「生きる」に向かわせるもの 野口整体と私3

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昨夜の晩御飯

よく質問されます。

食事の写真や盛り付けは撮影用なんですか。

普段は何を食べているんですか。

お恥ずかしながら…あれが毎食のデフォルトです(笑)

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今日のランチ

一人で食べるのに、何故ここまで集中して作るのか、自分のために何故そこまでシンプル&ゴージャスさを追求するのか……そもそも私は何をしているのか。

自分でも謎でした(笑)

……………
先日、整体の師匠の話をゆっくり聴く時間がありました。日常の馬鹿馬鹿しい話、食の話、世事、芸術や映画の話など、師匠の守備範囲は広いのですが、やはり中でも話が深まるのはいのちのこと、身体のこと、そして全生を生きることについての対話です。

もう何年も師匠の話を聴き、整体を学び、自分もシコリんを通して師匠にいのちのことを指導いただいているのに、師匠との対話の度に、ああ、まだ何も核心的なことは分かっていなかったのだなあと毎回思います。

いのちを見つめる師匠の眼差しの先にあるものや深みが見えていないことに愕然としつつ、一方で、まだまだ先や奥があることにワクワク嬉しくなります。

今回思わず膝を打ち、深いところに響いたのは、人が、いのちが、何によって生きているかについての師匠の話でした。

身体の中で毎日毎瞬繰り広げられる生と死の動的平衡が、何によって「生きる」勢いの方に保たれているのか、それはとても謎で、子どもの頃からずっと知りたいことでした。

生まれてから着実にエントロピーを増大させつつ死に向けて歩んでいくのが生命の宿命でことわりのはずなのに、今この瞬間も「生きる」方に向かわせるエネルギー、病気や不調、日々生まれては消えるがん細胞を始めとするエラーやバグの勢いを凌ぎ、身体を生かし続けるエネルギーは一体何か。

imageそれを師匠は、精子と卵子を受精に向かわせる「はじまりのエネルギーの勢いそのもの」だと言います。

そこに向かう求心力のようなもの、中心に向かうエネルギーや気の質量こそが、わたくしという生命をわたくしたらしめ生かすもの。つまり「集注する」力だと。

その求心力、わたくしをわたくしとしてまとめ、動かし、裡からの要求として、わたくしを突き動かす力の集注。その結果としての身体の働きが私達を生かす一方、それが弱まり、散漫になり、人に明け渡し、わたくしを生きるのを諦め、やめた時に、結果として身体が弱り死に向かうのだと。

そのエネルギー自体がそもそもどこから来るのかは、天文学者、物理学者、数学者の美しい謎解きを待つとしても、全細胞でそれがいのちの原理で、真実だと感じました。image

治る、治す、癒す、癒し、治療する…そんな言葉は、この原理の前には霞んでしまいました。

きっと
食をはじめ私が今やっていることは、そして、これからやっていくべきことはそういうこと…

わたくしを誕生に向かわせ、わたくしと言うものをまとめている力、生きる方向に向かわせる集注のエネルギーを、わたくしの中心に向かうベクトルに集めなおすこと、勢いを取り戻すこと。

Epiphany!!=「ああ…そうか 」!!

全細胞レベルで腑に落ちる、大きな気づきでした。

師匠にご指導いただきながら、これからも全生を目指します!