感受性に寄り添えなかった話

IMG_0295先週、先々週と、2年半ぶりに医療機関に行って、血液検査やCTなどの検査結果を聞いてきたりしていました。

父の友人でありその病院の大型出資者である方の紹介だったこと、また私をみて「自然療法に傾倒している、とても気難しい人らしい」と踏んだであろうお医者様は、本当に懇切丁寧に言葉を選びながら、穏やかに一回40分以上かけて説明をしてくれました。(日本のお医者様ではとってもレアなこと!)

そして、その丁寧な説明の趣旨をシンプルに要約すると

「食事療法は意味がやってもありません。医療機関以外が出している自然療法の情報は信用してはいけません。勇気を出して切りましょう。」

でした。

最後は頭を下げて「どうか勇気を出して生きる選択をしてほしい、手術を受けてほしい」とお願いする先生に、私も「ご丁寧にありがとうございました」と頭を下げて帰ってきましたが、その後じわじわと弱っていき、ついには自律神経を病んでしまいました。

ここが私のトロいところで、「その場」で自分の感情を把握したりはっきり感じるのが苦手です。強いショックを受けるとまず固まってしまいます。

まして、これまで医療機関でとても嫌な思いをしてきたので、今回もきっと私のバイヤス、私のレイヤーのせいで冷静な判断ができないかもしれないからと、出来るだけ感情を抑えて赴いただけに、その日は普通に帰ってこれたものの、じわーーーーっと後から傷が広がり、今週は自立神経のバランスを崩してしまいました。

日本のお医者様にしてはびっくりするほど腰を低くされた姿勢で、言葉を丁寧に選んで話をして下さったことには心から感謝なのですが、言っている内容は私の2年半の全否定と私を勇気がないために医療的処置を受けられない人というレッテル、医学以外を信頼するなと言うメッセージ、そして、身体を全体としてみるのではなく部分として捉えた上でリスクは切除してしまえばいい、というメッセージ。

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それに私の感受性は過緊張して、そして、深く傷ついていたんだなとようやく気づきました。

ごめんね、気がつくのが遅くて。

ごめんね、護ってあげられなくて。

自分の身体、感受性になんども謝って、お風呂に入ってガチガチの身体を緩めて、はなと寄り添って眠って、ようやく人心地つきました。

きっと、お医者様はお医者様で、例え私の身体観の話、おいのちさんの話をしても、チンプンカンプンで、何を言っているのかわからない人だとおっしゃることでしょう。

こればかりは立場や見地、経験や、感受性、全てが違う世界に生きているので仕方のないこと。お医者様は彼の立場でできることを精一杯の誠意でしてくれていました。

だからこそ、全く噛み合わない、ちょっと悲しく可笑しい、コミカルな時間だったなと今は思えます。

問題は、私がその場で、または少なくとも帰ってから、がちがちになってしまった身体と感受性にもっと寄り添わなくてはいけないのに、どこか混乱したまま仕事に戻り、頭で考えたまま日常を送り、しっかり立ち止まってケアをしなかったこと。

少し人よりも繊細な感受性を持って生まれたのは仕方のないことなのだから、柔らかい新芽をつけた花のように、柔らかい真っ直ぐな瞳の赤ちゃんのように、世話をして、気をつけてあげなくてはいけません。そしてその感受性を生かした生き方、選択ををしていかなくてはいけません。

IMG_0296細胞検査をするのか、手術を受けるのか受けないかを考えるは、その次の段階でよかったのに。

本当にごめんね。

もう一人にしないからね。

この週末は身体を緩めて、滋養を与えて、ゆったりと過ごしたいと思います。