが乳がんだと言われてからの私の大きな答えの出ないテーマで、同病の友人たちを間近で見送ってきて、その苦痛を目の当たりにしてきてもなお、その問いは私の中に根強くあり続けているのです。

私を陰日向にサポートしてくれている両親、愛するオハナたちのことや想いを考えると、直線的にかつ速やかに、ガン完治!と言うグランドスラムに向けてひた走らなくては行けないのだと自分に言い聞せるも、子供の頃からのテーマである 「死」と言う問いと添い寝しながらのゾクゾクする長い夜を過ごしても、私の中の一人フォーラムには決着がつかないままでいます。

そんな中、一冊の本に出会いました。

編集工学の第一人者で知の巨人とも言われる松岡正剛さんと、IT界の異才と呼ばれるドミニク・チェンさんの対談をまとめた『謎床』。

image

青天井の知識量とずば抜けた思考力を誇るお二人の対談は、ITの現状と未来についてから、ぬか床の話から、アニメから宗教の役割まで多岐に及ぶもので、ヒントと謎かけが詰まったワクワクするおもちゃ箱のようで、開けると手作り酵母サイダーのフタのようにしゅぽーん!しゅわしゅわーっと(笑)、美味しい飲み頃の刺激的な本でした。

この対談中にがんの再発が分かったという松岡さんの想いなどが短くもシンプルに語られているのですが、読み終えてふと、私の一人フォーラムがシーンと静まり返り、あることがすーっと腑に落ちました。

あ、そうか。

シコリンこと、この左胸の乳がんは、まさに私の謎床なんだ。

松岡さんの言葉を借りると「この自らの体内の異物性を思想や社会学や生命哲学としても語っていく」(『謎床』松尾正剛、ドミニク・チェン(晶文社)より)作業。(そんな大それた、知的な作業からは程遠いとしても(汗))。

シコリんと言う一筋縄ではいかない、複雑系の、いのちの世界からの、私へのメッセージであり、にこやかなる挑戦状。

私と言う小宇宙(おいのちさん時間がたゆたう)の中にある「いのち×感受性のうねり」のようなものを、漬け込んで発酵させて美味しくしていく、ぬか床のような役割をする謎床が、シコリンなんだ。

シコリんはついに、謎床と言う、怪しく美味しくうごめきながら体内に内包される 愛しき異物殿 と言う肩書きを戴き、この先「あ、いつの間にかシコリんがいない!どこだ!」と私が慌てふためいて探すような日が来るまで、きっと私を、私の中の小宇宙を、発酵させてくれることでしょう。

そんな気がして、台風前夜の今日のような肝どんどん(沖縄の方言で 胸がドキドキ騒ぐこと)の風が、胸の中を吹きぬけている午後でした。

おいのちさんの 物語

昨年のある夏の日に、私の手にふわりと降りて来た物語。私と、シコリんと、いのちの物語です。

同じ病気の人やそのご家族、娘さんのいるお父さんやお母さん、いのちの現場にいる人の心に、おいのちさんの優しい声が届きますように…(^人^)

………………

おいのちさん

おいのちさんはお母さんのお腹の中にいる時から、もしかしたら、そのきっとずっと前から 女の子と一緒にいました。

おいのちさんは 女の子のお乳に吸い付く力 寝返りする力、はいはいする力 立つ力を助け ひとつひとつ真っ赤な顔をして
がんばる女の子をニコニコ見ていました。

ある日女の子は「わたし」にであいました。

いたずらをして怒られたり、手に取りたいものを見つけたり、だれかのよろこぶ顔や 悲しむ顔を見るたびに「わたし」はどんどん成長していきました。

「わたし」は冒険好きでちょっぴり欲張り。
時々臆病で、うまくいかないとすぐにしょげたり泣いたり。
でもうまくいくと手を叩いて大喜び。そんな「わたし」の成長をおいのちさんはいつもニコニコみていました。

ある日「わたし」は、とてもとても大きくふくらみました。

だれかにぴかぴかのバッチをもらったり、バッテン印をもらったりするたびに、お友達や他のひとと比べるたびに、新しい世界や人々にであうたびに、カエルのお腹のように、ぐんぐん大きくなっていきました。
もう少し大きくなり、少し女の子らしくおすましになってくる頃には、「わたし」のいきおいは絶好調!冒険や失敗、男の子たちとのけんかや女の子との遊びを通して、「わたし」は世界に船出していきました。

そして
「わたし」は恋をしました。ふくらむ一方、大きくなる一方だった「わたし」は、時にしぼんだり、硬くなったり、ふんわか柔らかくなったり、生き物のように形や色を変えました。
そんな「わたし」を おいのちさんは目を細めながら 満足そうにニコニコとみつめていました。

そんな「わたし」にも、人生はさまざまな波を用意していました。大小の波に翻弄され、時に傷つき、苦しみの中で ある日「わたし」はふとしたことから「あきらめ」という花の種を手に入れました。

この種は、悲しみやさみしさ、「わたし」の思いとおりにならないことにであうたびに、「わたし」と「おいのちさん」の間に、静かにひたひたと広がり、気づかぬうちに一面に花を咲かせていきました。

とうとう、おいのちさんと「わたし」はすっかり覆いつくされてしまいました。

おいのちさんは「わたし」に一生懸命呼びかけました。

「ここですよ」「ここにいますよ」

けれど「あきらめ」の花にうもれてしまった「わたし」の耳に、その静かで穏やかな声はとどきません。

「わたし」が口を開こうとしても花が口に中に入ってきて、声がでません。
最後の力をふりしぼって女の子は叫びました。「おいのちさん、たすけて」。

おいのちさんは考えました。

生まれる前からずっとずっと見守ってきた女の子。愛くるしい赤ちゃんの時からずっと一緒にいた女の子と手をつなぐにはどうしたらいいのでしょう。
おいのちさんは ののさまにお願いしました。

すると、ある晩、おいのちさんの願いにこたえて、ののさまは「わたし」のハートの上に おいのちさんの声の入ったしゃぼんだまの粒をそっとおさめました。

「わたし」がその粒に気づいて触れるたびに、しゃぼんだまがはじけておいのちさんの声がきこえる ののさま特製のしゃぼんだまです。

「わたし」が一つ一つ、しゃぼんだまに優しく触れると「ここですよ」「ここですよ」とおいのちさんの声が聞こえました。その声を一生懸命辿って「わたし」が歩みを進めていくと、不思議なことに次々に花たちが消えていきました。
まるで誰かが優しい手でふれているかのように、静かに、一つ、また一つ、花たちは消えていったのです。

ついに、おいのちさんと「わたし」は広い野原で であうことができました。

「おいのちさん はじめまして。ようやく出会えました」

ぽろぽろ涙をながす「わたし」を、おいのちさんも心からほっとした笑顔でにこにこみつめています。

ふたりが手をとりあって 周りを見渡すと たくさんのおいのちさんたちが
まるで銀河の天の川ように そこここに あちこちに 光り輝いているのが見えました。

これからも、おいのちさんと「わたし」はずっといっしょ。
今までより もっと寄り添って 次も その次も 星のかなたまで旅をしながら・・・。

おいのちさんに 身心脱落(o^^o)

IMG_5676.JPG「身心脱落 」という言葉があります。

私がこの言葉に出逢ったのは、私が自分の内側を探そうとして自分の外側をさまよっていた30代の頃。葉山を拠点に活動されている藤田一照禅師の坐禅会で只管打坐についての講義を頂いた時にこの「身心脱落」という言葉を知りました。

身心脱落とは

「ただわが身も心もはなちわすれ、ほとけのいへになげいれて、ほとけのかたから行はれて、これにしたがひゆくとき、ちからもいれず、こころもつひやさずして、生死を離れ仏となる」

という道元さんの言葉がその真意を言い表していますが、忘我の境地であり、三昧であり、只管打坐(ひたすらに、なりきって坐る)そのものの極意とされています。

ただただ、仏の世界に身も心も自分を投げ入れて、仏の世界の方から何かしらが働きかけてくるのを待って、それについていく時、力まず、疲れることもなく、生も死も超えた境地に達する…。

とても到達不可能な難しいことのように聞こえるこの世界に、コンセプチュアルに憧れていた時期があり、暗黒舞踏の流れを組む舞踏を始めてみたり、坐禅をしてみたり、活元をしたりとジタバタと追い求めて来た30代後半でした。

先日なぜか、ふと道元さんの言葉の「仏」を、おいのちさん に置き換えて呟いてみました。

そして、ああ!そうか…と腑に落ちました。

「ただわが身も心もはなちわすれ

おいのちさんのいへになげいれて

おいのちさんのかたから行はれて

これにしたがひゆくとき

ちからもいれず

こころもつひやさずして

生死を離れた いのちとなる」

悟りの境地にいたるのかどうかは別として、おいのちさんが私のいのちの流れをいつもあるべき在り様にしてくれていること。

私がいのちの勢い、流れを塞きとめるようなことや思考、行動、計らい、ジタバタさえしなければ、いのちはそのまんまの勢い、そのまんまの流れで淀みなく流れていくこと。

がんや病気があっても、それは同じ。

がんや病気はおいのちさんの大きな流れに戻るための橋で、その橋を渡るために必要なのは、力みも、計らいも、余計な働きかけもせず、周りとのご縁を大切にしながらただ歩むこと。

道元さんの言葉と重なり、すーっと身に染みました。

在家で仏道修行など何もしていない私のこんな理解を読むと、違うぞーと言う声が各方面から聞こえそうですが(^_^;)、でも、今の私には、この世界が何よりリアルで、無理がなく自然なもので、日常の小さなことを喜びながら生きられる魔法です。

ちっちに出逢えた!ちっちが笑った(๑˃̵ᴗ˂̵)

ちっち は、私の中にいる、自由闊達でちょっとだけ風変わりで、でも、そんな自分の感受性に正直に生きたがっていた小さな女の子です。

以前も書きましたが、そんなちっちを、世間や社会の物差しで計り、扉の向こうに閉じ込めて優等生のふりをして大人になった私は、シコリんこと乳がんを通してようやくそのちっちと再会できました。

ちっちの名前の由来は、オハナのYさんの長女の ちっち から来ています。

3人の子供の素敵な素敵お母さんであり、暖かく聡明な女性であるYさんの長女 ちっちは、やはりちょっと風変わりで自由な感受性を持ち、それに正直に生きている愛らしい女の子です。

そのちっちがまだ幼かった頃、Yさんからその行動をどう見守っていいのか、相談を受けたことがありました。

プールの列で先生の話を聞いていられず一人で潜っていたり、出て来たかと思うと口いっぱいに溜めたお水を魚のようにピューっと得意げに吐き出したり。
集中する時は驚くほどの集中を見せるのに、散漫な時は(もしくは過集中している時は)全く周りが目に入っていない行動を取り周りの度肝を抜くことも、明日の時間割など全く気にせず、今日、今を生きていることも。手わすらも、落ち着きのなさも、聞けばきくほどそっくり!

注意されても、本人は、きょとん。こんなに一生懸命自分を生きているのになんで?と涙をためて見つめ返してくるところも…。

ちっちを可愛がりつつも、その個性をどう見守っていいか戸惑うYさんに、私自身の子ども時代の数々の武勇伝を伝えたのを覚えています。

Yさんは私とちっちの共通点にゲラゲラ笑い、良かった、このままのちっちをしばらく見守ってみるね、と笑顔で帰られたのが昨日のことのように思い出されます。

その後自分の少女時代と再会した時、その時のことを思い出し、私はその子にちっちと名前をつけました。

そして昨日、そのYさんが久しぶりにサロンに訪ねて来てくれました♪

相変わらずの柔らかい笑顔のYさんに再会できて、五年生になったちっちの近況と写真を拝見して、わぁい!と私の中のちっちが喜びの声をあげました。

私のイメージした、ちっちがちっちのまま大きくなった五年生のちっちがそこにいました☆

そして、こんなメールをいただきました。

…………
旅行に行っても、釣り堀で釣りがしたいと一人で釣り。
クリスマスプレゼントは、さんざん悩んだあげく、レゴ。
そして、毎日、組み替える。
ずいぶん、お姉さんになったけれど、根本は変わってなくて(笑)、でも、そんなちっちが私は、大好きです。
ちっちを丸ごと受けとめられるようになったのは、つぼみさんのおかげだと、今でも思っています😊
ありがとう💖

………

私自身は自分の子どもにはご縁がなかったけれど、私が生きてきたことで小さな小さな綿毛が飛んで、ちっちと言う素敵な女の子と、その素敵なお母さんに届いて、そのちっちがきっとまたお母さんになって…それだけで、生まれて来て良かったな、と本当に嬉しくなりました(๑˃̵ᴗ˂̵)

私の中のちっちも、おいのちさんもニコニコ。天からのプレゼントを受け取れた1日でした。

ちっち、Yさん、そのまんまのお二人に、そのまんま、ありがとう!

新人類?的 人生観?

img_5571今の時代は、新しい人類の時代を迎えていると言えるそうです。

自然の摂理の中では生まれることがなかった命が、遺伝子工学や様々な科学の力でこの世に生まれることができる…それは、生物の長い歴史の中でおそらく初めてで、私達が考えている以上にもの凄いことなのだといいます。

遺伝子工学ほどの大きなことではないけれど、私も、なんども辛い流産を繰り返して、それでももう1人産みたいと願ってくれた母に、お医者さんが流産止めとして処方した黄体ホルモンのおかげで(世界では多くが使用禁止になっているけれど、日本では当時はそれが最先端でした)、ようやくこの世に生を受けました。

そのことを昨年母に聞いて、心がとても落ち着きました。母はそのせいで私が病弱で乳がんになるきっかけにつながってしまったのではないかと思い患っていたようですが、私の反応は「なかったはずの生、なかったはずの人生を体験してるってことだな、これはすごいことかも(o^^o)。私も謂わば、新しい人類なんだ」でした(笑)。

と、同時に「スーパー原点」に立てた気がしました。

多くの人は、もの心ついたらいつの間にか生まれていて、その生を自分のものとして、当然の権利のように感じて生きているのがデフォルトだと思います。

だからこそ、病気になったりするとその当然の権利が奪われたように感じて怒りや悲しみが湧いて来たりします。また、自分自身や人生に、生きていること以上の大いなる期待をかけては失望してを繰り返し、常に常に走り続けることになるのかもしれません。

でも、科学の力を借りて、生まれるはずがなかったところを生まれてきて、この世を体験しに来てる…と思ったら、それ以上の期待がなくなり本当に気楽になります。

そのまんまの私で世の中を面白がって体験出来る私でさえあれば、おいのちさんも大満足!

シコリんこと乳がんも、仏様からお預かりして生まれた体験学習プログラムの一つ。それがベストタイミングで始動しただけ…そう思っています。

生命倫理、科学の力を借りて生まれるいのちの行く先やその賛否を論じることは私には到底できないけれど、少なくとも私は、その当時のお医者さんの処方も科学の力も、その中で私が生まれたこともまた、仏様の大きな計らいの一つだなと感じています。

その生の中で、何を為すか、ではなくて、逆に気負わず、力まず、計らわずどれだけ大きな安心の中で生きるか。そして、ほんの少しの欲(私の大好きなオハナの口癖で、達観気味の私への素敵な提案です)を楽しみながら生きたら、大合格、な気がします。

今日も、そんな1日が始まりました^_^