おいのちさんからの Amaging grace

昨夜は、腎盂炎の痛みでなかなか寝付けずにいました。

いつもは温めて、たくさん水を飲めば治まってくる痛みがなかなかとれません。

熱も引き、喉の痛みも取れたのに、腎臓の辺りに今迄にない鈍いモヤモヤした痛みが続きました。

瞑想をしても、手当てをしても、整体をしても効き目がないなんて…

仕方がないので本でも読んで気を紛らわそうとお気に入りの数冊を手に取りかけて、ふと左手に取ったのは、以前OhanaのTさんから手渡されていたデール・カーネギーの「道は拓ける」。

名著中の名著として知られるこの本ですが、以前は全く頭に入らずいつも寝てしまうので読むのを諦めていたのです。

ところが、昨夜は一文一文が、全てのエピソードが、私ごととして静かにひたひたと魂に沁み入り、とうとう朝まで読み続けました。

長い長い間、シコリんができるずっとずっと前から私を苦しめ、私の歩みを止めさせ、人を心から愛すること、人生を楽しむことを阻み、台無しにしてきたものに気づくにつれて、痛みは消えていったのです。

まるで私の気づきと、その手放しに歩みを合わせるように。

こんなことがあるなんて…。

私のおいのちさんの流れを、諦めや怒りのさらにその奥で堰き止めていたのは、自己憐憫でした。

シコリんができるずっとずっと前から、そして、シコリんが分かってからの私はなおのこと…見えない深いところで自己憐憫と言う病にかかり、この世の三分の一くらいのことしか見えていなかったこと、この世の中にある美しさについては数パーセントも見えていなかったことが今は分かります。

まるで、か弱さや脆弱さを力に大人の世話を当然のように要求し暴れる赤ちゃんのように、私の中の自己憐憫は私の腎臓をはじめ心身の様々な部位を傷つけ、健全な成長と健全な老化を止めさせ、心のどこかで他者に不当な要求をしてきたことを思い返すと…

ムンクの顔をしたまま消え入りそうです。

今は恐ろしいほど心が静まり、背負ってきた何かから解放され、要らなくなっていた赤ちゃんの衣を脱ぎ捨てて伸びをするような伸びやかな気持ちを味わっています。

きっと人間だから、この感動も、この爽快感も、すぐに日常の中で薄れてしまうでしょう。

それでも、これから迎える朝ごとに、この気持ちを五分でも思い出して一日を始めたい。

これから迎える夜ごとに、この感謝の気持ちを五分でも思い出しながら眠りにつきたい。

おいのちさんからの 「Amaging grace」。

こんなにもメロディーや響きが沁みたことはない、全てがここにあることに満ち足りて感謝する朝です。

Amazing grace how sweet the sound
That saved a wretch like me.
I once was lost but now am found,
Was blind but now I see.

アメージング・グレース
何と美しい響きであろうか
私のような愚かだった者までも救ってくださる
道を踏み外しさまよっていた私を
いのちは 愛は 救い上げてくれた
今まで見えなかったいのちの 愛の その恵みを
今は見出すことができる