おいのちさんに 身心脱落(o^^o)

IMG_5676.JPG「身心脱落 」という言葉があります。

私がこの言葉に出逢ったのは、私が自分の内側を探そうとして自分の外側をさまよっていた30代の頃。葉山を拠点に活動されている藤田一照禅師の坐禅会で只管打坐についての講義を頂いた時にこの「身心脱落」という言葉を知りました。

身心脱落とは

「ただわが身も心もはなちわすれ、ほとけのいへになげいれて、ほとけのかたから行はれて、これにしたがひゆくとき、ちからもいれず、こころもつひやさずして、生死を離れ仏となる」

という道元さんの言葉がその真意を言い表していますが、忘我の境地であり、三昧であり、只管打坐(ひたすらに、なりきって坐る)そのものの極意とされています。

ただただ、仏の世界に身も心も自分を投げ入れて、仏の世界の方から何かしらが働きかけてくるのを待って、それについていく時、力まず、疲れることもなく、生も死も超えた境地に達する…。

とても到達不可能な難しいことのように聞こえるこの世界に、コンセプチュアルに憧れていた時期があり、暗黒舞踏の流れを組む舞踏を始めてみたり、坐禅をしてみたり、活元をしたりとジタバタと追い求めて来た30代後半でした。

先日なぜか、ふと道元さんの言葉の「仏」を、おいのちさん に置き換えて呟いてみました。

そして、ああ!そうか…と腑に落ちました。

「ただわが身も心もはなちわすれ

おいのちさんのいへになげいれて

おいのちさんのかたから行はれて

これにしたがひゆくとき

ちからもいれず

こころもつひやさずして

生死を離れた いのちとなる」

悟りの境地にいたるのかどうかは別として、おいのちさんが私のいのちの流れをいつもあるべき在り様にしてくれていること。

私がいのちの勢い、流れを塞きとめるようなことや思考、行動、計らい、ジタバタさえしなければ、いのちはそのまんまの勢い、そのまんまの流れで淀みなく流れていくこと。

がんや病気があっても、それは同じ。

がんや病気はおいのちさんの大きな流れに戻るための橋で、その橋を渡るために必要なのは、力みも、計らいも、余計な働きかけもせず、周りとのご縁を大切にしながらただ歩むこと。

道元さんの言葉と重なり、すーっと身に染みました。

在家で仏道修行など何もしていない私のこんな理解を読むと、違うぞーと言う声が各方面から聞こえそうですが(^_^;)、でも、今の私には、この世界が何よりリアルで、無理がなく自然なもので、日常の小さなことを喜びながら生きられる魔法です。