笑いのギフト

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笑いたい!こどものようにお腹が痛くなるまで笑い転げたい!そう思いました。

最後になんの心配もなく、お腹の底から、屈託なく笑い転げたのはいつの頃だろう。

思い出そうとすると、ちょっと切ない宝物のようのな思い出、サカイダのおじさんの笑顔と大きな笑い声が胸に響いてきます。サカイダのおじさん、そう呼んでいた父の友人に可愛がってもらっていたのは、私たち一家がまだイギリス領だった香港に住んでいた35年も前のこと。

パンチパーマが特徴の、本当に人の良い陽気なおじさんは、父の大学時代の後輩で香港に根を下ろしている人でした。お子さんがいなかったこともあり、香港人の奥様と一緒に、私と姉をこどものように可愛がってくれました。

どの家庭にもそうした時期があるように、当時我が家は坂道をみんなで必死に登っている最中でした。多忙を極める父、海外での姉の進学・受験、そして初めての海外生活に慣れてきた反面、どこか疲れが出てきた頃でした。当時9歳の私は青色吐息の家族の雰囲気をなんとなく感じて、どうやったらみんなが笑ってくれるのか毎日「真剣に」考えていました。

そんな私の心境を知ってか知らずか、サカイダさんの家に遊びにいくと、大きな声で私の名前を呼びながら構ってくれたり肩車をしてくれ、また当時貴重だった日本語のコメディ番組を見せてくれ「なんでそんなに笑えるのかなあ、何がそんなに面白いんだろう」と言いながら一緒に笑い転げてくれたものでした。

当時の私にとってサカイダさんのおおらかな笑い声と、何も言わずに一緒にコメディを見て笑い転げてくれる天真爛漫さ、優しさは、滋養であり深呼吸できる居場所であり、本当に大好きなおじさんでした。あの笑いの時間が当時の私、そして私たち一家にとってどれだけ大切なものだったか、今思い出しても胸が温かく、そして鼻の奥がつんとします。

その後、ぼちぼち父と連絡を取り合っていた音信も途絶え、私はいつか香港に会いに行きたいと願いながらも叶わないまま、風の便りでサカイダのおじさんが亡くなってしまっていたことを知ったのは昨年末のことでした。もう会うことは叶わないけれど、今もサカイダのおじさんの大きな声は今でも胸に響いています。

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笑うこと、それは、がん患者だけではなく、すべての人の肝臓を緩ませ、深呼吸させ、生きる力がお腹の底から湧いてくる魔法のようなもの。世界中の難病患者を笑わせたい、無償診療の愛と笑いの病院を作りたいと、自らクラウンの格好をして世界中の人たちを笑わせてきたパッチアダムスは、その効果をいち早く感じ実践してきた素晴らしいお医者様であり、真のヒーラーです。

パッチほど有名ではなくても、今日も名も知れぬ市井のサカイダさん達が、子供達を励まし、人々を癒し、元気を与えているからこそ、今日も地球は回っているのだなと思います。

この年末年始は、サカイダのおじさんと腕を組んで、コメディ映画をたくさん観て、お腹がよじれるほど笑い転げようと思います。

サカイダのおじさんに心からのAlohaを