自分自身の弁護団 応援団

乳がんとわかってから、どんなことがあっても折れずに来た3年でしたが、プライベートや母の介助などでよろけてきていた頃に訪れた、最愛のはなとの突然のお別れ。

今回はこのダメージを受け止めきれず、心身が面白いように崩壊していっています。

お客様の身体のケアをする仕事なので、この状態では…と友人に代わりをお願いして自分は仕事をほとんど全てキャンセルさせてもらうことに。

今まで自己都合で仕事をキャンセルしたことはなく、それが誇りでもあったのですが、今回は痩せていく心身と崩れていく自己をどうにもコントロールできませんでした。

これが自分だと信じていたもの、価値観、在り方、なにもかも…。

心身喪失して記憶が飛んでしまったり、考えをまったく系統だてて考えられなくなったり、支離滅裂なことを口にしたり、衝動的に走り出してしまったり…。

ああ、人はふとしたきっかけでこんな風にここまで壊れてしまい、這い上がれない時があるんだ、そう思いました。

せっかく小さくなったシコリンも、あっという間に大きくなり、体重は減り、はなが悲しむと分かっていても、ふとした拍子に涙が滝のように流れてきます。

もうだめ。もう限界。お手上げだ。情けないけれど生きているのが精一杯。

けれど、はな が生まれ変わって戻ってくるよとサインをしつこく出し続けてくるので、ここでわたしが死んでしまうと再会がややこしくなってしまうので、生きなくてはいけません。

とにかく、毎日毎日仏様にお任せして南無阿弥陀仏で過ごしているのですが、半分ひきこもりのそんな毎日の中で会った数少ない人の中に、決して順風満帆ではない人生を過ごしてきているのに、時に大泣きしながら、時にどん底に落ちながらもいつもとても輝いている女性が二人います。

ぼーっとした頭でお二人の話している様や会話の端々から、その共通点に気づきました。

それは、彼女たちが自分の中に、絶対的に自分自身を励まし、護ってくれる応援団と、頼もしい弁護団を持っていること。

どんなにだめな時も、どん底の時も自分自身を励まし、弁護し、守ってくれる存在。

どんなに最悪な時でも、「今が」最悪な「状態」なだけで、あなた自身が「最悪」なわけではないんだよ、あなたなら、きっと、また、歩き出せるよと肩を抱いてくれる存在。

もしかしたら、そんな存在を自分の中に持っているのは人間として当たり前なのかもしれませんが、少なくともわたしの中には、そんな頼もしい存在は、二度のいじめを受けた時から、いなかったのです。

代わりにわたしの中にいつもいるのは、とても執拗で決して追及の手を緩めない検察団、もっともっとと指揮棒を振るい続ける指揮者、偏見いっぱいで自分自身をディスカウントスするヘイトスピーチ団です。弁護士は、いたとしても弱々しい国選弁護士レベル。

応援団は いません。

幼い頃からの転居、転勤、自分の地域 のない根無し草感も、そのあり方に拍車をかけました。

車に例えると、人生を運転している「わたし」は存在します。そして、交通ルールもマナーも嫌という程、頭に、身体に、叩き込まれています。

けれど、乗っている車は快適さや好みではなく「生産性、効率性」を重視した車で内装も最低限の装備。

ナビには「人の役に立つ」という立ち寄り地点が設定されていて、ビューは50m。目的地は不明です。

うまくいっている時でも、ナビは「もっとここを」「もっと早く」「あれも、これも」と指示を出してきます。

失敗するとドライブレコーダーを元に警察と検察が即座に検分を始め、裁判官に訴状を書き上げ、裁判所の周りにはヘイトスピーチ団が罵声を浴びせています。その中で「わたし」はヨボヨボの弁護士と一緒に背中を丸めて消え入るように小さく、小さく、小さくなっています。

それが、小学校6年生の時以来の、わたしの人生の根本の在り方だったことに気づいて、愕然としています。

それで、よく今まで生きて来られたね、よくここまで正気でいられたねと、自分を心の底から可哀想に思い、後から後から涙がこぼれます。

どんなカウンセラーの元に通おうと、どんなに癒しの場所にいこうと、ボディワークを試そうと、坐禅を組もうと、どんなにスピリチュアルな教えを学ぼうと、生きている苦しさが少しも楽にならなかったわけです。

はなが、どんなわたしでも慕って、大好き、大好き と尻尾を振り続け

わたしが、どんなはなでも愛して、大好き、大好き と抱きしめ続けたように

私が、私自身の応援団になり、弁護団になり、最後の最後まで自分を見捨てずに大切にすると決めない限りは、私の乳がんは何度でも大きくなり、なにをしていても不安で、自信が持てなくて、生きていることが辛いともがき続ける人生を、この先も生き続けることになることがわかりました。

この自分自身が崩壊し、崩落している今は

もしかしたら、天から、仏様からいただいている チャンスなのかもしれません。

今日は、はなが いつも通り優しくそばに寄り添ってくれている気がします。

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第3の道で歩き始めています

母の介護、サロンでのワークショップ、愛犬はなちゃんの危篤騒動で、すっかりご無沙汰になってしまったこのブログですが、同病の皆さま、ちゃんとつぼみは生きておりますのでご安心くださいませ(^人^)

体調は相変わらず低空飛行のままながら、シコリんと共存してぼちぼち元気に過ごしています。

乳がんの各種マーカーがほぼ正常値に戻ってからすぐ始まった母の介護と、同時に始まった以前と同じ量の産後ケアやマッサージの仕事。そして、はなちゃんのケア(その他、私の癖である各種お節介商会の活動(笑))

息つく間のない日常が始まり、再び自分以外の人のためにエネルギーを使い始めた訳ですが、以前の「自分のことを後回しにしている自分」という意識や構造と違った新しい意識、構造の中で動き始めている自分に気づきます。

私さえ頑張ればという子供じみた自己犠牲感でもなく

自分の現状から目を背けたり、自分自身を他者に投影して活動に没頭するのでもない

もう一つの新しいありかた。

「自分(自我)にばかりに目を向けてしまう自分から離れて
目の前のこと、人に、無心に向き合うことができる時間を過ごせる幸せ」です。

この3年間の、ガンがあることにどこかいつも心がとらわれていた時間、40年以上溜め込むがままにしてきた諦めや哀しみや自己憐憫のエネルギー、そしてそれらを溜め込み癖と向き合う時間。

それは本当に苦しく、行き場のない、余剰エネルギーで自分自身を知らず知らずに自家中毒に追い込んで行くような時間でした。

おいのちさんと出会い、自分の力ではどうにもならないものでこの世の中が出来上がっている事実に降参し、執着や努力癖を一つずつ手放していく中で

ほんの少しずつ、少しずつ呼吸が楽になり、世の中が 変えるべきもので満ちた悲しい場所ではなく、可能性や喜びにも満ちている場所であることに気づき、自分の世界が再生していきました。

そして、シコリはまだ鎮座しているものの腫瘍マーカーがほぼ正常値に戻った途端に、いきなり愛の蹴りがどこぞから入り、尻を蹴り飛ばされるような形で始まった、ガンの物語の終焉。

そこには、同じことをしているのに、前と違った心持ちや構造ではたらいている自分がいました。

この心持ち、構造で、目の前に置かれたことに精一杯取り組みつつ、でも余分な意図や はからい や 余分な努力をせずに生きていった先には、もっともっと違う風景が見えてくのでしょうか。

今はまだヨチヨチ歩きですが、この感覚についていきたいと思います。

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自分 が 幻想だった話

前から薄々分かっていたことが確信に変わりつつあります。

自分が死と直結する病気を授かったことと、母の加齢と身体の変化の伴走のため実家に戻って介助していることなどなど…

ここ数年の内省の中で、確信に変わったことがあります。

それは

個としての わたくし と言うものは、実存していないこと。

実現すべき自己も
探求すべき自己も

表現すべきわたくしも
人との対立項としてのわたくしも
様々に思考したり

何かを証明しようとすべくわたくしも

何かを自己選択しているつもりのわたくしも

全て 幻想だということ。

 

私というエネルギーは

ただ周りの重なり合い、連なりあった糸と連動して紡ぎ合う絵の一部で

鳴り響く音楽に自然に呼応する旋律の一部で

自分の意思、自分の思考、自分の存在というものは 最初から 無い 全体の 流れ で 動き はたらき だったということ。

それはエゴにとって、抵抗すべきことなのだけれど、今の私には、今までの葛藤や苦しみからの驚くほどの開放感と解放感を伴った感覚で、視界や五感が全く新しくなった体験でした。

自分 が 幻想だったと分かってからの方が、全てが生き生き見えるのは何故かしら。

明日の風景も、なんだか、子どもの頃のように、ドキドキと楽しみです。

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母への応援歌

母が原因不明の体の痛みで起き上がれなくなり、介助のため実家に戻って一ヶ月が経ちました。

西洋医学的な診断名は、リューマチ性筋痛症。原因はよく分かっていない、高齢の女性に多い症状ですが、寝返りが打てず、朝は四肢の痛みがひどく、日常動作ができません。

ステロイドを投与すれば治ると言うデータもありますが、ステロイドは副作用ももちろんあり、父の知り合いの奥様は重度の副作用で入院して退院のめどが立たないまま弱っていらっしゃるとか。

自然派の母は葛藤しています。

私自身、乳がんと分ってから数々の医者からどんなに「このまま自然療法などしたら死ぬよ」と言われても、身体の声を聴いて自然療法でやって来ただけに、私の発言力や影響力は大きいため、なるべく、母の気持ちに寄り添うべく 声を小さく、小さく、を心がけています。

長引く夜中の介助や、自分のケアになかなか手が回らない状況に、周囲の心配はやはり私の身体のこと。

共倒れするのではないか、せっかく良くなった私の数値が上がるのではないか。

そんな周りの心配を受けて、私のためにステロイドを飲もうかと悩んでいる母を前に、様々に思いを巡らせて落ち着かない心持ちの日々でした。

そして、そんな私の心に すっと 静かに 寄り添ってくれる言葉が綴られた本に、久しぶりに再会し、再読しました。

篠田桃紅さんの「一〇三歳になってわかったこと」(幻冬社)。

103歳まで現代美術家として現役でしごとをして来られた篠田さんの文章は、以前読んでいた頃とは比較にならないほど、透明に、なんの違和感もなく、今の私の心に何よりも沁みました。

ふと目にとまったのは

「自由と言う熟語は、自らに由ると書きますが、私は自らに由って生きていると実感しています。

自らに由っていますから、孤独で寂しいということはありません。むしろ、気楽で自由です」

という言葉。

そうか、私は 母に 自らに由って生きて欲しいのか。

おきゃんで好奇心旺盛なひとでしたが、昭和10年代生まれの女性だけに、最終的な決断はほとんど父のため、子供たちのため、周りのためでした。

恐ろしいほどの努力と根性で、海外での子育て、孫育て、ボランティアと走り抜いて来た母。

そんな母だけに、自分の身体のこと、いのちのことについては、どうしても 自らに由って、自分だけのために決めて欲しいのです。

その力を、応援したいのです。

それがステロイドであっても、自然療法であっても、どちらでもいい。

自らに由る決断をしてくれれば、それでいい。

それをサポートする以上に大切なことは、今の私にはないのです。

それが、シコリんが教えてくれるalohaな生き方なのです。

そう分かったら、心が驚くほど落ち着いて、水を打ったように鎮りました。

2年前に天国に旅立ったりんりんにしてあげられなかったこと。
いのちのスイッチを自ら押すこと。

今、母に、その力の後押しができたらいいなと思っています。IMG_9009

母と しばし 役割交代♪

IMG_8851先週から、母の介助のため、実家に はなを連れて里帰りしています。

考古学になる と宣言して大学に行き、相談もなくいきなり保育士になった娘。

理想の保育や子育てを追求して、転職を繰り返す娘。

自分に向いているのは保育園での保育ではなく、個人のサポートだといきなりマッサージの道に入った娘。

相変わらず相談もなく、離婚したのでごめんなさい、これからもよろしくと 或る日突然一人で決めて 出戻った娘。

ハワイ、沖縄、千葉と放浪する娘。

そして、三年前も、突然 乳がんと分かったから家を出て 一人で養生する と告げる娘。

そんな娘に目を白黒させながらも、常識の塊のような父を説得し、応援し続けてくれた母が、私の検査結果が分かって安心したかのように、起き上がれなくなりました。

診断名は、脊椎管狭窄症。

海外での子育て、弱視の子のためのこんを詰めたボランティア、暴れん坊の娘の気苦労…過労と疲労が祟り、電動ベットの上で痛みと挌闘しながら横になっています。

折しも血液検査の結果も良く、私とシコリんの旅が一段落しようと言う時の、母の不調。

私って、どこまでラッキーなんだろう!と思いました。

神様、仏様、宇宙は、ちゃんと 私に 感謝のエネルギーを母に返すチャンスをくれたんだなと思います。

脳や内臓は問題なし。

ならば、またあのハッスルおばさんの母が思うように動ける日まで、伴走つかまつりまする♪

歩けるようになったら、二人で久高島にお礼参りに行くんだからね。

合言葉は、ごめんね、ではなく、ありがとうに。

お互い、釈徹宗さんの提唱されている「お世話され上手」を目指そうと決めました。

もうしばらく母に伴走しながら、ゆっくり、ゆっくり春を迎えます。

Himself he cooksなるつぼみ キッチン

0763C225-4F39-4530-B8A0-75B3ED8BE3C4Himself he cooks.
それは2年以上前に観た、インドの黄金寺院の無料食堂の壮大なドキュメンタリー映画で出会った 言葉であり、世界観です。

検査結果がとても良かったことを受けてこれからの食事をどうするかを考える中で、また食のことを考えさせられる出来事が重なったので、改めて自分にとって食、料理、食べること、いただくことってなんだろうと考えています。

そして、冷蔵庫に2年前に貼ったHimself he cooks.という言葉と世界観を、改めて想っています。

日本名で《聖者たちの食卓》と題されたドキュメンタリー映画は、一日に何万人と訪れる人々にお腹いっぱい食べてもらうために、一日10万食を用意する無料食堂の一日を追ったもので、何百人のボランティアの人々、それを統括するマネージャーが一丸となって、運ぶ、刻む、丸める、焼く、煮る、盛る、清掃する、洗う、洗う、洗う…そして、訪れた人々は階級を越えて老若男女が隣り合い、食す、食す、食す。

それは、もう、ハリウッドのアクション映画などを軽く越えた、ど迫力のドキュメンタリーで、全ての概念を覆されるものでした(笑)。

その入り口にかけられている言葉が Himself he cooks.

神である植物を 神として料理し 神である人々に供する。そして、神としていただく。

なんて、アメージングな世界観とその実践!
衝撃的でした。

以来、ずっとその概念が頭を離れず、そうか、そうなのか、と呟きながら毎食毎食を 植物という神を、自分という神が 自分という神のために料理して、神としていただく…そんなイメージで2年間狭い台所で作り続けて来ました。373A52B3-31D6-4682-9F12-AC58EFE11909

だから、人に食べ物をお出しする時も、Himself he cooks.

作っている時も、みんなが食べいる姿を観ている時も、自分が命の循環のパイプになっているような、とても妙なる気持ちになります。

そして、それは、食べ物だけにとどまらない概念なんだなと思います。

例えば、わたしの仕事である ハーブを使った産後ケアのユーファイ。

タイの山奥のオーガニックの畑で作られたハーブ(神)を 神として 神である産後のお母さんを マッサージします。そして、お母さんも神としてゆったりとそれを享受しています。その横で、生まれたてピカピカの神である赤ちゃんが寝息をたてています…そんなしあわせな 時空を越えた空間が出来上がっているのです。

生活の全てがそんな循環であることを意識できれば、それはとてもスピリチュアルな生き方なのかもしれませんが、そこまでは聖人ではないのでなかなかできません。

7B292E38-7E8D-44CA-8B09-07B465E3B516でも、してあげる人としてもらう人、差し出す人と受け取る人 という二項を超えた概念で 食事を作り、仕事をすることは、わたしの心身をとても健康に保ち、高めてくれることは確かです。

Himself he cooks. で今日もユーファイに向かいます。

 

腫瘍マーカー正常値に戻りました

昨日、半年ぶりに受けた血液検査での腫瘍マーカーの結果が出ました。

私の場合、治療をしないという選択をしているので、どこのお医者さんからも定期的な血液検査を断られます。治療を前提にしないなら検査も必要ないでしょうと5件に断られました(T ^ T)。(私の友人も同じらしいので、これは医療制度やお医者さんたちの意識がまだ予防医学に向いていないことに因るのだと思います)

CEA(胃がん、大腸ガン、乳がん、卵巣がん、子宮頚がん)、CA19ー9(消化器系がん)、CA125(卵巣がん、子宮体がん、子宮内膜症)、CA15ー3(乳がん)を、一回で検査できる自宅キットはなく、キットでの自己採血に加えて健康診断センターでの健康診断のオプション検査で定期観測してきました。

今回は、銀座にできた血液検査ラボというところの検査キットだと全部が網羅されているので(保険対象外)とても便利!ということで、先日受けてきました。

そして、届いた結果は

CEAが若干高いものの、それ以外の数値は驚くほど低く、正常値でした☆

とくに定期観測してきたCA15ー3は今回は初の10台で17.5。
CEAも一時期は80近くあったのですが、異常値ではあるものの12.0で落ち着いています。

これまでの推移は
◎CEA(5以下が基準値)
2016.3:21.9
2016.5:46.8
2016.7:79.1
2017.1 :46
2017.7 :3.5
2018.3: 12

◎CA15-3 (23.5以下が基準値)
2016.5 : 25.6
2017.1 : 60.1
2018.3:17.5

(それ以外のマーカーは今までずっと正常値です)

6センチ大だったシコリんは、少しずつ縮小してきていて、3センチ強(というのも、つぼみのしこりんは凸凹で横長なのです)、横を向くとバセットハウンドの鼻面のようなお胸だったのが、今はぶつけた後のコブ状になっています。半年前のCTでは、転移なし。

これって(๑˃̵ᴗ˂̵)ワイン一杯くらい飲んでお祝いしてもいいのかしらん♪

と喜ぶ私に、家族はこれこれ、ここからですがな、ここが粘りどき!と慎重ですが(笑)、今朝の目覚めはとても爽やかでした。

これからも食事による身体ケアと温熱は続けて行きますが、それはその方法が私の体調にいいいから。

それに加えてこれからはもう少し、身体を強くして行く方法を取り入れて行きたいなと思っています。

そして、何よりこの3年間にシコリンが私に教えてくれたALOHAな生き方を忘れずに、いのちの源 おいのちさんと繋がりながら、身軽に、大切に、こだわらずに生きていきたいなと思います。

それを教えるためにつぼみのところに舞い降りたメッセンジャー、シコリんに感謝です。

おいのちさんが生かすと決めたこのいのちを、自分自身に、そして社会に投げ出していく生き方を模索して行きます。

3年前抗がん剤と化学療法を一切しないという選択をし、以来一人で黙々と食事療法と自宅での温熱を続ける娘、半年前チャンスだから全摘してリンパもとりましょうというお医者さんの提案を頑として受け入れなかった娘を、内心はらはらしながら見守ってくれてきた両親の忍耐力と寛容さと信頼には本当に感謝しかありません。

歴代のお医者さまに、このままじゃ死ぬよ、自然療法をしたら死ぬよ、今切らないと死ぬよ、手遅れになって死ぬ前に戻って来ないでね、と何度も何度も呪文のように言われてきたにもかかわらず自分の道を貫く娘の選択を、どんな気持ちで見守ってきたのでしょう。

私が親だったらこんな風にサポートして見守れたかなと思うと、本当に両親に感謝です。

本当にありがとう。

私に愛をたくさん注いでくれるOhana達に、心からの愛と感謝を。

私より一足先に旅立ち、むこうから私を見守ってくれているりんりん、まちさん、kさん、ありがとう。

いつもご心配いただいたり、お祈りや励ましをいただいている皆さん、本当にありがとうございます。

これからも、ぼちぼちと、歩いていきたいと思っています。

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怪我の功名

IMG_8686シコリんこと乳がんを授かって、あと少しで丸3年になろうとしています。

大きさは4ー7センチの間を、季節ごとや体調次第で行ったり来たり。

みなさんのおかげで、時々あった鈍痛や刺すような痛みはほとんどなくなり、黒い部分も少なくたり、転移も今の所認められないので、仕事も本格的に再開し、表面的には食事以外はほぼ元の生活に戻りつつあります。

この三年近くで大きな輪を描いて、今徐々な元の生活に戻りつつある中で変化したことの一つに

大切な人との関わるときの視点の変化があります。

 

その視点は

「私がいなくなっても、その人の力でできるように、大丈夫なように」。

 

(※例外ははなちゃん。はなちゃんは私が看取りまする〜♡)

福祉で言うところの「エンパワメント」ですが、若い頃は「わたくし」と言うものや自我が邪魔をして、なかなかその視点を身をつけたり浸透させることはできませんでした。

今も、もちろん自分や自我があるので浸透まではしていませんが、頭のどこかに

「私がいなくなっても自分の力で出来ることを伝えられてるかな?」

「自分の力で出来た!と言う自信と前向きな気持ちで生きていけるようなサポートかな?」

と自分に問いかける癖がついているのに気づきました。

こんな心持ちになれたのは、シコリんこと乳がんになったのも怪我の功名?…なんて、この3年間を振り返りながら思うのでした。

愛すること を 再び フロム先生に教わりました

保育士をしていた20代の頃に読んで、わかったような気持ちになっていた著名な心理学者に、エーリッヒ=フロムがいます。

フロイト、ユング、エリクソン、ウィニコット、マズロー…さまざまな心理学者の著作を自分なりに読んで、その時は、それぞれにそうかそうかと納得したり、開眼したつもりになっていたりしましたが、今回ご縁あって久しぶりに出会ったフロムさんにはカウンターパンチ、パラダイムシフト、オセロをひっくり返されたような驚きをもらいました。

フロムの名著『愛するということ』を解説している鈴木晶さんの解説に、こうありました。

「フロムは、愛を与えることは自分の生命を与えることだと述べています。

ここで言っている生命とは「命」のことではなく、「自分のなかに息づいているもの」のことです。

相手に対して「自分の喜び、興味、理解、知識、ユーモア、悲しみなど、自分の中に息づいているもののあらゆる表現を与える」ことが愛だとフロムは言うのです。」

愛すること 与えること は 物心ついた時から自分の中でずっとテーマでした。

 

幼少期の海外で、貧富の差や不平等、差別などを目の当たりにしたことも、その傾向に拍車をかけました。

その後の保育や子育て支援、体のケアの仕事を始め、家族、パートナーとの関係においても、そのテーマにはずっと向き合い続け、自分は偽善者なのか、マゾヒスティックな愛情なのか、たんなるナルシシズムなのか、犠牲者コンプレックスなのか、と何度も何度も、数え切れないくらい検証して、突き詰めた時代もありました。

夢中になってしまい、自分自身の心身の健康を後回しにしてしまう癖はもはや鍛え抜かれた筋肉反射のようなもので、シコリんを授かって人生を生き直しても、やり方を変えようとしても、どんなに理性でコントロールしようとしても、その部分を変えるのは不可能なことに最近気づいて、ションボリと膝を抱えて横になっていじけていました(笑)

 

けれど、この一文は、カウンターパンチでした。何度も何度も、スローモーションで観たいくらいの衝撃の瞬間でした。

そうだったのかー((エコー)かー、かー、かー…)

命やエネルギーを、文字通り 母の乳のように与えるのではなく

自分の喜び、興味、理解、知識、ユーモア、悲しみなど、自分の中に息づいているものあらゆる表現を 与えるのか。

なんたる衝撃。20年前に読んでいたのに(笑)!

何に対しても全力で、手抜きが出来ず、夢中になってやってしまう性分は変えられなくても

愛すること、与えることの 内容を「命」「生命エネルギー」から「息づいているもの」にシフトすることはできるかもしれない。

そうすれば、この絶え間ない全身疲労感、気虚、血虚、腎虚感もきっともう少し和らいで、爽やかで、バランスの取れた日がもう少し増えていくかもしれない(笑)。

希望が湧いてきました。

ありのまま 全くの自然でいることと 全力で愛し与えようとしてしまうところの 中間の、 いい按配 が見つかりそうな予感がしてきました。

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ないない違い&ケ・セラ・セラ

交流分析と言う心理学的アプローチに、禁止令 と言うものがあります。

幼い頃から身につけた、自分を縛り、不自由にする自分自身への禁止令。

私の中にはそれこそ星の数ほど禁止令があり、毎瞬間無意識に呪文のように脳内でループさせていたことと思います。

 

迷惑をかけない
流されない
間違わない
失敗しない
落ち込まない
体調を崩さない
怠けない
嘘をつかない
ワガママを言わない
甘えない

エトセトラ エトセトラ…

それはそれは、毎日しんどいわけでした(笑)ε-(´∀`; )

 

同じ「ない」ですが、このところずっと、脳だけでなく身体中をループしているのは、この4つの言葉たち。

こだわらない

とらわれない

つかまない

せきとめない

同じ「ない」ですが、禁止令とは逆に、心身がどんどん解放され、開放されていくのがわかります。

前者が 禁止令なら、後者は 解放(開放)令とでも言いましょうか。

この4つの言葉たちが爽やかに 穏やかに 私の中を駆け抜ける時の BGMは、なぜかドリス・デイの陽気な「ケ・セラ・セラ」。

Que sera, sera
ケ・セラ・セラ
Whatever will be, will be
なるようになるわ

今日も

ケ・セラ・セラwith the magical four words な1日です。

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