いいな いいな 友情っていいな♪

image今日は朝から晩まで神様からのギフトで占められた1日でした(*^^*)

まず朝起きて、すぐに思い浮かんだのは、そうだ!預言カフェに行こう!

パッと思い浮かんだので即実行です。

知る人ぞ知る預言カフェには、数年前にohanaに連れて行ってもらってから数回足を運んだことがありますが、今日は久しぶりでした。クリスチャンでなくても、癒される時間です。

数年前に行った時は婦人系に何かありますけれど、主が調整していると言われていますと言われて、当時は全然ピンとこなかったっけ(^^;;。

あなたの、どんなに難しい状況でも潔く決断できる力、厳しいと思われる状況に合わせて柔軟にベストを考えて対応できる、進んでいく能力を主は喜んでおられます…預言は相変わらずの全受容、全励まし。うう、泣けますー(笑)(T ^ T)。さらに、自分でもう乗り越えられないと思う状況もあったと思いますがあなたは超えてきました、そして、この先奇跡を体験するチャンスもあなたに用意し、与えました、と(T ^ T)。文字どおりオーマイゴット(笑)。神様、mahaloです(T ^ T)

ただ「今まで、家族のみならず、周りのみんなを励まし、明るく盛り立ててきたこと、その蒔いた芽が回りまわって祝福としてやってくる時です、受け取りましょう」の預言には、あまりピンと来ていませんでした。

けれど、今日の1日を振り返りながら、夜眠りにつく前に、今私に必要なものやことを教えてください、とお願いしていたら…

来ました!!(笑)神様が(笑)!!

それは、沖縄に住む大好きな大好きなohana、あきちゃんからのベストタイミングでのラブコール♪

相変わらずの沖縄独特のほんわか口調で、私の全存在を全受容、そして、100%応援してくれるあきちゃん。

本当は目の前にいたら抱きしめてあげたいのに、言葉でごめんね、いつでも絶対一人だとか思わないでね、いつでも電話してよ、本当だよ、つぼみさん、とあきちゃん口調で繰り返してくれる受話器越しの声に、こころも身体もポカポカになり、知らないうちに子どものように涙がポロポロ溢れて泣き笑い。

いいな、いいな、友情っていいな♪(o^^o)

朝から晩まで神様から、宇宙からのとびきりの励ましと祝福を受け取りました。

私からも宇宙に、神様に、alohaとmahaloと祝福の投げキッスをたくさんたくさん。

明日もとびきりギフトの1日になります♪

喜べば

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「喜べば、喜びが

喜びごとを集めて

喜びながら  喜びに来る」

重ね煮食を中心とした食養生で有名な岡山の民宿 わら のご主人船越康弘さんの「未来をつなぐ わらごはん」(集英社)からの素敵な言葉。

ニュージーランドでの開業や、そこでの経験を活かして、さらにバージョンアップした素敵な「WARA倶楽無」を営んでおられます。7月にここに料理合宿に参加させていただくことにしました!ワクワクで今から心ときめきます(o^^o)

喜びを全ての基礎に置いた生き方、毎日、くらしにシフトしていきたい♪

心からそう思います。

沖縄に住んでいた頃、私の笑い声は、全てのネガティヴなエネルギーをなぎ払うパワーがあると言われたことがあります。

あの頃の笑い声に、あの頃の子どものような屈託のない喜びに満ちた笑顔へ。

明日も、たくさんの喜びを見つけて、喜び、喜びを呼ぶような笑顔の1日になーれ♪(o^^o)

安心美味しく優しい♪玄米の炊き方

image玄米菜食については、本当に本当に本当ーーーに、賛否両論含めて様々な説があり、ここではとてもとても書ききれないほどです。

この手の学説、研究、体験談、blogを読み漁っていると何が何だか分からなくなり、もうダメだ〜〜っ(@_@)と頭が飽和状態になります。

一つだけ言えるのは、健康には食生活のあり方が鍵を握っていることは確かだけれども、それはそれぞれの人の体質や刻々と変わるその時の体調や状態によるので、これだ!と言う食べ方や、万人に合うもの、ずっと何も考えずに続けていればいいものではないという事。これがまた、正解が欲しい現代人の脳にはなかなかストレスなことです。

その中でも、玄米に関してはまたまた様々な研究結果にそれぞれの個々人の体験談やら好き嫌いが入り、それはそれはすごい論争が繰り広げられているのでございます。

実はつぼみは玄米はとても苦手でした。食感も香りもいまひとつ美味しさが分からず、時には下痢してしまったり。また玄米菜食をしている人達の雰囲気がなんとなーく白米を食べている事を怒られているみたいで、こそこそと逃げ回っていました。(よく当時言われたのは玄米を食べて下痢する人は身体がなっていないからだとf^_^;))

ですので、乳がんとわかってからも、玄米は慎重に、少しずつ、少しずつ、身体の様子を見ながら、下痢しないか確認しながら、どうしたら美味しく安全に優しく食べられるか身体と相談しながら取り入れていきました。

一般的に、玄米は栄養素に優れていて、生命力に満ちたありがたい食べ物なのですが(白米は水につけても発芽しない、つまり生きていないのです。美味しいけど、ね(o^^o))、そのまま炊くと少し胃腸に強すぎる、他の栄養素を一緒に体外に排出してしまう事があるのが玉にきず。

けれども、炊き方を工夫すると驚くほど美味しく、柔らかく、安心して食べられる状態になり、香りもとても良くなります。

下記はつぼみ流の一つの炊き方ですが、美味しさと安心して食べられるのには自信あり(*^o^*)です♪

【玄米の美味しい安心の炊き方】

image1.玄米を水に浸けて発芽させます。だいたい5〜7時間程度。目安は、水にうっすら泡が立ってきて、濁って香りが強くなるちょっと手前で引き上げます。(生き物なので冬場は時間がかかり、夏場は早いです)

2.玄米の1.3倍位のお水をいれ、ほんの一つまみの塩をふって、優しくぐるぐると、なんとなーくお米が優しいご機嫌な表情になるまでかき混ぜます。

image3.時間がないときは炊飯器の玄米モードで炊いてもOK。私は土鍋に蓋をして、土鍋ごと圧力鍋に入れて炊きます。土鍋の半分位まで水を足して火にかけます。

4.圧力鍋がしゅんしゅんといい音を立て始めたら弱火にして40分。40分たったら火を止めて、自然に圧が抜けるまで待ちます。

image5.すると、ふっくら、優しくてもちもちの玄米が炊けて、かつ、なんと!土鍋で炊いた時に必ず出てしまうこびりつきやコゲがゼロ!なんです(*^o^*)

多めに炊いて、小分けにして冷蔵、冷凍しておくととても便利です。(温めなおすときは蒸し器にクッキングシートを引いて蒸すか、炊飯器を保温にして入れておくだけ!(*^o^*))

私は身体が玄米を食べたいなと感じた時に食べています。それ以外の主食としては自家製の全粒粉パンやキヌア、全粒粉うどんなどと組み合わせていて、玄米はその中の一人です(o^^o)

玄米が苦手という方は、週に一度か2度、もしimageくは、デトックスして体調を整えたい、という時にオススメです。

お試しください(*^o^*)

 

 

 

お見舞いに行ってきました

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美味しい養生食

がん友のりんりんのお見舞いに、名古屋の、碧南市にある病院に行ってきました。

西洋医学と決別して、厳格な玄米菜食と各種温熱療法、波動治療のみを行っているタフなお医者様の医院です。

入ると、魚たちが悠々と泳ぐ大きな水槽、観葉植物、屋上に菜園、そして元CT室だった建物にたくさんの鳥たち(笑)…とても病院のイメージとかけ離れた雰囲気。お給食室からはいつもお台所の音と美味しい匂いが流れてくる、現代の時間の枠から外れたような医院です。

最初は私が、誰かにごはん作ってもらい食っちゃ寝生活をしたいと企んで探した医院でしたが(笑)、りんりんの身体に休養が必要になったためりんりんが入院しています。

入院して一カ月、紆余曲折を経つつも見違えるようにむくみが取れて、シコリんの色も良くなり、足取りもしっかりしたりんりん!ああ、これでいのちの流れがいい方に流れ始めた、良かった!ちよっぴり、涙がでました。

私の仕事は、形としてはロミロミや産前産後ケアの仕事なのだけど、何かをしてあげたり、引っ張り上げると言う感じではなく、ご縁があった人々の人生の階段の踊り場での休息時間に立ち会い、再び歩き出すためによいしょと立ち上がる背中を少し後ろから押すスタンスや役割を担うことが多いです。

特にここ一年は自分が乳がんと向き合うなかで、相手のいのちの勢いや流れ、方向を観る目、そして、手が必要な「今だ」と言う時に、alohaの気持ち、マイプレジャーで、後ろから添えられる手が持てたらいいな…そう思うようになりました。

一段階段を上がり、えっちらおっちら、自分のimage自己治癒力を信じて歩き出したりんりん。もう大丈夫、神様、ありがとう!そう感じました(*^^*)!

優しいお母さんみたいな給食室の先生達、厳しめの頑固なお父さんのような先生に見守られて、りんりんは自力で元気になって、きっと笑顔で退院する。

一朝一夕には、魔法のようには、シコリんは消えてなくならないかもしれないけれど、りんりん自身の力を信頼して、東京からせっせと爆笑絵葉書を送るからね(*^^*)。綾小路きみまろのビデオも(笑)

私は、こんなにぴんぴんしてるので(笑)甘えたい気持ちは今はお預け(≧∇≦)にしました。

またせっせとこのキッチンで美味しくて身体にいいぼあぼあ料理を研究しながら、りんりんの退院祝いのメニューを考えてるからね!

フレーフレー りんりん。

今日もいい1日を☆

Taking off の時

I’m ready to go!

案外早く、ボタン 押しました!(笑)

Tsubomi号が、未知の宇宙に向けて打ち上がりました(o^^o)

私の、私による、私のための人生。

生きるために 自分の足で 自分のいのちと感覚だけを頼りに 生きる生き方。

行き先設定は本当の自由と、未来、そして、本当のalohaで繋がる世界です。

失敗した時の保険や、分厚い防御壁、失敗しないための小細工や知恵、鉄壁のコントロールや冒険を踏みとどまるためのあれこれの言い訳、ノスタルジーやシニカル、センチメンタルな情動にさようなら。

名残惜しいけれど、シコリんにも、そろそろさよならを言う時です。

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大好きなゴダイゴの(ふ、古い(笑)?)、映画「銀河鉄道999」の挿入歌「Taking off 」(←知らない方はこちら)を聴きながら、今、発射台を離れて、ゆっくりTaking off です。

なかなか熱い、青春ど真ん中の43歳の春です。

……………

「Taking off 」

歌:ゴダイゴ 作詞:奈良橋陽子 作曲:タケカワユキヒデ

明日の汽笛が君にも 聞こえるだろう
汗ばむ 夢の切符を 握りしめろ
年老いた大地を 思いきり蹴って
星たちの彼方へ さあ飛び立て

I’m leavingI’m flying
I’m taking off to the unknown
新しい星をさがすんだ

TAKING OFF TAKING OFF
誰も行かない未来へ

若さが光を追いぬき 走りつづける
自由をたたえ広がる まぶしい闇
君だけを待ってる 何かがあるはず
美しい銀河の 消える果てに

I’m leaving I’m flying
I’m taking off to the unknown
見慣れたきのうは ふりむくな

TAKING OFF TAKING OFF
誰も行かない未来へ

TAKING OFF TAKING OFF
誰も行かない未来へ

TAKING OFF TAKING OFF
誰も行かない未来へ

…………

Tsubomi 号,are you ready?

imageこのところ、Are you ready?  と宇宙からの静かな、でも、響き渡るメッセージが波のように打ち寄せています。

私と言う手のかかる、内心とても甘ったれで、頑固で、理屈こね子で、美自意識過剰で、人百倍好奇心旺盛なくせに人百倍臆病なtsubomi号。

その重い重い機体が、ついに、遅ればせながら、発射秒読みに入っているのを感じます。

子どもの頃、よく、ロケットに乗せられてもう発射準備に入っていて、嫌だ、怖い、行きたくない、死ぬー、人殺しー!!と大騒ぎしている夢によくうなされていました(笑)。

でも今、まるで申し合わせたように、tsubomi号を支えてくれていた人々が、もう一人で大丈夫だよ!グッドラック!と親指を立てて笑顔でタラップの階段を降りていきます。

エンジンは全開に向けて噴射を開始しようとものすごい勢いの白い煙が上がっています。

ロケットを支えてきてきた柱も私がGoボタンを押せばすぐにでも外れるようになっており、全てのスタッフが遠い管制塔から私のGOサインを今か今かと待ちわびています。

ほんのちょっと(いえ、とっても大きな(笑))の武者震いとあぶら汗、そして、すこしの郷愁の念。

大好きだった、「銀河鉄道999」の映画の台詞を思い出します。

……………

メーテル「二度と帰らない乗客のためには、こんな大昔の型の列車じゃないとダメなの」
鉄郎「俺は機械の体をもらって必ず帰ってくるさ!」
メーテル「今のうちによく見ておくがいいわ。
今度見るときは機械の目でしか見ることが出来ないから」
鉄郎 「もういいよ、見なくても」
メーテル 「辛かったことも、いつか懐かしくなる時があるわ。見ておけば良かったと思うときが・・・」
鉄郎 「そんなの年とってから後悔すればいいさ! 」

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人は、現状のままでいることはできません。変化していないつもりでも日々一刻一刻と変化していて、その変化のうねり、流れこそ、いのちの働きで、いのちの流れそのもの。

それを、不安や恐怖から見なかったことにして、変化していないふりをして、堰きとめてしまうことで、膨大な生命エネルギーが溜まり、その集結したものが病気や不調や滞りになる…嫌という程体感し、実感してきました。

image失敗してもいい。行き先が分からなくてもいい。何かを失っても、今見ている地球に2度と戻れなくても、変化し、生き物と同じく、発展し、成長し新しくなった未来の故郷にいつか必ずたどり着けるはず(o^^o)

Goサインを、ボタンを押すタイミングを、自分の高鳴る心音と宇宙からの指令に耳を澄ませて待っています。

 

ある女の子とお医者様の物語

imageある青い美しい星に、一人のちょっと風変わりな、ガンコでつむじまがりの女の子が暮らしていました。

ある日女の子は、その星ではとても恐れられている病にかかっていることがわかりました。

お医者様のところにいくと、お医者様は優しい言葉をかけることもなく、女の子の目を覗き込むこともなく言いました。「こんなになるまで、今まで何をしてきたんですか。」

そして、女の子が食べるものを変えたり薬草などを使って治したいとおずおずと伝えると一言言いました。

「そんなことしたら、あなた死にますよ。一刻も早くわたしたちの勧める治療を受けなさい」

女の子は自分の身体に聞いてみましたが、どうしてもそのお医者様の勧める治療は気が進みません。仕方なく、心と身体が綺麗になる食べ物や食べ方、身体が元気になる方法を一人で探し始めました。

友達に相談しに行くと、たいがいの友達は慰め、抱きしめ、励ましてくれましたが、何人かの友人はこう言いいました。

「早く余命を聞いたほうがいいよ」
「そんな恐ろしい状態、私なら生きた心地しないわー。よく耐えられるね」
「そんな食事するくらいなら、私なら死んだほうがマシだな」

女の子は眉間にしわを寄せながら憮然として家に帰りました。image

ある日、中国と言う国の薬を処方してくれるお医者様のところに行きました。お医者様は高い薬を出しながら言いました。「あなたがやっている玄米菜食という食事をしていたら死にますよ。この高い漢方が効きます。地獄の沙汰も金次第なんですよ」

女の子は眉間にしわを寄せて一生懸命かんがえましたが、やはり自分の身体の声に耳を傾けて、自分なりに身体に合うやり方がいい気がして、その方法を探して探して、美味しく作って食べていきました。そして、いつしかその薬もやめました。

ある日ゲルソン療法と言う有名な食事法の、権威のあるお医者様のHPにこう書いてあるのを見ました。

「私の提唱するやり方を正しく実践せず、自己流にやっている人は決して治りません。確実に死にます」

女の子はさらに眉間のしわを深くして悩みましたが、今まで以上に注意深く自分の身体に耳を傾けて、これらがわたしの力になります、ちちんぷいぷいありがとう!とおまじないしながら、いのちが元気になると感じたものを作り続けました。

ある時、免疫と言うものを検査して食事指導してくれるお医者様に出逢いました。

お医者様は言いました。
「玄米なんか食べてたら死ぬよ。肉と魚、そして白米をたくさん食べなさい。」

また、別の食べ物で身体を治す名医と名高いお医者様に会いました。この人こそ、何か教えてくれるかもしれない。

お医者様は言いました。

「肉魚、白米を食べたら、あなたの病気はどんどん悪くなります。ここの食べ物以外を食べている限り、あなたの手に入れた、あなたが自己流で作っている食事を食べれば食べるほどあなたの病気はどんどん悪くなります。」

ついに女の子は三匹の子豚の家を吹き飛ばしてしまうくらい大きくため息をつき、地面に首がくっつついてしまうくらい首をかしげて考え込みました。

この星は一体全体どうなってるのかしら?!

毎日毎日考えて、考えて、考えて、ついに女の子は叫びました。

「ちょっと待って!みんな、死ぬ死ぬって、呪いじゃあるまいし!それに、あたし、まだこんなにピンピンしててこんなに生き生き生きてるじゃないの!今まで出会ってきたお医者様の誰よりも健康だったわよ。これ以上の証拠ってあるかしら。

まあ!そうだわ!私のお医者様は、最初から私の中にいてくれたんだわ!」

imageそして、可笑しくて可笑しくて、ゲラゲラと笑いだしました。ゲラゲラゲラゲラ、嬉しくて嬉しくて、笑いが止まらなくなりました。

すると、眉間のシワがどんどんなくなり、身体中からお医者様達から投げられた言葉達が、まるで、犬が身体をブルブルっとふるって水を飛ばすように、どこかに飛んでいくのが見えました。

もう、先生方の貴重なお言葉たちは必要ありません。ごきげんよう、さようなら!

女の子は、胸を張って、元気よく歩き始めました。

どこに?そう、明日に、生命の国に、です☆

またひとつ 幸せ 見つけた

image満月も近い春の宵の気持ちのいい風を感じていて、ふとつらつら考えていました。

こうして、乳がんというギフトを通して、いのちと向き合う機会を得て、気づいたこと、学んだこと、体感したこと、五感をフルにして感じたこと、自分なりのいのち曼荼羅、生きることについての何らかの宇宙観…

これらを、もしも人よりも少し真剣に、少し深く考えたり、感じたり、気付いたりしたとしたら、そのことに理由や目的があるのかしら。

そもそも、これらの考えや気づきはどこから来てどこに向かって流れていくのかしら…。

以前の私だったら、これらを誰かの力になるようにシェアしなくては、生きているうちになんらかの形にして誰かに伝えなくては、宇宙からのギフトを活かさなくては…そんな風に無意識に思って焦っていたような気がします。

けれど春の宵の気持ちのいい、そして、生命力溢れる風の中でふと腑に落ちてきたのは、

「普通の人として生きて死んでいくため」。image

そんな当たり前のことわりでした。

数知れない、無数の、無名の、普通の人々が、日々生きて感じて考えて自分なりの曼荼羅を描いて、例えそれが世に出なくても、本に記したり講演したり目に見える形にならなくても、誰にも知られなくても、その感受性や宇宙観、哲学を自分の中に広げ、それに包まれて普通に安心のうちにこの世を去って行ったことだろうと思います。

その先人たちと同じく、普通の人として生きて死んでいくこと。

それを自然のこととして、普通であることの喜びのなかで生きて死んでいけること。

その考えに行き着いた時、なんとも言えない安心感、止まらずに走り続けていた荷物をいっぱい積んだ蒸気機関車が、レールがなくなり、やっと止まることができたような安堵感と幸福感に包まれたのでした。

image普通の人として生きて死んでいくために、私が知りたいことを心置きなく知ろう、たくさんのことを感じて、たくさんのものに出逢い、考えて、曼荼羅を描き続けて、その喜びを歌い続けよう。その途中で出会う人やもの、ことにただ一言、aloha!と挨拶しよう。

そして時が来たら普通に、自然に、還っていこう。

その考えに包まれた時、身体中の血が巡り、ゆったりした気持ちよい脈動を打ち始め、お腹に力が入ってきました。

また一つ、明日を迎えるのが楽しくなる生き方にシフトできた気がしました☆

豆乳ヨーグルト で 快調快腸

image3月に、免疫力の血液検査を受けました。結果は、免疫力年齢が60歳近くと出ました。白血球、主にリンパ球が足りないと。

そこで、乳酸菌のサプリを勧められました。こういうの、飲まない限りなかなか免疫力は上がりませんよ。あと、肉をよく食べて、身体に強すぎるから玄米なんかやめて白米をたくさん食べなさい…云々。

カーン!ゴングがなりました(笑)。

足りぬなら、育ててみせよう、ホトトギス

いい塩梅に炊いてみせよう、ホトトギス

様々な情報を調べて、自分の身体と相談し、継続できるもので、美味しく取り組めるものを探しました。

その結果、豆乳ヨーグルトにたどり着きました。(玄米の炊き方はまた後ほど)

豆乳ヨーグルトの作り方は本当にいたって簡単!

菌を買うか普通のヨーグルトをスプーンで大さじ1、そして無調整豆乳を用意します。image

容器に菌か、ヨーグルト大さじ1を入れ、40度に温めた豆乳を入れて、そのまま4時間から6時間放置したら出来上がり(*^^*)!

もし、オーブンに発酵機能があれば、40度50分発酵して、そのまま4時間から6時間放置して出来上がり(*^^*)!

image次からは、そのヨーグルトを豆乳に足して同じ要領で作るだけです。牛乳で作ったものとは違う、さっぱり感のある、まろやかなヨーグルトです。

私のお気に入りは、そこに手作りしたジャムと、ohanaにいただいた手作り酵素を足して、掻き回していただきます☆

始めてからとっても快調快腸です。

是非、お試し下さい(o^^o)

自力も他力も 仏の手のうち

imageあの人はなんでも自力でやろうとする人だから….あの人は他力本願だよね、などと使われたりする、自力本願と他力本願。

学生時代は「克己」がモットーで壁に貼っていたくらいでしたので(笑)、どちらかと言えば自力本願の方がしっくり来るため、よく坐禅に通っていました。

けれど、こうしてシコリんを通していのちと向き合う中で、いのちは自力では生かされていないことを感じ入るとともに、他人任せでも治癒への道は始まらないな、そんな風に感じていました。

所謂自力本願と他力本願本来の意味を知りたいな。そう思っていたところ、先日、臨済宗の大分県 ・地蔵寺ご住職、姫野晴道師のこんな記事に出会いました。

………臨黄ネットより引用………

先日、ある老人会に招かれて出講した折、次のような質問を受けた。
「私は浄土真宗の門徒だが、よく”他力本願”ということを聞く。禅宗では”自力本願”というそうだが、どう違うのか?」と。
それに対して、まず「他力」を”他からの助力をあてにすること”、又、「自力」を”自分ひとりだけの力”と解釈するのは誤りであることを強調し、次のように説明した。
親鸞上人が「他力とは、如来の本願力なり」といわれている如く、他力とは本来、阿弥陀仏の念仏往生の本願をいう。本願とは、仏、菩薩が、すべての人を救わんとする根本的な願いのことで、この本願を他力という。換言すれば、自分の力であれこれと処置したり、取りはからったりしないことで、自己のはからいを捨てて、仏の手にすべてを任せることで、これを「自然じねん法爾ほうに」という。
それは、阿弥陀仏という絶対の中に身を投ずることを意味する。
次に自力は、自分の修行の力でさとりを得ようとすることなどと考えるのは間違いである。自力を”自分の力”、”己の力”と読むのではなく、”自おのずから備わっている力”、”生まれながらに頂戴している力”と理解すべきである。
生まれたばかりの赤ん坊が、誰も教えたわけでもないのに、母親の乳をのむことを知っている。これは自ら備わった力であり、強いていえば、これが自力であろう。
人間、自分ひとりの力など、本当に小さなものである。もし、自分ひとりの力で生きていると考えるなら、これほどの迷信はない。
正しい意味の自力とは、「自分に働きかけている自然じねんの力はたらきを自覚せしめられること」である。自然は、目に見えない真理が目の前の現象にそのままに露あらわれているのをいう。
たとえば、リンゴが木の枝から落ちる現象に、そのまま万有引力が露呈していると、気づかしめられる力はたらきが自力である。
しかし、もとより仏法に他力と自力の対立があるのではない。自力というのも仏力の名であり、他力と呼ぶも仏力の名である。

…………

ああ!そうか!とても納得し、腑に落ちました。

この記事を転送した仲良しのNちゃんが一言「つぼみちゃん、よくわからないけど…つまり、全部宇宙にお任せってこと?」(笑)(笑)。

すんごい、ザックリ(笑)!でも、その通りだなと思いました。

仏の本願を志して、小さな自分の計らいごとを捨てて、全てを仏の計らいと思ってお任せする。自分の中に備わる大自然(裾野がないくらいの、無限に広がり、全てと繋がったいのちの力)に気づかされ、その力が現れるのを心静かに感じて、観じて、待つ。

いずれにしても、私たちは、仏の掌の中にある、安心(あんじん)の存在であるということです。なんてありがたいこと!

また一つ、生きるのが楽になり、心が晴れ晴れしました(*^^*)