願かけ

普段サッカーやスポーツを全く見ない私ですが、一昨日の日本対コロンビア戦は何故か見る流れになりました。

ふと

この試合に願をかけよう

そう思いました。

世界ランキング7位と61位の対戦。

この思い通りにならないお手上げの人生に、ミステリーは、神秘は、起きるかどうか。

 

そして

奇跡は起きました。

人生は私の浅知恵では到底及ばないミステリーに満ちた、生きる価値のある場所のようです。

ピーターパンが、妖精を信じるかい?と世界に尋ね、世界中の子どもたちの拍手が起こって死にかけたウェンディが息を吹き返したように、私も世界に拍手を送りたいと思います。

 

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呼吸の仕方

本屋さんで見かけてずっと気になっていた、スクラッチアートの曼荼羅を手に取りました。

螺鈿好き、彫刻刀好き、切り絵好き、コツコツ型の私には、あまりにピッタリで、こ、これは!?と言う出会いです。

息を吸って 南無阿弥陀仏と唱えながら ひと削り。

また 息を吸って 南無阿弥陀仏と唱えながら ひと削り。

すると ようやく 呼吸が できるようになります。

色々浮かんで来る思考を丁寧に整理しては、南無(お委ねします) 阿弥陀仏(限りない光と慈悲と智慧に) と唱えてお委ねしていきます。

整理できないものは、そのままお委ねします。

感情が湧いてきても、そのままお委ねします。

過去が様々に浮かんできても、そのまま お委ねします。

未来への思い煩いも、もうそのまま お委ねします。

物心ついた時から ありのままで生きている許可をもらっていないと感じながら生きてきた気がします。

どこかでいつも「努力するから許してください」「頑張るから許してください」「結果を出すから許してください」そんな風に思いながら生きてきた気がします。

でももう 

そのまんまで、ありのまんまで、南無阿弥陀仏。

呼吸するように 南無阿弥陀仏

南無阿弥陀仏で呼吸しながら

カリ、カリ、カリと削っています。

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海の底から

私自身のいのちのリボンを結び直す作業を、続けています。

青い海の底に はなと一緒に ゆっくり ゆっくり 優しく手をつないで 漂っています。

「喪中」は 、向こうに還っていった愛しい魂と一緒に「向こうの世界」にいって、もう一度生まれ直すまでの 「向こう側」で過ごす時間なのだと、ようやく分かりました。

元の自分に戻るのではなく、戻る必要もなく、戻れるはずもない、愛しいものと一緒に迎える魂の死。

元の自分にはもう戻れないほどの、元の自分が一緒に黄泉に行ってしまうほどの愛に出会えたのだと思います。

愛しい魂と、もう一度此岸に戻ったら、どんな新しい自分として生き直そうか、何をこの海の底において行こうか、そして、いつどんな風に再会しようかを一緒にゆっくりゆっくり話し合う時間。

ダイバーだった頃を思い出して、中性浮力でゆっくり海の底に漂って、今は海の中で静かに静かに過ごしています。

浮上する頃には、新しく生き始めて、このブログを閉じることができそうです。

このブログが乳がんを治すための情報ブログではなく、私 を生き直すプロセスを綴った、一つのナラティブブログだったとすれば、乳がんが治ったか治らなかったかは関係なく、その一つの旅が終わるのだと感じるからです。

急にブログを閉じて、心配していただきご連絡をいただいたたくさんの皆様ごめんなさい。

もうすぐ、ブログを閉じることができそうです。

もうすぐ、一つの旅が終わりそうです。

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リボーン=リボンを結び直す

本当に本当にお辛い状況から、時間をかけて、ご自分を励まし励まし、その状況を乗り越えられて、以前よりも輝く女性になられたお客様であり友人であるJさんから、メールをいただきました。

お辛い渦中で「alohaを受け取ることで、おいのちが「生き」「活き」「勢」直す→リボーン=リボン🎀を結び直すことができた」とおっしゃるご自身の体験を踏まえて、

 

「はなちゃんもツボミさんによってリボン🎀を結び直せたことで喜んで、少し早かったけれど今生のおいのちとして整ったからの旅立ちで、それはツボミさんにとってとても耐え難い大変なことですが、新しい「ツボミさん大好き」を携えて再会の準備をしていると、私は勝手に感じています」

 

ああ

もしそうだったのであれば

はなが、老犬になって捨てられ保健所で処分を待っていたはなが、私との時間で「リボンを結び直せたことで喜んで、少し早かったけれど今生のおいのちとして整ったからの旅立ち」をしたのであれば…

整ったからこその、あの私の腕の中での満足した顔での旅立ちであったのならば…

本望以外のなにものでもない。

お互いに、なんて幸せなご縁だったんだろう。

 

人は、物語がなくては生きるよすがを失ってしまう生き物だと思います。

けれど物語を新しく紡ぐことで、どん底にあってもその人のいのちを救い、明日への梯を編み、そこを危なげな足どりながらも、渡っていく力を与えるのだと思います。

Jさんは、私に「おいのちさん」と出会わせてくれた方でもあります。

そしてまた、今回も私が生きていくための物語を授けてくれました。

はなが、また新しい身体で戻ってきて、はなと私とで再び一緒に活動していけるのならば、力尽きて倒れ込んでいる身体を、一つ、一つ起こしていこう。

はなに負けないくらい元気な身体を作っておこう。

そして、病人と老犬2人で支えあっての日々から、二人で手を取り合って一緒に前を向いて駆けていけるような2人になろう。

一年後は、最愛のパートナーはなと、人生を走り抜けられる準備の整った私でいよう。

 

Jさん

ありがとうございます。

どちらが海の底か空か、わからなくなった海の底でエア切れの状態で必死にもがいていましたが、底からゆっくりゆっくり浮上する先の空を、見つけられた気がします。

 

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自分自身の弁護団 応援団

乳がんとわかってから、どんなことがあっても折れずに来た3年でしたが、プライベートや母の介助などでよろけてきていた頃に訪れた、最愛のはなとの突然のお別れ。

今回はこのダメージを受け止めきれず、心身が面白いように崩壊していっています。

お客様の身体のケアをする仕事なので、この状態では…と友人に代わりをお願いして自分は仕事をほとんど全てキャンセルさせてもらうことに。

今まで自己都合で仕事をキャンセルしたことはなく、それが誇りでもあったのですが、今回は痩せていく心身と崩れていく自己をどうにもコントロールできませんでした。

これが自分だと信じていたもの、価値観、在り方、なにもかも…。

心身喪失して記憶が飛んでしまったり、考えをまったく系統だてて考えられなくなったり、支離滅裂なことを口にしたり、衝動的に走り出してしまったり…。

ああ、人はふとしたきっかけでこんな風にここまで壊れてしまい、這い上がれない時があるんだ、そう思いました。

せっかく小さくなったシコリンも、あっという間に大きくなり、体重は減り、はなが悲しむと分かっていても、ふとした拍子に涙が滝のように流れてきます。

もうだめ。もう限界。お手上げだ。情けないけれど生きているのが精一杯。

けれど、はな が生まれ変わって戻ってくるよとサインをしつこく出し続けてくるので、ここでわたしが死んでしまうと再会がややこしくなってしまうので、生きなくてはいけません。

とにかく、毎日毎日仏様にお任せして南無阿弥陀仏で過ごしているのですが、半分ひきこもりのそんな毎日の中で会った数少ない人の中に、決して順風満帆ではない人生を過ごしてきているのに、時に大泣きしながら、時にどん底に落ちながらもいつもとても輝いている女性が二人います。

ぼーっとした頭でお二人の話している様や会話の端々から、その共通点に気づきました。

それは、彼女たちが自分の中に、絶対的に自分自身を励まし、護ってくれる応援団と、頼もしい弁護団を持っていること。

どんなにだめな時も、どん底の時も自分自身を励まし、弁護し、守ってくれる存在。

どんなに最悪な時でも、「今が」最悪な「状態」なだけで、あなた自身が「最悪」なわけではないんだよ、あなたなら、きっと、また、歩き出せるよと肩を抱いてくれる存在。

もしかしたら、そんな存在を自分の中に持っているのは人間として当たり前なのかもしれませんが、少なくともわたしの中には、そんな頼もしい存在は、二度のいじめを受けた時から、いなかったのです。

代わりにわたしの中にいつもいるのは、とても執拗で決して追及の手を緩めない検察団、もっともっとと指揮棒を振るい続ける指揮者、偏見いっぱいで自分自身をディスカウントスするヘイトスピーチ団です。弁護士は、いたとしても弱々しい国選弁護士レベル。

応援団は いません。

幼い頃からの転居、転勤、自分の地域 のない根無し草感も、そのあり方に拍車をかけました。

車に例えると、人生を運転している「わたし」は存在します。そして、交通ルールもマナーも嫌という程、頭に、身体に、叩き込まれています。

けれど、乗っている車は快適さや好みではなく「生産性、効率性」を重視した車で内装も最低限の装備。

ナビには「人の役に立つ」という立ち寄り地点が設定されていて、ビューは50m。目的地は不明です。

うまくいっている時でも、ナビは「もっとここを」「もっと早く」「あれも、これも」と指示を出してきます。

失敗するとドライブレコーダーを元に警察と検察が即座に検分を始め、裁判官に訴状を書き上げ、裁判所の周りにはヘイトスピーチ団が罵声を浴びせています。その中で「わたし」はヨボヨボの弁護士と一緒に背中を丸めて消え入るように小さく、小さく、小さくなっています。

それが、小学校6年生の時以来の、わたしの人生の根本の在り方だったことに気づいて、愕然としています。

それで、よく今まで生きて来られたね、よくここまで正気でいられたねと、自分を心の底から可哀想に思い、後から後から涙がこぼれます。

どんなカウンセラーの元に通おうと、どんなに癒しの場所にいこうと、ボディワークを試そうと、坐禅を組もうと、どんなにスピリチュアルな教えを学ぼうと、生きている苦しさが少しも楽にならなかったわけです。

はなが、どんなわたしでも慕って、大好き、大好き と尻尾を振り続け

わたしが、どんなはなでも愛して、大好き、大好き と抱きしめ続けたように

私が、私自身の応援団になり、弁護団になり、最後の最後まで自分を見捨てずに大切にすると決めない限りは、私の乳がんは何度でも大きくなり、なにをしていても不安で、自信が持てなくて、生きていることが辛いともがき続ける人生を、この先も生き続けることになることがわかりました。

この自分自身が崩壊し、崩落している今は

もしかしたら、天から、仏様からいただいている チャンスなのかもしれません。

今日は、はなが いつも通り優しくそばに寄り添ってくれている気がします。

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もう ええやないか

441FCC98-C5C7-4E1C-8823-4EB46EFDBFC5こんな方が

朝から肩に乗っかってきて

 

「もう 充分や

もう ええやないか

お任せしぃ」

と笑いながら 話しかけています。

 

うーん

誰だろう

なんで関西弁?

なんでそんなに小さいの

どこからきたの?

まぁ、いいか(*´︶`*)

誰でも

なんでも^ ^

 

ありがとうございます。

南無阿弥陀仏

無条件に 愛しくて愛しくて 仕方のないバディで、身を寄せ合って仲良く暮らして来た 愛犬 はなちゃんが、5月19日の夜、私の腕の中で突然の旅立ちをして2週間。

半狂乱になったり、どん底になったり、ものすごいハイになったり、深い憂鬱になったりしながらも、様々な人、本、言葉、映画などに支えられて、やっと はなちゃんを、私の執着と悲しみのエネルギーから大きな手の中にお返しできました。

はなちゃんへの感謝と、はなちゃんとの幸せな暮らしを支えてくれたすべての人への感謝の気持ちでいっぱいになりました。

そして…

今のプロセスは、疲れ果て、擦り切れそうな神経と身体を癒すところに入っています。

これが私には一番難しいのです。

 

人に親切でなくてはいけない

役に立たなくてはいけない

自分より人を喜ばせなくてはいけない

早く立ち直ってきちんとした社会人としてふるまわなくてはならない

生産的でなくてはいけない

迷惑をかけてはいけない

泣き言をいってはいけない

いつまでも落ち込んでいてはいけない

物心着いた時から細胞一つ一つにまでそう刷り込んできただけに、疲れ切り、神経が磨り減った時ほど、追い詰められた時ほど、この命令や禁止令が自動ループで高速に駆け回ります。そして癒しとは真逆の方向へ動き出します。

何度も何度も何度も巻き直しても、あっという間に戻ってしまう、壊れたばね仕掛け人形のようです。

 

ただ生きているだけでは許されない

ただここに存在することでは許されない

迷惑をかけるならば

即時にその行為をやめてきちんとした自分を立て直さなくてはいけない

ギリギリと自分を追い詰めていきます。

 

これまで学んできた

 

完璧でなくていいんだよ

出来ない、無理 と言っていいんだよ

そのままの これ以上でもこれ以下でもない私で いいんだよ

などという気づきや言葉はどこへやら、どうにもならない闇に、自分で自分を落としていき、歯止めがききません。

そんな自分が悲しくて

はなちゃんにも申し訳なくて

涙が出ます。

 

そんな私に

ここまでだめな人間の私に

今聞こえる 唯一の声。

そんな私が今口にして、落ち着いていく唯一の言葉は

「南無阿弥陀仏」。

仏様。

もう お手上げです。

もう このどうしようもない私は

あなたの力にお恃みするしかありません。

もう この小さな心と考えしかもてない

こんなにだめな人間の私は

あなたの慈悲にお委ねするしかありません。

 

南無  阿弥陀仏

南無  阿弥陀仏

南無  阿弥陀仏

阿弥陀仏にすがり、自我や自分だと思っていたものが崩れ去るのを 放心しながら見ていくしかない先に、一条の光がさすのかもしれません。

南無阿弥陀仏

南無阿弥陀仏

南無阿弥陀仏…

ひたすら

一心に

唱えます。