月日痕跡(あと)なき ことのやさしさ

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わが上の 九十年を流れたる

月日痕跡(あと)なき ことのやさしさ

 

昭和の激動の時代を、歌人であり陸軍軍人の父齋藤瀏の娘として生きた齋藤史さんの歌に出会いました。

シコリんとの毎日の中で、些細な幸せから大きな幸せまで、様々なことに気づかせてもらっています。

その中の一つが、こうして様々に感じることや気づきをもらい、感受性が豊かになっていった先にあるもの…そこには成功や大きなことを為すことではなく、普通の人として、普通を慈しんで生きて還っていくという、もう一つの豊かさがあることです。

若い頃は、自我というものがどうしてもついて回り、「自己実現」、「自分を表現する」、「自分を活かす」などのキーワードがあふれるこの時代の中で、その波に翻弄されていた様な気がします。

けれど、シコリんから、もう一つの豊かさな生き方を教えてもらった今、そして、おいのちさん に出会えた今、この歌がしみじみと、そしてほっこりと、まあるく心の中で微笑みます。

この歌を知ったのは、『美人の日本語』がベストセラーになった音楽家であり、人気ブロガーでもある山下景子さんの『しあわせの言の葉」を通してです。Unknown

紹介する言の葉を残したすべての人々への山下さんの温かい眼差しと、選び抜かれた文章と言の葉に、またとてもいい気づきをいただきます。この歌の紹介文の「月日の持つ優しい一面…これに気づいたとき、私たちは、いつでも安心して、時の流れに身を任せることができるようになるのでしょう」という結びも、本当に素敵な言の葉です。

乳がんになる前の私の人生も、乳がんだとわかってからの人生も、そして、この先の人生も、途切れることなく優しく流れる時の中にふわっと、当たり前に、自然にまあるく溶けていくんだなぁ…。

そんなことを、寂しさではなく豊かさだと感じられる自分がいる今日この頃です。

おいのちさんと一緒の毎日

imageおいのちさんと出会ってから、色々なことが起き始めています。

おいのちさんの物語が手にふわりと降りてきて、一気に書き綴ることができたこと。

その物語に感動してくれたオハナが挿絵を描きたいと申し出てくれたこと。

自分がやりたいも思っていたプロジェクトに、生き生きした温かいいのちが宿って動き出したこと。

オハナからの思いがけない素敵なプロジェクトの協働のお申し出。

どれも、私のおいのちさんがにっこりまあるく微笑むことばかりです☆

眠る前と朝起きた時に、おいのちさんのそばにただにっこり一緒に座っているイメージをします。

すると、全てをおいのちさんにお預けして、出来る小さなことをうまずたゆまず、楽しみを見つけながらやっていけば全てが大丈夫、そんな気がしてきます。

乳がんと薄々分かっていても、それが寿命ならそれはそれでよし、と殺伐感と諦観を懐に入れた侍のような1年半前の心境とは全く別の、温かい 自分のいのちの全受容の感覚が生まれてきている気がします。

自分の寿命も全ておいのちさんにお任せ。残りがどれだけあるか、時間と言う次元は関係ないことがわかります。

私は私の与えられた時間を、私のおいのちさんが喜ぶことを、まあるくニコニコやっていけばいい。あとはおいのちさんがうまくやってくれる♪

そんな毎日に変わりつつあります。

今夜はとても気持ちの良い、初夏のような宵です。

おいのちさんの隣に腰掛けて、一緒にカエルの声を聞きながら(何故か国分寺はカエルの声が聞こえるのです)、おいのちさんのどこまでも広がる裾野のその先に、にっこり思いを馳せています。

おいのちさん に 出会えました(^ν^)

image「おいのちさん」

そんな素敵な言葉に出会い、私の中で育ってきた生命観がガラッと、ではなく、フワッと変わりました。

出会いは、先日オハナのJさんと話していた時のこと。

前に私と話していた時に、いのちとは はたらき だという話になり、あの時は正直ピンとこなかったけれど、あるお坊さまが自分の頭とは違うもう一つのはたらきのこと…身体が勝手に治る方向、生きる方向に向かう動きのことを 「おいのちさん」と呼ばれていて、このことかなあと思ったんですよね、そんな話をしてくれました。

おいのちさん♪

なんてピッタリで、なんて愛情のこもった、なんてありがたい、なんてほっこりして、なんてalohaで、なんて「お任せできる感」満載の響きでしょう!!(^ν^)

いのちのはたらき と言うと、どうしても突き詰めた感じ、研ぎ澄まされた感じ、有機的な いのち のことなのに、ともすると無機質な感じがしてしまい、崇高だけど近づきにくい、自分のことなのに馴染みがない感じがしてしまうなぁと思っていました。

同じことなのだけど、おいのちさん おいのちさん おいのちさん…と繰り返していると、まぁるい、ほっとした気持ちになり、まるでお地蔵さんにであったような、暖かくありがたい、全幅の信頼、もう大丈夫、そんな気持ちになります。

私のおいのちさんに任せて、委ねて、おいのちさんがピカピカになるようなことだけをしていけば、全てうまくいく(^ν^)…

imageなんだか、肩の力が抜けて、解けて、すそ広がりにふわーーーっと広がっていく気がします。

その、裾野の中に、目の前のオハナたちのおいのちさん、これから出会うおいのちさん、そして旅立っていったオハナ達…メイのおいのちさん、りんりんのおいのちさんともどこかで溶け合っていて、ほっこり微笑んでいる。

そんな気がして、温かい涙と笑顔になります。

おいのちさん やっと出会えました。

これからも、どうぞ よろしくお願いします(^ν^)

 

 

一番大切なこと

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りんりんが旅立って、明日で一週間になろうとしています。

私の誕生日でりんりんの葬儀の日の明け方から39度近い高熱を出しました。

39.3度の熱でがん細胞は死滅するという実験結果から、どちらが先に高熱をだすかねー♪と競い合っていたりんりんからの、最後のギフト…そう思えてなりません。

二日間、野口整体の知恵を借りて3回ほど39度以上の熱を出すことが出来ました。(38°C後半になったら後頭部のホットタオルと、熱めのお風呂に短時間でもう一息あげます)

高熱で朦朧とする中、うわ言のようにりんりんの名前を呼び、してあげられなかったことを謝っていると、りんりんの声なのかしこりんの声なのかわかりませんが「どうか不完全な自分、完璧でない自分を許してあげて。ねー様自身が自分を許してあげて」そんな声が繰り返し繰り返し聞こえました。

そして、言われるままに、ごめんなさい、不完全な私を許します…と泣きながら大量に発汗して、また泣いて…そして3日目の今日は、身体が驚くほど軽くなっていました。

私の守護天使になってくれたりんりんからの、念願の高熱と 新しい私としてやり直すための心と身体の大掃除だったのでしょうか。

人心地ついてみると、だった2日なのに、長い長い一つの旅が終わったような感じがします。

もちろんまだまだ、様々な思いも涙も尽きないけれど、今一つだけ思うのはもしも願いが叶ってやり直せるなら、りんりんに、ただただ、大好きだよ、りんりんは大切な大切なオハナだよ、だからずっと一緒にいようと、言葉でも、言外にも伝えれば良かったということです。

人はどうしてもその人の「辛さ」に寄り添い、辛さに寄り添うえば寄り添うほど一緒に解決や正解を探す手伝いをしたり、適切なアドバイスをしようとしたり、その人の辛さを軽くしてあげるためにできることを一生懸命探したりしてしまう生きものです。

imageもちろんそれも間違いではないし、正解というものはないのだけれど、もしも、時間が巻き戻ってやり直せるなら、ちよっぴり不器用で頑なで、誰よりも寂しがりだったりんりんに、「大好き」という思いだけを、手を替え品を替えてただただ伝え続ければ良かったと、心から思います。「辛さ」に寄り添うだけではなく生きる喜びや、愛されていると言う安心感に灯を点し続けてあげれば良かったと。

ガン友として野口整体のご指導をいただいていた先生に紹介されての出逢いだったので、半ば託されたかのように勝手に思い込んで、一生懸命方策を探したり、時にはしなくていい整体的な発言をしたりもしてしましたが、それよりももっともっと大切なことがあったのに…温かいalohaでりんりんと繋がること、大切な人なんだよともっともっと伝えれば良かったと、それだけが悔やまれます。

りんりんのために、この経験をすぐに消化しないでいたいなと思います。

ずっとこの痛みだけは覚えていたいなと思います。

そして、これからは、今そばに居てくれるオハナ、これから出会う大切なオハナを、そして私自身を無条件に愛していける私になれるように…

不完全さや完璧でないそのままのその人を、そのままの私で、大好きだよ、大切だよの気持ちだけで側にいられるように…

それが私の自然な はたらき になるように…

ただただ、神様に、菩薩様に、宇宙に、女神に手を合わせます。

 

守護天使になってくれたオハナ

image一年間、ずっと支え合い、励ましあってきた同病のりんりんが、光に還って行きました。

前日の夜まで話をしていて、また明日ね、と切ったばかりだったので、受け止めることがなかなか難しい、突然のお別れでした。

もっとこれもしてあげたかった、もっとあれも出来たのに…後悔と涙は尽きません。そして、寂しさがじわじわと広がり、ほぼ毎日やりとりしていたりんりんの不在に途方に暮れています。

この一年、叔母の犬のアイちゃん、愛犬メイ、千葉のオハナの家の仲良し犬ラッキー、三朝温泉で出会って支えあってきたTさん、そして、妹であり、かけがえのない友人だったりんりん…

色々なさよならとお見送りをしました。その中で、本当に色々なことに気づかされました。

いのちのこと、いのちの勢いを観る目を持つことの大切さと難しさ。

完全ではない自分の限界を受容しながら、出来ることを探すことの大切さ。

自分のためにも、相手のためにも自己投影しすぎないことの大切さ。

自己犠牲感のない距離感とmindfulnessの状態をキープして、本人の気持ちに寄り添い続けることの大切さ。

幻の正解や常識にとらわれず、直感でやってあげたいと思った通りにぱっと行動することの大切さ。

後悔も涙も後から後から出てくるけれど、涙が少し乾く頃には、してあげたくて出来なかったことにフォーカスするより、出逢えたことや過ごした時間にフォーカスしていきたい。そして、ずっとずっと、大好きだよって伝えたい…今はその想いが支えです。

mindfulnessの瞑想をして、心を落ち着けると、すぐそばにりんりんを感じます。

ねー様、あれ食べよう、これ食べよう、ねー様、タンゴ踊りに行こう、楽しいことしよう(*^^*)。無邪気な子どものような笑顔で語りかけてきます。

りんりんは、私の守護天使になってくれたんだなあ、そんな気がします☆

りんりん、どうか、私がりんりんのところに行くまで、精一杯人生を生きられるように見守っててね。

りんりんにしてあげられなかったことを、これから出逢うたくさんの人達にしてあげられるように、導いてね。

私はりんりんが食べたかったもの、毎日毎日作るから、もっともっと腕を上げるから、美味しい美味しいって一緒に食べようね(*^_^*)

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りんりんが大好きだったカレー

ずっとずっと、りんりんは私の大切な 大好きな 可愛い妹分で、オハナだよ。

明日は私の誕生日で、りんりんの旅立ちの日。2人のそれぞれの門出の日。

明日 天気になーれ(*^_^*)

 

 

 

 

雨上がりの夜空にリクエスト

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前略

雨上がりの夜空様

目に見えるものだけに囚われない心。

人のことを真に思える心。

少しのことでは動じない心。

あっけらかんと信じる心。

神様にお任せする心。

結果を手放せる心。

自分の道を歩み続ける心。

人とalohaで繋がりつつ

誰からも何からも自由に飛べる心。

そんな心を育む道の途中の

私のあるがままを許す心を

どうか 私にくださいませ☆

両手を広げて お待ちしております。

かしこ

つぼみ

 

関節を外すんかい?!!

追記

努力しないで精一杯、で思い出したエピソードが。

数年前、全くタイプの違うohanaと話している時のことです。

あとほんのわずか、数センチでギリギリどうしても手が届かない、と言うシチュエーションだったら、あなたはどうする?と言う質問にあなたならどう答えるか、と言う話になりました。

みなさんなら、どうしますか。

☆☆☆☆☆

その時の答えはそれぞれに本当に性格がでていて、

Nちゃん  「誰かに頼む」

Rちゃん   「マジックハンドを使う」

つぼみ       「関節をはずす」

…………

注:関節をはずす生き方は、真似しないでください(笑)

あと少しで44歳。

もう少しスマートに、エレガントに参りましょう、つぼみさん(*^^*)(笑)

 

 

 

努力しないで精一杯

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「努力しないであなたの歩幅で精一杯」

私の習っているタンゴレアルアカデミーの先生、フアン先生の口癖です。

前後左右に進む時も、回る時も、どんなステップも、自分の肩幅程度の一定の歩幅を守り続けることがステップの基本で、それが出来て初めての人と綺麗に踊れます。

努力しないで、とは、無理しないで、のニュアンスに近いのですが、この「努力しないで精一杯の歩幅」がやってみると本当に難しいのです。(相手が始めたばかりの緊張した男性だったりすると、ついつい相手が恥ずかしくないように歩幅を合わせてしまうのが日本人女性の特徴だとか(笑)。奥ゆかしいですなぁ(*^^*))

身体の使い方や動かし方は、その人の生き方や生きる姿勢、人との接し方に全部繋がっているので、先生方からの注意には、ハッとさせられるもの、考えさせられるものが多いです。

生来の御節介でお世話好きの私は、ついついなんでもtoo muchになってしまうことが多々あり、特に相手が苦しんでいたり、助けを求められると、毎回自分でも苦笑するほど同じパターンでtoo muchに前のめって努力してしまいます(笑)。そして自分がバテバテになってから気づくという事がよくあり、これは保育士をしていた20代の頃からの課題です。

その私には「努力(できる以上のこと)をしないで、でも自分の精一杯の歩幅」を守って踊り続けると言うイメージは、とてもいいヒントになりそうです。

私が住んでいる国分寺には、カフェスローと言う、老舗の環境や平和の情報発信カフェがあります。その仕掛け人の一人、辻信一さんか紹介する、アンデスの民話のハチドリの物語があります。

「森火事に一滴ずつ水を運ぶハチドリに対して、森から逃げた動物たちは「そんなことして何になるのだ」と笑います。ハチドリは「私は、私にできることをしているだけ」と答えました……。」

環境系の活動や平和活動をしている人たちの間で合言葉のように使われるお話なのですが、実は身近で大切なohanaたちとの関係、ohanaが困っている時に何が出来るかを考える際にも、そんなシーンでこそ、実はとても参考にしたいお話なのだなあと思います。

心にハチドリを、そして、身体はアルゼンチンタンゴの歩幅練習を重ねて、ohana達にalohaで出来ることをしよう。そんな風に思う今日この頃です(*^^*)

七夕の夢

明け方、夢を見ました。

3月3日に天国へ一足先に旅立っていった愛犬メイが、いつものお散歩道に立ってこちらを見ています。

母に「ねえ、みて!やっぱりメイは帰ってきたのよ!」

母「そんなわけないわよ、一緒に看取ったじゃないの」

「でも、絶対メイよ。だってあの首輪もリードも、全部メイじゃない!」

そういって駆け寄ると、少し若かった頃のメイが、何事もなかったようにそこにひょっこり立っていました。

「ああ、メイ!やっぱりね、帰ってきてくれるってわかっていたのよ、メイ」

抱き上げてみるとメイは紫ピンクの美しいバラの花束になっていて、私はその花束を「メイ、会いたかった…」と壊れないようにそっと抱きしめて、平和な気持ちに満たされる…そんな夢でした。

目を覚ましてどこかまだ夢うつつに「あ、そうだ、今日は七夕だと思い」天の川をなんとなくイメージすると、ラッキー、チムニー、アイちゃん、ミーシャ、ノンノン、ミミ、メグ、モグ、チャッピー、チーコ・・・歴代の仲良しだった犬たちがずらりと対岸に勢ぞろいして尻尾を振りながらこちらを嬉しそうに見ています。

ああ、みんな会えたのね。元気にしていた?私も知っての通り、なんとかやっているのよ、もう少ししたら、みんなを抱きしめに行くからちょっと待っていてねと彼らに手を振る…そんな夢をみた七夕の朝でした。

いつみんなのところに行くのか、本当の再会までどれくらい時間があるかは神様だけが知っていることですが、こちらにいる間は私にできる精一杯のAlohaを生きられる私でいられますように。一瞬一瞬を五感を開いて感じながら、全てを面白がりながら、喜怒哀楽を100%味わいながらいきていけますように。みんな、見守っててね。

対岸の犬たちとのつかの間の再会の喜びを胸に、七夕の1日がスタートしました。

 

 

 

頭はポルシェ、身体はミニローバー?!

imageまたまたOhanaの名言

「つぼみちゃんはさ、頭(理想)が高速回転のポルシェで、身体がぽんこつの軽とかで走り続けてきたようなものだったからね(^^;;」

なんたる的確な表現!座布団10枚やっとくれ(笑)

整体の師匠には、そんなに頭でばかり理想を考えているとルパンに出てくるマミーマモーになっちゃうよ、となんども言われましたが(泣)、こちらの表現の方は妙に説得力があり、ストンと腑に落ち笑ってしまいました。

中学生の時から「克己」と壁に貼っていたくらい理想主義な人間なのですが(どこでどうしてそうなってしまったのか(泣))、身体は幼稚園の時の2回のおたふく風邪の経過の失敗により腎臓系と胃腸が弱く季節ごとに高熱を出したり、胃腸炎になったり、いつも蛋白尿が出ていて抗生物質を常用したりと、両者は完全なアンバランス。

理想主義のため、当然頭を優先させることとなり、それはそれは身体を酷使してまいりました。

高校時代は、誰に頼まれたわけでもないのになぜかスイッチが入り、死に物狂いで三カ年皆勤賞と総代をとったその代償は、乙女盛りに162センチ体重39キロのアンバランス針金ボディに、男の子に間違えられる刈り上げ女子でした。(みやらび美しや17つ(沖縄民謡で、女性の一番美しいのは17歳という歌詞)なのに(泣)

それでも理想を追いかけて最初に入った保育園は、当時珍しい四大出の保育士ということでおばさまたちの洗礼を受け、毎日誰より早く出勤して雑巾掛けとトイレ掃除、保育には入らせてもらえず素手で子供達の排泄物のついたオムツを一日中洗う役割、お茶は私の分だけ入れてもらえず水分不足、週に一度は30畳以上の床を3回雑巾掛けの半年。ようやく認めてもらえた頃には、腎臓・膀胱炎、感染症を10回以上繰り返していました。親の反対を押し切っての保育の道だったため、音を上げまいと意地になりました(笑)。

もっと色々な保育を勉強したいという理想に突き動かされて転職するたびに、雑巾掛けと年若の保育士さんからの使いっぱしりからの再スタート。10年経ったころには身体がねじれすぎ、冷えすぎて喘息になっていました。

そのあとは、環境系NPOに勤めるもハードワークで終電近くまでの残業の数年間。心機一転自然の中へ、ということで照りつける太陽の下ハワイの農園での朝から晩までの農業修行、沖縄では畑の倉庫に寝泊まりしての畑作業や沖縄価格でのマッサージ。image

東京でマッサージセラピストを本格的に始めてからは、どんなに身体が辛くても、骨折していても(笑)、一度も自己都合でキャンセルしたことがないのが誇りでもありました。25キロのトランクを持っての産後ケアの出張は春夏秋冬、沖縄から北海道までどこでも行きました。

一山越えるたびに、膀胱炎、発熱、胃腸炎。それでも、膀胱炎なんて、気にしないわ〜♪発熱だって、胃腸炎だってお気に入り♪、くらいの勢いでやめませんでした(泣)。

これではいけない→もっと身体を強くしなくては、と始めたプールも、月の日以外は毎週欠かさずぜーぜーしながら泳ぎました。

なぜ、身体を頭に合わせることしか頭になかったのか…(^^;;今は本当に本当に不思議です。きっと、その努力、忍耐、根性がそれなりに功を奏して成功体験になったからだと思いますが、振り返ると苦笑いが出ます。

そして、昨年の乳がんの発覚。

やはり・・・。ですよね・・・。

ショックがなかった言えば嘘になりますが、驚きは全くありませんでした。

むしろ、これだけの頭(理想)と身体(現実)のギャップの中、一人体育会系人生で42年間もの間よく頑張ってきてくれたね、偉かったね、と身体にしみじみ言いました。

そして、そんな私をはらはらしながら見守ってくれてきた両親、70を過ぎて娘の癌を知らされる親の心境を思い、ただただ申し訳なくて病院からの帰り道は涙があふれました。

ずっと健康でいて突然病気になった人よりは比較的冷静に、落ち着いて自分で身体のケアを始められたのは、常に抱えてきた身体の不調との長いおつきあいがあったからとも言えるのですが、それでも本当に身体には申し訳ないことをしてきたなと心から思います。

シコリんこと乳がんとともに歩む道を選んで2年目。そろそろ頭と身体のバランスを取り直す時期です。と言うより、頭を身体に合わせる時です(笑)。image

おりしも、ペーパードライバー講習で念願の運転をし始めた今日この頃☆

車に例えるとどんな車がバランスのとれた私なのか、車のサイトを見てはイメージを膨らませている今日この頃。エレガントで燃費も良くて、安定性があり、長く乗れる車。

車に詳しい方、ぜひ教えて下さい(*^^*)