女神と私 女神修行2

つづき

一般的に女神と言うと、全てを兼ね揃えた完璧な女性であり、人々を愛で包み込む万能な母なる女性…などのイメージを持たれることが多いと思うのですが、聖母マリア以外の女神はむしろその逆が多く、そこに見えてくるのは生き生きした、生命力溢れる女性のアーカタイプ(原型)です。

特に心理学のユング派でよく取り上げられるギリシャ神話の女神達は、じつにパワフルで人間的!

image時に嫉妬に狂って相手の女性を呪い追い詰めたり(家庭と結婚の女神ヘーラー)、悲しみを感じると全ての家事を放棄することで困らせて要求を通したり(大地と母性の女神デメテル)、怒りに任せて相手を容赦なく断罪したり(独立と自然の女神アルテミス)、結婚後も実家の側で暮らし、実家とパートナーの狭間で苦しんだり(受容の女神ペルセポネー)、嫁に無理難題を突きつけて息子に相応しいかどうかをテストしたり(愛と美の女神アフロディーテ)、などなど。
みんな実はゴシップも大好きで、極めて主観的で、タッグを組むかと思うと次の瞬間には反目しあい、私情で男たちに戦争を起こさせてしまうほどパワフルです(笑)。

まったく身近な、どこにでもいる女性の姿が数千年前の神話に見られることに、驚きと親近感がわきます。女神とはつまり、古今東西の女性がもつ普遍性に個性を与えたものであり、世紀を超えて生き生きと語り継がれ、女性が自分達の人生を外在化して見つめ直すための先人達の導き、道しるべとも言えそうです。

女神達は神として祈りに応えて恩恵を授けるだけでなく、同じ女性として私達に寄り添い、力を与える存在です。

特に私達女性が、自分達の悲しみや怒り、苦しみをくぐり抜ける過程において、自分の中に蠢く様々な闇のエネルギーを意識化し、それを昇華してメタモルフォーゼしていこうとする時…

親子、パートナー、自分を取り巻く誰かや状況の犠牲者であると言う意識のベールを自らの手で脱いで、ヨチヨチ歩きながらも自らの足で歩き始めた時…

心理的に自立しつつも、他者との関係性の中に生き生きと生きることを喜びにしようと志向し始めた時…

受け取るばかりでなく、逆に与えるばかりでもなく、自分以外の他者とエネルギーを交換することそのものの豊かさに目を向け始めた時…

私達の中の女神達が目覚め、私達の迷いや悩みに時に寄り添い、時に力強く導き、旅を共にしてくれます。

私の場合、乳がんという女性特有で科学でも解明できないある種のミステリーを左胸に抱えているため、彼女達のサポートを必要とし、彼女達の存在をとても身近に感じながら生きています。

image

生死を含めたライフサイクルについて考える時。女性としての今までの人生を振り返り、これからを見つめる時。女性をサポートをする仕事に携わる職業人としてのあり方を振り返る時など、おりに触れて女神達と対話します。

そして、女神たちは、私は乳がんと言う病気の犠牲者ではなく、それと戦う者でも悲しむ者でも、白旗を上げる者でもないと、私に教えてくれます。

そうした意識を脱ぎ捨てて、自分にとっての乳がんを自らの手で定義し、対話し、共に生き、黄金のリンゴ・実り豊かな果実を手にするための旅を続ける毅然としたヒロインであれと、彼女達が道を示してくれます。

私にとって乳がんは女神修行の一環で、大きな通過儀礼の一つ。

毎日の一歩一歩が、祈りとなり、力となり、うねりとなり、旋律となり、今日も私を更に先へと進ませます。