熟成

最近、一つの言葉が私の中で、重力を持って、ゆったりたゆたいながら、私を自由にし、つなぎとめ、呼吸を深くして、私自身でいられるように導いています。

それは

「熟成するのを待つ」。

元々「成熟」は好きな言葉で、自分の中でフィーバーした時期が何度もありましたが、今ほどその真価が分かり、また体感しようとしていることはありませんでした。

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きっかけは「熟成肉」でした(笑)。

巷で流行っているという「熟成肉」ってなんだろうと思いネットで調べ、発酵と熟成の違いについて改めて知りました。

大雑把に言うと

発酵は外部からの微生物が糖質を代謝して別のものに化学変化するもの。

それに対して

熟成は自らの酵素によってタンパク質をアミノ酸に分解してうまみを出すこと。

そうなのです。
「熟する」「熟成する」とは、化学的に言うと、自らの酵素 で 自分の中にあるもの を ウマミに変える/変わるプロセスなのです。

今まで私の中で「熟するのを待つ」「熟成させる」のイメージは、答えが見つかるまで待つ、完全な形になるまで待つ、整うまで/構築されるまで待つ…という、どこか心理的なパズルのようなイメージのものでした。

でも、それはどうもしっくり来ない、一生かけても熟成しそうもない、そして、たとえ熟成したとしても、美味しくなさそうな、硬い堅い食べられない何がしかができあがるイメージでした(笑)。

けれど「熟成は自らの酵素によってタンパク質をアミノ酸に分解してウマミを出すこと」ととらえると、いきなり有機的で、息遣いや音まで聞こえてきそうな熟成過程と、柔らかく、旨味の詰まった、子どものまるまるした頬の中で美味しくほお張られて、栄養になりそうなものになりそうなイメージが生き生きと湧いてきます。

自分の中の酵素は、経験、知識、感情、情動、癖、個性、嗜好、体癖、エトセトラ。

それらが自分の中にあるいのちのエネルギーをうまみに変化させて、美味しく美味しく頬張れて、栄養になるようなもの(出来ればちょっとクセになる芳香をもって)に変化していくのを、じっくり、じんわり、甕の中で、待つべし…待つべし。

舌舐めずりしながら、甕の蓋をあけてはニヤニヤ、あけてはニヤニヤする自分がイメージできます。

これなら出来そうで、自分の熟成を焦らず待てそうです。

熟成した何がしになるまで

酵素を増やしながら

ニヤニヤ待つこととしますか(๑˃̵ᴗ˂̵)

 

注意:
1.思った以上に熟成が早いこともあるので忘れずに覗くこと。
2.腐る前に取り出すこと。

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