胎内感覚

img_4719胎内記憶、というよりも、胎内感覚を味わって解放する日々が続いています。
セラピストについたわけでも、何かのワークをしたわけでもありません。

それは、日曜日に発熱していたため昼過ぎから深く眠り、目覚めたら周囲が真っ暗で、あまりの一人ぼっち感に襲われて涙が次々に溢れ出たことから始まりました。あ、この感覚は赤ちゃんの時のものだな。そこから何かが始まりました。

私は母が三回の流産をした末にやっと授かった子供です。今度はなんとかもたせたいと、ありとあらゆる手を尽くし、基本は絶対安静、熱のある時や張りのある時は椅子のまま何日も眠ったり、栄養をたっぷりつけたり、栃木から叔母と祖母が家事をしにきてくれたりして総動員の末に、7月7日生まれ…だったはずが予定日を大幅に遅れても生まれる気配がないので促進剤を打って19日にやっとのこと出てきたの。みんなが待望していた誕生だったのよ。

何度となく聞かせてもらった私誕生のストーリーです。

その後も生後2ヶ月で母乳を飲めなくなったり、音や刺激に過敏だったり、四六時中指しゃぶりしていたり、子供のくせに妙に美意識が高かったり、おたふく風邪を経過できず三回もかかって入院騒動になるなどの手のかかる子供だったものの(^-^;、両親や祖父母、叔父叔母に可愛がられて育ったと自分でも記憶しています。

なのに。

いつもどこかこの世の中にいるのがお邪魔虫のような気がしていました。私が生きていることが迷惑なのではないか、誰かの負担なのではないか、役に立つ=期待に応えることなしに生きていてはいけいけないのではないだろうか…。謂れのないそんな焦燥感にいつもどこかでかられていました。

そして先日胎内感覚をまるでVRで体感しているように体感して、胎児の時の私が、母に苦しい思いをさせていることに対する心苦しさ、命懸けで期待に応えなくてはいけないという焦燥感のようなものを体感的に感じていたことを思い出し(厳密には感じ)ました。

周りの複雑な感情や、世の中の事情、人間の入り組んだ感情など全くまだわからない赤ちゃんの私がそんな風に感じてしまったのも当然だよね。

でもね、そうじゃなかったのよ。お母さんが苦しい思いをしながら耐えていたのも、みんながエネルギーを注いでくれたのも私を待ち望んでいたからなんだよ。それは私が迷惑な存在なんじゃなくて、愛からそうしてくれたのよ。そうした聖なる尊い犠牲で命は繋がれていく。それが人間の、生きとし生けるものの命のつなぎ方だから…。

だからもう罪悪感や、迷惑なのではないかとか、期待に応えなくてはとか、そんな感情は全く要らないの。もう安心して生きていて大丈夫なんだよ。

繰り返し繰り返しそう伝えることで、肺がどんどん広がって楽になっていくのが分かります。胃がいつもぎゅっと誰かにつままれているように苦しかったのが楽になっていきます。

「まだもう少し待って、準備ができていないの」といつもいつも思いながら生きているのも、私がグズだからでも、完璧主義ゆえでもなくて、ちょっとスタートが見切り発車で焦った感覚が残っているだけ。

その見切り発車も、当時のお医者さんが私を無事に世の中に送り出すために当時ベストだと考えた末のこと。だからもうそんな風に感じる自分を責めたり、頑張らなきゃとか、このままではいけないとか、追い詰めないでいいの。

まるで自分のお腹にいる自分に、自分でも語りかけているように伝えます。

今朝は鷹揚でゆったりした気持ちのまま朝を迎え、駆り立てられる不安感や焦燥感なく1日を始めることが出来ました。

どんなセラピーでも、カウンセリングでも、癒しのワークでも解放できなかったものが今、解放されています。