信じうるのは 自分の感覚 1

CIMG0467ある日 自転車に乗っていた時のこと。

特に何も考えるでもなく、初夏の風を気持ちよく感じて、そよぐ夏草を横目に自転車を走らせていた時。ふいに全身ではっきりと確信しました。

あ、今、私の全細胞が、シコリんを必要としないベクトルに足並みを揃えたな、と。

細胞レベルで「分かった」のです。

それは、鳥肌が立つような、でもとても静かで、誰にも、私自身にすらも侵す事ができない神聖な感覚でした。言葉にするのはとても難しく、医学では絶対に証明できないことなのですが、私の中で確かに感じた絶対の感覚だったのです。

この病気に関しては、本当に様々な学説、治療法、考え方があります。ひと昔前の、抗がん剤→手術→放射線というお決まりのコースにお医者様本人達を含む多くの人が疑問を感じる昨今であり、また日本人の二人に一人がかかる病気だけに、本の数もネットの情報量も膨大です。

何を信じるか、何を信じないか、何を選択してどうやって向き合っていくのか・・・それは実に人の数だけあると言っても過言ではないのかもしれません。

そんな中、私が信じるに足ると、信じうると思うもの・・・それは他でもない自分の感覚です。

世界にたった一つしかない私の身体。頭が逆立ちしても到底叶わないスーパー知性と可能性を持っている身体。その身体の感覚を信じなくて何を信じたらいいのかな、という気がします。CIMG1040

もちろんデータはデータ、数値は数値で、一つの指標にすることは自分の状態を客観視するためのツールとして大切だと思います。そして、最先端の研究結果や事例も参考にするに足るありがたい情報です。

それでも、最後に決断するのは、一瞬一瞬の選択をするのは、頼りにするコンパスは、自分の感覚、自分の身体。いのちを預けていいのは、自分自身のこの手。

誰かの言う通りにして、誰かに命を委ねてただ表面的に病気が治ったとしても、きっとまたシコリんからのメッセージがやってきます。

シコリんからのメッセージは、そうした何か目に見えることを超えた、大切なこと。

それは、この情報化社会、脳化社会だからこそ、持ち続けなくてはいけないコンパスを再び作動させて、自分の本来の生を取り戻し、生を全うして生きることを学ぶこと。

がんになるくらい、自分を抑えて、世間に適応して優等生的な在り方をしてきた自分だからこそ、今このときに必要なのは誰でもない、この私の感覚。小さくても確かな自分の身体の声を、信じきること。その先に、本当の生があると思うのです。

正解もなく、前例もない、そして、一瞬一瞬が真剣勝負の道だけど、渡り鳥のように、鮭のように、ウミガメのように、自分のナビゲート、コンパスを信じて、今日も明日も生きていくからね。自分に、シコリんに誓って、今日も安心して眠りにつきます。

aloha mahalo