信じうるのは自分の感覚 3

FullSizeRender (31)人生において、毎日の生活の中で、私達は数かぎりない選択をしながら生きています。もっと言うと、何をどんな基準で選択していくか毎瞬毎瞬の積み重ねそのものが人生と言えるのかもしれません。

その選択の基準は国によって、宗教や文化によって、それぞれの家族、また個々人によって実に様々。病気や養生、健康法といったものになると、雨後の筍のように、様々な根拠や思惑が入り混じった数かぎりない情報が溢れ、選択肢の海におぼれそうなほど(笑)。身体や生き方を命がけで変えている今は特に、混乱することがあります。

先日大好きなオハナに人生で何かを選択する時の基準を聞きました。風のように爽快で、バランスが良く、私がとても尊敬している素敵な素敵なオハナは私の憧れでもあります。そんなオハナが何を基準に選んでいるのかを聞いて見たかったのです。

すると即座に「自分が好きか嫌いか」と言う軽快でシンプルな答えが返って来ました。

え(・.・;)?それでいいの?もし間違ってたらって思わないの?と聞く私にすかさず「だって正解なんかないんだし、最終的には自分が好き嫌いかで決めるしかないじゃない。それで間違っていたとしても、自分の好きなことを選んだ結果なんだから、仕方ないしね」

なんて軽快で爽快でシンプルでゴージャスな考え(笑)!

目を丸くする私に、「あるかないかわからない正解を探して生きているのってある意味で子どもなんじゃないかな。正しかったかどうかなんて死ぬ時にならないとわからないんだから。年齢を重ねるっていい意味で諦観を覚えることでもあるんじゃないかと思うからね」

ああ、本当にそのとおりだなあ・・・。

そして、それはとても成熟した考えだなとしみじみ感じました。

そんなオハナは、頑なでも独断的でもなく、情報もきちんと集め世事にも関心を寄せ、バランスのいい生き方をしている人です。いつも客観視することも忘れないオハナですが、そうした客観的な目を保ちつつ最終的には決めるのは自分の好き嫌いであることをよしとする、そしてその結果を引き受けつつ、結論は死ぬ時まで保留にしておいて置ける・・・そんなオハナの考えにとてもワクワクしました。

私の中の成熟のイメージの一つに、風通しのよさと自由があるのですが、オハナのこの考え方に触れたとき私の中に爽やかな自由な風が吹き抜けるのを感じました。

正解を探して、どこか・何かに答えを貰おうとウロウロしている私、正解だと思ったセオリー通りにやることに固執してしまう私、自分の選択した結果にすぐになんらかの結論を与えようとする私がまだいます。特に、乳がんとどう向き合い、何を選択したらいいのか全く未知の世界にいる今、そうした傾向が強くなりがち。

それは、優等生な在り方が染み付いてしまったためだと思っていましたが、優等生ではなく、子どものあり方だったことに気づきました。

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そしてそれが私の心身の風の通りをよくし、水が流れ、自由でいることをせき止めている要因の一つであることに改めて気づかされました。

もうそんな子どもの生き方はもうやめるからね、もう卒業するよ、もう自分の好き嫌いを尊重しながら、自分の力で選択していくからね、とちっちとシコリんに優しく伝えました。

成熟した大人として生きることの意味、そしてその在り方の中でのみ見えてくる景色に出会えそうな予感で、新しい静かなワクワクを覚えている今日この頃です。

aloha mahalo