道元さん ひろさちやさん おいのちさん ありがとう

「100分de名著と言うNHKの番組があります。

テレビを見ることはほとんどないのですが、この番組だけは録り貯めていて、時々観ることがあります。

この「100分de名著 」で、ある一冊をある人が解説している、その100分が、私の人生を大きく変えてくれました。

それは、道元禅師の書かれた「正法眼蔵」を仏教研究家の ひろ さちや さんが解説しておられる番組でした。

もともと私は仏教の考え、中でも禅の教えに深く傾倒していたところがあり、坐禅会などにもよく顔を出したりしていました。

講和を聴きに行ったり、講座を受けたり、様々な仏教の書物も読みました。

けれど、どれも頭の中だけでの理解の域を超えることはなく、本当の意味で「腑に落ちた」ことはなかった気がします。

これまでの流れ、迷いの道の中で、私のタイミングが整っていたのでしょうか。

正法眼蔵の一つ一つの解説、ユーモラスで素敵な漫画、そして、ひろ さちや さんと伊集院光さんのナビゲーションの掛け合いも面白く、ハッと、ハラリと、何かが溶け(解け)ました。

いくつか腑に落ちたのですが、中でも一番私を楽にしてくれ、未だ体験したことがなかった安心の境地に連れて行ってくれたのは、「仏性」についての道元さんの解釈そのもの…と言うよりは、それを図にしたもの、とひろさちやさんの解説(笑)。

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NHK 100分de名著 より

仏性とは生きとし生けるものの中にある仏さまの心の種のようなもので、それに気づき、拡げ、深め、育てていくことが悟りへの道であり、仏に近づく道。

どこかで私達はそう思いがちなのではないでしょうか。私はどこかでずっとその考えにとらわれてきました。

だからこそ、そこに「向かって」努力しなくてはいけない、明日は今より良い自分を創造しなくてはいけない、なぜなら仏性を大きくすることが人生の目的なのだから…そんな風に思って生きてきていた気がします。

そして、そんな「まだまだの私」から「今より少しでもより良い私」にならなくてはならないと言う思いが、自分へのジャッジ、人へのジャッジ、そして何かと比較したり、無意味に落ち込んだり…と言うスパイラルに陥らせ、苦しんだりしてきた気がします。

がんだと分かってからも、その考えは抜けず、常に常に努力してきたのは、この七転八倒のblogを読んでいただいてきてお分かりの通りです(笑)。

でも、道元禅師は、仏性は「この宇宙そのもの」で、私達は仏性の海の中に泳いでいるようなもの、と説きます。

つまり、悟りはゴールでも目的でも結果でもなく、到達するものではない。

なぜなら
もう既に仏性と言う海の中にいるのだから。

その中で精一杯悩めばいいし、迷えばいい。
迷いと悟りはコインの裏表で、私達が迷おうが悟ろうが、そんなことはお構いなく仏性はいつも、そこ、ここ、今ある全てを満たしているから、安心して悩目ばいいんです、迷えばいいんです!
貧乏なら貧乏を、病気なら病気を、老人なら老人を、今を精一杯やればいいんです!

ひろ さちや先生の、にかーっと歯をだして笑われるそのご尊顔も、その解説や言葉にあまりにぴったりで(笑)、全身の力みが抜けていくのがわかりました。同時に力が湧いてきました。

 

そうか、やはりそうだったんだ(o^^o)

これは、シコリんこと乳がんを道しるべに、私がようやく出会えたおいのちさんのことなんだなぁ…と思いました。

おいのちさんに安心して寄りかかること、おいのちさんの中に安心して生きることが、ようやく、また一つ、わかった気がしました。

今日も、今この瞬間も、私は仏性に、おいのちさんにどっぷり包まれていきている…なんて安心感なんでしょう。

在家の私が努力する(身に修める)のは、そのことを信じきる心を育てることだけ。

私を取り囲む仏性、おいのちさんが喜ぶことを心がけて生きるだけ。

他の人に必要以上にお節介しなくても、みんなみんながこのいのちの海、最強でポカポカのセーフティーネットに包まれているのだから、それを信じて見守っていてあげればそれで大丈夫。

Epiphany!(ああ!そうだったのか)…

はあ…この日があって良かった。

生きてきて良かった。

ひと安心、ひと安心(^ν^)

img_5171これからはもっともっと、安心して迷い、安心して悩み、努力(仏性やおいのちさんを信じきる力を磨く)をして、ほっこり生きていけそうです。