寿命をいきる シンプルにいきる

img_399274になる父が「お前を最後まできちんと見届けるまで、あと10年はがんばらなくちゃな」。

んまあ!父よ。私がそんなに短いと思っているのか、それとも父は(私が平均寿命まで生きるとして)どれだけ自分を長寿だと思っているのか.いずれにしてもおめでたい、いや、ありがたいお心ですぞ☆、と思わず内心笑いながら、ふと気づいたことがあります。

それはおいのちさんと出会って1ヶ月以上たったこの頃は、自分の寿命を考えなくなっていることです。

以前は5年生きられたらいいなと思っていました。

5センチ以上の乳がんで、がん細胞が血管も作っている進行性、痛みも浸出液も出ていて…お医者さんには行っていないため余命宣告を受けたわけではないのですが、心のどこかでなんとなく5年生きられたらいいな、10年生きられたらもうけもの!でもとにかく1日1日を大切に生きよう、毎食を自分へのご褒美だと思って作ろう、我が人生に食い残しなし(笑)で生きよう。そんなつもりで生きていました。

けれど、おいのちさんと出会ったこの至福の夏を越えて、この頃はあとどれくらい生きられるのかを全く考えずにいる自分に今日改めて気づき驚きました。

慣れてしまったからとか、鈍化したということではなさそうです。

一度がんが進行を始めたらあっという間にその勢いが増していくことを、間近で見続けてきたからです。来年はもしかしたらないかもしれない、その気持ちと覚悟は静かにいつも当たり前のものとして心にあります。

でも、もう一つの当たり前の、おいのちさんのあり方も自然にすっと心に落ちてきました。

それは、来年の今頃のことがわからないのは、がんがある私だけではなく、きっと誰もが平等に同じだということ。

来年の今頃、同じように同じメンバーで笑い合えている保証はないのは誰もが同じなのですが、それをちょっとだけリアルに意識して生きることができるマインドを、シコリんにプレゼントしてもらったなと心から思います。

そのほかにも、いのちについて悲観することもなく過度に期待をすることもなく、同じペースで丁寧に毎日を生きること、目の前の人を大切に生きること、自分自身をありのままに愛して生きること、不安やコントロールできないことはおいのちさんに任せて深呼吸して生きること、そして、楽しくてうっとりすることを空想して生きること。

生きるって、本当にただそれでいい、とてもシンプルなものなんあだなあ、亦嬉しいからずやと虫の音に思う夜です。