またひとつ 幸せ 見つけた

image満月も近い春の宵の気持ちのいい風を感じていて、ふとつらつら考えていました。

こうして、乳がんというギフトを通して、いのちと向き合う機会を得て、気づいたこと、学んだこと、体感したこと、五感をフルにして感じたこと、自分なりのいのち曼荼羅、生きることについての何らかの宇宙観…

これらを、もしも人よりも少し真剣に、少し深く考えたり、感じたり、気付いたりしたとしたら、そのことに理由や目的があるのかしら。

そもそも、これらの考えや気づきはどこから来てどこに向かって流れていくのかしら…。

以前の私だったら、これらを誰かの力になるようにシェアしなくては、生きているうちになんらかの形にして誰かに伝えなくては、宇宙からのギフトを活かさなくては…そんな風に無意識に思って焦っていたような気がします。

けれど春の宵の気持ちのいい、そして、生命力溢れる風の中でふと腑に落ちてきたのは、

「普通の人として生きて死んでいくため」。image

そんな当たり前のことわりでした。

数知れない、無数の、無名の、普通の人々が、日々生きて感じて考えて自分なりの曼荼羅を描いて、例えそれが世に出なくても、本に記したり講演したり目に見える形にならなくても、誰にも知られなくても、その感受性や宇宙観、哲学を自分の中に広げ、それに包まれて普通に安心のうちにこの世を去って行ったことだろうと思います。

その先人たちと同じく、普通の人として生きて死んでいくこと。

それを自然のこととして、普通であることの喜びのなかで生きて死んでいけること。

その考えに行き着いた時、なんとも言えない安心感、止まらずに走り続けていた荷物をいっぱい積んだ蒸気機関車が、レールがなくなり、やっと止まることができたような安堵感と幸福感に包まれたのでした。

image普通の人として生きて死んでいくために、私が知りたいことを心置きなく知ろう、たくさんのことを感じて、たくさんのものに出逢い、考えて、曼荼羅を描き続けて、その喜びを歌い続けよう。その途中で出会う人やもの、ことにただ一言、aloha!と挨拶しよう。

そして時が来たら普通に、自然に、還っていこう。

その考えに包まれた時、身体中の血が巡り、ゆったりした気持ちよい脈動を打ち始め、お腹に力が入ってきました。

また一つ、明日を迎えるのが楽しくなる生き方にシフトできた気がしました☆