乳がんがなくなるのを 躊躇う心

乳がんなのに、がんがなくなるのを躊躇う心って??!と思われるかもしれませんが、実はつぼみの心の中や無意識の中には躊躇う心があることに気づかされた連休でした。

以前にも書きましたが、乳がんとわかった時、実はどこかでホッとした自分がいたのを覚えています。

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2年前の私は、人生に、生きることそのものにあまりにも疲れ切っていて、前の愛犬が少しずつ天国に近づいていくのを見守りながら、どうかこの仲良しと同じ時に天国に行けますように、この辛い人生を終えられますようにと心の底から願っていました。

ある臨床の先生の研究で左乳がん患者の多くが、乳がんとわかった時にその疲労の原因に必ず思い当たり「ああ、これで休めると思った」と口にするという統計があるそうですが、私も同じでした。(インスタでつながっている多くの乳がん患者が保育士さんだったり、看護師さんだったり、介護職、家庭内でのケアテーカーとだったりするのは偶然ではないような気がします。)

強すぎる感受性や共感能力を、自分の手で守ることも、逆にいい方向に活かすこともできなかった2年前までの自分。

人の苦労話や愚痴に耳を傾けて励ましたり、受け止めたり、マッサージをしたり、保育をしたりすることは、私にとっては慣れ親しんだ自動操縦でできることだったので、いつしかケアテーカーとしてのアイデンティティーの中に安穏と生きるようになり、気づかないうちに内部から疲労していました。

「つぼみさんのことを悪く言う人が1人もいないんだよ、みんな口を揃えていい人だと言うんだよ、そんなの変だよ。少なくとも自然ではないよ」口の悪い整体の師匠の言葉が深く突き刺さったのは、きっとそのアンバランスさやそこに安穏としている生き方に思い当たるところがあったからだと思います。

感受性をそれ以外に活かす道を探るために出た5年に渡る旅にも、肉体労働にも疲れ果て、人の期待に無意識に応えてしまう性質そのものにも辟易し、そこここに溢れる騒々しすぎる刺激も、もっともっとと何かを求め続けて何かを達成するために生きるように鼓舞する風潮も、もうたくさん!もう今世はここまで十分頑張りました、どうかもう勘弁くださいと願っていました。

そんな独りよがりで子供だった私を、仏様は、宇宙は、それでも見捨てませんでした。

もう一度やり直すための、方向変換するためのチャンスをくれました。私はそのチャンスを活かすことを選び、人生の舵を大きく切ったのでした。

衣食住を変え、生活ペースを落とし、自分のことを大切にすることや心地よいと感じる感覚を尊重すること、嫌なことや不誠実な扱いにNOと言うこと、人の援助を受けることを少しずつ学び、自尊心を取り戻していきました。

手に入っていないものではなく、もうすでに目の前にある普通の幸せや喜びを見つけて味わう心の余裕のある生活を、少しずつ、少しずつ心と身体になじませていきました。

それでも、どこかにあったのです。IMG_0170

乳がんがなくなるのを躊躇う心が。

深い深い無意識層に、タールのようにこびりついているそのエネルギーが、私の生きる力を、気力を、希望のエネルギーを堰き止めています。

天災や病気をはじめ、自分の生活を根本から揺るがす大きな変化などに見舞われると、元の生活に戻ろう、元に戻そうとする心が人には備わっているように思います。変化に対応するために心身がアラートを発信し続けると、大脳辺縁系がフル活動して元の慣れ親しんだ安定した状態に戻そうととするためで、それが生き物としての生存本能だからです。

乳がんがなくなったら、また元の私に戻ってしまうのではないか。

乳がんがあるからこそ、人の期待に応え続ける人生にNOと言えて、完璧主義を降ろすことを自分に許せて、優等生的で道徳的な価値観を脱ぎ去ることができているけれど、もしもこれがなくなったら、私はまた自分をあの独りよがりで不自然な習慣の中に戻してしまうのではないか。

そんな恐れがあることに、そして、あれだけうんざりしていた前の自分や習慣に、それでも戻ろうとする心の力学があることに、自分でもびっくりでした。

IMG_0171人も万物も変化し続けているのが自然。

この2年間で身につけたもの、逆に削ぎ落としたものがこれだけあるのだから元に戻ることはありえないんだから大丈夫。

もう図書館に乳がんをお返ししても、メッセージは心に刻まれたから大丈夫。

その先には、新しい私しかいないし、それ以外はありえないんだから、大丈夫。

ノートに書いて、何度も読み上げます。

古い心の習慣や元に戻ろうとする力学に逆らって、それらのエネルギーをヒョイっと躱して、タールのようにこびりついたものを洗い流して、花咲き乱れる春を迎えたいと思います。