自分を本当に満たすもの

IMG_0155シコリんこと乳がんをメッセンジャー、ナビゲーターにして、食事による体質改善とお風呂やハーブサウナによる温熱、そして、生き方、心の持ち方を変えて、alohaを学び、自己信頼を取り戻して来た私の旅ですが、最近、振り返る度にびっくりすることがあります。

それは、食べることとの向き合い方の変化です。

幼少期はどちらかと言うと食が細く、食べすぎたりするとしょっ中口角炎になっていたくらいでしたが、長く過ごした海外から日本に帰国してからは、口角炎をものともせず(笑)どんどん大食漢になっていきました。

大学生の時には、お昼にはざる蕎麦2枚にカツ丼、さらに、おやつ、夜ご飯、夜食…とにかく疲れると何かしら口にしていました。

まるで飢えた子供のように、胃下垂で太らないのをいいことに、所謂暴飲暴食を繰り返していました。

食べることとお酒を飲むことが地球での唯一の娯楽で楽しみ♪…と豪語していて、その質も、量も、なぜそんなに食べても満ち足りないのかを改めて考えることもなく…。本当に顔が赤くなり、また青ざめます。

そして、胸に降臨したシコリんが乳がんと分かってから食事療法で向き合うと決めたものの、粗食で野菜中心にすることに、私の中のインナーチャイルドは地団駄を踏んで、号泣しながら抵抗し続けていました。

そんな抵抗をなだめるために、ほら、野菜でも、こんな風に調理して盛りつければ、こんなに美味しいでしょう?満足できるでしょう?どうかな?気に入ったでしょう。

母親や保育士が、気難しい、頑固な子どもを養育するように、根気強く作り続け、いつしかそれがライフワークのようになっていきました。IMG_0012

一年と数ヶ月経ち、同病のりんりんを見送り、不完全な自分をありのままに許し、おいのちさんと出会った夏以降…
自分自身の中で何かが変わり始め、お腹を空かせたインナーチャイルドが顔を出すことがなくなった頃から、野菜中心、腹8分目、1日平均1.5食、そして所謂嗜好品はオハナと出かけた時に一口舌の上で反芻しながら味わう(*´꒳`*)、で満足できるようになりました。

IMG_0684畑や農的生き方に共鳴していたので、若い頃はベジタリアンやマクロビ、断食に挑戦したことも何度もありましたが、あくまでコンセプチュアルな試みで終わり、本当の意味で食や食べるという行為そのものに向き合ったのは、きっとこれが初めての機会でした。

そして、今は、空腹感がありお腹がグーっと鳴ることの快感、鳴ってから質のいいもの、自分で作ったものをいただくことの至福を味わうことができるようになっています。

振り返ると、日本に帰って来てからの慌ただしく追い立てられる毎日、人の期待に応え続け、この社会に適応しなくてはいけないのだと言い聞かせ続けた高校・大学時代…

保育士やロミロミなど、対人援助と呼ばれるしごとについて、自分は後回し後回しで転がり続けて来た20年間…

私の魂はオーセンティックなもの、本物に飢えに飢えいて、その代替品として食べることに走っていたことがよく分かります。

オーセンティックなもの、本物とは何かと言えば、それは私自身。

おいのちさんと言う、私を生かしている大きな力。

その力を借りて、静かに流れ続けているいのちの調べやリズム。

そのリズムに耳を傾けて、自分の個性や感受性に嘘をつかずに生きること。

その実験をするために、それを楽しむためにここにいる わたくし。IMG_0010

そんなことに少しずつ気づき、それが本物の私なんだと言う確信を1ミリずつ、1ミリずつ深めていき、赤ちゃんの時のような自己信頼を取り戻していくプロセスと、暴飲暴食の量が反比例したことは、本当に興味深いなと思います。

こうして自己信頼を回復してきた私、癒すべきものが少しずつ癒されてきた私のスピリットが、おいのちさんとともにどこに向かうのか、どんなくらしをしていくのか…楽しみになってまいりました。

検査結果とおいのちさんと

IMG_0075病院での検査や治療などを受けずに、自分の感覚を頼りに身体と向き合うこの2年半でしたが、この方向で合っているかどうかの客観的指標だけはもってね、というオハナとの約束で、半年に一度くらいのペースで自宅でできる血液検査や健康診断センターのオプションなどを使って、腫瘍マーカーで定点観測してきています。

これまでの経過は下記の通りです。

◎CEA
(大腸がん、肺がん、乳がん、肝臓がん、甲状腺がん
子宮がん、卵巣がんなど。5以下が基準値。2倍異常だとがんの可能性、4倍以上だと転移がんが疑われる)

2016.3:21.9
2016.5:46.8
2016.7:79.1
2017.1 :46

◎CA15-3
(乳がん、子宮がん、卵巣がん、すい臓がんなど。27以下が基準値)
2016.5 : 25.6
2017.1 : 60.1

まあまあ高い数値でしたが、合わせて白血球や肝臓の数値も見てきてこちらは驚くほどいい数値になってきていたので、総合的に、このままでオーケーだと判断していました。

そして、先週届いたCEAの結果は  3.5。

あまりの低さに、私の結果ではないのでは?と思ってしまうほどで、このところは治る治らないをあまり意識しないで生きていたので、えーーー、嘘ーーーーっと戸惑ってしまいました(笑)。

体重は相変わらずの162センチ42キロ、体力が有り余る方ではないけれど、体内が綺麗に整って来ているのを感じていたので、一人で歩いて来た森の中で「こちらの方向でいいよ」と、矢印の標識に出会ったような気持ちでした。

結果を受けてオハナと話をして、これを機に一度CTスキャンだけでも受けてみようかということになり、最初は自費で検査だけを受けるつもりでしたが、父の友人経由でなぜか今回はとんとんと話が進み、マンモグラフィーや細胞診なし、手術や化学治療をしないという条件を飲んでくださり、CTとCA15ー3の血液検査、エコーだけしてくれる病院とお医者様が見つかりました。

あんなに、検査をして一緒に見てくださる先生を探すのに苦労していたのが嘘ようなトントン拍子ぶりでした(笑)。近いうちに受診して来ます。

そして、びっくりの検査結果から1週間経って色々な感情や気持ちの揺れがおさまり、気持ちもとっても落ち着いてきました。

もちろん、数値が改善したり、がんが縮小している可能性が出て来たり、自分が想定しているよりも地上での時間が長いかもしれない=もっとやれることがあるかもしれないということは、感情的には嬉しいこと。

けれど、実は数値やこのしこりががんであるかどうかは、おいのちさんの前では全く関係ない、意味を持たないことだということ。

今まで通り、おいのちさんが微笑む くらしや生き方、考え方を1つ1つ地道に選択しながら、1日1日をいきていくことには全く変わりはないこと。

それが整理できて、なんだかとても、ホッとしたところに座ることができました。

数値や目に見えることにフォーカスしている時には、ざわざわしてしまったりソワソワしてしまう気持ちも、そうと分かると、なんだかとても安心して、おいのちさんと一緒にふかふかの座布団の上で温かいお茶を飲んでいる心持ちになるのがとても不思議です。

意識の世界や目に見える世界では前に向かって、もしくはどこかに向かって一歩一歩旅をしているのだけれど、おいのちさんの前には、時間も出来事も、喜怒哀楽もふーっと静かに消え去って、ただそこにいるおいのちさんに、にっこりalohaに微笑み返すだけ…

 

この感覚に戻ると、どうしてこんなにゆったりと、にっこりと落ち着くんでしょう。

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おいのちさんの物語の 素敵なイラスト

おりしも、様々な方の無償のご協力により、おいのちさんのWEB絵本や、手作り絵本の製作がもう少しで完成するタイミング。

おいのちさんの物語が手に降りて来て1年。

私が生まれる前から、きっとずっと一緒にいて、そしてこれからも、星の彼方まで旅を一緒にしていくおいのちさんと 微笑みながら一緒にいる今を 味わいながら、大切にしながら、毎日を楽しく、面白がって生きていけたらなと改めて思う夏です。

緑を育てるように

IMG_6803私が大好きな作業で、呼吸が楽になる、ALOHAに戻れる、欠かすことのできないことがあります。

 

それは、植物を育てること。

華やかなお花が咲く花というよりはどちらかというと緑が多い、「雑草」と言われてしまうような草花や観葉植物を育てるのが大好きです。
亡くなった大好きな祖母も、母も大の花好き。

若い頃はそこまでハマると正直思っていませんでしたが、20代からぼちぼち植木を育て始め、今はないと落ち着かないくらい好きな作業です。

小さくてもいいから、ちょっとしたハーブや野菜を植えられる自分の地植えのガーデンを持てたら、と言うのが夢です。

グリーンフィンガーと呼ばれるほどとっても上手ではないけれど、室内外の植物に触れることは、料理、ロミロミの仕事、動物や赤ちゃんに触れるのと同じくらいの喜びです。IMG_6800

最近、気づいたことがあります。
それは、大きな抜本的な変化よりも、ほんのちょっとの工夫が、実は大切だったりするということ。

例えば、弱ってきているなと思ったとき、肥料を入れたり、土を変えたり、植木鉢を変えたりしてしまいがち。若い頃はそんな風にして、劇的に生き返らせることもあれば、逆に枯らしてしまうこともありました。

けれど、
ほんの少しだけ 日陰にしてみる
逆に日の当たる場所にしてみる
ほんの少し 風が通るように鉢と鉢を離す
ほんの少しだけ 支えを添える
ほんの少しだけ 土を足す
ほんの少しだけ 上の方の枝を切ってみる。
時にはほんの少しむきをかえたりするだけでも元気になることがあり、驚きます。

その方が逆に、確実に着実に蘇ったり、また花を咲かせたりしてくれます。

IMG_6802鉢を変える、土を劇的に変える、などの大手術/大改革は草花にとってもとてもストレスなので、それは元気な時にやってあげるのが理想。人間と同じです。

そんなことを考えながら植木いじりをしていて、自分にもこんな風に接して、自分も夢も育ててあげたいなと思いました。

自分にないものをなんとか持ってこようとしたり
足したり削ぎ落とそうとしたり、
考え方やくらしを大きく変えようとしたりするのではなく

ほんの少し 風通しを良くする
ほんの少し 人の手を借りてみる
ほんの少し 自分にALOHAを注いでみる
ほんの少し 手綱を緩めてみる
ほんの少し できることから、くらしに何かを足してみる / 引いてみる

草花をあつかうような繊細さと根気強さと優しさで
自分と夢を ALOHAの心を
死ぬ直前まで育て続けて向こうにできるだけピカピカのまま持っていきたいなと思う今日この頃です。

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「謎床」だったんだ…

IMG_0250このところ、夏痩せ解消のためと称して少し食べ過ぎたためか、夏の疲れか、はたまた 私には計り知れない シコリんの都合なのかわかりませんが、縮小傾向にあったシコリんの右端が、ぽぽん と大きなナメコ大に成長しました。

それを機に、自問自答、答えのない禅問答のような問題、私の趣味の一つでさえある、一人フォーラムが始まりました(笑)。

そもそも論で、一体全体、このシコリんこと 乳がんがいなくなって欲しいのか、そうでないのか。

治る、回復する、シコリンのいらない身体を直線的に作り上げる、再構築することが目的でゴールなのか。

果たしてそうしたいのか、そうすべきなのか。

私の頭がおかしいのかもしれませんが、実はそこが乳がんだと言われてからの私の大きな答えの出ないテーマで、同病の友人たちを間近で見送ってきて、その苦痛を目の当たりにしてきてもなお、その問いは私の中に根強くあり続けているのです。

私を陰日向にサポートしてくれている両親、愛するオハナたちのことや想いを考えると、直線的にかつ速やかに、ガン完治!と言うグランドスラムに向けてひた走らなくては行けないのだと自分に言い聞せるも、子供の頃からのテーマである 「死」と言う問いと添い寝しながらのゾクゾクする長い夜を過ごしても、私の中の一人フォーラムには決着がつかないままでいます。

そんな中、一冊の本に出会いました。

編集工学の第一人者で知の巨人とも言われる松岡正剛さんと、IT界の異才と呼ばれるドミニク・チェンさんの対談をまとめた『謎床』。

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青天井の知識量とずば抜けた思考力を誇るお二人の対談は、ITの現状と未来についてから、ぬか床の話から、アニメから宗教の役割まで多岐に及ぶもので、ヒントと謎かけが詰まったワクワクするおもちゃ箱のようで、開けると手作り酵母サイダーのフタのようにしゅぽーん!しゅわしゅわーっと(笑)、美味しい飲み頃の刺激的な本でした。

この対談中にがんの再発が分かったという松岡さんの想いなどが短くもシンプルに語られているのですが、読み終えてふと、私の一人フォーラムがシーンと静まり返り、あることがすーっと腑に落ちました。

あ、そうか。

シコリンこと、この左胸の乳がんは、まさに私の謎床なんだ。

松岡さんの言葉を借りると「この自らの体内の異物性を思想や社会学や生命哲学としても語っていく」(『謎床』松尾正剛、ドミニク・チェン(晶文社)より)作業。(そんな大それた、知的な作業からは程遠いとしても(汗))。

シコリんと言う一筋縄ではいかない、複雑系の、いのちの世界からの、私へのメッセージであり、にこやかなる挑戦状。

私と言う小宇宙(おいのちさん時間がたゆたう)の中にある「いのち×感受性のうねり」のようなものを、漬け込んで発酵させて美味しくしていく、ぬか床のような役割をする謎床が、シコリンなんだ。

シコリんはついに、謎床と言う、怪しく美味しくうごめきながら体内に内包される 愛しき異物殿 と言う肩書きを戴き、この先「あ、いつの間にかシコリんがいない!どこだ!」と私が慌てふためいて探すような日が来るまで、きっと私を、私の中の小宇宙を、発酵させてくれることでしょう。

そんな気がして、台風前夜の今日のような肝どんどん(沖縄の方言で 胸がドキドキ騒ぐこと)の風が、胸の中を吹きぬけている午後でした。

熟成

最近、一つの言葉が私の中で、重力を持って、ゆったりたゆたいながら、私を自由にし、つなぎとめ、呼吸を深くして、私自身でいられるように導いています。

それは

「熟成するのを待つ」。

元々「成熟」は好きな言葉で、自分の中でフィーバーした時期が何度もありましたが、今ほどその真価が分かり、また体感しようとしていることはありませんでした。

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きっかけは「熟成肉」でした(笑)。

巷で流行っているという「熟成肉」ってなんだろうと思いネットで調べ、発酵と熟成の違いについて改めて知りました。

大雑把に言うと

発酵は外部からの微生物が糖質を代謝して別のものに化学変化するもの。

それに対して

熟成は自らの酵素によってタンパク質をアミノ酸に分解してうまみを出すこと。

そうなのです。
「熟する」「熟成する」とは、化学的に言うと、自らの酵素 で 自分の中にあるもの を ウマミに変える/変わるプロセスなのです。

今まで私の中で「熟するのを待つ」「熟成させる」のイメージは、答えが見つかるまで待つ、完全な形になるまで待つ、整うまで/構築されるまで待つ…という、どこか心理的なパズルのようなイメージのものでした。

でも、それはどうもしっくり来ない、一生かけても熟成しそうもない、そして、たとえ熟成したとしても、美味しくなさそうな、硬い堅い食べられない何がしかができあがるイメージでした(笑)。

けれど「熟成は自らの酵素によってタンパク質をアミノ酸に分解してウマミを出すこと」ととらえると、いきなり有機的で、息遣いや音まで聞こえてきそうな熟成過程と、柔らかく、旨味の詰まった、子どものまるまるした頬の中で美味しくほお張られて、栄養になりそうなものになりそうなイメージが生き生きと湧いてきます。

自分の中の酵素は、経験、知識、感情、情動、癖、個性、嗜好、体癖、エトセトラ。

それらが自分の中にあるいのちのエネルギーをうまみに変化させて、美味しく美味しく頬張れて、栄養になるようなもの(出来ればちょっとクセになる芳香をもって)に変化していくのを、じっくり、じんわり、甕の中で、待つべし…待つべし。

舌舐めずりしながら、甕の蓋をあけてはニヤニヤ、あけてはニヤニヤする自分がイメージできます。

これなら出来そうで、自分の熟成を焦らず待てそうです。

熟成した何がしになるまで

酵素を増やしながら

ニヤニヤ待つこととしますか(๑˃̵ᴗ˂̵)

 

注意:
1.思った以上に熟成が早いこともあるので忘れずに覗くこと。
2.腐る前に取り出すこと。

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関係=育てるもの

IMG_0653私の通っているタンゴ教室は今、過渡期で新しいシステムを取り入れようとしています。

 

変化に伴い、講師も生徒も、ドキドキ、ザワザワ、ガヤガヤ。

そんな時に大切なのは、お互いの理想やあるべき姿を押し付けたり、文句を言い合うのではなく、生徒×講師のパートナーシップや関係を、ダンスと同じ要領で「育てて」いくことだなと思ったりしながら、その行方を見守っています。

そして、これは全てに繋がるなぁとふと気付きました。

1番大切な自分、自分の身体との関係においても。

振り返ると、この2年と4か月、乳がんだと言われてから私が取り組み続けて来たことは、私自身との、私の身体との関係を一つ一つ育て直すことだったんだなぁと改めて思います。

小さい時から身につけて来た、かくあるべき理想や、こんな人間であらねばならないと言う堅固で依怙地な「型」のようなものが崩壊して、そこから一つ、一つ、関係を作り、育てて来ました。

睡眠の時間やタイミング、質を高めるコツ。

食事の食べ方、タイミング、量、料理の仕方、材料の選び方。

体温調整の仕方、季節の過ごし方。

仕事の仕方、質、量、休むタイミング。

人間関係だと、距離感、伝え方などのバランス。

「自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ」

自分自身の感受性を守りながら生きることへの力強い応援歌を詩にしたのは、大好きな詩人の茨木のり子さんでしたっけ。

IMG_0657この世の中に、正解や不正解は何一つなく、また誰にでも当てはまるような黄金律はありせん。

自分自身との関係の絶え間なき試行錯誤。

時にちょっとした改革。

そして、失敗込み込みの実験。

それらを根気強く繰り返しながら、程よい、うまく踊れるバランスを探し続けながら、踊り続けるしかありません。

まるでタンゴのようです。

タンゴには実は振り付けはありません。理想の型もありません。
一歩一歩が即興で、組む人、踊るステップによって、お互いに微調整を繰り返しながら、程よい関係を探りながら踊ります。

そして、曲が終われば消えていく、無形のもの。でも、その時間が身体のリズムに加わり、刻まれ、また次の曲とパートナーとのダンスが始まった時に動き出す、旋律のうねりのようなもの。

そして、私はそこに、たまらない面白みと魅力を感じます。

治す、完治する、と言う目標・ゴールを設定せず、自分自身や身体との関係を作り、育ててきたこの2年4か月の中で、小さいけれどとてもしなやかで強い、自分自身への信頼と深い絆が芽生えつつあります。

そして、それこそが、シコリんこと乳がんを授かったことで手にすることができた、一つの豊かさなんだなぁと実感している今日この頃です。

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