いのちは はたらき

image物心着いた時から、いのちってなんだろうと考えている不思議な子でした。

私達は、どこからきて何者で、どこに行くのだろう。

その考えは、私を捉えて離さず、授業中でも、何をしていても、どこで誰といても、何を見ても、どこかに必ず心と頭のどこかにありました。

シコリんと言う いのち のメッセンジャーがやってきて、自分の身体と一人どっぷり向きあったこの一年と3カ月。

特に、野口整体の活元と言う自発的な身体の運動が出るようになってから、いのちとは はたらき そのものだと気付きました。

わたくし と言うものは、一般的にイメージされる自我でも、エゴでも、ペルソナでもないこと。

わたくし とは、その人それぞれの生まれもった感受性と言うフィルターを通して、様々な経験という名の情報がプールされた なにがしかの有機的な集合体だということ。

そして、その集合体である わたくしが、自然と湧き上がる動きと波に動かされ、そこに自発的な意思をもって 他のはたらきに対してはたらきかける、その動きでありダイナミズムそのものであること…

そんなことを、感覚的に感じることができた一年だった気がします。

それ以来、様々な事象や人の営みなどを、以前よりずっと落ち着いて観ずることができるようになりました。

その人のいのちの はたらき に、私のいのちの はたらき が呼応して、 はたらこうと動き出したときに、惜しみなくはたらきをするだけでいいからです。

私にできることは、「はたらきかけよう」とすることではなく、私のはたらきを邪魔するもの、鈍くさせるもの、止めてしまうもの…それらを、きれいに掃き清めてあげるだけ。

そして、目の前の人のいのちのはたらき と呼応したときに、喜んで動ける私であれるようにできるだけ身軽でいるだけ。

そのはたらきを人はキリストと呼んだり、仏と呼んだり、宇宙の力と呼んだりするのかしら…でも、今の私には はたらき と言う言葉がしっくり来ます。

いのちってなんだろう…7歳で始まった探索の旅は、次のステージに入っていこうとしています(*^^*)