トライアル期間終了

img_5906はな観音こと、はなちゃんが来てくれて2週間。保護犬の場合は、一応二週間のトライアル期間を設けて、犬も里親もこのまま家族になりたい!と相思相愛になったところで、正式譲渡となります。

そんな はなちゃんとつぼみの二週間は、子どもの慣らし保育のような、中年の恋人同士のような二週間でした。

保育士の頃の経験を生かして、信頼関係を作りながら様子を見て少しずつ色々なことに慣れてもらい、はなちゃんの自信を育てます。

だめなことや無理なことは、優しく、でも毅然とした態度で(犬は集団の生き物なので、曖昧な態度や指示系統は混乱させてしまいます)だめだと伝えます。

まるで受け入れの時の保育士のようです(笑)。

逆に実家の家族に慣れるように促し、預ける時は、まるで赤ちゃんを保育園に預ける母親の心境。゚(゚´ω`゚)゚。

分離不安にならないように、でもはなちゃんしか見えない自分にならないように、お互いに癒着しすぎないように、見かけはあっさりした態度で出かけるも、お出かけ中はいつもはなちゃんのことを考えてそわそわ(笑)。

社会性も大切で、家族の中が好きな犬族のはなちゃんには、なるべくたくさんの人に可愛がってもらえたらなと思っています。

ここまでは慣らし保育のお話(笑)。

中年の恋人、と申しますのは、お互いに重ねて来た年月のことは不問(はなちゃんは語れないので(笑))のまま、今のお互いを受け入れて、不完全なお互いの、そのまんまで、ただただ一緒にいるだけで嬉しいのです。

若い(仔犬)の頃からお互いの関係を育てる(躾ける)のとは違い、過度な期待もなく、ありのまんま、そのまんまでいいのです(^ ^)

はなちゃんの眼差しは本当に優しくて、ワンともスンとも言わない穏やかな性格(ごはん待ちをしてる時だけ待ちきれず鼻がブーブーなってしまうところがご愛嬌(笑))。

まるで愛と優しさだけで出来ている生き物のようです。

そんなはなちゃんの目を見ていると、自然と私の目尻も優しく下がり、お互いにっこりいつまでも見つめ合ってしまいます( ´ ▽ ` )

はなちゃんのように、愛と優しさだけで出来ている生き物にはなれないけれど、でもはなちゃんの隣にいると、私の中の優しい気持ちがスクスクとニコニコと、育っていきます。

はなちゃん、来てくれてありがとう。

どうぞこれからもよろしくね。

ずーっとずーっと、よろしくね。

大切なこと を 再び

我が家に、新しいパートナー犬でサロンの看板娘で、img_5849 生き菩薩(笑)のおっとり はなちゃんがやって来て6日目が終わろうとしています。

保育士の頃は0歳児1歳児クラスの担任が多かったので、まるで慣らし保育だなぁと思いながら、はなちゃんとの6日間を過ごしました。

分離不安でいっぱい(まして、一度捨てられて保健所で死を待つ時間を過ごしているだけに)のはなちゃんの存在そのものを、全肯定でぎゅーっと抱きしめ続ける→少しずつ自分から探索するまで待つ→探索したら戻って来られるようにそばで見守る。

失敗しても怒らず、出来たことを褒めて励ます。

少しずつ、少しずつ。img_5855

今日あたりから、はなちゃんも安心して大丈夫なんだ、と私を信頼して来てくれたのが伝わって来ます。

私自身に関して言うと…この6日間、シコリんこと乳がんのことを思い出したのは、多分トータルで2時間もないかもしれません(๑˃̵ᴗ˂̵)

自分ではそこまで自分の乳がんや自分のことにばかりフォーカスしないようにしてきたつもりだったのですが、こうやって自分以外のケアを必要としている存在に、自分がしてあげられることを探して一生懸命無心に行っている時間を過ごしてみると、如何に自分がこの20ヶ月近く、自分のことしか見えていなかったかが分かります。

そんな私を、暖かく見守って来てくれた全てのOHANAに本当に心からありがとう。

そんな大切なこと、ALOHAをもう一度思い出させたくれたはなちゃん、本当にありがとう。

つぼみのメニューは 相変わらずベジタリアンメニューで1日2回。

はなちゃんのダイエットメニューは、シニア用のドックフードを少しに、つぼみのベジタリアンメニューのネギ類抜き、味付けなしで、1日2回。

おやつは2人ともリンゴと豆乳ミルクティー。

なんともいいバディ(相棒)ではありませんか!(笑)

明日からまた一つずつ、お互いのペースを大切にしながら、喜びにフォーカスしてやっていこうね、はなちゃん(^ ^)

春の足音が聞こえて来ています。

 

 

 

はな観音が 春を運んで来てくれました

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はじめまして はなです♪

ついに、待ちに待った新しいパートナー犬、はなちゃんが我が家にやって来ました(๑˃̵ᴗ˂̵)

はるばる木更津から、預かりの杏組さんのご家族に連れて来てもらったはなちゃんは、お見合いの日のままの穏やかで優しい顔に、ちょっとだけ不安げな表情も覗かせて我が家に上陸(笑)しました。

保健所からの引き出し(と言うそうです)で、預かりのベテラン杏組さん宅で4ヶ月近くてかけて心身ともにリハビリをしてきて貰った、推定8ー10歳の女の子です。

http://aumehanamg.exblog.jp/26296496/

昨年3月に天国に旅立った愛犬メイとの約束を果たそうと保護犬の情報を探していて、一目見てその穏やかな瞳と優しい表情に「あ、きっとこの子が私の新しいパートナーになってくれる♩」と思いました。

そして、預かりの杏組さんとのメールのやり取りを重ね、Ohana達の協力のもとでお見合いにこぎ着け(本当にありがとう(o^^o))、ついに我が家にやってきてくれた はなちゃんは、案の定とてもとても穏やかで、そして、きっと辛い経験から学んだのであろう「諦めと紙一重の達観」したところのある菩薩顔の優しい子でした。

1日目、2日目は眠っていても私の気配を全身で確かめて、抜き足差し足で細心の注意を込めて移動しても びくん!と起きて後追いしたり、夜はオネショをしたりしてしまうほど不安なのに、自己主張をしたり要求したり、声も出さずに健気にしているはなちゃん。

ここにいるよ
大丈夫よ
もう はなちゃんを傷つけたり
苦しませることは起きないよ
ここにいるよ
そのまんまの はなちゃんで
安心して大丈夫だからね

声にだして語りかけ続けて、そっと抱きしめ、マッサージをして…

3日目の今日はようやくお腹を見せて寝そべるようになり、ちょっとの間なら私が見えなくても眠れるようになりました。

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膝に甘えてみたりして♪

今朝お散歩をしていると、あんなに冷たく凍りつくような雪が降っていたのに、散らずにその柔らかさと色合いをたもった梅の花びらが、雫を含んでキラキラと青空に輝いているのを見て、その姿がはなちゃんに重なり、思わず立ち止まって眺めてしまいました。

「いくつになっても 生きてさえいれば 花が咲く」という思いで、預かりの杏さんがつけた 「咲くちゃん」という仮の名前。そして、その想いのバトンを受けとって、「自分の(はなちゃんの)花が咲くだけではなく、みんなの心の花をも咲かせる花菩薩、花観音様♪」そう感じて、咲くちゃんから はなちゃん にしました。img_5745

でも、心から安心してペースを掴み、この達観した表情から、もっともっと無邪気な表情にもなるには時間がかかることと思いますし、ゆっくり時間をかけて欲しいなとも思います。

はなちゃんにどこか似て、達観と言う名のあきらめの花を心に咲かせて、乳がんとわかっていても放置してきた私。

そんな私をこの1年10ヶ月、ありのままを全受容し、でも無理をせず自然体で見守ってきてくれた大好きなOhanaにしてもらったことを、今度は私がはなちゃんにしてあげる番です。

はなちゃん
これからよろしくね。一緒に幸せな時間をたくさん過ごそうね☆

仏様、はなちゃんのおいのちさんをお預かりします。

私も元気で長生きするから、はなちゃんもね、約束ね。

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床暖は極楽、極楽♪

あれれ?あれあれ?ちょと欲張りになってきましたヨ(笑)。

そんなつぼみとはなちゃんを おいのちさんはニコニコみていてくれる気がします。

おいのちさんに 身心脱落(o^^o)

IMG_5676.JPG「身心脱落 」という言葉があります。

私がこの言葉に出逢ったのは、私が自分の内側を探そうとして自分の外側をさまよっていた30代の頃。葉山を拠点に活動されている藤田一照禅師の坐禅会で只管打坐についての講義を頂いた時にこの「身心脱落」という言葉を知りました。

身心脱落とは

「ただわが身も心もはなちわすれ、ほとけのいへになげいれて、ほとけのかたから行はれて、これにしたがひゆくとき、ちからもいれず、こころもつひやさずして、生死を離れ仏となる」

という道元さんの言葉がその真意を言い表していますが、忘我の境地であり、三昧であり、只管打坐(ひたすらに、なりきって坐る)そのものの極意とされています。

ただただ、仏の世界に身も心も自分を投げ入れて、仏の世界の方から何かしらが働きかけてくるのを待って、それについていく時、力まず、疲れることもなく、生も死も超えた境地に達する…。

とても到達不可能な難しいことのように聞こえるこの世界に、コンセプチュアルに憧れていた時期があり、暗黒舞踏の流れを組む舞踏を始めてみたり、坐禅をしてみたり、活元をしたりとジタバタと追い求めて来た30代後半でした。

先日なぜか、ふと道元さんの言葉の「仏」を、おいのちさん に置き換えて呟いてみました。

そして、ああ!そうか…と腑に落ちました。

「ただわが身も心もはなちわすれ

おいのちさんのいへになげいれて

おいのちさんのかたから行はれて

これにしたがひゆくとき

ちからもいれず

こころもつひやさずして

生死を離れた いのちとなる」

悟りの境地にいたるのかどうかは別として、おいのちさんが私のいのちの流れをいつもあるべき在り様にしてくれていること。

私がいのちの勢い、流れを塞きとめるようなことや思考、行動、計らい、ジタバタさえしなければ、いのちはそのまんまの勢い、そのまんまの流れで淀みなく流れていくこと。

がんや病気があっても、それは同じ。

がんや病気はおいのちさんの大きな流れに戻るための橋で、その橋を渡るために必要なのは、力みも、計らいも、余計な働きかけもせず、周りとのご縁を大切にしながらただ歩むこと。

道元さんの言葉と重なり、すーっと身に染みました。

在家で仏道修行など何もしていない私のこんな理解を読むと、違うぞーと言う声が各方面から聞こえそうですが(^_^;)、でも、今の私には、この世界が何よりリアルで、無理がなく自然なもので、日常の小さなことを喜びながら生きられる魔法です。

力まず 計らわず 働きかけず

南無そのまんま そのまんま。

力まない 力まない。

計らわない 計らわない。

働きかけない 働きかけない。

社会の流れや奨励されている生き方と正反対だけど、おいのちさんの世界では、このモードの方がスムーズに自然に、楽に進むことを日々実感しています。

ミヒャエル=エンデの「モモ」の中の主人公モモが、時間の家にたどり着く前に歩いた道…ゆっくり進むほど早く到達する不思議な道のように。

証拠のない目に見えないものを信じること、私たちには到底計り知れない真理の中に生かされていることを理解するのは、本当に大変なことです。私はひょんなことから30の時にそのベクトルを意識し始め、以来14年。本当に本当に長い旅路でした。

どんな法話を拝聴しても、どんなに瞑想や坐禅をしても、どんな本を読んでも、体験談を聞いても、手綱を離すことの恐怖、見えない道に一歩踏み出すことの恐ろしさを手放すことはできませんでした。

けれど、シコリんを授かってジタバタすることにお手上げ!(笑)、すっかり白旗を揚げてみ渡すと…「唯仏与仏」=仏さまの到達した宇宙の真理には私達はとても到達できないのだと言う前提の中では、計らうこと、力むこと、働きかけることに意味がないことや、糸を余計に絡まらせることが少しずつ分かってきます。

今日も

南無そのまんま

力まず

計らわず

働きかけず

自分のalohaの花を咲かせること、おいのちさんが微笑むことに専心して過ごせますようにと、お地蔵さんに手を合わせます。

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雨の日も 晴れの日も そのまんまでござる