良いお年を

今年最後の1日になりましたね。

私を見守ってくれたすべてのohanaに心からありがとう!

このブログを読んでくれた方々に心からありがとう!

今年最後のブログは、やはり「老女の聖なる贈り物」からの引用で締めくくりたいと思います。

私にとって、この物語に出て来る主人公メギー、知性と理性の世界を優先して豊かな感情を抑え、傷を隠して生きて来たメギーは私そのもので、乳がんであるシコリんは、彼女をいのちのサークル=メディスンサークルに戻れるように導く老賢女ウィノナのような存在でした。

私にいのちの輪にもう一度戻れる道を示してくれたシコリんに、心からの感謝を。

皆様どうぞ良いお年をお迎えください。

来年の今頃は、この言葉をもっともっと魂で理解している私でいられると信じて、一歩一歩進んでいけますように☆

Mahalo

つぼみ

……………………

「あんたはへりと角しかない世界に住んでいた。だからあたしが丸い世界に案内してやった。あんたはこれからその世界をぐるぐる歩きまわるんだよ、メギー。そして回るたびに、道がはっきり見えてくるようになる。そして、あんたの目や耳を開く別の導き手がやって来るんだ。あんたは外も内もなんの違いもないってことが分かってくる。多分最後には自分をギブアウェイすることも学ぶだろう。」

「よく意味が分からないわ、ウィノナ?」

私を核心に導く言葉を探そうと、ウィノナは真剣な面持ちになっていた。彼女はため息をついた。

「学ぶというのは辛いことさ。学ぶには頭なんてなんの役にも立ちはしない。だが、この赤い道を歩いているうちに、本当に生きる時が来る。そのためにはまず自分というものが死ななければならない。これがまたすごく難しいんだ」

「なぜその選択をするのがそれほど大変なの、ウィノナ?」

私の無知に、彼女は深い哀れみの表情をうかべた。生きるために死ぬという逆説を理解するには、経験するしかないことを知っていたからだ。彼女は注意深く言葉を選んで、私の問いに答えた。

「メギーよくお聞き。あたしは年寄りだ。向こうへ渡る寸前だ。あたしは身をもって知っている。すべてが本当だとわかっている。それでも怖い。自分を放棄するということは、なくなってしまうことを受け入れるということだ。自分を放棄するっていうことは、神の創造の内側に立つこと、呼び求めること、彼らが来てくれると信じることなんだ。それはあんたの姉妹の蜘蛛かもしれない。戦士の女がくると信じて待っていても、来るのは小蝿かもしれない。それを何度も何度も、ただ屈して受け入れなきゃならない。そうやって進んでいくんだ。」「あたしの人生の全てを通して、どうやって人間になるかを彼らが教えてくれた。」

…… ………………

「老女の聖なる贈り物」プリシラ=コーガン ハーディング祥子 訳 めるまーく より

 

ムーンロッジにて

img_5265
5年前に出逢った一冊です。

私の女性としてのアイデンティティを揺さぶり、掘り起こしてくれた本で、実際にご自分がネイティブアメリカンの血を引く夫に嫁ぎ、義理母からネイティブアメリカンの癒しについて学んだプリシラ=コーガン博士が書いた「老女の聖なる贈り物」。

頭でっかちに、そして、不器用なまでに生真面目に、心の傷を隠してキャリアを積んで来た女性カウンセラーのメギーが、自分がカウンセリングしていると思っていたインディアンの老女に逆に魂の癒しを受けていくというストーリーなのですが、5年前に出会った時以上に、物語や台詞の一つ一つが深く魂に入って来ます。

新月の始まりの今日はおいのちさんモードというよりは、女性のサイクルの中の闇のサイクルに全身でどっぷり浸かっています。

インディアンの老賢女ウィノナの、こんな台詞が自分の闇に降りていく時のアリアドネの糸です。

…………………………

「自分の闇に降りていくことはいいことだよ。それがわかるまであたしもずいぶんかかったものさ」

「女というものはいつも自分の満月に近づいていくか、闇に降りていくかのどちらかなんだ。

…中略…満月のとき女は自分の周囲に全てを与える。周囲を照らして、奉仕する。家族のため、友のため、自分のサークルのために輝く、そのとき彼女の人生は、完全なサークルの中にある。

…だがね、月に一度、月の闇の中に降りていく時がある…これは女が自らの沈黙の中に引きこもる時期で、家族や友のサークルから離れる時だ。

昔の人間はこのことを知っていて、そんな時に女が一人静かになれる場所を用意していた。ムーンロッジと呼ばれるものさ。それは自分独りになる時なんだ。自分の中に新しい月が生まれるのを可能にするのは孤独だけだからね」

 

「もし引きこもらなかったらどうなるの、ウィノナ」

 

「その時はね、メギー、その女はいつも半月なんだよ。周囲のために輝きわたることもなく、自分のために輝くこともない。新しい命も生まれず、死にもしない。季節もない。全てが同じなのさ」

「老女の聖なる贈り物」プリシラ=コーガン  ハーディング祥子 訳 めるまーく より

……………………………

自分の中に新しい月が生まれる時。そんなタイミングをひしひしと感じている、年の瀬の新月です。

「死は大事な仕事」

imageこのところ、ひろさちや さん の言葉や人生観が妙に胸に沁みます。

昨日は「大往生したいなら医療に関わるな」「どうせ死ぬならがんがいい」の著者で、医師の中村仁一先生との対談「死は大事な仕事 しっかり死ぬということ」を読みました。

日本の医療の現状、患者側の思考放棄の現状から、お話は延命について、脳死について、いのちは誰のものか、老化とどう向き合うのかなどに広がり、誰も言いたがらないこと、避けて通りたいことを、ストレート直球で誤魔化さずに語られている対談で、静かに、心の隅々に染み渡りました。

化学治療を受けないなら検査も引き受けませんと断られ続けて来た謎や、日本人独特の医療お任せパック好きの謎、いのちのことは別次元の活動をしている今の医療従事者と本来の医者の役割とのギャップの謎。

溜飲が下ると共に、とてもホッとしました。

そして、それぞれに活動されているご老体に、目を開けて生きろー、しっかりいのちの本来の姿を生きろーと揺り起こされた感じでした。

タイトルは死ぬという事で、語っているのは死についてなのですが、私には「生きるという仕事」の話に読めました^_^

いのちは仏様からのお預かりもの、病気は連れ添うもの、がんなどの完治の難しい病気と分かったら、それはしっかり死ぬ日(までしっかり生きる)ことを始めるための合図、とひろさん。

今の日本の医者は技術者集団だから、いのちのことは自分で考えて、医者はうまく利用するもの。変にいじらなければ痛みなくちゃんと死ねるようにできているから、と自らも腫瘍を持ちながらあっけらかんと語る中村先生。

なんだか、肩の荷がおりました。

久高島でお目にかかったナビィさんの、しっかり生きてない人はしっかり死ぬこともできないから、しっかり死ぬためにしっかり生きないとね、という言葉と笑顔を思い出しました。

このおいのちさん、仏様からの預かりものである私のいのちを、同じく仏様から預かりものであるシコリんと一緒に歩む。

(ひろさんは、病気を、悪妻のおかげで哲学者になれたソクラテスになぞらえて、悪妻だと思って連れ添うように勧めています(笑))

目を開いていのちの本質から目を背けず、笑って生きられたらいいなと、清々しい、ホッとした気持ちでいっぱいになった本でした。

おいのちさんリッチ

img_5164このところ家カフェが少しずつクチコミで広まり、ランチを食べにきて、その後の体の変化を感じて報告してくれる人が増えました。とても嬉しいことです(o^^o)

何がこんなに喜びなんだろうと、また要らぬ哲学をしてしまう、野口整体で言うところの一種体癖人間でございます(笑)。

食べてもらうことや感想をいただくことも、もちろんもちろん嬉しいこと!

でも、それを超えた何かがあります。

それは…

料理を通して、野菜達のおいのちさんと私のおいのちさんが出会うこと☆

そして、その野菜達のおいのちさんが、ご縁ある人のおいのちさんと出会うこと☆

その瞬間を感じるのが、なんとも言えず嬉しくて、ピカピカの、至福体験です。img_5149

最近は、ロミロミや整体に関しても、実はお客様の感想や結果はあまり気にしていません(笑)。

それは、私のおいのちさんとその人のおいのちさんの約束で、そこに顕在意識さん「あたま子ちゃん」は介在しない気がするからです。

気持ちよかったーと言われても、合掌(*´︶`*)

物足りなかったーと言われても、合掌(*´︶`*)

相手のおいのちさんとの約束を精一杯果たせばいいのではないかと思って施術しています。

img_4367お金持ちにはなれなそうな今生ですが(笑)、おいのちさんリッチな人生だなぁとしみじみ思う今日この頃です 合掌(*´︶`*)

夢が1つ、叶いそうなクリスマス

150710_1233~01
天使だったラッキー

小さい頃から、とにかく犬好きでした。

祖母の家には常に常に犬がいて、最初に出会ったポメラニアンのチャッピーを、私は何故だか赤ちゃんの頃から従姉妹だと認識して育ちました(笑)。

そのチャッピーとのお別れを知った時は、一週間くらい口もきけませんでした。

我が家では、目の中に入れても痛くなかったヨーキーのチムニー、そしてこの春19歳で見送った宝物メイが家族として暮らし、幸せな時間を共に過ごしました。沖縄で出会った迷い犬、大好きだったラッキーにも数えきれない素敵な時間を貰いました。

ヘビとタランチュラ系だけは、ちょっと距離を置いてお付き合いしたいところなのですが、基本的にどの生き物も大好きです。

そんな私の夢の一つは、やはり殺処分ゼロの社会。

沖縄で出会った迷い犬ラッキーを、ご縁あって保健所から引き取る時に入った、処分を待つ犬達の部屋、というより冷たい檻の中。

その惨状と瞳を、生涯忘れることはできません。

犬だけでなく猫や鳥、数々の哺乳類や爬虫類…人類を代表して謝っても、謝りきれない所業です。

一つでもいいから、小さくてもいいからできることをしたくて、署名活動やシェルターへの寄付をして来ましたが、今年はちょっと嬉しい年末年始になりそうです。

私が引き取れたらいいなと思い、先日会いに行った保護犬2匹の写真をみて、先住犬を看取った叔母達が引き取りたいと前向きに検討してくれています。

そうなると、私はまた新たに2匹ほど里親になれることになり、合計4匹の犬達を大切な家族としてお迎えできるかもしれません^ ^

組織化して様々な活動をしてくれている方々、それを支えるたくさんのボランティア、そのボランティアを支える家族。みんなの願いと温かい心で繋がれる命。

あちこちに仏様が微笑んでいます。

クリスマスイブにみんなでお見合いに行きます。

今から心がポカポカ、そわそわの日々です(o^^o)

安心の中に生きています

おいのちさんワールド 仏さまワールド

引き続いております(*´︶`*)。

日常で焦ることが起きても、道元さんの見せてくれた世界…仏性の中に私達がぷかぷか浮いている世界…をイメージすると、なんだかとても気楽になり、全てが今迄の見方と違って見えます。

その世界の中には、生もなく死もなくて、生もあって死もあります。全部あって、全部ない、ないけどある、あるけどない(笑)…

うーん、なんだろう、この安心感。

生きていることも、死んで行くことも、仏性の中なのですから、こんなに安心なことはありません(*´︶`*)

ここで自問自答。

はてさて

であれば何故、身体をケアするのか、何故身体に良くて美味しいものを作り続けるのか。

そのまま、無為自然でいいのではないか、と。

(無為自然にアメリカドッグにかぶりつくとか、ニューヨークチーズケーキに顔をうずめるとか、揚州商人の刀削麺を食べるとか!ドキドキ(笑))

理由はただ一つ。

身体をケアしたり、身体にいいものを選び続けるのは、がんをなおしたり、長生きするためではなくて、私の身体も仏様だから(*´︶`*)。

大切なお方を、大切に扱わない人はいないし、道理はありません。

私の身体と言う仏を磨くために、身体をケアしたり、身体が喜ぶものを食べる。

生きている間はピカピカに生きられるように、死ぬときもピカピカに死んで行けるように、今日をピカピカに最大限生きられるように。

その為のケアで、その為の選択なんだなと分かりました。

私の身体という観念を離れて、自分の毎日を観じてみると、人にマッサージするのも、その人が仏(の子)だから。

料理するのは、仏(そのもの?)である野菜を、仏の子である私が調理し、仏として食べるため。

(と言うことは、やはり、インドの黄金寺院の無料食堂のドキュメンタリー「聖者の食卓」に戻り、He himself cooks にもどるんだなぁ(*´︶`*))

それをことさら神聖視するのでもなく、当たり前のこととして、愉快なこととして、コツコツと、ほっこりとやっていく…それだけなんだなと分かり、今日もほっこり幸せな1日でした。

 

道元さん ひろさちやさん おいのちさん ありがとう

「100分de名著と言うNHKの番組があります。

テレビを見ることはほとんどないのですが、この番組だけは録り貯めていて、時々観ることがあります。

この「100分de名著 」で、ある一冊をある人が解説している、その100分が、私の人生を大きく変えてくれました。

それは、道元禅師の書かれた「正法眼蔵」を仏教研究家の ひろ さちや さんが解説しておられる番組でした。

もともと私は仏教の考え、中でも禅の教えに深く傾倒していたところがあり、坐禅会などにもよく顔を出したりしていました。

講和を聴きに行ったり、講座を受けたり、様々な仏教の書物も読みました。

けれど、どれも頭の中だけでの理解の域を超えることはなく、本当の意味で「腑に落ちた」ことはなかった気がします。

これまでの流れ、迷いの道の中で、私のタイミングが整っていたのでしょうか。

正法眼蔵の一つ一つの解説、ユーモラスで素敵な漫画、そして、ひろ さちや さんと伊集院光さんのナビゲーションの掛け合いも面白く、ハッと、ハラリと、何かが溶け(解け)ました。

いくつか腑に落ちたのですが、中でも一番私を楽にしてくれ、未だ体験したことがなかった安心の境地に連れて行ってくれたのは、「仏性」についての道元さんの解釈そのもの…と言うよりは、それを図にしたもの、とひろさちやさんの解説(笑)。

img_5201
NHK 100分de名著 より

仏性とは生きとし生けるものの中にある仏さまの心の種のようなもので、それに気づき、拡げ、深め、育てていくことが悟りへの道であり、仏に近づく道。

どこかで私達はそう思いがちなのではないでしょうか。私はどこかでずっとその考えにとらわれてきました。

だからこそ、そこに「向かって」努力しなくてはいけない、明日は今より良い自分を創造しなくてはいけない、なぜなら仏性を大きくすることが人生の目的なのだから…そんな風に思って生きてきていた気がします。

そして、そんな「まだまだの私」から「今より少しでもより良い私」にならなくてはならないと言う思いが、自分へのジャッジ、人へのジャッジ、そして何かと比較したり、無意味に落ち込んだり…と言うスパイラルに陥らせ、苦しんだりしてきた気がします。

がんだと分かってからも、その考えは抜けず、常に常に努力してきたのは、この七転八倒のblogを読んでいただいてきてお分かりの通りです(笑)。

でも、道元禅師は、仏性は「この宇宙そのもの」で、私達は仏性の海の中に泳いでいるようなもの、と説きます。

つまり、悟りはゴールでも目的でも結果でもなく、到達するものではない。

なぜなら
もう既に仏性と言う海の中にいるのだから。

その中で精一杯悩めばいいし、迷えばいい。
迷いと悟りはコインの裏表で、私達が迷おうが悟ろうが、そんなことはお構いなく仏性はいつも、そこ、ここ、今ある全てを満たしているから、安心して悩目ばいいんです、迷えばいいんです!
貧乏なら貧乏を、病気なら病気を、老人なら老人を、今を精一杯やればいいんです!

ひろ さちや先生の、にかーっと歯をだして笑われるそのご尊顔も、その解説や言葉にあまりにぴったりで(笑)、全身の力みが抜けていくのがわかりました。同時に力が湧いてきました。

 

そうか、やはりそうだったんだ(o^^o)

これは、シコリんこと乳がんを道しるべに、私がようやく出会えたおいのちさんのことなんだなぁ…と思いました。

おいのちさんに安心して寄りかかること、おいのちさんの中に安心して生きることが、ようやく、また一つ、わかった気がしました。

今日も、今この瞬間も、私は仏性に、おいのちさんにどっぷり包まれていきている…なんて安心感なんでしょう。

在家の私が努力する(身に修める)のは、そのことを信じきる心を育てることだけ。

私を取り囲む仏性、おいのちさんが喜ぶことを心がけて生きるだけ。

他の人に必要以上にお節介しなくても、みんなみんながこのいのちの海、最強でポカポカのセーフティーネットに包まれているのだから、それを信じて見守っていてあげればそれで大丈夫。

Epiphany!(ああ!そうだったのか)…

はあ…この日があって良かった。

生きてきて良かった。

ひと安心、ひと安心(^ν^)

img_5171これからはもっともっと、安心して迷い、安心して悩み、努力(仏性やおいのちさんを信じきる力を磨く)をして、ほっこり生きていけそうです。

早くもケトン体が

img_5178玄米や小麦粉などの主食を減らしての5日目、早くも2キロ落ちました(笑)。

ケトン体が出はじめたのが分かります。

なぜわかるかって?

それは、小さい時に常用していた抗生物質を排泄したくて、断食やファスティングを30代前半から何度も繰り返してきたので(むしろ好き(笑))、肝臓と脾臓が緊急自体と判断して腫れて来る感覚、そこから今ある脂肪などを燃やし始める感覚を何回も体験しているからです。

ちょっとした吐き気、お小水の甘酸っぱい匂いも合図の一つ。(月のものの最中にファスティングをすると、経血も甘酸っぱい感じになります。これは女性ならではの気づきかも)

多くの人はここで危険を感じてやめてしまうのだけど、この感覚が実はスタートの合図です。

よくふらふらになる、頭が働かず生活に支障が…と言うけれど、私はかえって頭が冴えてきて、身軽に動け、体温も上がります。

私の場合はダイエット目的ではないのだけど、ケトン体が出始めたことで、シコリんこと乳がんへの糖質の供給も途絶え始めたサインなので、やはりウレシイ(^o^)

ココナッツオイルを使うことで、ますます脂肪の燃焼をあげるので、大好きなココナッツオイルやアーユルヴェーダの食べ方が活きてきます。img_5179

ケトン体をなるべく早く代謝するためには、運動と汗をかくこと。と言うわけで歩いてお買い物に行き、帰ってきたらセサミオイルを塗ってハーブサウナでひと汗。

ぜいたくな 「セルフアーユルヴェーダくらし」です(๑˃̵ᴗ˂̵)

炭水化物よ しばし さらば

38503a70-230e-4500-997e-0acd45d0cb3f
ケトン食  充分幸せ ホトトギス( ^ω^ )

 

前略  炭水化物様

私がどれだけあなたを好きで、私がどれだけあなたに依存していたか…親しい人達は知っています。

食事療法を始める前は、焼きそば、ラーメン、お好み焼き、肉まん、おにぎり、パンケーキ、丼ぶりもの、白玉、すいとん、パスタ…そのどれかが主食で、副食もそのどれかでしたね。

お好み焼きを主食に、ラーメンを副食に啜るひと時は幸せでございました。

食事療法を始めてからも、全粒粉と玄米を使ってあの手この手、パンケーキからパスタ、餃子の皮まで手作りして、あなたとのご縁を繋いで参りました。

そして、しばし涙涙のお別れ(「え、代わりに魚が食べられるなら、てへへ」と思わずワクワクしたことは内緒にして)…

4日めを迎える今日、あなたなしでも大丈夫な自分に、驚くやら、安心するやら。

大豆系の豆類をいただく際、また、たまに蕎麦をいただく際に、あなたとちらりとお会いすることは出来ますが、シコリんが作業の邪魔にならない程度に小さくなるまでは、少しの間あなたなしでもやっていけそうです。

またお会いできる頃には、きっとあなたともいいバランスでまたお付き合いできる気がして、今から楽しみです。

愛しの炭水化物様。

また会える日まで

いまはこれまで…(`_´)ゞ

 

 

人生に おはよう

img_5151おはよう

アイラブユー☆

今日も楽しい1日にしようね♪

 

どこのダーリンに囁いているかと言えば、先日愛を誓ったダーリン、私の人生に囁いている朝の愛の言葉です٩(๑❛ᴗ❛๑)۶

もの心ついた時からいつもいつも、今日やるべきこと、今日こなすべきこと、今日食べるもののこと、段取り、いつ休憩を入れるか、その時のマイブーム哲学などなど…脳と言うパソコンが立ち上がるなり高速回転を始めて、朝から脳内疲労を起こしていた気がします。

ここ2日は朝はまず人生にご挨拶。そして、美味しいお水かお白湯を一杯。

顔を洗ってご機嫌にお化粧してから、その日の段取りを考え始めて…いい感じで朝を迎えて、そのまま落ち着いて1日が始まります。

もしかしたら、これは普通のことなのかも知れないけれど、小さい時から過敏体質で何かに怯えて、何かが不安で、身の置き場を探して来た私には、こんな朝は初めてで新鮮な嬉しい朝なのです。

ハワイのジンジャーヒルリトリートセンターで目覚めた朝も、沖縄のリゾートホテルで目覚めた朝も、トルコの港町で目覚めた朝も、森の中で爽やかに目覚めた朝も…こんなにalohaで平和な朝を迎えることはできませんでした。

それは私が人生を愛すると決めていなかったから。人生から私を勝手に締め出していたから。

シコリんが出来て、ようやく私は私自身と人生を愛することを学んでいます。

愛するのに値するから愛するのではなく、愛するとまず自分が決めること。

初めて自分と、世界と、きちんと繋がれた気がします。

おはよう 私の朝。

おはよう 私の人生。

今日も1日よろしくお願いします。