かぐや姫の物語再び

「月へ帰らなければならなくなった今ようやく思い出したのです。私がなぜ、何のためにこの地へ降り立ったのか。・・・ああ、そうなのです。私は生きるために生まれてきたのに。鳥や獣のように!」

「かぐや姫の物語」を観て綴った昨年のblogを、この新月のタイミングで読み返していました。

一年経って、昨年より深く月に願います。

今よりもう少しだけ 生身の人間らしく 生きられますように。

バカみたいなことをして

バカみたいに笑ったり

バカみたいに泣いたり

みっともない失敗をして汗をかいたり

嫌いなものは嫌い!と大声で表明してみたり

誰の役にも立たないことをしてみたり

イヤなものはイヤだと 理屈ぬきに言えたり

心の底から怒ったり

ネガティヴで悪い子の自分を 思い切り楽しんだり

一日中パジャマでゴロゴロふて寝したり…

ひとしきり味わったら、また赤子のようにケタケタ笑って。

1ミリでも、ほんの少しでも仏の心に近付きたい、善の方向を向こう、理想に近づいていこう…そんな生き方の中でいつの間にか切り離してきたことや忘れてしまったこと

美意識過剰の私が すっぽりと落としてきてしまったものを

この胸に取り戻せますように。

悟らなくてもいいから

生きているうちに

もう少しだけ 人間らしく生きられますように。

ああ、そうだったのか

img_4667死なないように生きるのをやめたら

いのちの時間が始まりました。

 

善悪で判断する宗教的な脳をやめたら

善悪を超えた神話的な時間が始まりました。

 

コントロールしようとすることをやめたら

淀みなく流れ始めました。

 

エネルギーを塞き止めるのをやめたら

汲んでも汲んでも枯れない泉とつながり始めました。

 

自己犠牲を手放したら

献身することの本当の意味がわかって来ました。

 

走るのをやめたら

面白いくらい早く進み始めました。

 

なんて不思議!

なんて不思議!

Epiphany(ああ、そうだったのか!)です。

シコリんこと 乳がんとわかって一年半。

 

いのちと自分と向き合って、垣間見えてきたことはこんなにも自由で、クールで、エレガントな、宇宙の法則でした。

3をとばして 次の問題へ

img_4646小学生の時、算数で10点台を取ったことがあります。もちろん100点満点中で。

理由はただ1つ。

3問目が解けなかったから(。-_-。)

そこで色々疑問が生じてしまい、そこでフリーズして考え始めてしまい、気づいたらタイムアウト。

そこを飛ばして先に行く、など考えられない子でした。

それ以来先生に何度も何度も、わからない問題は飛ばして、わかるところから解いて、最後までとにかく解く、それから戻るんだぞと言われ続けましたが、その癖は未だに治っていないことに最近気づかされてます。

分からないことがあるとずーーーーーっと考え続けています。追求します。それが当たり前で癖で、どこか趣味ですらあります(。-_-。)

けれど、それでは解けないこともたくさんたくさんあることに、ようやく気付き始めた今日この頃。

特に何かを生み出す、創る、デザインする、目に見えるものの陰にある真実を見る時には、探し続け、追求するマインドは必要なものの、1から3を繰り返しやり直すことや3を考え続けることは非生産的で、流れや閃きを塞きとめる大きな石になることがありす。

直ぐに軽く飛ばして4へ。10から解く。もしくはいきなり36から。目に飛び込んできた問題から。時には違う科目に手を出して、また戻ってみたり。

朝起きてからいつも繰り返される思考のルーティン…1から考え、積み上げ、練り上げる思考のシステムを書き変えてみる必要がありそうです。

小学生の算数の躓きに さようならするぞ!

ようやく(何年越し?汗)、先に進みます。

ほんの少しの 大きなシフト

img_4410今回の満月の夜。

「臆病」を手放して見えてきたこと。

それは、今必要なのは、私の「特質を変える」のではなく、それを向ける・活かす方向と、そのエネルギーの色を変えることだという事。

何かが「壊れないように維持する」ために

忍耐強くある
全力でエネルギーを注ぐ
苦しみの中で献身する

から

何かを「創る」ために
時に「破壊する」ために
そして「再創造」するために

忍耐強くある
全力でエネルギーを注ぐ
喜びをもって献身する

にシフトする。

足を向ける角度を、ほんの少し斜めにズラすだけ。

こんな簡単なことだったなんて☆

何かが静かに、大きく、低い音を立てて変わり始めている今日この頃です。

ずっと こんなものが 欲しかったんだ…

img_4368聴いてもらうこと。

ノージャッジに

言葉を超えた深いところで共感しながら

分析やアドバイスなしに

魂レベルで繋がりを保ちながら

時間を外して

話の方向性を決めずに

何も結論づけずに

静かに

ニュートラルに、でも理解しようとする心を持って

心からの労わりをもって…

昨日の夜、友人夫妻が私にくれた時間は、深い深い、私でも気づかないところにあるものにそっと、でもダイレクトに触れてフワッと解きほぐすほどの力を持った、贈り物のような時間でした。

人は時々、もらって初めてこういうものが欲しかったんだ、と気づくことがあります。

まさに、昨日は、私がずっとずっと欲しかったもの…ああ、私はこういうものが欲しかったんだと気づいて、気づいたことがまた嬉しくて、思わず涙ぐんでしまうようなものを、友人夫妻からいただきました。

魂レベルで約束していたような、地球での法則や、時間すら外したような時間を「星時間」と名付けたのは、イルカセラピーで有名で沖縄在住の、大好きなアウエハント静子さん。

そんな星時間を、いただきました。ありがとう。

ありがとう🌺

img_4337沖縄に母と行って来ました☆

今回は姉と父からのプレゼント旅。

本当に本当にありがとう(o^^o)

晴れ女の母、島の神様、美味しい野菜達、調理してくれた人達、大好きな友達、みんなみんな、ありがとう^ – ^

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また元気に、そして、新しいつぼみとして、やってまいります☆

 

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img_4318私の感受性を見守り、育んでくれたたくさんの人の中に、私の大好きな叔母がいます。

表面はおとなしいのに、内面はやんちゃに空想の翼をいつも羽ばたかせ、汚れのない純粋な心で動物と子どもを心から愛して、自分の心に正直に生きるお手本になった叔母。

私達姪や甥の子どもの頃、私達の幸せな笑顔の写真を撮り貯めて「このキラキラした時間が永遠に続きますように」と心からの願いを込めてアルバムに書き綴り、その成長、成人、結婚、そして、次の世代の子育てまで見守り、愛情細やかに面倒を見てくれる叔母。

私達姪や甥は、漫画、アニメ、ぬいぐるみ遊び、おままごと、映画、海、遊園地、花火、お祭り、旅行…人生の楽しみを、この感受性豊かで愛情豊かな叔母に教えてもらいました。

女神で言うと、永遠の独身の叔母であり炉の女神、物静かに火を絶やさず瞑想の中に生きる女神 ヘスティア そのものである叔母。

そんな叔母が今、愛するものとの別れの深い悲しみの中にいます。

喜びも悲しみも、人の何十倍もの感度でそのセンサーを震わせて感じる叔母の心が、どうか癒されますように…

どうか、その涙を流し切った後にまた笑顔に戻りますように…

何を見ても、心から祈ります。

 

脳 に落ちた話

脳の中でも特に思考を司る前頭前野は、高度な精神活動を司る場所であると同時に、時にとても分からず屋のところがあります。

身体のレベルでずっと分かっていたこと、いのちの文脈でずっと識っていたことなのに、前頭前野が拒否して受け入れなかったことが、ふっと「腑に落ちる」、ならぬ、「脳に落ちる」…昨日の私の脳の中でそんなことが起こりました。

乳がんとわかってからやはり私の中ではどこかで

治る(生きる)方向に向かうか

死(終わり)に向かうか

のニ択だった気がします。

そして前者に向けて自然治癒力を高めたり、身体を解毒したり、の努力をして来ていました。

昨日、ふと脳に落ちたのは

実はニ択ではなくてIMG_4309.JPG

後者の一択だということ。

肉体の死であり魂の死ではない…と言う話は置いておいて、生まれたからには、誰もが、確実に、平等に死に向かっています。

だから、ニ択ではなく一択なのだということ。

あとは、確実にやってくるその日まで「生きる」だけ。

出来れば…

自分の感受性を生かして

この唯一無二の身体を大切にしながら

成功も失敗も面白がりながら

できるだけ寄り道をして

人、もの、こと、出会いにaloha、と挨拶しながら。

がんであろうとなかろうと、生きとし生けるものの、それは厳然とした、自然の理で、一択。

そのことが、「脳に落ち」たら(思考がようやく白旗をあげたら) 力みがまた一つ抜けました。

明日から、大好きな沖縄、大好きな久高島に、私に命を繋いでくれた母との旅行です。

今だかつてない、幸せはっちゃけの、aloha旅になりそうです☆

関係性を デザインしていいって知ってました?

IMG_4275.JPG長い長い間、デザインはいわゆるプロダクトデザイナーや設計に携わる人など、ものづくりに携わる特別な人のものだと思っていました。

流行りの「デザイン思考」と言う思考体系となると、どこかの企業の開発担当者やコンサルタントなどが製品をより売れるようにするためのテクニカルなものだと思っていました。

けれど最近、デザインとは私たち一人一人が、個々人の生きた日常を(ひいてはそこから波紋が広がり社会全体を)心地よく豊かに営むためにこそ使うものだと気づいて、私の中で大フィーバーしてます(笑)。

「人に振り回されずに自分の尺度で生きる」とか、「人との適切な距離感を取ると楽に生きられる」とか、「人との境界線を自分でしっかり決める」など、人との関係性や周りの事象との付き合い方についての心理学や社会学などの本の文言や人から様々なアドバイスをいただいたりしていました。

けれど、残念なことにしっくりくるものもやり方も見つからず、女性特有なのか私の癖なのかわかりませんが、内外から次々に「やってくる」ものに、コンマ何秒か遅れて「反応」する、レシーブする、対処する、やり過ごすというやり方しか私の回路にはなかった気がします。

シコリんこと乳がんに関しても、自分が作ったものと自覚して受け入れて「対処」はしているものの、やはりそれはやってきたものに対しての「反応」でしかなかったように思います。

ここに来て、自分自身の手で、周りの人やもの・こと・現象に対して、その「関係性をデザインしていい」こと、そして刻々と変わるその関係性を、いつでも何度でもその変化を観ながらデザインし直していいことを知り

「なんですと(//∇//)!?それならそうと早く言ってくださいよーo(・x・)/!!!」

小躍りしたり、何かにひとしきりブーイングを入れてみたりしています。

関係性をデザインするには、様々な角度から「観る」ことが必要のようです。

今をときめく国際的に活動しているデザイナー佐藤オオキさんの言うように、真正面からだけではなく、裏側から、視点のフォーカスをあえて緩めてぼんやりと、時には真逆から、そして敢えて点のみを観てみたり。

また、時には、天才的星読みの石井ゆかりさんによる今月の蟹座の占いにあるように、なんでも自己フィードバックするような主観的な姿勢から、対象物をありのままに無評価で観ることで生まれる、「本当の対峙姿勢」をとって。

観る、観る、観る、ちょっと休んで、視点を変えて、ぼやかして、フォーカスして、ひっくり返してまた観る…

そこに、自分の好みや味つけ、工夫が加わり、その対象物との関係性をデザインしていくと言う機会が、封建制度・身分制度がなく、法律で一人一人の権利が守られ、世界的に見たら余裕のある国であるこの21世紀の日本では私たち一人一人の目の前に置かれているようです。

ならば!デザインしてみよう ホトトギス♪

と言うか、しない手はありません。

そして、ちょっと飛躍しすぎに感じられるかもしれませんが、つぼみ的には、シコリんこと乳がんとの関係性すら、実はデザインしていいものだと感じています。

西洋医学、東洋医学、スピリチュアル的な見方、シコリんのメッセージに耳を傾けるところからまず一歩進んで、今日は私がシコリんそのものになって、つぼみという人を観てみることから始めたいと思います。

女性時間に入れました

このところ、自分の中から湧き出てくるものを形にしたいともがき、混沌の中でジタバタしていることをお恥ずかしながら綴りました。

そして、その混沌から何かを産み出すには、直線時間、目的意識、結論、計画、ゴール、形作る…などの男時間(左脳時間、理性の時間とも言える時間)ではない、もう一つの時間=女時間(右脳時間、集合無意識とも言える時間)、いのち時間に入ることがヒントだと感じている言うことも。

その切り替えは、ある朝、あっけないくらい、台風一過でいきなり晴れ間が広がったように、観劇の幕開けでカーテンがさっと上がったように、突然起こりました。

夜寝る前、私が敬愛してやまない知の巨人、現代の最も優れた語り部、あの世に行ってその講義を受けるのを楽しみにしている、神話学者のジョゼフ=キャンベル先生の生前の動画を観てから眠ったためか、その明け方また不思議な夢を見ました。

キャンベル先生なのか、誰か知らない人なのかすら定かではないのですが、何か高い崇高な雰囲気の人と、時空のない空間で対話をしている夢でした。

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言葉を超えた対話の中で、この世の仕組みは私たちの頭の理解をはるかに超えた、精密で完璧でものあること。宇宙は広大であると同時に過去も未来も全ての次元も、密接に繋がった「一なるもの」であること。

私のしようとしている活動はもうその完璧な宇宙に響き渡っていること。それが実現して形になるかどうかは、私の呼ぶところの「女神達」にただもう預ければいいこと。そのことが「見えて」「わかる」…そんな夢でした。

img_4272目覚めると、この数カ月高速回転していた脳のある部分のスイッチが切れたように、大きな何かの中をゆったり揺蕩う女時間に入っていました。

世の中には、コントロールできることとできないことがあります。(出来ているつもりでも、本当はできないことの方が多いのかもしれません。)

女性は特に、その身体のリズムの特徴故に、コントロール不可能なことを体験しながら育ちます。

そのコントロール不可能なものに、ハンドルや手綱を持参してコントロールしようともがくと、荒くれた川に放り込まれたように振り回され、大きな渦潮の中でばらばらにされるような感覚になることは、多くの女性が体験的に分かっていることだと思います。

けれど、そのコントロールの手綱を手放して、自ら進んでそのコントロール不可能なものに運命を「預けて」行く=「能動的な受け身」の状態で入って行くと、その嵐は止み、荒波の渦潮だと思っていたものはエネルギーに満ちた緩やかな銀河のような渦に変わります。

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そして、無目的に、形作るのでもなく、ただ練り上げては崩し、また練り上げて…陶芸のろくろを回して遊んでいるような、集合離散のリズムを楽しむ感覚になります。

無理矢理「形作る」のでもなく、「形になってくる」のを鷹揚に待てる感覚です。

この時間、このモードが、全てと繋がり、全てを生かし、全てを癒すおいのちさんの時間なのかもしれないなぁと感じます。

ここでは、いのちに目的はないこと、生も死も過去も未来も全部同じエネルギーの海に属していることが、よく分かります。

このおいのちさん時間に身を委ねている時に、本当の癒しや、本当の創造が起こるのかもしれません。

脳科学で言うと、前頭葉の電気信号の波がいい塩梅に弱まり、シータ波の波に揺られて脳神経、脳細胞が休息している…そんなところでしょうか。

と、まあ、分析はここまでにして、しばらくは、ようやく入れたこの女時間、おいのちさん時間に、安心して、ゆったりと漂っていたいと思います。