頭はポルシェ、身体はミニローバー?!

imageまたまたOhanaの名言

「つぼみちゃんはさ、頭(理想)が高速回転のポルシェで、身体がぽんこつの軽とかで走り続けてきたようなものだったからね(^^;;」

なんたる的確な表現!座布団10枚やっとくれ(笑)

整体の師匠には、そんなに頭でばかり理想を考えているとルパンに出てくるマミーマモーになっちゃうよ、となんども言われましたが(泣)、こちらの表現の方は妙に説得力があり、ストンと腑に落ち笑ってしまいました。

中学生の時から「克己」と壁に貼っていたくらい理想主義な人間なのですが(どこでどうしてそうなってしまったのか(泣))、身体は幼稚園の時の2回のおたふく風邪の経過の失敗により腎臓系と胃腸が弱く季節ごとに高熱を出したり、胃腸炎になったり、いつも蛋白尿が出ていて抗生物質を常用したりと、両者は完全なアンバランス。

理想主義のため、当然頭を優先させることとなり、それはそれは身体を酷使してまいりました。

高校時代は、誰に頼まれたわけでもないのになぜかスイッチが入り、死に物狂いで三カ年皆勤賞と総代をとったその代償は、乙女盛りに162センチ体重39キロのアンバランス針金ボディに、男の子に間違えられる刈り上げ女子でした。(みやらび美しや17つ(沖縄民謡で、女性の一番美しいのは17歳という歌詞)なのに(泣)

それでも理想を追いかけて最初に入った保育園は、当時珍しい四大出の保育士ということでおばさまたちの洗礼を受け、毎日誰より早く出勤して雑巾掛けとトイレ掃除、保育には入らせてもらえず素手で子供達の排泄物のついたオムツを一日中洗う役割、お茶は私の分だけ入れてもらえず水分不足、週に一度は30畳以上の床を3回雑巾掛けの半年。ようやく認めてもらえた頃には、腎臓・膀胱炎、感染症を10回以上繰り返していました。親の反対を押し切っての保育の道だったため、音を上げまいと意地になりました(笑)。

もっと色々な保育を勉強したいという理想に突き動かされて転職するたびに、雑巾掛けと年若の保育士さんからの使いっぱしりからの再スタート。10年経ったころには身体がねじれすぎ、冷えすぎて喘息になっていました。

そのあとは、環境系NPOに勤めるもハードワークで終電近くまでの残業の数年間。心機一転自然の中へ、ということで照りつける太陽の下ハワイの農園での朝から晩までの農業修行、沖縄では畑の倉庫に寝泊まりしての畑作業や沖縄価格でのマッサージ。image

東京でマッサージセラピストを本格的に始めてからは、どんなに身体が辛くても、骨折していても(笑)、一度も自己都合でキャンセルしたことがないのが誇りでもありました。25キロのトランクを持っての産後ケアの出張は春夏秋冬、沖縄から北海道までどこでも行きました。

一山越えるたびに、膀胱炎、発熱、胃腸炎。それでも、膀胱炎なんて、気にしないわ〜♪発熱だって、胃腸炎だってお気に入り♪、くらいの勢いでやめませんでした(泣)。

これではいけない→もっと身体を強くしなくては、と始めたプールも、月の日以外は毎週欠かさずぜーぜーしながら泳ぎました。

なぜ、身体を頭に合わせることしか頭になかったのか…(^^;;今は本当に本当に不思議です。きっと、その努力、忍耐、根性がそれなりに功を奏して成功体験になったからだと思いますが、振り返ると苦笑いが出ます。

そして、昨年の乳がんの発覚。

やはり・・・。ですよね・・・。

ショックがなかった言えば嘘になりますが、驚きは全くありませんでした。

むしろ、これだけの頭(理想)と身体(現実)のギャップの中、一人体育会系人生で42年間もの間よく頑張ってきてくれたね、偉かったね、と身体にしみじみ言いました。

そして、そんな私をはらはらしながら見守ってくれてきた両親、70を過ぎて娘の癌を知らされる親の心境を思い、ただただ申し訳なくて病院からの帰り道は涙があふれました。

ずっと健康でいて突然病気になった人よりは比較的冷静に、落ち着いて自分で身体のケアを始められたのは、常に抱えてきた身体の不調との長いおつきあいがあったからとも言えるのですが、それでも本当に身体には申し訳ないことをしてきたなと心から思います。

シコリんこと乳がんとともに歩む道を選んで2年目。そろそろ頭と身体のバランスを取り直す時期です。と言うより、頭を身体に合わせる時です(笑)。image

おりしも、ペーパードライバー講習で念願の運転をし始めた今日この頃☆

車に例えるとどんな車がバランスのとれた私なのか、車のサイトを見てはイメージを膨らませている今日この頃。エレガントで燃費も良くて、安定性があり、長く乗れる車。

車に詳しい方、ぜひ教えて下さい(*^^*)