28年ぶりの再会

母校の文化祭に行ってきました。

西荻窪にある女子校の母校は、私たちが在学していた頃(かれこれ27、8年前(笑))とはすっかり面変わりしIMG_0281、赤煉瓦のおしゃれな建物になっています。

1つだけ当時の校舎が残っているだけの、もう母校という面影のない母校ですが、テニスコートとホールだけは当時のままでした。

姪と母と一緒にその場所に立ち、賑やかに華やかに催し物をしている後輩たちをみているうちに、不思議なことが起こりました。

当時の私のエネルギーが、私の中に笑顔で入ってきたのです。

当時私は「クラスで候補を必ず一人出さなくてはいけない」の例のノリで候補者に祭り上げられ、個性派ぞろいの他の候補者の中で一番無難だったこともあり、期せずして生徒会長になってしまいました(せっかく陸上部に入って楽しくやっていたのに)。

当時の母校の歴代生徒会長は皆学業もトップレベルのスーパースター。眉目秀麗で弁も立つ華やかな人達でした。

いやはや、こりゃあ、大変なことになってしまったなと、当選を聞いたトイレの中で頭を抱えて、がっくりと肩を落としたのを覚えています(笑)。

そこからは見様見真似、七転八倒、仲間たちと1年間とにかく走りました。

尾崎豊が流行っていた頃で、自由 v.s 校則 の図式がまだ残る中、生徒と先生たちの(喧嘩腰含む)座談会をしたり、当時掟破りだった後夜祭を男子OKで解禁したり、伝統だった生徒会バンドをやめて先生たちに無理矢理バンドを組んでもらい歌ってもらうなどなど、今思い返すと、怖いもの知らずの1年間でした。

「やるべきことをきちんとやって、皆勤して、成績もきちんとしていますけど、何か?」尾崎豊とは違った路線でしたが、自分の目の前の社会である学校や、青春真っ盛りいつもエネルギーと不満を燻らせていた生徒の両者とがぷり四つに組んでいた(思い返すと顔から火が出そうですが)毎日でした。

「あの頃はなんでもできる気がしていたな。そして未来が全て手の中にあったのに」

と思わずつぶやく私に、母が隣でけたけたと笑いながら、追い討ちをかけるように一言。

「そうそう、答辞で『10年後、20年後の私たちを見ていてください』なんて強気なこと言っちゃってたわよー」けたけた。

むう…………(⌒-⌒; )  母よ。

 

そして、大きく深呼吸をした瞬間のことでした。

その頃の自分が、笑顔で私の肩を叩いて、振り向くと、私の中にすっと入ってきたのです。

大学に入ってからの失望の日々。

社会に出てからの現実との戦い。

子育ての現場の厳しさや働く女性たちの四苦八苦を見て、人を癒し、ケアすることに奔走する日々。

疲れ切り、傷つき、どこかで小利口になることを覚え、諦めの花の種を手に入れた自分の20数年間が、まるで靄が晴れるように消えて「あれ、私、今まで一体何をしてきたんだっけ?何に傷ついてきたんだっけ?」と、目が覚めたような不思議な感覚でした。

ノスタルジーが私に見させてくれた幻だったのかしら。

そんな風に思って眠りにつきましたが、一晩経っても、あの頃の私はしっかりと今の私の一部となって、ちゃんといました。

そして、私ににこにこと話しかけてきました。

IMG_0283「おはよう。私。目が覚めた?さあ、これで準備万端。一緒にまた飛ぶわよ。」

ちょっと、一呼吸置いて出てきたのは

「望むところ」

あの頃の私とタグを組み、シコリんという頼もしい指南役を抱えながら、雄々しく生きていけそうな気がします。