ゆめ観音の優しい心臓

E81DC5CE-57CC-4DE6-BE72-304CA7136E7Bうちに来てくれた ご大切ないのち シニア犬のゆめちゃん。

 

 

 

 

 

血液検査の結果は心臓以外はとても元気でひと安心だったのですが、心臓がとても悪いのです。

逆流弁があるのと、拍動が原因不明で一拍抜けてしまうため、1分間に40と少ししか拍動がありません。

そのため、ペースもゆっくりゆっくり。

そして、捨てられた時のショックや保健所での生活、そして、預かりさんのところに1週間、慌ただしい移動の末、やっとたどり着いた我が家。

これまでの疲れを癒すかのようにたくさん、たくさん眠ります。

日々元気になって来てはいるのですが、食べたくて食べたくて仕方なかったはなちゃんと真逆のゆめちゃん。

食がとても細く、また人間のものを食べていたらしく、なかなか食べてくれない時もあり、そんな時はふらふらになってしまうので目が離せません。

 

このパターンは(@_@)

女神で言うと養育の女神デメテル、または鬼子母神の傾向の強いわたしには、どハマりするパターンです^^;

もっと元気にしてあげたい。

今日より明日は、もっと食べられるものを作ってあげたい。

もっとマッサージしてあげたら楽になるのかしら。

今日元気がないのは

わたしの何が足りないんだろう

 

 

出た(´-ω-`)

きた(´-ω-`)

このパターンヽ(;▽;)

 

 

いのちは 直線的ではなく

ましてや
シニアで 心臓のペースがゆっくりのゆめちゃんなのですから

こんな過度な はからい、努力、期待をすること自体が ゆめちゃんにはプレッシャーかもしれないと言うのに。

 

やれやれ つぼみどん。

ほら
深呼吸 深呼吸。

焦る気持ちにできるだけ早く気づいて

何度も仕切り直します。

 

ゆめちゃんの様子をよく観察して

できるだけのことをしてあげたら

あとは

1日1日が幸せで

ゆめちゃんが楽に気持ちよく過ごせたら

もうそれだけで大きな大きな花丸♪

 

ちょっとでも元気になってくれたら
儲けもの♪♪

 

そもそも

人間の勝手で、今頃は天国に旅立ってしまっているはずだったゆめちゃんと出会え

うちにお迎えできて、こうして一緒にいられていること自体

有り難い 有り難い いのちのご縁なのです♪♪♪

それだけで 感謝感激 雨あられなのです。

 

ゆめちゃんの存在は

私に いのちのことわりと

1日1日を大切に過ごす在り方を教えてくれる

ゆめ観音ですU^ェ^U

 

ゆめちゃんの心臓のペースに合わせて

ゆっくり ゆっくり

生きることを学ぼう。

 

すると

どっくん … どっくん…という

優しい ゆめちゃんの心音が

南無阿弥陀仏…南無阿弥陀仏 に

聴こえてきます。

 

今日もありがとう、ゆんゆん。

明日も一緒に 過ごそうね。

いい夢をみてね。169F6E3F-31FB-4C31-8D4D-092046E1BE0D

あちらと繋がった 臍の緒

5B6A8B16-EBF9-4DEE-96D1-FB0DC551E494先週日曜日にうちにやってきた 元保護犬のシニア ゆめちゃん。

一週間が経ち、捨てられたボロ雑巾のように保健センターで処分を待っていた夢ちゃんの瞳に、ようやく希望の光が灯ってきたように思います。ご飯も食べ始め、久しぶりの散歩を心から堪能し、若いオスに尻尾も振るようになりました(笑)。

愛するものとのお別れを経験したもの同士、やせっぽち同士の熟年二人で、もうひと花咲かせよう♪とえっちらおっちら歩き始めました。そんな二人をはながいつも見守っています。

 

皆さまに支えていただき、見守っていただいてのこの二か月、この場をお借りして心から感謝を申し上げます。

自分の乳がんから始まり、仲良しで同病のりんりんや、その後続いたたくさんの同病の友人達とのお別れ、母の介護、プライベートのこと、そして、はなちゃんの旅立ち。

ギリギリのところで踏ん張ってきたつっかえ棒が外れて、心身ともに立ち上がることができなくなり、黄泉の国、冥界へと落ちていきました。

喪中とは、黄泉の国、冥界に落ちて一つのサイクルの死を体験する時間のことを言うのだなと初めて分かりました。

初めはもがきながら、呻きながら落ちていったのですが、途中からは「降りて」いきました。

今は中途半端に上がってはいけないのだと、もう 今は 底まで落ちて行かなくてはいけないのだと気づき、自らの意志で決めて、底までただ降りて降りて…降りて行きました。

イナンナの冥界降りのように、一つ一つ、これが自我、自分だと思っていたものが剥がされ、崩壊していくのを号泣の合間合間に感じながら。

そして、たどり着いた底は、深い、深い海で、そこには死と生が同じところにあり、恐ろしさは全くなくて、とても静かで、再生を待っている魂達の気配に満ちた場所でした。

ずっとお世話になっていたユング派のカウンセラーの先生にも力添えをいただき、そこでしばらくは中性浮力を保ったまま漂うことにしました。

そこでの時間は、産まれてからもうずっと感じたことがなかった静かで、深い深い安堵の中に漂っている感じでした。

隣にははなが いつも寄り添ってくれていました。

そして、ゆっくり、ゆっくり、ゆっくり浮上してきた時に、私に海の底と繋がっている 臍の緒があることに、ふと気づきました。

 

生も死も同じところにある海の底から繋がっている、その臍の緒のようなつながりをなんと呼べばいいのでしょう。

浄土真宗にご縁をいただいた今の感覚で言うと

阿弥陀仏様に願われ、生かされている私 と

阿弥陀仏様を繋ぐ 

南無阿弥陀仏 という臍の緒。

そんなイメージでもあります。

あの世に居場所が出来たら、この世にも居場所が出来た気がします。

そして、こちらでの命をいただいている間は、どんなに煩わしいことがあっても、人や生き物との繋がりの中で生きていこう。生まれて初めて心からそんな風に思えました。

一緒にいる時間が決して長くはないであろう ゆめちゃんを 家族にお迎えできたのも、ゆめちゃんを 私一人や家族単位だけでなく、地域のみんなや友人たちと一緒に見守り、しあわせの花を咲かせてもらおうと思えたのも、この経験あってでした。

昼間の世界の女王、意識の世界の住人だったイナンナが、冥界で死を体験し、無意識層にあるリビドーの塊である自分と遭遇し、再生した時に「死の眼差し」を手にしていたように

今回の体験で、自分の生の中にきちんと 死が 組み込まれ、あの海の底と臍の緒がしっかりつながっている感覚を実感しました。

そして、あそこに戻っていけばいいのだという物語、阿弥陀仏様の願いで生かされている私という確信に満ちた物語が構築されました。

必然のご縁で、私がこの世界で生きていくための通過儀礼の体験だったのだろうと思います。

通過儀礼は、死や失敗と隣り合わせ…今回はぎりぎりのところで、通過できた気がします。

はな ありがとう。ありがとう。ありがとう。

感謝と愛しかありません。

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そして、地上界で私の旅を見守ってくださり、私の屍にいのちの水をふりかけてくださった皆様、本当にありがとうございました。

これから先の生き方、活動、体験が、全く違う意味を持って、私に語りかけてくる気がしています。

 

もう一度、もう少し

人は喜びとか希望がないと

生きられないんだなとしみじみ思います。

 

仏教に帰依して、南無( お任せします)

阿弥陀仏(限りない光と智慧に)で生きるしか道はないと思っても

 

思い通りにならないのがこの世で

小さな頭で私都合ではからうのをやめて

お任せするしかないのは分かっていても

 

私という存在は 様々なご縁と、阿弥陀仏の私を救いたいと言う願いに 生かされていることを実感しても

 

これだけ一度に、希望や喜びを失うと

現実的に生きる力や立ち上がる力がなかなか湧いてきません。

 

もう一度 海の底に戻って

自然に上がれるまで もう少し

静かに ゆらゆらと 漂っていようと思います。

 

南無阿弥陀仏

南無阿弥陀仏

ぶくぶくと泡を吐き出しながら唱えて、自然に浮上したら、どんな岸にたどり着くのかな。