茨城のり子さんの詩を汲む

image久しぶりに茨城のり子さんの詩集を読み返して、彼女の感性や、時にストイックに、でも総じて柔らかく、ロンリーではなくソリチュードで自立し続けた生き方に改めて共鳴しました。

20代で出会い、ずっと大好きな詩

……………………

汲む ーY.Y.に         茨城のり子
大人になるというのは
すれっからしになることだと
思い込んでいた少女の頃
立ち居振る舞いの美しい
発音の正確な
素敵な女のひとと会いました
そのひとは私の背伸びを見すかしたように
なにげない話に言いました
初々しさが大切なの
人に対しても世の中に対しても
人を人とも思わなくなったとき
堕落が始まるのね 堕ちてゆくのを
隠そうとしても 隠せなくなった人を何人も見ました
私はどきんとしそして深く悟りました
大人になってもどぎまぎしたっていいんだな
ぎこちない挨拶 醜く赤くなる
失語症 なめらかでないしぐさ
子供の悪態にさえ傷ついてしまう
頼りない生牡蠣のようの感受性
それらを鍛える必要は少しもなかったのだな
年老いても咲きたての薔薇 柔らかく
外にむかってひらかれるのこそ難しい
あらゆる仕事
すべてのいい仕事の核には
震える弱いアンテナが隠されている きっと…..
わたくしもかってのあの人と同じくらいの年になりました
たちかえり
今もときどきその意味を
ひっそり汲むことがあるのです

………………………

何度もなんども繰り返し味わってきた詩ですが、今回老眼のためか(笑)、

「年老いても咲きたての薔薇 柔らかく
外にむかってひらかれるのこそ難しい」

の部分を

「年老いても咲きたての薔薇 柔らかく
外にむかってひらかれるのこそ美しい」

と読み間違え、なかなかいい読み間違えだなと思いました^_−☆

それは本当に本当に難しいことで、全存在をかけた真剣なプロセスの連続だけど、それでも、震えるアンテナ、牡蠣のような、羽化したばかりの蝶のような感受性を大切にしながらも、外に向かって開いて咲いていきたい…年老いても。最後の日まで。

カナダ人の親友のいうところの、「(日本人の口ぐせ)  <難しい(difficult)>  ではなく  <挑戦し甲斐がある(challenging) >  に変えて」、挑戦し続けたい。

そんなことを思う今日この頃です。